A Dog's World 

~海外で暮らす・日々の記録・旅の記憶~   

エチオピア地方出張:南部州アドベンチャー編

2006年2月、エチオピア南部州 (ミザンタファリ、ホサイナ、他) に出張に行きました。目的は各地の民間メタルワークショップから訓練生をスカウトすること。エチオピアでも持続可能な、簡単なハンドポンプの製造と普及を狙ったものです。今回はいつにも増してアドベンチャー気分満点の旅で、山あり谷あり、苦あり渋ありと (楽はなかった・・)、一生の思い出に残るものとなりました。

1日目:トラブル発生

出足快調
朝8時、気心の知れたスタッフのテショメさん、ゲタッチョさんとともにアジスアベバを出発。この時の運転手は職場の中でも一番若い人で、格段に気が楽でした。前回はかなり年配の運転手で、アクセルとブレーキのタイミングがどうしても自分とあわず、運転中はかなりイライラしたものです。

アジスアベバから南西にのびる道路は、とてもきれいな舗装路で、予定通り10時にはウォルキッテに到着、喫茶店で休憩しながら、今後のスケジュールを確認しました。

「ここからジンマまでは3時間で着くから、今日はジンマの先のボンガまで足を延ばし、明日の午前中にミザンタファリで一仕事終え、明後日は南部州の北西部をのんびりまわろう」などと、南部州出身のゲタッチョさんが地図を見ながら説明してくれました。

こちらもふんふんとうなずいてはいましたが、ミザンタファリの後は、方角が反対のホサイナも見て回らなくてはなりません。実のところ、西部地域はできるだけ早く終えたいところでした。

15分ほどでウォルキッテを出発すると、残念ながら、ほどなく舗装路は終わってしまいました。そこからは延々と道路工事中で、結局ジンマまでずっとがたがたの迂回路を走るハメになりました。午後2時半、ようやくジンマに到着、遅い昼食をとりました。予定より遅れ気味でしたが、やはりボンガまで進むことに決め、3時半にジンマを出発しました。

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トラブル発生
ジンマを出てからはずっとがたがた道でした。車の屋根には、現地でデモンストレーションを行うためのハンドポンプを積んでいて、もうとにかく車中はガタガタギシギシとずっとうるさい状態でした。

5時半頃、少し大きめにガタンゴトンという音がしてきたので、運転手が気になって車を止めました。ポンプの固定ヒモをきつく締め直し、あらためて車を走らせましたが、また5分ほど走ると、今度はさらに異様な振動が車中に伝わってきました。「これはただごとではない」と、あわてて車を止めると、みんなで車を降り、エンジンルームを見たり車体の底をのぞき込んだりしました。

すると、左側後輪タイヤを見て運転手が顔色を変えました。ランドクルーザーの大きなタイヤは5本のボルトで固定されていますが、すでに3つのナットがなくなっていました。ナットが残っている2本も、今にもはずれそうな状態で、そのためタイヤががくがくといびつな回転をしていたのです。

「もし走っている最中にタイヤがはずれていたら…」そう思うと全員顔が青ざめてしまいました。運転手ははずれそうなナットを締め直そうとスパナを回しましたが、その瞬間、ボルトがグニュッとねじ切れてしまいました。タイヤの回転がいびつだったため、熱をもったか何かで、とにかくボルトがひどく劣化してしまったようです。

しばらくみんなで考えた後、他の3つのタイヤから、ボルトとナットを1本ずつ持ってこようということになりました。ボルトは3本残っていますが、劣化している可能性が高く、ナットだけ持ってくるわけにはいきません。そのためには、左後輪タイヤの下に大きな石を置いて浮かせたままにして、他のタイヤをジャッキアップしてタイヤをはずし、さらにブレーキパッドカバーをはずした上で、裏側からタイヤ留めのボルトを抜かなくてはなりません。手間はかかりますが、できないことではありません。

しかしここで、不運にも大雨が降ってきました。エチオピアは「13ヶ月太陽が輝く国」と言われていますが、南部州の西部地域は「8ヶ月雨が降る」と言われています。そのため広大な森林が昔の姿のまま残っており、人々にとっては恵みの雨なのですが、「何もこんな時に・・・」というのがその時の気持ちでした。

時間は午後6時をすぎて、だんだんと薄暗くなってきました。辺りは森と畑が広がっています。民家はぽつぽつ。電柱も見あたらず、街灯などあるはずもありません。懐中電灯がないと作業が難しくなってきました。

路線バスに乗車
ここでゲタッチョさんが、「私とあなたでボンガに行って、今晩のみんなのホテルを確保した後、まだ彼らが来なかったらレスキューの車をチャーターして帰ってこよう」と言ってきましたが、「そううまく事が運ぶかなあ」とやや不安になりました。一度離ればなれになったら、その先うまく再会できるという保証もありません。

