A Dog's World 

~海外で暮らす・日々の記録・旅の記憶~   

エチオピアの観光・娯楽

ラリベラ

エチオピア北部、3000メートル級の山々が連なる高原地帯に、伝説に彩られた町、ラリベラはあります。12世紀、エチオピア王国ザグウェ朝の第7代国王ラリベラにより造られた11の岩窟教会群は、1978年、世界遺産に登録されました。

中世、聖地エルサレムに続く道がイスラム教徒により占拠され、巡礼が困難になったことから、ラリベラ王はその地に第2のエルサレム建設を試みます。巨大な一枚岩を掘り抜いて造られた11の岩窟教会群は、すべて地下トンネルでつながっていると言われています。

聖救世主教会(メダハネ・アレム教会)
ラリベラで一番の大きさを誇る教会です。窓の形にアクスム様式とギリシャ様式の十字架が彫られています。

聖マリア教会
人類の誕生と終末を描いた壁画があるとされますが、その柱は布に包まれ見ることはできません。キリストの昇天など聖書をモチーフにしたフレスコ画が、天井や壁を彩っています。

聖エマニュエル教会
第2グループ教会群の中でもっとも美しい外観をもつと言われていますが、修復と保護のためカバーがされています。

聖ギオルギス教会
正十字形に岩を彫り抜いて造られた教会です。内部には柱がありません。ノアの方舟を象徴しているとされます。

雑感
ラリベラといえば、世界遺産としてその名を知られる、まさにエチオピア観光のハイライトです。入場料は外国人100ブル (1300円) とかなり高い。100ブルあればレストランで10食くらい食べられるなぁと思いつつも、いそいそと支払いをすませました。

ついてくれた英語ガイドの若者、ラリベラで学ぶ神学生とのことでしたが、日曜日だとしても午後2時からかなり酒臭い。不安はありつつ気を取りなおして、まずはラリベラで1番大きいメダハネ・アレム教会へ。11ある教会はすべて岩を彫り抜いて造られています。確かに12世紀の当時としては大変な工事であったと容易に想像できますが、現代の技術をもってしても同様の建造は不可能、というガイドの説明には少々疑問が。

それを言うなら、現代のエチオピア人には無理ってことでしょ、などという野暮なつっこみは胸の奥にしまって、教会の内部へ。中は薄暗く、人の汗と垢の臭いが目にしみます。天井が高く、かなりの広さを感じるのは立派ですが、目立った装飾もないのでガイドの説明にも生返事をかえしさっさと外へ。

次に訪れた聖マリア教会は、その小さな外観からは想像できませんが、内部の壁という壁が、聖書をモチーフにしたフレスコ画やラリベラ王の紋章などで埋め尽くされています。当時これを造った人たちの宗教に打ち込む姿が目に浮かぶようで、しばらく見入ってしまいました。これで臭くなかったらなあ。本当に残念。

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ふと気がつくと、若者3人組が後ろにじっと立っています。場所を移動すると、静かに後をついてきます。どうやら、将来のガイドを目指して、こちらのガイドの説明を覚えようとしているようです。なんだかほほえましくなって、こちらもあえてよくありそうな質問をしてみたり。

続いて、今回のラリベラ訪問でもっとも期待していた聖ギオルギス教会。十字架の形をした美しい外観をもつこの教会は、ラリベラ王の夢枕にたった聖ギオルギスのリクエストに応えるために造られたそうです。ちょっと拍子抜けが続いていたので、ここが最大の感動のしどころだと少し肩に力が入りすぎていたせいでしょうか、実際に見た教会は想像よりも小さく、思わず口をついて出た言葉が「へぇ〜」。

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小さいと思ったのは、単に容積というよりも、どうやらその場の空気の密度というか、これまでずっと見てきた巡礼者であふれかえる写真とくらべたら、やけに閑散としているなあと、そう感じたからです。面倒でも、人が一番集まるクリスマス (1月7日) あたりに来た方が、ラリベラ本来の姿が見られるのではないかと思います。

いろいろと文句も言いましたが、ラリベラが必見の場所であることは間違いありません。ただ、世界中どこでも聖地なんてだいたい物乞いであふれかえっているものです。そしてここも、歩いているとひたすら物乞いがついて来ました。これが生業として成立してしまうのは、いかがなものでしょう。

