A Dog's World 

~海外で暮らす・日々の記録・旅の記憶~   

エチオピア地方出張:タナ湖のほとりで考えた編

 アムハラ州でNGOの会議に出席

2005年8月のある週末、エチオピア北部、アムハラ州に拠点をもつNGOが年次総会を開くとのことでお声がかかり、「まぁ土日だし、ちょっと行ってみるか」という軽い気持ちで参加することにしました。それにしても、土日に会議とは、政府よりもNGOの方が真面目なんでしょうか。バハルダールに向かう飛行機の中で同行したNGOスタッフに尋ねると、「だって平日だとみんな仕事 (農作業) があるでしょ」と、さも当たり前という感じで教えてくれました。

休日をつぶしてまで、わざわざ遠方から集まって来るのかな、などと依然懐疑的な自分でしたが、実際に会場に着いてみると、200席以上はあろうかという広いホールはすでに満杯の状態。そして席にはお決まりの「お土産」が置いてありました。

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エチオピアで会議やワークショップをやるとなったら、主催者側は参加者に対していろいろなものを用意しなければなりません。まずは手提げバッグ (主催者のロゴ入り) と文房具。さらに、ロゴ入りの帽子やTシャツもよく見かけます。なので、みんな会議だというのに手ぶらでやって来るのが当たり前になっています。貧しい村人の場合、鉛筆やノートを買う数十円のお金に困っているという現状があり、こうでもしないとなかなか人が集まりません。そして「あの団体はいいものをくれる」と評価されれば、次もまた人が来てくれるというわけです。

少し大きめの会議になると、楽団の演奏やエチオピアンダンスが合間合間に披露されます。しばらく前にUNICEFが行った国際会議でもにぎやかなダンスパフォーマンスが繰り広げられました。日本的な感覚だと無駄遣いとしか映りませんが、エチオピアには孤児たちの楽団やダンスチームがたくさんあって、機会ある毎にドナーが声をかけて彼らのパフォーマンスと引き替えに金銭的援助をするのだそうです。会議出席者のお土産にしても、こういうところにある程度予算を使えるのはいいですね。

今回の会議も、オープニングの前に歌謡ショーのようなものと寸劇を小1時間見続けました。アムハラ語がほとんどわからない自分にとってはかなり厳しい時間でしたが、みんな所々で爆笑の渦でした。内容を聞くと、両親に結婚を反対された娘をめぐる物語でした。比較的オープンな祖父に対して、極めて保守的な父親。母親はただおろおろするばかりで、結婚相手の男性も優柔不断、終いには結婚を延期したいと言い出します。憤然とする娘は、最後は男をあてにせず自立して生きていくことを宣言します。娘の最後の台詞にみんな拍手喝采でした。

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こういうところ、このNGOは上手だなと思います。真面目な話を楽しく伝えることって大事だなと思いました。劇が終わると、中庭に出て展示写真を見たりコーヒーを飲んだりして、その後ようやく本会議が始まりました。ふぅ~。始まる前にすでに疲れた。

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1日目の会議はすべてアムハラ語で行われました。NGOの人から是非にと誘われて来たわけですが、さすがにこれではどうしようもありません。しかも年次総会というだけあって、事前に配布されていた年次報告書 (アムハラ語) を延々読み上げるだけというかなりハードなもの。現場の活動写真を多用したビジュアル的なプレゼンを多少でも期待していた自分が浅はかでした。途中でプロジェクターの電源が入り、ようやくパワーポイントが始まったと思ったら、年次報告書のアムハラ語の文字だらけのページが映し出されただけでした。苦行だ・・・。

村の衛生改善プログラムを視察

2日目の日曜日は車と人を手配してもらい、現場視察に連れて行ってもらいました。バハルダールから車で2時間、まずはアチャフェル・ワレダのイスマル・カバレに行きました。カバレはワレダ (郡) の下部行政単位です (州→ゾーン→ワレダ→カバレ→さらに小さい単位の村)。カバレオフィスに立ち寄り、地域でのNGOの取り組みについて説明を受けました。

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アムハラ州はどの村落も貧しく衛生状態は劣悪ですが、そもそも衛生観念に乏しいため、彼ら (NGO) は家庭内にトイレ、手洗い場、シャワーなどを設置する衛生改善策を励行しています。彼らが提案した衛生改善に関する項目をクリアーしていたら、その度合いに応じて白、緑、赤の四角い布を家の軒先に吊すように指導していました。住民の意識改革にとってこの小さな布切れがどこまで効果があるかはわかりませんが、布があれば「頑張っている人」、なければ「遅れている人」ということが周囲からもわかるので、貧しくともプライドの高いアムハラの人たちにとっては、意外に効果的な方法なのかもしれません。