しかし「ボンガは大きな町だから大丈夫」というゲタッチョさんの言葉を信用し、ちょうどやって来た路線バスに2人で乗り込みました。ボンガまでは約30kmの道のりです。運賃は1人7ブル(90円)。1時間くらいで着くと言っていたゲタッチョさんでしたが、この日はひとつ村を迂回していくとのことで、結局ボンガに着いた時は夜8時近くになっていました。

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ホテルがない
ボンガの中心部にあるバスの終点で降りると、ゲタッチョさんはバスの中で仲良くなった地元の人にホテルまで案内してくれるよう頼みました。こういうコミュ力が彼の一番の強みです。しかし「ツーリストホテルに案内してくれよ」と言うゲタッチョさんに対して、地元の人はぽつりと「ツーリストなんかいないよ (ツーリスト・イェッレム)」と低い声で答えていました。

ますます不安は高まっていきます。我々は5分ほど歩き、1軒のホテルに案内されました。小さなホテルでしたが、ボンガでは一番良いホテルとのこと。部屋があるかたずねると、残念ながら部屋は満杯でした。南部州はこの時どこの地域でもこぞって大規模な教員研修を行っており、そのホテルも教員グループに占領されていました。

部屋がなくて途方に暮れていましたが、さすが南部州では顔が広いゲタッチョさんです。すぐに何人もの知人に出会い、いろいろと情報をもらっています。とにかくみんな良い人で、本当に親身になって心配してくれました。情報によると、町はずれにNGOがつくったロッジがあるとのことでしたが、そこまでは歩ける距離ではないそうです。

残念ながらゲタッチョさんの知人は誰も車を持っていませんでした。ますます困ってしまいましたが、そのうち南部州政府ナンバーのピックアップトラックが通りかかったので、すかさずゲタッチョさんは道に飛び出してその車を止めました。直接の面識はないようでしたが、お願いした結果、まずはそのホテルまで連れて行ってもらえることになりました。

時間切れ
そのロッジはオランダのNGOがつくったものでした。1泊エチオピア人40ブル、外国人100ブル (1300円)。トイレ・シャワー共同、レストランなしでこんな田舎町にしてはかなり高い値段ですが、とにかく他に選択肢がないので、とりあえず部屋を確保して、同じ車でまた町まで乗せていってもらいました。その後、レスキュー用の車をチャーターしようといろいろ頑張ってはみたものの、結論から言えばそれはかないませんでした。

1台のミニバスが200ブル (2600円) で行ってくれそうでしたが、ピックアップの運転手が「自分の知人 (南部州政府職員) がボンガに来ているから、その車 (もちろん政府の車) を150ブルでチャーターできるだろう」などとささやくので、ゲタッチョさんもその気になってミニバスとの交渉はやめてしまいました。結局そちらはだめだったんですけどね。

時間はすでに10時過ぎ。もう車自体ほとんどいなくなり、それにかわって警官の姿が目立つようになりました。ボンガは夜12時で電気が止まり、町は暗闇に包まれます。そのための警備だそうですが、それにしては数が多い。やはり総選挙後の治安維持ということでしょうか。

あまりうろうろしていると不審者扱いされそうだったので、仕方なく車のチャーターはあきらめ、夕食をとることにしました。レストランといっても最初に見たホテルしかありませんが、そこもすでに食事は終わってしまったとのこと。果物かクッキーでも買おうと思いましたが、すべての雑貨屋が閉まっていました。その後また町はずれのロッジに行くまでが大変でしたが、ようやく夜11時過ぎ、ロッジに到着しました。

ロッジに入ると、そこにはパンも果物も一切なく、飲み物もビールしかないと言われました。お酒が飲めない自分には意味がありません。倉庫の奥の方をさがしてもらったら、なんとか1本のアンボ (炭酸水) が出てきて、それをいただいてようやく一息つくことができました。手短にシャワーを浴び、「朝食は準備できるから」という管理人の言葉を胸に刻んで、ベッドに倒れ込みました。本当に長い1日でした。

2日目:逆戻り

さわやかな朝
昨晩ロッジに戻ると、予約したときにはいなかった宿泊客がいました。南部州農業研究センターの教授で、偶然にもゲタッチョさんの知人でした (この人は知人だらけだ)。「朝7時半に車が来るから町まで乗せていってあげる」という親切な申し出を受けていたので、ゲタッチョさんとともに6時半には起きてロッジの庭を散歩していました。

特に時間を決めていたわけではありませんが、7時半出発ならこのくらいの時間には朝食だろうと、お互いそれに合わせて起きていたのです。濃霧に包まれた緑の庭はとても幻想的で、昨晩の疲れを吹き飛ばしてくれました。

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しかしいつまでたっても教授は起きてきません。広大な庭の片隅にレストランのような建物はありますが、朝食が準備されている気配もありません。ゲタッチョさんも少し不安になったのか、「教授を起こしてくる」と言ってロッジに入って行きました。

結果として、車は7時半に来たのですが、そもそも朝食が始まったのが7時45分。のんびり朝食をとり、ロッジを出たのが8時半でした。これにはさすがのゲタッチョさんもちょっと困惑していたように見えました。