宗教によって彼らは堂々と物乞いをしてきます。その上、お金をもらいながらも「相手に喜捨する機会をつくってあげた」という上から目線に立つことができるのです。「うまくできているよな」なんて思うのは、罰当たりですね、ハイ。

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ゴンダール

ナイルの源流、エチオピア最大の淡水湖であるタナ湖の東方に位置する古都ゴンダール。そこに、ヨーロッパ人が「不思議の城」とよんだファシリデス王の城があります。17世紀初頭に建造されたこの城は、1979年、世界遺産に登録されました。

17世紀、時の国王ファシリデスは、それまで低地にあった領土をマラリア禍のため放棄し、標高2000mのゴンダールに新たな王国を築きます。1636年、王はゴンダールをエチオピアの首都と定め、それから230年にわたってゴンダールは商業と文化の中心になりました。

ゴンダールの城
ゴンダール王朝時代に造られた6つの城と12ヶ所の城門が残されています。ファシリデス王の城、ヨハンネスI世の図書館など、中世の要塞を思わせる威風堂々とした姿は、ヨーロッパ人をして「不思議の城 (House of Wonder)」と言わしめました。原型をとどめない建物もありますが、その中にはイヤス王の宮殿のように、第二次世界大戦中、イギリス軍に空爆されたものもあります。

デブレ・ブラハン・セラシエ教会
ゴンダールには44の教会があったと言われていますが、そのほとんどは19世紀にあったイスラム教徒との争いにより破壊されました。この教会は17世紀にイヤス王によって建てられたもので、オリジナルのまま残っている貴重な教会です。内部は色鮮やかなフレスコ画で埋め尽くされています。特に天井には、神の力を示したといわれる、あらゆる方向を向く80体の天使が描かれています。

雑感
正直、ゴンダールはあまり期待していませんでした。エチオピアの世界遺産として有名なのは、やはりラリベラ、そしてアクスムです。日本で買ってきた世界遺産ガイドブック (文庫本) にも、この2ヶ所しか紹介がありませんでした。そんなわけで、「せっかくゴンダールに来たんだから、まあ行っとくか」といった軽い気持ちで出かけました。

敷地に入るとほどなくヨハンネスI世の図書館があります。エチオピアの始まりが聖書の登場人物にまでさかのぼれるという口承伝説をまとめた「ケブレ・ネゲスト」もここで発見されました。

その先に建つ、要塞のように重厚な建物がファシリデス王の城です。目に飛び込んだ瞬間、思わず「うっ」と小さくうなってしまうほど、その存在感は圧倒的なものでした。小走りに建物まで近づくと、2回の入り口に続く階段の下から建物を眺め、あらためてその大きさに見入ると、ちょっと小躍りするくらい感激してしまいました。

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ファシリデス王の城は高さ32m、最上階からは64km先のタナ湖が見えるといいます。内部は天井が高くガランとしていますが、天井には太い梁が何本も渡され、この城の頑丈さを物語っています。大きな窓を風が吹き抜けるため、外の暑さはまったく感じません。

ガイドブックにはポルトガル・フランス様式と書かれていますが、アラブとかインドあたりの雰囲気が濃厚に漂っています。バルコニーに出て外を眺めると、まさに気分爽快。しばし往時の人々の暮らしぶりに思いを馳せます。ファシリデス王の城の他にも、この城壁の中には見所が満載。

続いて、ガイドブック曰く「エチオピアで一番有名な教会」です。町の人に道を聞きながら、デブレ・ブラハン・セラシエ教会を目指します。15分ほど町をぐるぐる走りましたが、結局自分が泊まっているホテルの裏手にあることが判明し、運転手も苦笑いでした。

チケットを買って中に入ると、これまたずいぶんと小さな教会です。しかしなんとなく古い様式美を感じさせることも事実で、少し緊張して内部に入りました。中に入った途端、たぶんほとんどの人は我が目を疑うほど驚いてしまうでしょう。内部の壁一面が極彩色の絵で埋め尽くされ、圧倒的質感を持って迫ってくるのです。

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正面の祭壇には磔刑に処されるキリスト、左右の壁にもさまざまなストーリーが描かれています。一瞬で人をひきつける魅力的な絵の数々。しかしその意味がわかりません。この時ほどガイドを連れていなかったことを後悔したことはありません。

