A Dog's World 

~海外で暮らす・日々の記録・旅の記憶~   

エチオピアの伝統・文化

エチオピア A to Z

A〜Zから始まる単語 (アムハラ語のアルファベット表記) を使って、エチオピアの代表的な事柄を説明します。インターナショナルスクールの小学校で配布された資料に書かれている文章を翻訳しました。

A: Addis Ababa
アジスアベバはエチオピアの首都です。エチオピアの公用語のひとつであるアムハラ語で「新しい花」を意味します。アジスアベバは喧噪に満ちており、訪れる者にとっては大変刺激的な場所です。市中心部には有名な「ユダのライオン」像があります。アジスアベバは8000フィートの高地に位置することもあり、そこでの生活はあなたを天国にいるような気持ちにさせてくれるでしょう。気候は年間を通じて温暖です。

B: Buna
ブンナ (ブナ) はコーヒーのことです。エチオピアはアラビカコーヒーノキ (世界のコーヒー豆生産の大部分を占める)、ロブスタコーヒーノキ (中央アフリカ高原産) 両方の生産で世界的に知られています。エチオピアの人々にとって、コーヒーは単なる飲み物ではなく、伝統的な「コーヒーセレモニー」を楽しむためのものでもあります。個人の家で、ブンナベット (コーヒーハウス) で、人々は友人たちと一緒にコーヒーセレモニーに参加します。コーヒーセレモニーはまず炭火で煎った豆から立ち上る煙の香りを嗅ぐことから始まります。人々は冗談を言い合い、談笑しながらこの儀式を楽しむのです。

C: Chegger Yellem
チッグル・イェッレムは、問題 (チッグル) は無い (イェッレム) ということです。ノープロブレムですね。「Don't make a mountain out of molehill.(くだらないことを大げさに騒ぎ立てるな)」という諺がありますが、チッグル・イェッレムもまさにこのような感覚で使われます。起きてしまった問題が、実はほんの些細なことであると相手に認識させ、この世はいたって平安であることを伝えるためのフレーズです。スワヒリ語では「ハクナ・マタタ」、オーストラリア人は「No worries」と言います。

D: Dabo
エチオピアには様々な種類の伝統的な平たい形のダボ (パン) があり、中にはスパイスを混ぜ込んだものもあります。毎日の食事で、結婚式で、旅先で、コーヒーセレモニーで、人々はダボを楽しんでいます。

E: Ehel
ウフルとは小麦など穀物一般をさす言葉です。エチオピアでは大麦、小麦、メイズ、ソルガム、そしてテフなど様々な穀物が栽培されています。テフはエチオピア独特の穀物で、世界最小の粒です。テフからはエチオピアの主食インジェラを作ります。

F: Fel Wuha
フルウハは天然の温泉のことです。エチオピアは国内各所に温泉があり、人々はリラックスや健康のためによく温泉を利用します。例えば、アジスアベバ・ヒルトンホテルのスイミングプールも、地下からくみ上げた天然の温水を使っています。他にはソドレ、ウォンド・ゲンネット、アワシュなどが有名な場所です。多くのエチオピア人は、温泉に病気を治したり痛みを和らげる効果があることを信じています。エチオピア人の子供は、温泉で友達と一緒に泳ぐのが大好きです。

G: Genzeb
ガンザブはお金のことです。エチオピアの紙幣はブル、コインはサンチームと呼ばれています。ズルズルは小銭のこと。マルカート (東アフリカ最大のマーケット) やタクシーでは本当にたくさんのズルズルが必要です。タクシースタンドでは少年がズルズルをジャラジャラさせているのを見ることができます。言うなれば「Mobile Banker」ですね。両替の手数料はごくわずかなものです。

H: Halenya
ハイレンニャは健康とか強靱といった意味です。少年たちは友達とレスリングのまねごとをしながら、常に自分の強さを確認します。マルカートで買い物をする時も、人はハイレンニャ (精神的タフさ) を駆使して値段交渉に励みます。マルカートでは、カラフルな香辛料、カーペット、自動車部品から最新のファッション、新作映画や音楽CDなど、およそあらゆるものが手に入ります。世界の他の地域と同じく、エチオピアでもショッピングは重要な社会生活の一部であり、その中で値段交渉は欠かせないプロセスです。値段はあってないようなもの。あなたのハイレンニャが試されます。

I: Injera
インジェラはエチオピアの主食です。テフをひいた粉から作る丸くて平たい、大きなパンケーキです。インジェラは辛いスパイスと肉や野菜からできたワット (シチューのような料理類) をつけて食べられます。ドロワットはチキンを使ったもの、シュロワットはレンティル (レンズ豆)、バグワットは羊肉です。

J: Jib
ジブはハイエナのことです。エチオピア東部、ハラールにはハイエナマンと呼ばれる有名な男性がいます。彼はハイエナを餌付けし、手でエサをあげているのです。また、肉を口にくわえてハイエナと引っ張り合うこともしており、多くの観光客が彼のもとを訪れます。ハラールには、他にも中世のような町並みやイスラム建築など見所がたくさんあります。