しかし朝食で食べたハチミツはおいしかったです。これまで食べたハチミツでは味わったことがない程の強烈な甘味、きれの良い華やかな酸味、そしてむせかえるほどの花の香り。さすがは緑豊富な森林地帯、ハチも良い仕事をしています。

ハチミツの中に黒いものがけっこう入っていましたが、薄暗い部屋だったので食べているときはそれが何かはっきりとはわからず、「花ビラかな」程度に思っていました。去り際に1枚写真を撮りましたが、アジスに戻ってから写真を見てビックリ。もろにハチでした。食べちゃったよ・・・。(←でもこれが良いのだそうです)

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親切・・・なの?
町の中心部に戻った後、まず行ったのは南部州政府事務所でした。ここで車を (無料で) 借りたいとゲタッチョさんは考えたのです。自分としてはさっさとミニバスをチャーターしたかったのですが、とりあえず彼の顔を立てることにしました。

事務所の人たちは誰も彼も親切で、なんとか力になりたいという気持ちはひしひしと伝わってきましたが、結局のところ、仕事場の車をそう簡単に部外者に貸し出せるわけもなく、ただ時間が過ぎていくだけでした。

事務所の返事を待っている間、トヨタ車のタイヤ留めのボルトをいくつか買ったりして時間をつぶしていましたが、あっという間に10時半になってしまい、こちらもいい加減我慢の限界が来ました。

ひとりミニバスが止まっているあたりに歩を進め、運転手と値段の交渉を始めました。するとゲタッチョさんがあわてて追いかけてきて、一瞬「いいの?」というような顔をしましたが、「200ブルで交渉してくれ」と伝えると、すかさず丁々発止のやりとりを始めてくれました。

故障した現場まで行かずに手前でうちの車に会ったら100ブルにまける、という条件を取り付け、工具を積み込み町を出発しましたが、15分も走らないうちに、ヨタヨタと走ってくる我がプロジェクトカーと会うことができました。結局昨日はタイヤを直せず、2人は車中で一晩過ごしたそうです。

昨晩お世話になったうちの数人が、朝も我々の所にやってきて (田舎の小さな町なので外国人はとても目立つ)、「早朝、故障現場まで行ったけど車はなかった」とか、「夜中に故障現場に行ったら、車はあったけど誰もいなかった」などという情報をくれていて、ゲタッチョさんは「みんな親切だろ」とかなりうれしかったようですが、うーん、この人たちって、いったい・・・。

逆戻り
ボンガの町の汚い整備工場でタイヤの応急処置をしました。サイズの合うタイヤ留めボルトがなく、結局3本のタイヤから1本ずつボルトとナットをはずし、左後輪をその3本で留めることにしました。

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1時間半かかってようやく修理が終わり、みんなで昼食をとることにしました。昨日夕飯を食べることができなかったホテルは、今度こそ食事がありましたが、期待していた肉料理はありませんでした。ツォム (肉断ち) の日でもないのになんで・・・。

仕方なく野菜ピラフやスパゲティーを頼みましたが、料理のお皿には当然のようにゴキブリが・・・(泣)。ま、ほんの小さなゴキブリなんですけどね。最初は皿の外に出して食べ進めましたが、3匹目を発見したところで気持ちが折れ、あえなく断念。付いてきたパンを食べようと手に取りましたが、万が一と思ってパンをふたつに割ってみると、やっぱりその中にもゴキブリが・・・(合掌)。あとはもう、アンボの炭酸でお腹をふくらますしかありませんでした。

食事の後、ゲタッチョさんはミザンタファリに進みたかったようですが、他の3人は一致してジンマに帰ることを提案。3時間半かけてジンマに戻りました。ゲタッチョさんは「さっきの整備工場では、この先何km走っても大丈夫って言ってたのに」と不満そうでしたが、そんないい加減な言葉を信じる人って逆に今時貴重かもしれません。つくづく善意の人なんだなと思いました。徹底的に人を信用する、大切なことですが、今は4本のタイヤすべてが少ないボルトで仮留めの状態ですから、いくらなんでも無茶な話です。

ジンマは地方都市としては大きな方で、トヨタの整備工場があります。ゆるんだボルトで走ったタイヤは、ボルト穴3ヶ所が削れてかなり大きくなっていたので、その修理から始めました。修理の方法は、大きくなった穴に溶接で肉盛りをして径を小さくしてから、電動ドリルで元の大きさに戻すというものです。ちょっと荒っぽいですが、エチオピアでは当然のように行われている修理方法で、確かに整備士の手つきも慣れたものでした。

他にもタイヤの軸受け部分を分解してグリースを塗ってもらうなどして、ようやくこの先出張が続けられるという確信が持てました。この日はこれで終了。朝からイライラしっぱなしの1日でした。道ばたでアビシニアコロブスを見たのが、唯一心が和んだ瞬間でした。