天井を見上げると、そこには80体の天使が描かれています (80体とガイドブックに書いてありましたが数えてはいません)。天使はあらゆる方向を見ているため、どれかは必ず目が合ってしまうそうです。

それにしてもよくここまで執拗に描いたなと、いまさらながら人々が宗教にかける情熱にため息が出ました。これが当時のままに残っていることも奇跡に近いのではないでしょうか。ちなみに教会内部は薄暗いのですがフラッシュ撮影禁止なので、今回はデジカメをISO 1600に設定して撮りました。それでもけっこうぶれてしまいましたが。

しかしゴンダールは良かったです。ラリベラでがっかりしたあとだったので、感動もひとしおでした。

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ゴンダールこぼれ話
この時は9日間かけてエチオピア北部の村々を巡る出張中でした。ちょうどツォム (断食=肉を食べない) の時期で、ただでさえ地方に行くと食事のグレードが下がるのに、いつもより輪をかけて厳しい食事が続いていました。

ゴンダールに着くまで1週間、毎食ほとんどインジェラとシュロワット (豆のペースト)。ひとつの大皿にみんなで手を伸ばして食べるためか、1人また1人とお腹をこわしていく毎日。「肉が食べたいッ!!」 近年これほど強烈に肉を欲したことはありませんでした。

そうしてたどりついたゴンダール。観光客がよく泊まる少々高めのホテルにチェックインすると、同行のエチオピア人たちはいつものように安いホテルを探しに行くと言いました。「じゃあ、昼食は別々にしようか」 おそるおそる切り出すと、みんな快く承諾してくれ、出張に出て以来初めて食事が別行動となりました。

こうなると目的は肉食以外の何物でもありません。レストランに顔を出し、何か肉料理はないかとたずねると、相手は申し訳なさそうに「ツォムなんでスパゲティ・ミートソースしかないよ」と言いました。うん、あるだけましです。なんの躊躇もなくそれを注文し、部屋まで持ってくるよう頼みました。

待つこと30分、ようやく部屋がノックされたときは「キターーー!」と心で叫んでしまいました。スパゲティから立ち上るミートソースの香りに、ほとんどむせび泣いていたかもしれません。ジューシーなソースをたっぷりからませて、ひと口、ふた口とスパゲティを口に運びます。「うまい!」 とにかくその瞬間は心の底からそう思いました。空腹と渇望は最高のスパイスなんですね、やっぱり。

目を輝かせてスパゲティをハグハグとかき込み続け、半分ほど食べ終えたときです。ふと、ソースの中に小さな黒い物体が見えました。「?」 少し小首をかしげたものの、あまりちゃんと確認もせず、もうひと口と、黒い物の近くからスパゲティを巻き取りました。

「タマネギがこげたやつだよ」 わざと声に出して、自分に言い聞かせるように目をつむりながらスパゲティを口に放り込みました。しかしすでにこの時、最悪の事態は想像できていたのです。ただ、たとえ数秒であっても、幸せな時間を少しでも長く味わっていたかったのです。

そうして、審判の時は訪れました。それほど目を凝らすまでもなく、その小さな黒い物体は、ゴキブリでした。あの時は魂が抜けるほど深いため息をつき、脱臼するくらいがっくりと肩を落としました。あれほど輝いていた珠玉のひと皿は、急速に色と温度を失い、無機質な何かに変わっていきました。

結論から言うと、ゴキブリをそっとお皿の外につまんで出すと、あとは黙々と最後まで食べ切りました。何の楽しみもない、ただ空腹を満たすだけの食事。味を感じればたちまち「ゴキブリエキス」などという単語が頭をよぎります。「味わってはいけない」 そう念じながらの苦行にも似た食事でした。

食べ終わったお皿にゴキブリの死骸を戻しておいたのは、自分なりのささやかな抗議です (涙)。

アクスム

1世紀に建設され、4世紀半ばに最盛期を迎えた古代エチオピア王国の都アクスムには、今でもその繁栄を物語る数々の遺物が残されています。中でも花崗岩で造られた数々のオベリスク群は、1980年、世界遺産に登録されました。もうひとつ、アクスムを「聖都」たらしめているものは、エチオピア建国の伝説です。

紀元前10世紀頃、エチオピア、スーダン、イエメン一帯を治めていたシバの女王は、賢者として名高いエルサレムのソロモン王を訪ねます。そこで王の子を宿し、生まれた子がメネリク1世としてエチオピアの初代国王となりました。