K: Kraar
クラールは6弦の竪琴です。伝統的なエチオピア音楽には欠かせない楽器で、アズマリベット (ダンスハウス) ではクラールの演奏に合わせてダンスを踊ります。ウスクスタはエチオピアの伝統的な踊りで、両肩を揺さぶるスタイルです。別名ショルダーダンス。

L: Listro
リストロは靴磨きの少年のことです。アジスアベバの町中でも、靴磨きセットの入った木箱を抱えた少年をあちこちで見かけます。木箱にはすべての道具が入っていると同時に、磨く時は客が足をのせる台にもなります。リストロはどんな場所でも商売をすることが可能です。

M: Mesob
メソブはインジェラ (=ご飯) の皿を置くバスケットのことです。手で編まれており、カラフルなパターンがとてもきれいです。編み込まれる代表的な色は赤、緑、黄色の3色で、これはエチオピア国旗の色でもあります。人々はメソブの周りで、マルチュムという3本足の伝統的なイスに腰掛け、インジェラを囲みみんなで1つの皿から食べます。

N: Netella
ナタッラは女性がかぶる大きめのスカーフです。生地はコットンで、カラフルな模様がついています。ナタッラは様々な場面でTPOに応じて着衣されるため「ナタッラはそれ自身で語る」と言われています。普段着としてのナタッラは肩にかけるように羽織ります。教会に行く時は髪をかくし、縁を下に垂らします。葬儀への参列には髪をかくし、縁をたくし上げます。

O: Okay
OKのことをアムハラ語でイシといいます (発音はイシとエシの中間くらい、イッシとはねる感じもあり)。頻繁に使われるフレーズで「イエス」「たぶん」「了解」「あなたの言いたい事はわかったけど私は私の好きなようにやるよ」というふうに様々な意図を表現することができます。イシというひと言は、ユーモア、知恵、理解、誤解など、様々な事をもたらします。

P: Pagume
パグメはエチオピア暦の第13月のことです。エチオピアでは公式なカレンダーとして、一般的なグレゴリオ暦ではなくユリウス暦を採用しています。エチオピア暦は30日ずつの12ヶ月と、5日間のパグメ (第13月/年によって6日) により成り立っています。そのためエチオピアは「Thirteen months of sunshine」と言われています。また、エチオピア暦は西暦 (グレゴリオ暦) よりも7年遅れています。そのため「エチオピアにおいで、7才若返るから!」というフレーズもあります。

Q: Qollo
コロは大麦を煎ったもので、ピーナッツやポップコーンとともに、スナックとして食べられます。子供たちが道ばたでコロを売っている姿もよく目にします。アズマリベット (ダンスハウス)、ブンナベット (コーヒーハウス) では客に対してこれらのスナックが振る舞われます。特にコーヒーセレモニーにはコロが欠かせません。

R: Roha
ロハはラリベラの古い名前です。エチオピア北部にあるラリベラは、岩をくりぬいた11の教会で知られており、エチオピア正教のクリスチャンにとって大変重要な場所です。ラリベラでもっとも有名な教会は、大きな岩の塊を十字架の形に掘ったサンジョージ (聖ギオルギス) 教会です。ラリベラで一番大きなホテルはロハホテルと言います。

S: Shimagele
シュマゲレは老人 (男性) のことです。エチオピア人は目上の人を敬い、もし若い人の間で諍いがあれば、シュマゲレが呼ばれ仲裁を行います。女性の老人はアロゲと言います。

T: Tenastellin
テナスタッリン (テナ・イスタッリン) はアムハラ語のシンプルな挨拶で、もとの意味は相手の健康を気遣う言葉ですが、それがそのまま「こんにちは」として使われています。アムハラ語では、相手や時間などのシチュエーションによって他にもいろいろな挨拶の仕方があります。年配の人に対しては特に丁寧に挨拶をします。若者の間ではもっとくだけた「ターディアス」「ウンデーノ」あるいは単に「Cafe!」という挨拶が使われています。エチオピア人同士の挨拶では、しばしば頬にキスをし合います。

U: 記載なし

V: 記載なし

W: Weyeyet
ウェイイトゥはミニバスあるいはピックアップトラックの乗り合いタクシーのことです。車体は青と白に塗られていて、一目でタクシーだとわかります。ウェイイトゥの直訳は「ディスカッション」です。車に乗り込んだ客は顔を向き合って座り、互いに会話をすることになるからです。アディスアベバのどんな場所でもウェイイトゥを拾うことができます。止める時は手を振ります。

X: 記載なし

Y: Yeidj Saat
ヤイッジ・サアトゥはアムハラ語で腕時計のことです。エチオピアでは、朝7時を1時として数え始めます。つまり朝9時は3時、午後2時は8時です。エチオピアでは朝、午後、夕方をあらわす特別な単語があります。

Z: Zamad
ザマドゥは親戚のことです。親類縁者 (とのつき合い) はエチオピアでは極めて重要な文化です。家族での行事、親睦会、冠婚葬祭は、子供、おじ、おば、いとこ、祖父母など誰が欠けても成立しません。伝統的に、子供と大人はしばしばガバタというゲームを楽しみます。