イスマルのカバレオフィスを後にして、我々はグドゥリ村に向かいました。この村では従来からあった天然の湧き水をNGOがコンクリートで覆って給水パイプラインを布設し、共同水栓、洗濯槽、シャワー、家畜用水飲み場を設置しました。今は雨季なので湧き水の量が多く、水は泥でにごり、またかなりオーバーフローがあって、水栓の蛇口は常に空けっぱなしでした。見るからににごった水ですが、泉をコンクリートで覆う前に比べればにごり方も少なく、味はだいぶ良くなっていると聞きました。

給水施設は完成したばかりで、建設中には村人から1人最低10ブル (130円) の寄付金が集められたそうです。そのため、この時は水の使用料は無料でしたが、新たに組織された水委員会を中心に、来月から料金徴収を始めるべくルール作りを行っているとのことでした。

給水施設を案内してくれたのは、村の水委員会の女性でした。彼女の家は施設のすぐ近くで、施設の管理 (見張り) をすることによって月額70ブル (910円) の収入を得ています。NGOの指導によって自宅の庭にトイレや手洗い場などを作っているため、庭先には誇らしげに赤い布 (最上位) を垂らしていました。

彼女は9人の母。1番上の娘は27才、下は4才です。娘さんたちも子供がたくさんいて、とてもにぎやかな家ですが、それ故、トイレを作る前はみんなが庭の所々でしたい放題だったため、いつも悪臭がただよっていたそうです。トイレを作った後は、まず子供たちがトイレ以外のオープンな空き地で用便をしたがらなくなり、またトイレの後は必ず手を洗うようになったと言います。世界のどの地域でも、大人はいつまでたっても古い因習にとらわれ、逆に子供たちの方が順応性が高いようです。

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それにしても、いくらトイレがなくったって、せめてみんなまとまった所ですれば良いのに、と思わないでもありませんが、人間とは不思議なもので、他人がした所はどうしても避ける傾向があるようです。雨季にひと雨くればみな溶けてなくなってしまうし (それはそれで怖い・・・)、いずれにしろ庭中ウシのフンだらけですから、まぁ、どこにしたって同じなわけですかね。

毎度のことですが、村に行ってこういう話を聞くと、これまで自分がエチオピアで、一体どれだけフンを踏んだことだろうと気が遠くなります。家畜のフンならまだいいけれど、ヒトのフンは・・・。ホテルに戻ってタナ湖を眺めながら、ふと、悲しい気持ちになったのでした。

アムハラ州が抱える課題

バハルダールの会議に参加して、いろいろと現地の話しを聞くことができました。エチオピアの公用語 (というより共通語でしょうか、60くらい言語があるそうですし) がアムハラ語であるように、2世紀ほど前、エチオピアの国土を平定したのはアムハラ族です。なので、政権をお隣のティグレ州出身の政治家グループに譲った今でも、アムハラ州は独特の存在感を保ち続けています。自分はてっきりアムハラ州はエチオピアの中でも一番発展しているのかと思っていたのですが、実際は、国内に蔓延する諸問題の縮図の様相を呈していました。いくつか、聞いた話を記します。

衛生・給水
アムハラ州で自宅にトイレがある家屋はわずか2.3%。トイレ掃除は女性の仕事。女性の用便は日没後暗くなってから外でするという考え方が一般的で、日中我慢するため我慢のし過ぎで健康被害を及ぼしている。

安全で清潔な水へのアクセス率は都市部96%、村落部23%、全体で30% (全体で19%という統計も)。女性は毎日15~18時間働いており、そのうち12時間は水汲みとされる。1日に摂取するカロリーのうち12~27%を水汲みで消費し、授乳中の女性はさらに35%のカロリーを消費している。

多くの人が寄生虫を宿しており、年間2万人が亡くなる。ほとんどは子供。(※バングラデシュの報告では、トイレがない家は乳児死亡率が3倍になるのだとか)

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割礼など
女性器割礼:77% (バハルダール南部のゴッジャムゾーンは女性器割礼をしない地域として有名なので、77%という数字は、これでもエチオピアの中では比較的低い割合なのかもしれません)。

早婚:38% (平均初婚年齢12才という報告がある)。

入れ墨:顔と首の入れ墨:33%。歯ぐきの入れ墨:13%。(女性です)

略奪婚:13%。学校の帰り道などでいきなり女性がさらわれ、後日、男性が女性の両親に結婚を宣言しに行く伝統 (悪習)。これが嫌で数キロの通学路を走って通う女の子も多い。