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3日目:ミザンタファリ

森を走る
車も修理でき、早朝7時にホテルを出発し、ミザンタファリに向かいました。ところが、「せっかくジンマに来たんだから木工製品を買いたい」とスタッフが言い出し15分のロス。町を出て5分ほど走ったら運転手が「ガソリン入れるの忘れた」と言って町に逆戻りし20分のロス・・・。そんなこんなで先行きが不安でしたが、道中はなかなか興味深いものの連続でした。

ジンマの町を出るとすぐに舗装なしの砂利道になります。交通量もそれほど多くなく、猿などの野生動物が頻繁に見られるようになります。まず、ハイエナが道を横切りました。想像していたよりも大きな体格をしていましたが、ひょこひょことおぼつかないような感じで小走りしていました。もしハイエナの後ろ脚が他の肉食獣並みに発達していたら、百獣の王はハイエナだった、という説を思い出しました。

しばらく走ると、だんだんと森が深くなってきました。ベレテの森です。道路をバブーンやアビシニアコロブスの群れが横切ります。子鹿も1匹見ました。エチオピアではとても希少な天然の森林です。ここからさらに西部地域にかけては、エチオピア有数の森林地帯が広がっています。エチオピア人スタッフも身を乗り出して窓の外を眺めていました。

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途中、タッジで有名な村を通りました。タッジはハチミツからつくるお酒です。森は蜂を育て、蜂は良質のハチミツをつくり、そして人々はハチミツからタッジをつくるわけです。この村の人々は、他にもたっぷりと森の恩恵を受けて暮らしています。森に一歩入れば、いろいろなハーブやスパイス、ナッツ類が自生しており、それらは少ないながらも確実に現金収入を約束してくれます。我々も路上マーケットで車を止め、朝食代わりにナッツなどを買いました。値段は、アジスアベバに比べると驚くほど安かったです。

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ナッツを頬ばりながら先へ進むと、突然、お茶畑が目に飛び込んできました。日本を思い出させる、懐かしい光景です。車を止めてもらい、お茶の木を前に深呼吸すると、少し青臭いような、新鮮な香りが感じられました。標高は1950m。一時期日本ではアフリカ紅茶といって、1800m以上の高地で栽培されたケニアあたりの紅茶が、健康飲料として話題になりました。

高地は紫外線が強いので、お茶の葉もそれを防ぐためポリフェノールが増えるのだとか。以前そのことを人に話したら、エチオピアのお茶の産地は標高が低いからだめだと言われましたが、実際には十分な高度です。すぐそばに製茶工場と直販所があったので、みんなが買うのにつられ、自分も思わず2kgも紅茶を買ってしまいました。

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ドロファンタ
お茶畑からさらに走ること数時間。お昼の12時過ぎ、ようやく最初の目的地であるミザンタファリに着きました。ちょうど昼休みの時間なので、まずは昼食をとることにしました。皆でレストランに行きメニューを眺めていると、「ドロファンタ」の文字に目が留まりました。これまでの3年間で、エチオピア料理のメジャーなものはだいたい食べていましたが、唯一、名前だけ聞いていて食べたことがなかったのがドロファンタでした。

まだ見ぬ強豪であったドロファンタにようやく出会え、喜んでそれを注文しました。卓上に運ばれてきたそれは、ドロ (=チキン) と言う割にはなぜかヒツジの骨付き肉でしたが (その理由は後日判明します)、肉、ソースともにとても濃厚で、まさに絶品。それまで食べてきたエチオピア料理の中でもベスト3に入る美味しさでした。

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ようやく仕事
午後2時から、Woreda (郡) 事務所のスタッフとともに、民間のメタルワークショップを2ヶ所見ました。しかし、機材や人員の点でこちらが要求する基準を満たしていません。もうこれ以上はないと言われ、どうしようか迷いましたが、「政府から融資を受けているメタルワークショップってないの?」とたずねると、「少し遠いけど」という前置き付きで、別の場所に案内してくれました。

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車で10分ほど走り目的地に着いてみると、そこは民間のワークショップではなく、政府の職業訓練校でした。通訳がうまくいかなかったようでこちらの意図とは異なりましたが、せっかくなので中を見せてもらうと、当然ですが機材も人も充実しています。

急遽、ここの教員を呼びたいと伝えたところ、Woreda事務所の人も当初の計画 (民間を対象とすること) から大きく異なるアイデアにとまどい気味でしたが、同行したスタッフと20分ほど話をして、最終的にはこのアイデアに同意してくれました。通訳のミスが生んだ偶然に感謝です。

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地方のホテル事情その1
この時、ボンガと同じくここでも大規模な教員訓練を行っていて、ゾーン事務所に行ったときも数百人の教員が集まっていました。そのため、良いホテルはどこも埋まっており、結局50kmほど離れたテピに移動するしかありませんでした。午後6時、テピ着。テピでは一番良い (高い) ホテルに部屋をとりましたが、シャワー、トイレともに水が出ず、ポリタンクで水を持ってきてもらいました。