エチオピア暦

エチオピアは独自の暦を使い続ける国のひとつです。エチオピア暦は、一般的には「ユリウス暦」だと言われています。ユリウス暦は、その名の通りユリウス・カエサルが紀元前45年に制定した暦ですが、歴史的に各地に伝播していく過程で、その土地によって様々な改変が行われていきました。

ユリウス暦は東方正教会が祭礼のため利用していますが、教会によって紀元も異なれば年始も異なるようです。エチオピア暦では、キリスト生誕年の歴史解釈の違いから紀元が7年遅れとなり、また西暦の9月11日が年始 (新年=ウンコタタシ) にあたります。クリスマス (ゲンナ) は12月25日ではなく1月7日。なので、西暦2007年9月11日が、エチオピアではミレニアムにあたる2000年1月1日となります。

さら独特なのが、1年が13ヶ月だということ。30日×12ヶ月と、5日間 (年によって6日) の第13月 (パグメ) というものです。このため、エチオピアのキャッチフレーズはズバリ「13 Months of Sunshine」。

9.11アメリカ同時多発テロの日、普段はワールドトレードセンターでたくさん働いているはずのエチオピア人が誰もいなかったことから、当局は一時エチオピア人の犯行を疑ったと言います。実際には、みんな休みをとって家でお正月を祝っていただけです。

エチオピアのお正月

どの国もそうですが、お正月はやはりそれなりの決まった過ごし方があります。エチオピアの場合、大晦日 (9月10日) の夜は、どの家でも決まって松明を焚きます。我が家の近所でもあちこちで松明を焚くものですから、この日はいつも煙っぽくてむせるほどでした。

2005年(エチ暦1998年)、2006年(エチ暦1999年)は、アジスアベバで一番の豪華ホテルであるシェラトンが、深夜12時に花火を打ち上げました。だいたいどの家も番犬を飼っているので、花火があがると驚いた犬がワンワンと吠えます。犬の鳴き声がまた別の犬の遠吠えをさそって、一晩中うるさくて仕方ありませんでした。

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明けて新年1月1日(西暦9月11日)、エチオピアでお正月料理といえば、もうなんといってもドロワットです。タマネギを何キロもきざんで香辛料と一緒にじっくり炒め、鶏肉と一緒に煮込んだドロワットは、辛さもおいしさもエチオピア料理一と言われています。これがお正月のご馳走。

この日、家族や友人、恋人などに、ドロワットを手で食べさせてあげること (グルシャ) は、とても大切な意味があるといいます。ちなみに、お正月は町も人出が少なく、アジスアベバは閑散としています。子供たちが家々を回り、歌を歌ってお小遣い稼ぎをするのもお正月ならでは。

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さて、町中はいたって普通の休日といった趣の中、ホテルやお土産物屋では、スタッフが普段の制服や洋服ではなく、白いエチオピアンドレスを着ておめかししているのが見られます。こういうのを見て初めて「お正月なんだなあ」と実感しました。

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マスカル祭

エチオピアでは9月11日のお正月に続いて、9月27日には「真実のクロス (マスカル) を発見した日」を祝う「マスカル祭」を行います。西暦326年、コンスタンチン大帝の母である聖ヘレナが、キリストが磔にされた十字架を発見したことを祝い、始められたことだそうで、この時代から実に1600年も続く、大変由緒正しい祭礼です。

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中世の時代、アレキサンドリアの大司教はエチオピア皇帝ダーウィットに、コプト教を擁護した礼として、真実のクロス半分を渡したとされています。そしてこれは、アジスアベバの北483kmに位置するウェロ地域の山中にある、ギッシェン・マリアム修道院のエグザビエル教会にあるそうです。この修道院には、ゼラ・ヤコブ(1434-1468)皇帝の時代に書かれた「テフト」と呼ばれる大量の文献が残されています。そこには、粉々になったクロスがどのように集められたかが語られているそうです。

マスカルは、十字架 (クロス) を意味すると同時に、この時期いっせいに咲く黄色い花の名前でもあります。6月から続いた暗くて寒い雨期が明け、9月はだんだんと暖かくなってくる季節です。畑にまいたテフの種も旺盛に若葉をのばし、アジスアベバはマスカルの黄色い花でおおわれます。

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日本でいえばまさに春爛漫。4月のイースターとともに、1年のうちでもっとも結婚式が多くなる時期です。マスカル祭では、アジスアベバのマスカルスクウェアに作られる巨大な松明を筆頭に、全国各地で松明が焚かれます。ふだんは根暗で深刻な顔つきのエチオピア人も、9月はみんなどこかうれしそうです。自分も9月は1年で一番好きな季節でした。

