これまで食べてきた数々の麺料理を思い返し、その中のベストヌードルを決めたいなと始めたこのシリーズ (⇒その1:まぜそば)。
早くもシリーズその2あたりで、これはかなり無謀だなと気づいてはいたのですが、なんとなく筆が止められず、全5編あげきりました。
今も無茶だとは思いつつ、せっかくなので、やはりそれなりのランキングはつけたいと考えています。ならばまずはその評価基準を整理しなければ。
そもそも人はなぜ食べるのか。ギュッとまとめてみれば、食事の機能としては次の3つなのかなと。
・生存:栄養とエネルギー補給
・娯楽:食事で心が豊かに
・規律:社会習慣への適合
生存は言わずもがな。戦争や災害で食材がなくなり、生命の危機にひんしている人々は今現在もいます。また、十分食べていても、肥満なのに栄養失調というケースも。
娯楽としての食事は、美味しいものを食べてストレス解消だとか、友人や家族と食卓を囲むことの幸福感であったり。時には料理の味よりも、食べる環境が重要な要素に。
規律とは、一日三度の食事で生活リズムをキープしたり、付き合い飯で人間関係を維持したり、その土地や文化で禁忌とされる食材を知ったりすること。
地元の食材を積極的に選ぶことで地元農家を応援したり、地域活性化のため地元のレストランを多用することも、社会的な意義があります。
こう考えると、料理そのものの味は本質的なものではないのかもしれません。自分も本来、この世にまずい料理はないという考えです (正確には、そう考えたい、そういう人でありたい)。
それはただ自分の嗜好や文化的常識に合わないだけで、自分も昔はパクチーが本当にダメでしたが、今となっては大好きなハーブのひとつです。
ヒツジの脳みそがご馳走なのも、コウモリを好んで食べるのも、味そのものよりもその土地の歴史や文化、風土がたどり着いた最適解だからです。
フィジーで食べたどうにも肯定しようのない麺料理の数々も、料理人はあれが正解として日々汗を流しながら作っているだろうし、フィジー人もそれを受け入れています。
ならばおいそれと「まずい」のひと言では片付けられません。それは重々承知しています。が、しかし、どうせなら自分が美味しいと感じるものを食べたい。
では、何を美味しいと感じるのか。まずは味と見た目に他なりません。
・五味:甘味、酸味、塩味、苦味、旨味
・視覚:料理の見た目、盛付けのセンス
・嗅覚:香り、匂い・臭い、風味
・食感:柔らかい、固い、サクサク、モチモチ
・温度:料理の適温、その人の適温
さらに身体的、環境的な要因も大きいと思います。
・身体的欲求:肉が食べたい、野菜摂らなきゃ
・脳の欲求:ジャンクフード、炭水化物、砂糖
・食べ慣れた味:懐かしい味、おふくろの味
・情報の影響:グルメ評論家のおすすめなど
・努力加点:遠くまで来た、行列に並んだ
自分の場合、日本に住んでいたらけっして出会わなかったであろう料理を食べることができています。これはもう感謝しかありません。
こういったことを念頭に置いて、美味しかった麺料理をピックアップしていきたいと考えています。できれば最後はベストヌードルを。
いや、さすがに1位を決めるのは難しすぎるかも。迷った場合はトップ3、いや、トップ10という形にしてお茶を濁す場合もあり得るかな。
実を言えば、すでに一度「最も美味しい料理」を考えたことがあって、その中のひとつにインドネシアのミーアチェをあげました (⇒コチラ)。
つまり、麺料理の中でベストはミーアチェだとその時は結論付けたわけです。しかしその時は日本の麺料理やパスタ、そしてそのあと赴任したウズベキスタン料理は含まれていません。
今回はさらにオールスター、総力戦です。なかなか厳しい戦いですが、あの時食べたあの味や雰囲気を思い出す作業は、難しくもあり、楽しくもあり。
必然的にこれまでの人生をふり返っています。思いつきで始めたこのシリーズですが、なんだか集大成のようになっていくのが、我ながら感慨深いというか複雑な心境。ずいぶん歳を重ねたなと。
ちなみに肉料理のベストはあいかわらずトンガの豚 (プアカ) の丸焼きです。フィリピンやタイ (中国系) のものではなく。
これはもうくつがえらないかなあ。この先くつがえってほしい気持ちもありますけどね。ウズベキスタンのシャシリクも相当美味しいですが、ちょっと普通すぎるかな。
「普通はイヤだ」というひねくれた考えでいけば、お肉部門の裏ベストは「ヒツジの顔」に決定です。万人受けはしないでしょうが、食べてみれば実に美味しい一品 (ヨルダンにて)。他にもラクダのこぶとかウミガメの生き血とか牛の鼻とかあれこれあるものの (⇒珍味個人史)。