部屋に置いてあったロウソクを見てうすうす気づいてはいたのですが、夜9時になると、案の定電気が消えました。風呂場にロウソクの火を灯し、簡単に沐浴を済ませると、後はもう寝るしかありません。テピは標高が1200mと低く、寝入りばなはとても暑く寝苦しいものでしたが、アジスアベバ (標高2400m) よりも明らかに空気が濃く、久しぶりに熟睡できました。

4日目:折返し

ルート決定
昨晩、テピで夕食をとりながら、どのようなルートでジンマに戻るか皆で話し合いました。ずっと砂利道ですが、素直に来た道を戻れば6時間でジンマに着きます。しかし、次の目的地であるホサイナに、その日のうちに着くのは無理。ジンマからさらに4時間走れば、ひとつ手前のウォルキッテまで歩を進めることができますが、全部で10時間も悪路を走るのは運転手もかなりきついので、この日はやはりジンマに泊まるのが良さそうでした。

結局我々は北回りのルートを選択。ジンマまで10時間ほどかかる計算ですが、後半は舗装道路のハズ、という情報もありましたし、何より、運転手が15年ぶりに生まれ故郷を見てみたいと言ったのが決定打となりました。このルートの途中にある村出身の彼は、15年前に父親に連れられアジスアベバに出てきたそうで、故郷にはまだ母親と兄弟がいると言うのです。

ハチミツ
朝6時半にテピを出発。あたりはまだ薄暗く、森林は朝靄に包まれています。しばらくすると朝日がのぼり、そのころには標高も2000mを越えました。1時間ほどでゲチャという村に到着し、後ろの席からゲタッチョさんが運転手に何か言うと、車はスピードを緩め、一軒の雑貨屋の前に止まりました。

彼の目当てはハチミツです。いくつか店をのぞき、最終的に「Post Office」の看板を掲げているハチミツ屋で買うことに決めました。少しなめさせてもらったら、強烈な甘味と、続いて口の中にふわっと華やかな香りが広がりました。極めて上質なハチミツです。ここの森も住民に大きな恵みを与えているようです。

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値段は1kgで12ブル (160円)。みんな目を輝かせてハチミツを買っています。運転手は日当が47ブルなのに、6kg入り72ブルのボトルを買っていました。自分はとりあえず2kgボトルを買いましたが、あまりにみんなが「たったそれだけ?」という顔をするので、他の人のお土産にしようかななどとつぶやきながら、もう2kg買いました。

アジスアベバに戻った後、あらためてその美味しさに感動したので、確認のつもりでスーパーから買ってきたいくつかの国産ハチミツと食べ比べてみたところ、スーパーで買ったものは値段は高いくせに、ゲチャのものと比べたらその味は似て非なるもの、これならゲチャでもっと買ってくればよかったと、ずいぶん後悔しました。

ちなみに、エチオピアの観光地 (外国人が行くような所) ではどこに行っても子供たちが「ユーユー、マネー」と暗く低い声でつぶやきながらずっとつきまとってくるのがだいぶ鬱陶しいです (ちょっと悲しくなります)。しかしさすがにここまで地方だと、人はまったくすれていなくて、ずいぶん久しぶりに子供らしい子供を見たなと思ったのでした。

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森のコーヒー
ゲチャを出ても相変わらず森林が広がっています。窓の外をぼんやりと眺めていたら、「森ではコーヒーが栽培されているよ」と言われました。そう言われて、初めて森の大木の根元に植えられている大量のコーヒーの木に気が付きました。

コーヒーの木は炎天下よりも日陰を好むと以前シダモで聞きましたが、この一帯に広がる明るめの森は、コーヒーの生育環境としてはうってつけなのだそうです。森はスパイスやハチミツだけでなく、コーヒーをも生み出していたのです。

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マシャの町に着いたときには標高が2200mを越えていました。南部州水資源局からは、ぜひマシャからも訓練生を探してきて欲しいと言われていました。聞けば、マシャが属するシャカゾーンは、南部州で唯一外国ドナーの援助が入っていない地域で、南部州のもっとも西の端にあり、州都のアワサに行くのもバスで3日かかるほどの辺境です。

確かに、電気のラインもなく (自家発電機のみ)、ドナーが尻込みするのもよくわかります。いずれにしろ、我々の求めるメタルワークショップはなかったので、マシャでの訓練生発掘は実現しませんでした。マシャの町の前後にも竹を栽培している民家がいくつかありましたが、その先のゴレでは、道路の両側に野生の竹林が広がっていて、なかなか風情のある景色でした。

ゴレを出ると、しばらくしてオロミヤ州に入りました。すぐにマトゥという大きめの町に着き、ここには運転手の親戚や友達が何人か住んでいるとのことなので、我々は喫茶店で休憩、運転手は挨拶まわりをしてくるということになりました。