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エチオピアの家

各国で、各地域で、家はもっともその民族の知恵が注ぎ込まれた産物だと思います。数千年にわたる気候風土との戦いの元に築き上げられた、その土地に特化したインダストリアルデザインの完成形。これはもうよそ者がああだこうだ言うことではありません。例えば、日本の家が「木と紙でできていてすぐ燃える家」などと揶揄されようと、我々日本人は誇りを持って住んでいるわけです。もし、自分に建築の知識があれば、エチオピアの家を見てもう少し気の利いたコメントを思いつくかもしれませんが、とりあえず素人の視点で、いくつか典型的なエチオピアの家をレポートします。

構造
ひとつの典型的な家の造りが、大きな傘を建て、まわりを木の壁で囲っていくものです(写真:オロミア州トゥルボロ)。木材はすべてユーカリ。アムハラ人が持ち込んだユーカリの木は、今はエチオピア全国で薪に材木にと大活躍しています。骨組みを作り、壁を土で塗り固め、屋根を藁で葺いたら完成。傘のてっぺん、つまり大黒柱の先端にポットのようなものをかぶせる地域もあります。この辺は各部族の美意識の表れでしょう。とにかくとてもシンプル。でもけっこう頑丈そうです。家ができあがるまで3〜4週間といったところでしょうか。

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内部
アムハラ州アデットで見せてもらった家の写真です。家の外観でまず「?」と思ったのは、煙が屋根からもやもやっと出ていたことです。中に入ると料理の煮炊きの煙が充満していました。煮炊小屋を別に造っている家もたくさんありますが、コーヒーを入れたり乳香を焚いたりするので、結局家の中はいつも煙に包まれています。

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なんで煙突を造らないのかなと思っていましたが、後日「それは常に藁葺き屋根をいぶして虫がつかないようにしている先祖の知恵なのだ」ということを聞きました。納得。でも煙い。土を盛り上げて形作ったベッドなんかもあって、きっと中はがらんどうだろうという予想ははずれました。内部は意外にデザインが凝っていて、にぎやかな印象でした。それと、たいていの家には家畜スペースがあって、大切な家畜は主人たちと一緒に寝起きしているそうです。

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北部の家
エチオピア北部では、石造りの家がたくさん見られます。基本構造は変わらないと思いますが、木のかわりに石を積んで壁を造っているのが特徴です。石が簡単に手に入らない南部とはちがって、そこら中に石がごろごろしている北部では、この資源を使うのは当然というわけです。しかし、畑の開墾については、この石がそうとう農民を苦しめたのではないでしょうか。デブレブラハンで見た家は、大黒柱が1本ではなく2本あるようで、それによって家の形が丸から長円形になっていました。そのぶん構造が複雑になりますが、より広い空間が確保できます。

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南部の家
南部諸民族州は広大な面積を持ち、その名の通りいくつもの民族で構成される多民族地域です。家の形態も各民族によって異なることは容易に想像できますが、とりあえず、州都アワサからそれほど遠くないホサイナという町の近郊で見た家を紹介します。ご覧の通り、基本構造は変わりませんが、屋根だけでなく、家全体を藁葺きにしているところが、なんともおしゃれで雰囲気満点です。この地域は雨が多いので、土壁よりはこうして全体を藁葺きにした方が通気性が良く快適なのかもしれません。また、それまで他の地方で見た家とくらべたら、ひと回りサイズが大きいのが印象的でした。収穫物を家の中で貯蔵するとか、小型家畜 (羊、鶏) ではなく大型家畜 (牛) を家に住まわせるとか、家が大きい理由はちゃんとあるのだと思います。

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東部の家
エチオピア東部の乾燥地域では、近年は政府による遊牧民の定住化政策が進み、家を建て、定住生活を選択する人が増えています。ただ、もともと定住という生活様式には向かなかった土地ですから、建築材料も乏しく、あまり立派な家はありません。ディレダワ近郊で見た家も、土造りの小さなもので、一見すると「貧困地帯?」などと考えがちです。しかし、日中40度以上にもなる厳しい太陽の日差しを防ぐには、厚い土の壁で囲うのがもっとも経済的かつ効果的です。雨がほとんど降らないので、家の内部はカラッと乾燥していてとても快適です。もともと、家の中のように空気がよどんだ場所にはできるだけいたくないという人達ですから、寝るためだけの家としてなら、これで必要十分ということなのでしょう。

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家を建てる時期
エチオピアの人達は、どういうタイミングで家を建てるのでしょうか。大きな区切りとしては、日本と同じく結婚があげられます。新婚さんはやはり新居に、ということで、結婚するときは式の費用だけでなく、家を新築する費用も必要になります。イスラム教徒は4人まで妻をめとることができる、ということは日本でもよく知られていますが、東部の乾燥地域はイスラム教徒が多く、やはり複数の女性と結婚している男性がたくさんいます。マタハラで会ったカラユ族の男性は、2人目の妻をめとったことから、隣に家を新築しました。もとの家には1人目の奥さんとお母さん、新しい家には2人目の奥さんを住まわせ、自分は毎日交互に両方の家で暮らしているそうです。なんとも不思議な社会ですね。