成長し自らの素性を知ったメネリクは、ソロモン王を訪ね、数年間の教育を受けたあとエチオピアに帰りますが、従者の1人がモーセの十戒を入れた聖櫃を持ち出してしまったのです。現在も、聖櫃はアクスムの「シオンの聖マリア教会」にあるとされます。

雑感
毎年2月から4月にかけて、エチオピア正教徒はツォム (肉・卵・乳製品を食べない=断食) を行います。年によってツォムが明ける日は異なりますが、ツォム期間の最後の週末の金曜日は「Good Friday」という休日になり、休日の少ないエチオピアではめったにない3連休になります。

その休暇を利用して、1泊2日のアクスム旅行に出かけました。1泊旅行なら土日で行けると思うかもしれませんが、エチオピア航空国内線をそれほど信用していない自分にとっては、何があるかわからないということで、やはり3連休の3日目を予備日としたかったわけです。そんなこんなで、Good Friday の朝、濃霧のためいきなり2時間遅れと出鼻をくじかれましたが、なんとかアジスアベバを出発しました。

かつてアクスムには64の大オベリスク、246の中オベリスク、さらに多くの小オベリスクがあったとされます。しかし現在、きちんと立っていて、彫刻が施された立派なものは1本しかありません。世界遺産にも登録されているのですが、彫刻もシンプルな幾何学模様で、さすがにエジプトと比べるのは酷ですが、やはり拍子抜けという言葉は否めません。

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古代アクスム王国については未だ85%が謎のままだそうですが、もっと歴史が明らかになり、ガイドが蘊蓄を語れるようになれば、もう少し楽しむことができるかもしれません。

古代アクスム王国といえば、シバの女王の息子メネリク1世が、父であるソロモン王のもとから十戒の入った聖櫃を持ち出したという伝説があります (正確にはメネリクの従者が勝手に持ち出した)。その聖櫃は今もアクスムの「シオンの聖マリア教会」にあると信じられています。

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実際にあるのかないのかは確認のしようもありませんが、これをエチオピア人が誇りにしていることは確かです。この教会の隣には「新しいシオンの聖マリア教会」があり、1000年前に書かれたというゲエズ語の聖書を見ることができます。

その挿絵は今も鮮やかな色彩を残しており、遙かな時を越えて見る者の胸を揺さぶります。これだけの宝がありながら、観光客からチップを稼ぐだけとはなんとももったいない話です。このあたりが今のエチオピアの限界なんでしょうか。

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この日は Good Friday だったので、聖マリア教会は中も外も女性の信者であふれかえっていました。ついでに子供もはしゃぎ回っていて、いつもながら外国人をみると低い陰気な声で「You…, You…」と言いながらぞろぞろついてくるのが最高にうっとうしかったです。

エチオピアほど子供が可愛げのない国はこれまで経験したことがありません。せめて陽気に「You! You!」と言ってほしい。もっとも、その子供たちを番人が木の棒で叩いて追っ払っているのはちょっと可愛そうだと思いました。ロバじゃないんだから。

次の日、午後1時半のフライトでアジスに戻る予定でしたが、機体のトラブルで何時間も待たされたあげく、結局その日は飛ばないことになりました。予定外、しかし想定の範囲内のアクスム延泊でした。

失われたアーク

契約の箱
ハリウッド映画「レイダース・失われた聖櫃 (アーク)」は世界中で大ヒットしましたが、その中で描かれたアークとは何でしょう。旧約聖書によれば、それは神からイスラエルの民に下された十戒 (2枚の石板に記された) を収めた箱で、モーセがアカシアの木から作ったものだそうです (申命記)。

後世、ソロモン王 (紀元前970〜931年) がエルサレムに神殿を建立し、至聖所にアーク (契約の箱) を安置しました。すっかり金でおおわれた箱の上には、2体のケルビム (人間の顔を持ち、翼を持った天的な動物) 像が置かれました (列王記上)。箱の中にはマンナの入っている金の壺、芽を出したアロンの杖、そして契約の石板が入っていたそうです (ヘブライ人への手紙)。