時間は午前11時をまわったところ。どうやらこの先はあまり大きな町がないそうで、ゲタッチョ、テショメの両人はここでランチを済ませておいた方が良いと判断したらしく、早速トゥブスを注文していました。自分も軽く食べましたが、結局この日はジンマまでノンストップで行ってしまいましたから、彼らの判断は正しかったわけです。ランチを食べられなかった運転手には気の毒でしたが。

コーヒー工場
マトゥを出ると、かつてないほどの悪路となりました。道路の傾斜がきつく、砂利では用をなさないのか、赤土の道路にこぶし大の石を敷き詰めてあります。ガタガタと車内の振動も最高潮。その振動音にまじって、何かイヤ~な金属音が聞こえてきました。「またタイヤ!?」と誰もが心配しましたが、車を止めてチェックすると、マフラーの留め金がゆるんでいるだけでした。

ちょうど車を止めた場所が、まわりは森なのにそこだけ何かの工場で、門から中をのぞいてみと、広い敷地にコーヒー豆が敷き詰められています。中に入って事情を話し、針金をもらってマフラーの締め付けをすることにしました。針金を探してもらっている間、コーヒー豆の加工場を見学させてもらいました。当たり前のように子供たちが働いているのが、エチオピアらしいといえばそうなのですが、思いは少し複雑でした。

コーヒー加工場から走り出したら、高校生くらいの女性が3人、坂道の下から歩いて来るのが見えました。すれ違いざま、1人が急にTシャツの前をめくりあげ、こちらにアピールしてきました。胸がもろに見えてしまい、車中の我々も目が点に。一体なんだったんだろう。ヒッチハイクだったのかな。

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望郷
さて、さらに30分ほど走ったときのことです。それまで無口だった運転手が、小川とそこにかかる橋を指さし、「ここから1時間ほど歩いたら僕の生まれた村がある」と感慨深げに言いました。できれば彼に母親と再会してもらいたかったのですが、さすがにここで2時間以上ロスするわけにはいきません。それは彼も最初からわかっていたようで、それ以上は何も言いませんでした。その場所の風景をしっかりと目に焼き付けるように、運転手は少し遅めのスピードで淡々と走るのでした。

この後、午後2時にベデレビールで有名なベデレの町を通りました。すでに森林地帯は終わっており、ビールのマークになっているアビシニアコロブスを見かけることはありませんでした。ここからジンマまでは道路も良く、一気に着いてしまった感じです。時間は午後5時。ホテルにチェックインし、まずは冷たいシャワーを存分に浴びました。それにしても、すごくいろいろなものを見た2日間でした。

5日目:ひたすら走る

焼き畑
昨晩、ジンマで夕食をとりながら、ホサイナに行くルートを話し合いました。ウォルキッテまで北上する道はほとんどが砂利道で、来たときも4時間かかりました。ウォルキッテからホサイナに南下する道は、だいぶ昔につくられたものだそうで、道路の状態や走るのに何時間かかるか予想がつきません。逆に、南回りのルートは最近整備された道なので、砂利道ですが比較的快適に走れるだろうとの情報でした。何より、南部州出身のゲタッチョさんが、「オール南部州」ルートにこだわっていました (ジンマ~ウォルキッテはオロミヤ州)。

結局、南回りのルートなら途中のソドまで5時間、そこから北上して2時間もあればホサイナに着くだろうと計算し、朝6時半にジンマを出ることにしました。ホサイナではワークショップを見る時間が必要なので、午後2時には到着したいところです。

ジンマの標高は約1700m。そこから、まずは緩やかに2700mまで上っていく道でした。もうどこにも森はなく、それどころか、あちこちで農民が焼き畑を行っており、山は黒く焼けこげていました。山の木や植物が減少すると、土地の保水力低下や表土流出をもたらすことから、政府としては焼き畑を禁止したいとのことですが、農民にとっては先祖伝来の農耕技法であり、また地域の有力部族と州政府の力関係など複雑な要因もあって、なかなか禁止にはふみきれないのだそうです。

荒涼とした風景に胸が痛みましたが、アビシニアコロブスが数頭、葉を全て落とした大木の枝の上でのんびりくつろいでいたのがせめてもの救いでした。

峠を越えると、今度は一気に1000mまで下りました。GPSの高度計が面白いように変化していきます。ひとつ川を横断すると、また1700mまで上り、チダという町に着きました。朝食にはほどよい時間でしたが、適当な食堂がなかったので、次の町、タルチャまで先を急ぐことにしました。タルチャまでずっと1200mから1300mくらいの標高で、気温が高く乾燥しており、視界にはほとんど緑がありませんでした。ゲタッチョさんも「この辺りは生活が厳しいんだよ」と深刻な顔をしていました。

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タルチャ
午前10時、タルチャの町に到着しました。村人にどこか良い食堂はないかとたずね回り、ようやくそれらしい場所を見つけ車を止めました。しかし、店主に話を聞くと、あまりたいしたものはできないようです。エチオピアというと貧困や飢餓というキーワードが真っ先に浮かびますが、これでなかなかエチオピア人は食事にうるさい人が多く、どうせ食べるなら美味しいものを、という主張を繰り返し目の当たりにします。レストランで料理やコーヒーを作り直させるのを、もう何度見たことか。結局、この店ではお茶を飲むだけにして、この先、もっと良い食堂をさがそうということになりました。