HIV/AIDS
エチオピアのHIV感染者310万人 (全人口の4.4%) のうち10%は子供。エチオピアの人口は世界人口の1%にすぎないが、HIV感染者は全体の10%を占める。アムハラ州は全国の中でもっともHIV感染者の割合が高く8.1% (全国平均は4.4%)。中でも北ゴンダールゾーンがもっとも高い比率。バハルダール (アムハラ州の州都) では5人に1人がHIV感染者。

夫を亡くした妻が義兄弟と結婚すると、HIV感染を起こすと考えられている。アムハラ州では死亡率の上位はAIDS。マラリアにかかった女性は40%が新生児にHIVが感染しており、マラリアにかかっていない女性から新生児へのHIV感染率15%にくらべて明らかに高い。

以上、地域の伝統的価値観を頭ごなしに否定する気持ちはありませんが、極めて低年齢の結婚・出産を求められることや割礼を施されることなど、女性が虐げられていると感じるのは自分だけではないと思います。女の子は10歳まで小学校に通えば十分 (その後は家庭に入り労働力になる) と容認する社会は、女性から教育の機会を奪っています。勉強とはつまるところ、自分が知らないこと、自分が認めていなかったことを、学び、理解し、受け入れることです。これがない限り、女性自身の考え方も旧態然としたままでしょう。

ここで思い出すのが旧約聖書の例のリンゴの話、敬虔なキリスト教徒が多いエチオピアでは、「女性が知恵を持つべきではない」と解釈している人も多いんじゃないかな、とか思ったり。実際、知らない方が幸せだったりすることも世の中にはあるわけで。そもそも絶対的な幸せってあるんだろうか (あるとしたら宗教?)。あの人より自分はましと考えるのは相対的な幸せで、これは幸福感ではなく優越感なのかな。

夕方、タナ湖のほとりでひとりブンナ (コーヒー) をちびちびすすりながら、「人の幸せってなんだろなあ」と考えました。結論など出ようはずもありませんが。あらためてエチオピアの現状を目の当たりにして、ため息が止まらない2日間でした。

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エチオピアの貧困と教育

エチオピアで暮らした数年間、日常生活のあらゆるシーンで貧困の影を感じない日はありませんでしたが、中でも深く考えさせられたのは、地方出張の際、現地で出会った子供たちです。義務教育もそこそこに学校を離脱する (させられる) 子供たちの多さに驚かされました。とくに女の子は10歳まで小学校に通えば十分という考え方をよく聞かされました。

エチオピアの子供は、小学校に上がる年齢になればもう立派な労働力として水汲みや牛追いなどにかり出されます。「家のことを手伝って偉いね!」 なんてレベルではまったくなくて、重い水瓶を背負ったり牛追いのムチを手にして長時間歩き続ける姿には、子供らしい笑顔など微塵もなく、さながら重い十字架を背負った苦悩を感じました。

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子供の小さな身体にはきつすぎる家事を手伝い、その上でさらに何キロも歩いて学校に通えというのはあまりにも酷な話です。学校といっても薄暗い教室にぎゅうぎゅうに詰め込まれ、教員が足りず満足な教材もない状態では、学ぶ喜びなど望むべくもありません。親の経済的な理由以上に、学校そのものに興味をなくし自らドロップアウトする子供が多いという話もうなずけました。

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エチオピア北部のゴンダール近郊にあるデゴマ村で立ち寄った学校の教室には、小学生にまじって、後ろの方に青年が10人くらいいました。これは小学校を卒業できなかった人たちに地元の教会やNGOが学費を出してあげて、もう一度学校に通わせているものです。これによって、読み書きと計算、そして何より小学校卒業という学歴を手にすることができるわけです。

青年はみんな男性でしたが、やはり女子の再教育になると、家族の反対もあってさらにハードルが高いそうです。学校にも行ってなくて年が20才くらいだったら、この地方の女性ならもうとっくに結婚して子供を3~4人生んでいる頃です。確かに今さら小学校というのは難しいのかもしれません。

せめて本やテレビ・ラジオなどの情報に触れる機会があれば文字の独習などできるでしょうが、エチオピアの多くの村落地域ではそんな金銭的余裕はなく、そもそも村に本屋もなければ電気も来ていないところがほとんどです。

子供は国の宝です。国の未来をつくる子供たちの「仕事」は勉強です。そのためにはまずもっともっと学校を建てて、たくさん教員を確保して、カリキュラムと教材を充実させて、できれば給食もつけて、古い因習にとらわれた親たちに教育の大切さを説いて、さらに上の学校を目指す動機付けをする。