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ソッケの木と3本足の椅子

エチオピア南部、アルバミンチのゾーン事務所を訪ねたとき、担当者の机に「ソッケ(Sokke)の木を守るワークショップ」というパンフレットが置いてありました。目を通してみると、「非常に軽い木であるソッケは地元の漁民が古来から小舟を作るために使ってきたが、近年その数が激減している」ということが書かれていました。

ソッケはアルバミンチのアバヤ湖とチャモ湖、そしてズワイのズワイ湖にしか生えていない貴重な木です。アルバミンチでは主に舟に加工されたり、地域住民の薪として利用されています。またズワイでは、よく道ばたでソッケの木から作った軽いイスを売っています。アルバミンチ近郊は全域で森林面積が減少しているそうで、1990年には地域の森林面積は23%あったのに、数年前の調査では7.3%になってしまったそうです。

アジスアベバに帰る途中、ズワイを越えてしばらく走っていたら、いつものように道ばたでソッケのイスを売っていました。以前から、このイスはエチオピア土産としてはかなり良いものだと思っていたので、買うチャンスをうかがっていたのですが、この時思わず5個も買ってしまいました。

5個で30ブル。1個80円。貴重な木のわりに安い…。もっとお金を出した方が良いのかな。いや、そうするとますます伐採が加速されるか。うーん、難しい。写真のイスで、重さは700グラム程度。手で持つと本当に軽いです。3本足だとガタガタしないのもいい。

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エチオピア人の名前

名字はない
エチオピア人の名前には、名字はありません。「キディスト・ネグッセ」さんなら、キディストがその人の名前、ネグッセはお父さんの名前です。なのでこの場合「ネグッセさん」と言っても相手に分かってもらえません。ファミリーネームがないのは少し不便なように思いますが、エチオピア人は特に気にしていないようです。国民の半分を占めるイスラム教徒の名前はあきらかにそういう名前ですから、すぐにムスリムとわかります (フセイン、ジャマール、ムハンマド等)。ここでは、日本ではあまりなじみがない、エチオピアのキリスト教徒の名前をいくつかあげてみます。

人気の名前
よく聞く名前、といっても私もそれほどたくさんの知り合いがいるわけではないので、職場 (訓練センター) に来た訓練生のリストから、統計を取ることにしました。リストには500名以上の名前がありますが、まずはそこからイスラム教徒を除きました。ちなみに、人口比ではキリスト教徒とイスラム教徒はほぼ半々ですが、訓練生ではムスリムの名前とはっきりわかるものは2割程度でした。

さて、名前リストには「マルコス・タファラ」のように1人に2つの名前が書かれていますが、前述のようにこれは自分と父親の名前です。つまり、1人で2つの名前が入っているわけです。400人いれば、800個の名前があることになります。それを集計したものが、下の表です。

まず、あまり特定の名前に集中することがなかったのは予想外でした (その分集計作業が大変でした)。名前の数も493個と、ほんの少し統計を取っただけでもかなりバラエティーに富んでいることが分かります。

1位のメスフィンでも13人、これは全体の1.6%程度です。2位のゲタッチョは11人(1.4%)。もっとも、エチオピアは数十の言語があり、多民族で形成される連邦国家であることを考えれば、それも当然かもしれません。しかし、アブブ、マコーネン、テスファイエ、ネグッセ、ソロモン、アラマイヨなど上位の名前は、どれも私の近い関係者にある名前です。

なお、集計表の英語名とカタカナ表記が微妙にちがうと思われるかもしれませんが、知っている範囲で実際の音に近づけてカタカナ表記をしてあります。「裸足のアベベ」は日本でもっとも有名なエチオピア人だと思いますが、Abebeと書いても実際の発音はアブブ、あるいはアッブブがより正確だと思います。もちろんアベベと言っても分かってくれますが。

個人的に好きな名前はゲブレギオルギスやハイレセラシエなど長目のものです。しかしメスフィンという名前も響きが良く、もし世界美名ランキングみたいなのがあればメスフィンは必ず上位にいくのではないかとひそかに思っています。

逆に、ゲタッチョは野性的で力強くエチオピアで人気の名前にもかかわらず、ちょっと世界レベルからは遠いかなと、なんとなく思ったりします。本当に悪いんですけど、ちょっと下品な感じがするというか…。ティラフン、ゲタフンなどは発音するとなんだかふにゃっと力が抜けてしまうような、よく言えばとても優しい感じの名前ですね。

名前の意味
まずはソロモン。言わずとしれた古代イスラエル王国の王様の名前です。ソロモンとシバの女王との間に生まれた子メネリク1世がエチオピアの始祖と言われています。ゲタッチョはマスターとかご主人、神を意味します。何度聞いても強そうな名前ですね。タマスゲンも神のご威光。やはり宗教に関係したものは多いです。ハイレセラシエ (三位一体の力)、ハイレマリアム (マリアの力)など。もちろんキリストの使徒の名前も好まれています。

アレム (世界)、ツェハイ (太陽) などはよく他の単語と組み合わせて使われています。メンギスト (政治、政府) はなんだかそのまま日本語の政治 (まさはる) ですね。親の期待がわかります。