箱にはなにか破壊的なパワーがあるようで、「黙示録」では第七の天使がラッパを吹いた後、「そして天にある神殿が開かれて、その神殿にある契約の箱が見え、稲妻、さまざまな音、雷、地震が起こり、大粒の雹が降った」と書かれています。

映画レイダースの中でも、そのパワーは存分に発揮され、ナチスの軍人がばたばたとやられていました。しかしその後、紀元前587年にネブカドネツァルのバビロン軍が神殿を取り壊したときには、すでに所在不明となってたそうで、以降、聖書でもアークに関する記述はなくなっています。そして「失われたアーク」という言葉が生まれました。(次の写真はエジプトのシナイ山)

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シバの女王
エチオピアの口承伝説をまとめた「Kibre Negest (王たちの栄光)」という書物があります。エチオピア皇帝の血統を記し、その祖先が聖書の登場人物にまでつながるということが書かれています。

紀元前1000年頃、シバの女王は現在のイエメン、スーダン、エチオピアに広がる大エチオピア王国の女王でした。女王はソロモンの名声を聞き、彼の知恵を試そうと、大勢の随行員を伴って金銀財宝とともにエルサレムに赴きます。

女王の発する難問に、ソロモン王は次々と回答を返しました。感服した女王は持ってきた財宝を差し出します。逆に女王が気に入ったソロモンは彼女を求めますが、女王は側女を差し出し自らは応じませんでした。

ある日、ソロモンは一計を案じました。夜遅くに宴会を開き、辛い料理ばかり出させたのです。ソロモンの神殿に泊まった女王は、「神殿の物を手にしない」という約束をさせられていたにもかかわらず、喉が渇いたため枕元の水を飲んでしまいました。

約束を破ったことをとがめられ、彼女はソロモンと一夜をともにし、その結果ソロモンの子を身ごもりました。そしてシバの女王はエルサレムを後にし、息子メネリクを産んだのです。

成長したメネリクは、自分の生い立ちを聞かされ、ある日エルサレムのソロモン王に会いに行きます。メネリクは顔立ちが王そっくりだったため、やすやすと神殿に入れたそうです。

メネリクはそこでさまざまな学問を学び、3年の後、ユダヤの僧の長子たちを従者として連れ、エチオピアにもどることになりました。その時、従者の1人が夢のお告げに従い、契約の箱を神殿から盗み出しこっそりと持ってきてしまったのです。

旅の途中でその事を知ったメネリクは青ざめますが、「神の意志に反しているのなら持ち帰ることもできまい」と、アークをそのまま運び続けました。そしてアークはエチオピアに持ち込まれ、現在もアクスムにあると信じられています。(次の写真はアクスムの「シバの女王の浴槽」)

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ティヤ、世界遺産?

エチオピアには4つの世界遺産 (文化遺産) があります。そんな中、アジスアベバから車で1時間半ほど南西に下った所にあるティヤの遺跡は、もっとも手軽に見ることができる世界遺産です。800年ほど前に造られたという以外は、ほとんどベールに包まれたままで、見る者の想像力を大いにかき立ててくれます。

アフリカのグレートリフトバレーは、人類発祥の地とされます。エチオピアでは北東部のハダールでかの有名なルーシー (350万年前の人の化石) が発見されています。アジスアベバからティヤに向かう途中にも、人類の歴史の痕跡が残されたメルカ・クントゥレという村があります。メルカ・クントゥレはアワシュ渓谷上流に位置し、170万年前の石器や化石が発掘されています。この場所が発見されたのは50年ほど前のことですが、今後、より貴重な発見がなされるかもしれません。

雑感
「ティヤに行く途中のアワシュ川を渡った先になんかあるよ〜」という、きわめてあやふやな情報をもとに、8月のある日、アジスアベバから南西に一路車を走らせました。8月のエチオピアは大雨期のまっただ中。どんより曇った灰色の空の下、ときどき激しい雨におそわれながら1時間ほど車を走らせると、アワシュ渓谷にさしかかりました。

渓谷にかかった橋の下には、濁流がごうごうと音をたてながら流れています。これがうわさのアワシュ川かと、その迫力にしばし見とれてしまいました。この橋を渡ると、すぐにアムハラ語のそれらしき看板があります (注:その後英語の看板もできた)。そこを右に曲がっていくと、しばらくしてメルカ・クントゥレの博物館があります。博物館といっても、発掘された石器と化石を並べてある小さな小屋です。