タルチャの町は、数年前にWoreda (郡) の中心地になりました。まだ町というにはいささか規模は小さいのですが、郡事務所、学校、病院など必要なものはそろっています。実は、以前この郡の中心地はタルチャから少し離れたワカという町だったのですが、標高が2400mと一気に高くなり、近隣の住民が歩いてアクセスするにはいささか困難なことから、低地のタルチャ (1400m) にバトンタッチしたわけです。しかし、タルチャは低地が故にマラリアがひどく、そのため以前は小さな村にすぎなかったのですが、いざ郡の中心地と決まってからは、どんな建物よりもまず先に病院を建設したそうです。

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竹林
タルチャを後にすると、なるほど急坂を延々と上り続けます。大気がどんどん冷たくなっていくのがわかりました。ほどなく、竹林に囲まれた民家が見えてきました。ワカに到着です。ワカは竹の産地としても有名で、家の建材や塀などに竹を多用しています。これまでアフリカ大陸に竹というイメージがあまりなかったので、エンセーテ (ニセバナナ) の畑の中に竹林がもさもさっと生えているのを見ると、一瞬アジアの国にいるような錯覚をおぼえました。

聞けば、この地域では少数ながらタケノコを食べる人たちもいるそうです。エチオピアのほとんどの地域では、建材としてユーカリの木を使っていますが、竹は軽くて丈夫、その上成長も早いので (その分水がたくさん必要かもしれませんが)、今後はユーカリに取って代わることもあり得るのではないかと思いました。

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清水
ワカを出てしばらく走っていると、山肌から水がわき出ていました。周りがコンクリートで固められ、細いパイプが突き出ています。パイプから流れ出る水を目当てに、数頭の牛が集まっていました。我々も喉が渇いていたので、車を止めペットボトルにその水を詰めようとしたのですが、パイプから水をゴクゴク飲んでいる牛を追い払おうとしたら、牛も必死です。なかなかどいてくれず、どいたと思ってもすぐに別の牛が割り込んできて (割り込んだのは我々ですが)、結局あまり十分な水は詰められませんでした。スタッフは皆「山の水はうまいな~」と言っていました。自分はおそるおそる。でも美味しかったな。

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オモ川
ここから標高は一気に下がり始めました。この先にはオモ川があります。手元のGPSの高度計は見る見る下がっていき、オモ川にかかる橋の上では、ついに730mになりました。個人的には、エチオピア国内で最低地記録です。橋のそばには監視小屋があり、橋を含む写真撮影は禁止とのことだったので、橋を越えて少し坂を上がったところで、オモ川の写真を1枚撮りました。

今は乾期の終わりの方なので、水はかなり少ないとのことでしたが、それでもこんなに大きな川の流れを見たのは初めてでした。見た目は泥水ですが、それでもやはり水のある風景は良いですね。

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オモ川を越えると、しばらくは低地の乾燥地帯を走り続けました。熱風とともに砂塵が舞う光景に、「ここに住むのは辛いなあ」などと考えていたら、ゲタッチョさんが「これでもあと2ヶ月すればこの辺は緑で覆われるよ」と言ってきました。早く雨季が来てくれと、心からそう願わずにはおれませんでした。

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迂回
車はひたすら走り続け、ようやくソドとホサイナの分かれ道まで来たときには、時間はすでに午後1時近くになっていました。本当ならここに着くのは1時間ほど前の予定でしたが、予想以上に起伏が激しいルートだったので、計算よりも時間がかかってしまったのです。それまでは、分かれ道を右に折れ、ソドに立ち寄っておいしい昼食をと思っていたのですが、少しでも時間を節約するため、左折してホサイナ側に向かうことにしました。

しかしここからが大変でした。道路工事のためいきなり迂回路になりましたが、表面の土が完全にパウダー状になっています。時速20km程度で走っても土煙をもうもうとあげるので、前を走る車とは100m以上あけないと前が見えません。また、対向車とすれ違うときも土煙によって視界が完全に遮断され、その場に一度止まらなければなりませんでした。

エチオピア人のこだわり
こんな感じでずっとゆっくり走らざるを得なかったため思うように走行距離がのびず、30分走ったところでひとまず休憩して昼食をとることにしました。この日は金曜日でツォム (肉、卵、乳製品を食べない日) だったので、最初は肉料理はないと言われました。同行したスタッフ3人のうち、1人はオーソドックス (エチオピア正教) なのでツォムを守る人ですが、あとはプロテスタントとイスラム教徒で、ツォムは関係ありません。

自分に気をつかってくれた部分はあったと思いますが、なぜかオーソドックスの人が店主に苦情を言い出し、しばらくもめた後、ついに肉料理の注文をとってくれたのでした。個人的にはそんなにごり押ししないでもらいたいのですが、まあこれもエチオピア人の食事にかける情熱ということで、ここはありがたく肉を食べさせてもらいました。