女性の名前
これはまったく調査不足です。訓練生も9割は男性で、集計表でも実は女性の名前はあまりありません。しかし、私の周囲でよく聞くのはキディストとトゥグストでしょうか。たまたまかもしれませんが、それぞれ数人ずついます。テスファイネシュやメセレッチなどとともに、最後にト、シュ、チがつくものはだいたい女性の名前のようです。他にはザラーリム、メロンなどもたまに聞きます。

イスラム教徒の名前
ヨルダン在住のころ調べたムスリムの名前について。それまでも「石を投げればムハンマドに当たる」ということはよく聞いていました。確かに多いとは感じていましたが、実際に統計をとったことはなく、まぁ半分は冗談かなと思っていました。

ところが、ある日新聞に大量の学生の名前が掲載されたことがあり (大学入試合格者 2,732名)、これ幸いとムハンマドの数を数えてみました。結果、驚くなかれ、そこには334人のムハンマドがいたのでした。その割合は実に12.2%。やはりムハンマドという名前は永遠の定番なのです。

ムハンマドに次いで、イブラーヒーム、アハマド、マフムード、フセイン、ハーリド、アリー、オマルといった名前が目立ちました。サウジアラビアでは「アブドゥ+○○」という名前がもっと多かったように思いましたが、ヨルダンでは意外にその割合は低いようです。アブドゥルアズィーズ、アブドゥルカリームなど、少々長ったらしくなるからでしょうか。でもヨルダン国王はアブドゥッラーですね。

ラスタファリアン

ボブ・マーリー
おそらく日本で一番有名なレゲエのミュージシャン、故ボブ・マーリー。私自身、初めて「Get up, stand up」を聞いたときの衝撃は今でも忘れません。そうして、最初は単に「レゲエって面白い」と思って他のアルバムもいろいろ聴いていましたが、そのうち、「レゲエ命」の友達からボブ・マーリーの思想について少しずつ教えられ、「ラスタファリ」や「アフリカ回帰」などという単語を多少なりとも意識しながら音楽を聴くようになりました。

そんなこんなで、ジャマイカ人のラスタファリ主義者は「エチオピアに帰ろう」と言っているらしい、ということだけは頭にインプットされました。それから長い年月が流れ、ある一時期エチオピアに住んだのですから、何かしら縁があったということでしょう。

ラスタファリズム (ラスタファリアニズム)
これまでラスタファリという単語は知っていたものの、それが実際どんなものなのかは、正直よく分かりませんでした。それに、エチオピアに来たらあちこちにラスタファリアンがいるんじゃないか、と思いっきり勘違いをしていた部分もあります。

結論から言うと、エチオピア国内ではラスタファリアンは極めて限定的かつ少数派です。しかし、エチオピア人に「ラスタファリアンて知ってる?」とたずねれば、「あぁ、シャシャマネにいる人たちね」という答えが返ってきます。シャシャマネには、その昔ジャマイカから移民してきた人たちが今でもコミュニティーを作って住んでいるのだそうです。

ラスタファリズムは、1920〜1930年代に活躍したジャマイカの黒人解放運動家、マーカス・ガーベイが唱えた予言に端を発しています。「アフリカで黒人の王が誕生し、救世主となる」という予言が、その14年後、エチオピアで1930年に即位したハイレセラシエ皇帝のことであると信じられたのです。

ハイレセラシエの本名が「タファリ・マコーネン」で「ラス」はその尊称です。それで「ラス・タファリ」。もっとも、よく考えればそもそもエチオピアは3000年近く前から自国の黒人の王で代々やってきたわけですから、突然ハイレセラシエが黒人の王になったわけではありません。その辺りはジャマイカには伝わっていなかったんでしょうか。

それはさておき、ハイレセラシエ皇帝の誕生はキリストの再臨とも受け取られ、皇帝を神 (ジャー) の化身、あるいは神そのものと崇めるようになりました。また、奴隷としてアフリカから連れてこられた黒人にとって、ジャマイカの貧民街は旧約聖書に記されたバビロンそのものであり、安住の地であるザイオン (シオン)、つまりエチオピアに帰ることこそが「解放」であると考えられました。

これを称して「ブラック・シオニズム」と言う場合もありますが、ユダヤ人のシオニズム運動とは関係ありません。ただ、当時のジャマイカで社会の底辺に置かれた黒人たちが、「迷えるユダヤ人、失われたイスラエル12支族」という古代イスラエル人の歴史に、自分たちの境遇を重ね合わせたのかもしれません。

ラスタファリズムのコンセプトは「I and I」と「Babylon」だそうですが、果たして「宗教」と言うべきか議論の余地があって、精神世界の重視やナチュラルな生活スタイルなど、どちらかというと「思想」だと言われています。いずれにしろ、根底にあったのは白人 (イギリス) による支配で疲弊した黒人社会の不満でした。

この思想を世界に知らしめたのは、ボブ・マーリーなどのレゲエミュージシャンでしょう。彼らのアルバムジャケットにはエチオピア国旗のカラーである緑、黄色、赤がちりばめられ、中には大麻を吸っている写真もありました。