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展示品は、黒曜石などでできた石器、そしてカバなど動物の化石です。すぐ近くで発掘されたそうですが、雨期は道がぬかるんで現場までは行くことができないと言われました。展示パネルを見ると、川原のような場所一面に黒曜石が落ちています。こういうところで、いつか自分の手で本物の石器を拾ってみたいものです。もちろん、個人で行ってそんなことができるかといえばそれはわかりませんが。考古学が好きな人にとっては、きっとエチオピアはすばらしく魅力ある国なのだと思います。

メルカ・クントゥレで少々興奮したあと、いくつか小さな町を越えて、ようやくティヤの村に着きました。道ばたに英語の看板があるので、そこを左に入っていきます。車が来ると、その辺にいた子供たちがワーッと駆け寄ってきました。道がぬかるんでいたためそこで車を止めると、あっという間に30人ほどの子供たちに取り囲まれました。

みんな口々に「ザバニヤ」と言っています。ザバニヤとは番人の意味で、車を見ていてあげるということです。100mほど先に遺跡が見えていたので、別に番人が必要というわけではありません。その声は無視して歩いていくことにしました。いつものことですが、ぞろぞろと子供たちがついてきます。たまに観光客も来るのでしょう、「1ブル」とか「ペン」とかいう子供もけっこういます。いつもながら、うっとうしい以外の何物でもありません。

遺跡は手作りのフェンスで囲まれていました。鍵のかかったゲートがあり、どうしようかと考えていると、どこからともなく鍵を持った番人が現れました。ノートを手にしており、自分はオフィシャルガイドであると言い、ノートに書き込まれたティヤの遺跡のスケッチを見せてくれました。

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話を聞くと、12世紀に建てられたこの遺跡は戦士の墓であり、石碑に刻まれた剣は倒した敵の数であるとのことです。それ以外はあまりよくわかっていませんが、ティヤ近郊には、同じように石を加工した遺跡がいくつもあるそうです。ちょっとこの規模で世界遺産はどうなんだろうとも思いましたが、そうやってこのあたりを観光開発していこうという思惑があったのではないかと想像します。

20分ほど遺跡を見てから車に戻ってみると、2、3人の子供たちが手にペンキ缶を持って車を洗っています。ペンキ缶に入れた水をばしゃばしゃかけながら洗っているのは良いのですが、缶が車体にごんごんあたっています。見ればあちこちすり傷もできています。頭にきて大声で子供たちを追っ払うと、さっさとその場を後にしました。

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ちなみに、遺跡への入場料はあってないようなもので、1人のガイドは1グループ10ブルと言い、別のガイドは1人10ブルと言います。エチオピアのような国では仕方ないのかもしれませんが、ちょっと外国人が来るようになると、たちまち人々の心がすさんでしまうように思います。

それなりに観光資源があるのに、こんなに観光しづらい国はないかもしれません。外国人を金づるだと思うのはかまいませんが、それ相応のサービス (きちんとした情報の提供とか) はしてもらいたいものです。

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ブラックライオン

ハイレセラシエ皇帝がこよなく愛していたというブラックライオン。自分が初めて見たのは、アジスアベバの Black Lion Zoo。たてがみが黒なんですね。全身クロヒョウみたいなのを想像していたので、ちょっと拍子抜けでした。

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次に見たのは、アジスアベバ中心部にある大統領官邸の中庭で飼われていた2頭。こうなると黒と言っていいのか微妙ですが、まぁ良しとしましょう (←貴重さが全然わかっていない)。

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ブルーナイルの滝

ナイル川は、スーダンのハルツームで白ナイルと青ナイルが合流しています。白ナイルはビクトリア湖、青ナイルはエチオピアのバハルダールにあるタナ湖にその端を発していますが、バハルダール近郊のティシサット村に行くと、見事な青ナイルの滝を見ることができます。以前は、雨季になると水量が増し、幅数百メートルにも渡って轟々と落下する濁流が見られたそうです。しかし、数年前に滝のすぐ脇に水力発電所ができたため、今では雨季であっても水量が減ってしまい、往時の迫力ある水の落下はもはや見られません。写真は9月、雨季の終わり頃に行ったときのものですが、アジスアベバから同行したエチオピア人も「9月なのに水が少なすぎる…」と絶句していました。