ミッション完了
そこからの道は、いささかうんざりするほどの悪路でした。道路工事は延々と続き、ひたすら迂回路です。ランドクルーザーの車体がギシギシと悲鳴をあげるほどの悪路があちこちにあり、そのたびに徐行運転を強いられました。結局ホサイナに着いたのは午後4時で、ここからさらにゾーン事務所への挨拶や、一緒にワークショップに行ってくれる担当者を探すなどして、なんとか1軒目を見ることができた時には、もう5時近くになっていました。

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最終的には4軒のワークショップを見ることができ、所期の目的を果たすことができましたが、そのうちの1軒で見た手作りの溶接マスクと作業環境には、地方の小さな町工場の厳しい現実が現れていると思いました。

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ホテル探し
仕事が終わったのは夕方6時半過ぎで、そこから今晩のホテル探しが始まりました。いつものように、まずは町で一番良いホテルに行ってもらいましたが、値段が140ブル (1800円) もして、かつ外国人居住者割引もないとのことでした。昨日泊まったジンマのホテルはもっと格上なのに値段はずっと安かったこともあって、せめて居住者としていくらか割引するよう交渉しましたが、まったく受け入れてもらえませんでした。

実はこの値段でも支給される宿泊費の範囲内なのですが、ここであっさり引き下がってしまうのはなんだかくやしくて、とりあえず次のホテルに連れて行ってもらうことにしました。それから何軒か見ましたが、結局他のスタッフと同じ25ブル (300円) のホテルに泊まることにしました。部屋にはシャワーも付いています。テショメさんが「水が出るか確認した方が良い」と言ってシャワーの蛇口をあけると、ザーザーと勢いよく水が流れました。

ぬるい水
このホテルはレストランとしてもなかなかの評判だったので、案内してくれたホサイナ事務所のスタッフを招待して、みんなで夕食をとりました。とにかくのどが渇いていたので、アンボ (炭酸水) を「カズカッザ (Cold)」と注文しましたが、実際に出てきたのは常温よりは少し冷えてるかなくらいのものでした。

それに気づいたスタッフたちが、「カズカッザと言っただろ」といつになく強い口調で店員に苦情を言うと、店員も負けずに「これはカズカッザだよ」と言い返してきます。自分は「これしかないんだったらこれでいいよ」と言って店員にフタを開けさせましたが、その場は一瞬、険悪な雰囲気になってしまいました。

店員も「スミマセン、これしかないんです」くらい言えば丸く収まるのにと思いましたが、途上国では「スミマセンを言ったら負け」という普遍的な法則があるようで、そんな殊勝なことを言う店員は滅多にいません。

地方のホテル事情その2
さて、道中いろいろありましたが、とにかくやるべきことはすべてやりました。へとへとに疲れていましたが、気分は爽快、最後の晩餐を美味しくいただくことができました。そうして、明日の出発の時間を確認し、夜8時半に部屋に戻ると、すぐにでもベッドに倒れ込みたい気分でしたが、身体も汗だくです。面倒でしたがなんとか気を取り直し、シャワールームに入りました。

しかし蛇口をひねると、さっきあれほど激しくほとばしっていた水が、一滴たりとも出てきません。お湯の蛇口かなと思ってそちらもひねりましたが、やはりうんともすんとも言いません。さては、さっき出たのが最後の水だったのか・・・。ホサイナは水に困っている土地ですから、それも仕方ありません。服を着直し、ホテルの調理場に行って、タオル (自前) に水をたっぷりふくませてもらい、それを部屋に持ちかえりあらためて身体を拭きました。こういうのも、ずいぶん慣れっこになりました。アンボで顔を洗ったときよりはましです。

6日目:大団円

アジスアベバへ
翌日、早朝ホサイナを出発。まず1時間ほど道路工事による迂回路を走りましたが、その後は立派な舗装道路ができており、それからはあっという間の道のりでした。数日間、車に乗りっぱなしでしたが、久しぶりに揺れない、静かな車の乗り心地に、しみじみ舗装道路のありがたさを感じました。

途中、通い慣れたブタジラでブランチをとっていると、現場調査に来ていた職場のスタッフに偶然会いました。エチオピアは広いようで狭いと実感。その先は何度も走っていた道路だったので、ついうたた寝をしてしまい、気がつくと昼過ぎにはアジスアベバに到着していました。

翌日、職場のスタッフに「シャカゾーンに行ってきた」と言うと、みんな一様に驚いていました。「あっちは森があってきれいなんだろ」とも言われ、しばらくみんなに土産話を話す日々が続きました。この時の出張では、エチオピアが水不足に悩んでいることをあらためて肌で実感しました。同時に、貨幣経済とは縁遠いものの、豊かな精神風土で暮らしを営んでいる人々が大勢いることも知りました。奥が深いです、エチオピア。

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