楽曲には「ジャー」「ラスタ」「アフリカ」などのキーワードがあふれ、特に初期のレゲエにはメッセージ色が強いものがありました。もちろん「レゲエ=ラスタ」ではなく、ボブ・マーリーも政治的な歌以外にストレートなラブソングをたくさん歌っています。

エチオピアのラスタ
ラスタファリアン、あるいはラスタの外見といえばドレッドヘアー。当時その風貌と思想の過激さから「ドレッドロック」と呼ばれ恐れられていたことが語源のようですが、今ではドレッドヘアーといえば単なるおしゃれとしても立派に成立する、インパクトの強い髪型です。

もともとは、体に刃をあてない、つまり髪を切らないという自然なままのスタイルを尊重するところからできたものだそうですが、シャンプーもできないようですし、その思想を貫くにはやはり不便 (不潔) をものともしない信念が必要なのかなと。

エチオピアに赴任したての頃、町で買い物をしているときなど、「あれれ?ドレッドヘアーが全然いないなぁ」とよくキョロキョロしたものです。よく考えれば当然のことですが、ラスタファリズムは遠い異国の地でアフリカ回帰を切望するアフリカ系黒人たちの運動だったわけで、「生まれも育ちもエチオピアです」という生粋のエチオピア人にとっては全く関係ないことです。

一説には、このアフリカ回帰運動には全世界で100万人以上のフォロワーがいるそうですが、あまりエチオピア国内では盛り上がっていません。エチオピア人に聞いてみても、ラスタというのは「特別な人たち」といったとらえ方がほとんどです。

ハイレセラシエ皇帝も、憲法や国語を制定するなど、エチオピアを古代から近代に変貌させたと賞賛される一方で、晩年の行いにはかなり批判が集まり、またその結果クーデターが起き、廃位させられました。「あの時代は良かった」と懐かしがる人こそたくさんいますが、少なくとも皇帝が神であるなどとは、今は誰も思わないでしょう。

エチオピアのラスタと言えば「シャシャマネ」です。南部州アワサの手前にある小さな町ですが、その隣接した土地に昔ジャマイカから渡ってきたラスタファリアンのコミュニティーがあります。現在ではエチオピア人とあわせて500人ほどのラスタが、独特の教義を奉りながら静かに暮らしているそうです。

アワサの人に聞いたときも「あまり暮らしぶりは伝わってこないなぁ、それに町の治安が悪いから行かない方がいいよ」と言われて、結局その村を訪れることはありませんでした。ここに住んでラスタファリズムを研究している日本人もいますし、そのうちもっと情報が公開される日が来ることでしょう。

ラスタの広がり
2005年のことですが、故ボブ・マーリーの生誕60周年を記念して、2月6日にアジスアベバでコンサートが開かれました。レゲエの大物ミュージシャンが多数参加し、「Africa Unite」をテーマにマスカルスクエアーが熱く燃えました。

エチオピア航空の機内誌にコンサートの記事が載っていたのですが、その中で、エチオピアに移住してきたジャマイカ人ミュージシャンのことが書かれていました。Teddy Dan は「United States of Africa」などのレゲエCDを出し、イギリスに移住するなど「成功した」人物だったのですが、ラスタファリズムに触発され、資産や家族をイギリスに残し、今ではシャシャマネに住んでいます。

彼は「自分は今 "ホーム" にいるんだ。ジャマイカもイギリスも良い国だったけど、自分はエチオピア人だからね」と誇らしげにインタビューに答えています。ボブ・マーリーも "祖国" エチオピアに帰ることを願っていたそうですが、黒人層に被差別意識がある限り、こうした動きは大きく広がらないまでも、将来にわたって連綿と続いていくことでしょう。

チャットは麻薬?

チャットとは?
被子植物門 双子葉植物綱 離弁花亜綱 ニシキギ目 ニシキギ科 アラビアチャ、またはアラビアチャノキ (Catha edulis)。イエメンではカート (Qat, Khat)、エチオピアではチャット (Chat)。チャットの葉を噛むと軽い覚醒作用があり、またおしゃべりになります。

エチオピアではその効能が人々に広く支持され、友人との談笑時や夜間の眠気覚ましなどに多用されています。特にハラール近郊アウォダイのチャットはよく効くとのことで、他の産地のものよりも高い値段で取引されています。

以前は、エチオピアといえばコーヒーが一番の換金作物でしたが、近年は世界的にコーヒー価格が安くなっており、コーヒー畑をチャットに転作する農家が後をたちません。1997年から2002年の対COMESA平均年間輸出額は5億1,471万ブル (65億円) ですが、そのうち57%はチャットが稼ぎ出したものです。

チャットの主な輸出先はジブチ (81%)、エジプト (11.3%)、ケニヤ (4.2%)で、この3ヶ国で全体の97.2%を占めます。統計表にあった輸出金額を単純に輸出量で割ると、チャット1kg=750円、コーヒー1kg=180円、採油用種子1kg=65円、果物・野菜1kg=26円、穀類1kg=22円、砂糖1kg=20円と、やはりチャットは「もうかる作物」だと言えます。