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ティシサット村からは、30分ほど山道を歩いてビューポイントに行きます。途中、15世紀に造られた石の橋があり、また緑に囲まれたブルーナイル(現地語でアバイ)の渓流沿いを歩くのはとても気持ちの良いもので、滝ともども観光地として価値ある場所だと思います。しかし村人の「ガイドを雇え」という攻撃がすさまじく、子供から大人までしつこく後をついてくるのには閉口しました。雇わないとわかるとヤジの攻撃に転じるのも見慣れた光景。滝を見ていても横で子供たちがずっと「ユーユー、マネー」と言ってくるし、ちっとも落ち着いて見ることができませんでした。

エチオピアで何年か生活すればそれなりに良いところも見えてきますけれど、旅行で短期間エチオピアの観光地だけを回った人は、かなり煩わしい思いをして帰るんだろうな。そう思われても仕方ないですけど。

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ハルシェタン湖

エチオピア南部州ブタジラの近郊に、ハルシェタンという湖があります。「バハル・シャイターン (悪魔の湖)」とアラビア語で考えると意味がよくわかりますが、一見きれいな水であっても、魚もいないし、住民もここの水は飲めないと言っていました。水不足のエチオピアにあって、これだけの水を目の前にしてそれが利用できないとは、なんとももったいない話です。

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ある日、ハルシェタンに行って湖面をのんびり眺めていると、トコトコと1匹のヤギが近づいて来ました。目の前を通り過ぎたのでなんとなくパシャリと1枚写真を撮ると、ヤギはきびすを返し、おもむろに石に前足を乗せると、「違う違う、ポーズとるからここで撮ってよ」とでも言いたげに、こちらを向いてメェ~とひと鳴きしたのです。これはこれは、失礼しました。恐縮しながらあらためてシャッターを切ると、ヤギは満足そうに歩いて行ってしまいました。

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森のリゾートホテル

アジスアベバから西に120kmほど離れたウォリソの町に出張し、仕事を終えた後、どこか食事ができる場所はないかと聞いて、紹介されたのが「ネガシュ・ロッジ」です。敷地内は大木が乱立し、草がうっそうと茂っていて、樹上には白と黒のきれいな毛を持つアビシニアコロブスが何頭もいました。

客室はエチオピア各地の伝統家屋を模したロッジで雰囲気抜群。プールと温泉がそろった、森のリゾートホテルです。敷地の一角には、大木の枝の張りを利用してテラスが作られており、階段を上ってそこで食事ができるようになっていました。

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久しぶりの森林浴を満喫しつつ眺めの良いテラスで料理を食べていたら、木の枝から枝へとハイラックスが何匹も渡っていきました。なんだかとってもかわいいぞ! しめにマキヤト (コーヒー) を飲んでいる時、これこそ自分が求めていた癒しなんだと確信しました。

それにしても、アジスアベバから近くて (車で2時間弱)、こんなに癒される場所なのに、なぜそれまでアジスアベバで話題に上らなかったんでしょう。本当に不思議。やはり政府系ホテルは宣伝なんてしないんでしょうか。

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それからの数ヶ月間、何度もこのロッジに行き、その度に少しだけ元気になることができました。ただ、一度、団体客の予約が入っていて木の上のテラスに上れなかったことがありましたが、この時はエチオピア人団体客のためにエチオピア音楽を大音量でかけていたため、周囲にはハイラックスも猿も見あたらず、それだけで森全体の雰囲気が殺伐としたものに変わってしまい、とても残念な思いをしました。こういうところがエチオピア人のわかっていないところです。自ら価値を下げていることに気が付かないんですね。あぁ、もったいない。

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マナゲシャの森

アジスアベバから西に35kmほど行くと、「マナゲシャの森」があります。国土から森林面積が減る一方のエチオピアは、アジス近郊でもほとんど森は消失してしまいましたが、ここには異様に映るほどうっそうとした森が残っています。

樹齢400年にもなるビャクシン (Juniper) が、その幹にびっしりと苔をまといながら天高くそびえ立つ姿は、さながら鎮守の森。そこには畏怖の念さえ感じられます。

天狗が現れても不思議ではないような異空間。樹の海。午後の日差しがねじ曲がり、激しい耳鳴りとともに失われていく平衡感覚。どうも、この森とは合いませんでした。(←たぶん日本でプチ遭難したトラウマ)

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