とことんお金のないエチオピアにとっては最初から最後まで課題だらけですが、少しでも先に進んで、なんとかやり抜いてほしいものです。

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エチオピアのHIV/AIDS

アフリカのHIV/AIDS統計 (2003年)
1) スワジランド(38.8%=22万人)
2) ボツワナ  (37.3%=35万人)
3) レソト   (28.9%=32万人)
4) ジンバブエ (24.6%=180万人)
5) 南アフリカ (21.5%=530万人)
6) ナミビア  (21.3%=21万人)
7) ザンビア  (16.5%=92万人)
8) マラウィ  (14.2%=90万人)
9) 中央アフリカ(13.5%=26万人)
10) モザンビーク(12.2%=130万人)
11) タンザニア (8.8%=160万人)
12) ケニア   (6.7%=120万人)
13) ナイジェリア(5.4%=360万人
14) エチオピア (4.4%=150万人)
15) コンゴ   (4.2%=110万人)
(参考)インド(0.9%=510万人)、アメリカ(0.6%=95万人)

エチオピアの現状
エチオピアでは、統計によって数字は異なりますが、(2006年現在) もっとも多く見積もって220万人のHIV感染者がおり、そのうち4分の3は女性であるとされます。エチオピアの場合、全人口の85%は都市ではなく農村部に住んでいます。多くのエチオピア人が、HIV/AIDSは都市部の売春婦が患う病気と考えているのに対し、実際には農村部での感染者数が多いことが報告されています。

エチオピアの平均寿命は女性51才、男性53才と低く、また乳幼児死亡率が1000人中97人と高くなっているのは、HIV/AIDSが大きな原因を占めています。以下に記すのは、エチオピアの人々の間で広く語られている、HIV/AIDSに関する間違った知識、迷信、伝統的価値観です。

▼処女とのセックスは完璧に安全で、男性の感染を治すこともある。▼西側諸国あるいはCIAが、アフリカの貧しい人々を殺すためにHIVウイルスを作り出した。▼HIVウイルスは人口増加を抑制するために作り出された。▼女性が男性にコンドームを使うよう頼むことは、とても不貞なことである。▼コンドームの中にはHIVウイルスが入れられている。▼もしニワトリがコンドームを食べると、その卵はHIVに感染する。▼男性の割礼はHIV/AIDSの予防に有効である。▼HIV/AIDSはアフリカだけでおこっている。▼HIVは握手をするだけでうつる。また、同じ食卓ナイフを使ったり同じ席に座ってもうつる。▼太った売春婦は安全である。▼1人と1回だけセックスをしていればHIVには感染しない。▼男性の髪の毛が細くまっすぐになったり、肌の色が変わってきたら、HIVに感染した証拠である。

▼外国人はHIVに感染しない。▼農村の女性・少女は安全である。▼コンドームを2個使うと安全である。▼セックスのあとにペニスを洗うと感染しない。▼HIV/AIDSは最近のことではなく、エチオピアには昔からあった。▼夜暗くなってからはHIVには感染しない。▼トウガラシを食べ、強い地酒を飲んでいればHIVには感染しない。▼HIV/AIDSは都市部でのみ流行している。▼食べ物を十分に食べていれば感染しない。▼HIV/AIDSは人々の思考を操作する政治的ツールである。▼HIV/AIDSは神が与えた罰であり、人類は何もできない。▼痩せた人は感染しやすい。▼HIV/AIDSは神が作ったものではないから、すぐになくなる。▼HIV/AIDSに一度感染すれば、二度と感染の心配はない。▼1日6回セックスをすれば、感染は最小限に抑えられる。

アジスアベバにはHIV/AIDS検査をする病院、クリニック、ラボがたくさんあります。このような機関で検査をする人のうち、陽性の割合は1985年にわずか1%だったのが、1998年には74%になったそうです (あくまでも割合。「やばい」と思って検査するので割合は当然高い)。また、HIV/AIDSの妊婦から生まれる子供は、30〜35%が感染してしまうそうです。

エチオピア政府は各国から援助を受け、町の大通りや学校の構内に、コンドームの使用を奨励する看板を立てています。写真の大きな看板は、1箱4個入り1ブル (13円) のコンドームの広告です。2003年度ミスエチオピアも宣伝に一役買っています。コンドームの値段はとても安く設定されていますが、値段の問題ではなく、敬虔なクリスチャンが多いが故、エチオピアではコンドームの普及が進んでいないと聞きました。

一般的に、途上国では日本などの先進国よりも「死」が身近に感じられます。エチオピアにいた3年半の間、職場のスタッフ、その家族、使用人の家族など、近い関係者だけでも亡くなった人は10人に上りました。その中にはAIDSを患っていた人もいたと聞きます。

しょっちゅうお葬式があるためか、エチオピア人はいつも死を素直に受け入れすぎるように映りました。彼らの本当の心の内はわかりませんが、死というものに対してもう少し抗っても良いような気がしました。

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水くみ風景

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