その効果は?
中東諸国など、チャットを麻薬同等品として持ち込み禁止にしている国が多数あります。しかし麻薬という言葉から強烈な覚醒作用あるいは幻覚作用を期待していると、まったく肩すかしを喰らうことになります。

摂り方としては、まず枝から若葉を何枚も取り外し、口中に放り込みます。猿の頬袋のように葉を頬にどんどんためていくようにしながら、じっくりと噛みながらエキスを摂っていきます。

味はかなり渋いので、砂糖やピーナッツを一緒にほおばる人もいますが、そうするとあまりうまく頬にためておくことができないので (胃に入っていってしまう)、葉っぱだけの方がおすすめです。何しろ胃が荒れるので、なるべくエキスだけ摂るようにした方がよいと思います。

チャットの効果といっても、これはある程度慣れが必要でしょう。噛み始めてしばらくたつと (30分から1時間くらい?)、少し頭がポーッとなってきます。ほんのりと顔が熱くなってきて、少し脈が速くなります。これが効いてきた証拠で、だんだんと陽気でおしゃべりになっていくようです。

ただ、初めて噛んだ人は大抵「これが効いているということなんでしょうか?」などと思わず聞いてしまうくらいですから、その効果は推して知るべしです。

お酒を飲んでからチャットを噛むと効かないと言われていますが、お酒にくらべたらほとんど効果はないに等しいでしょう。しかし、チャットを噛んでだらだらととりとめのない会話を楽しむことは、エチオピアの人々にとってはかけがえのない時間なのだそうです。経験を積んで、慣れればもっと楽しいのかもしれません。

チャットを噛んで数時間は頭がさえたりおしゃべりに花が咲いたりしますが、今度は夜眠れなくなってしまいます。噛む量にもよりますが、この眠気覚まし効果は相当強いものです。そのため長距離トラックの運転手はチャットを片手に運転するのが当たり前になっており、限界まで眠らずに運転することから、結局はよく交通事故を起こしています。

エンジン性能が優れているいすゞのトラックはエチオピア国内運輸に多大な貢献をしていますが、多くの運転手がチャットを噛み、そしてあちこちで事故を起こすため、いすゞのトラックが走っているのを見るとみんな「アルカイダが来た」と言います。エチオピア人と一緒にいる時いすゞのトラックを見たらすかさずアルカイダと言ってみましょう。うけること間違いなし。

チャットを噛んだあとは、しばらくすると頭痛におそわれることもあります。また、男性はあちらの方が極めて鈍感になりほとんど役に立たなくなってしまいます (半日くらい?)。逆に女性は敏感になるとのことですが、それは男性の側から聞いた意見なので、いまいち信憑性に欠けます。さすがに職場の女性スタッフに聞くわけにもいかず、この点は最後まで未確認でした。

ただ、これだけエチオピア社会に深く浸透しているわけですから、きっと人々を惹きつけてやまない何か素晴らしい効能があるのでしょう。もちろん、チャットは社会的に好ましくないと主張する人々もたくさんいます。覚醒作用云々は別にして、チャットによって消費されるお金と時間が大きな経済的損失を招いているとされているからです。まあそれを言うならお酒の方がひどいですけどね。

チャットあれこれ
インターネットでおもしろい記事を見つけました。チャットに含まれる phenylpropanolamines (PPAs) という物質群・カチンとノレフェドリンに、精子の受精能力を高める働きがあるというものです。それでイエメン人やエチオピア人は子だくさんなのかな?

チャットといえば生の葉を噛むだけですが、南米のマテ茶のように加工品にはできないのでしょうか。換金作物として考えるなら今後はそういった研究も必要かと思います。
それにしても、南部州のシダマ (スタバでも売られているシダモコーヒーの産地) で、コーヒーの木の隣にチャットが植えてあったのには驚かされました。静岡県牧之原台地で大麻を栽培するようなものですね。(←わかりづらいし誤解を招く・・・)

相づち

エチオピア人は、相づちを打つとき、あるいはYesと答えるとき、「ハッ」と息をのみます。赴任直後からそうでしたが、結局最後までずっと違和感がありました。

ハッと息を飲むのは相手に自分の息を吹きかけないためで、とても礼儀正しい行いだそうですが、話しているこちらも思わずハッとしてしまい、いつも息がつまるようなが気がしました。

長い時間をかけて形成された伝統文化を否定する気はありませんが、いつまでたっても慣れなかったのは事実です。

また、エチオピア人は日本人と同じく会釈をします。これは良いですね。なんだかものすごく親近感を感じました。「会釈は間違っていなかったんだ!」と、自国の文化に自信のない典型的な日本人である自分は、小躍りして喜んだものです。

それまでずっと中東のイスラム諸国に住んでいたため、「頭を下げる相手は神のみ、むやみに会釈をする日本人はおかしい」とさんざん白い目で見られてきたので、エチオピアではちょっと心が和みました。