A Dog's World 

~海外で暮らす・日々の記録・旅の記憶~   

古都ブハラ旅行(2日目)

前日に行けなかった旧市街西側などの散策、ギジュドゥヴァンへの遠出、そしてハマム (ハンマーム:伝統的な公衆浴場) に行きました。まずはホテルで朝食をいただき、イブン・シーナー像からスタート。

朝食@スルタンホテル
1泊40ドル、朝食付き。宿泊客が少ないためか、各人用に料理がテーブルにセッティングされていました。朝からどっさり。この他にフレンチトーストが出てきて、さらに「卵焼きは?」と聞かれましたが、さすがにお断りしました。

①イブン・シーナー像 (*Map)
イブン・シーナー (イブン・スィーナー/アヴィケンナ/アヴィセンナ:980~1037年) は、自分の中ではちょっと特別な存在です。イスラム世界が生み出した最高の知識人であり、「第二のアリストテレス」とも呼ばれ、アリストテレス哲学と新プラトン主義を結合させたことでヨーロッパの医学、哲学にも多大な影響を及ぼしました。

ブハラ近郊のアフシャナで生まれ、5歳の時に両親と一緒にブハラに移住、その生涯は幸福と苦難が交差する波乱万丈のものだったと言われています。そんな彼の彫像が、故郷であるブハラにあるわけです。これは見に行くしかありませんでした。他人にはまったくおすすめしませんが、個人的には大満足。(イブン・シーナー関連過去記事:プロフ空中人間)

②シナゴーグ (*Map)
詳しくはWikipediaの「ブハラ・ユダヤ人」を読んでいただくとして、ここには元々多くが住んでいたブハラ・ユダヤ人の歴史を紹介するミュージアム (Bukhara Jewish Old House) があり、そちらを見学しました。入場料25,000スム/300円を払い、主の説明 (英語) を聞きながら、往時の情景にあれこれ思いを馳せました。意外にもブハラで一番心に響いた場所でもあったので、後で別に投稿する予定。

③マゴキ・アッタリ・モスク
周囲の建物より5メートルほど低い場所に建っています。1936年の発見時は砂の中に埋もれていたそう。「マゴキ」とは「穴の中」の意味で、そこから命名されたとのこと。創建は9世紀頃。内部には絨毯ミュージアム。ここだけ入場料 (2万スム) に加え、カメラ料 (3万スム) も払いました。

④ガウクシャン・モスク
1570 年代、アブドゥラ・ハン2世の治世中に建設されました。ガウクシャンは「雄牛を殺す」という意味で、この場所は以前、動物取引き所があったためだそうです。このミナレットもカラーン・ミナレットと言うようです (看板がありました)。カラーン・モスクのミナレットよりは低いですが。

対面にはアブドゥラフマニ・アラム・メドレセがあります。

⑤給水塔
タキ・テルパクフルシャン、カラーン・モスク、アルク城を通り過ぎ、旧市街の西側に移動、給水塔に行きました。ソビエト時代の技術者/建築家ウラジーミル・シューホフ (Vladimir Shukhov) によるもので、1929年建設。シューホフ・タワーと総称される、鉄線を格子状に組んで双曲面構造の外観をもつ塔です。最上部は展望台になっており (入場料5万スム/600円)、アルク城を見下ろすことができます。

⑥ボラハウズ・モスク
1712年、アルク城とレギスタン広場の横に建てられたユニークなデザインのモスク。前面に彫刻を施された20本のクルミの柱が並ぶテラス状の空間があり、柱の上部や天井などが色鮮やかな色彩で塗られています。

⑦モダリ・ハン・メドレセ
アブドゥラ・ハン・メドレセと対をなすメドレセ。アブドゥラ・ハン2世の治世中、1567年頃建造。アブドゥラ・ハン2世が母親のために建設しました (モダリ・ハン=ペルシャ語で「ハンの母」)。扉は開いていましたが、内部は荒れていて、修復工事をしているようでした。

⑧アブドゥラ・ハン・メドレセ
1590年建造。こちらはアブドゥラ・ハン2世、彼自身のために建てられたと言われています。なぜなら建物の向きがメッカの方向ではなく、正面にある母のメドレセを向いていること、また彼の遺体もここに埋葬されているからです。クカリダシュ・メドレセ、ミル・アラブ・メドレセに次ぐ、ブハラ最大のメドレセのひとつ。現在内部は公開されていませんが、中央アジアのメドレセの中でも傑出したデザイン性を持つと高い評価を得ています。

⑨イスマーイール・サーマーニー廟
イスラム初期の建築様式の霊廟で、892年から943年にかけて造られた、中央アジアに現存する最古のイスラム建築物です。長年砂に埋れていたため、外敵による破壊を免れたのだそう。中に入るとレンガの格子窓から差し込む光が美しく、なんだか不思議と落ち着く空間でした。だいぶ歩き疲れていたので、ベンチに座ってしばし休憩 (入場料1万スム/120円)。

⑩タリパチ門
デフコン・バザールの南側。かつて街を囲んでいた土壁と、復元された門。

⑪チャシュマ・アイユーブ
「ヨブの泉」という名を持つ建物。人々が渇水に苦しんでいた時、ヨブ (アイユーブ) がここを杖で叩いたら水が湧き出たという伝説によります。12世紀に泉が出て、14世紀に真ん中のドームが、16世紀に前方のドームが建て増しされました。とんがり帽子のようなデザインがかわいいですね。内部には水のミュージアム。給水器の水が空っぽで飲むことはできませんでした。デフコン・バザールに隣接。

⑫デフコン・バザール
旧市街の西端にある大きなバザールで、旧名はコルホーズ・バザール。駐車場の方まで売り子さんたちが品物を広げていました。色とりどりの野菜や果物、肉・生鮮食品、日用雑貨、食事処などあらゆるものがそろっています。11月下旬なのにメロンがたくさん売られていて驚きました

昼食@Tandir Somsa
Googleマップ上の店名はサムスシュカ (Samsushka)、でもその看板は見当たりませんでした。普通のお店のプロフとは違って家庭的な味、ホッとする美味しさでした。カラカルパクスタンの牧場主のお宅でご馳走になったプロフと同じく短粒米 (⇒コチラ)。自分はこれ目当てで行ったのですが (事前にお店のプロフの写真を見ていました)、The Plov に負けず劣らず、こちらも美味しかったなと。(食べ物はまたまとめて書きます)

⑬ギジュドゥバン陶芸工房
お昼ご飯の後、Yandexタクシーでギジュドゥバンの陶芸工房へ。所要1時間、料金89,000スム/1070円。現地に着くと、想像とは違って一軒のお宅にお邪魔する感じでした。

ここはアブドゥロ・ナルズラエフ氏の自宅兼工房で、扉をくぐって中庭に入ると、お店らしきドアは閉まっており、人の姿もありませんでした。さて、どうしたものか。。

すると、自分に気づいた庭師さん (はしごを掛けて高い木の上の方で作業中でした)、大きな声で名前を呼ぶと、それを聞きつけて工房の方が庭に出てきてくれました。

日曜午後にお邪魔したのは悪かったかなと思ったのと、タクシー運転手が待っていてくれるか不安だったので、展示室 (ミュージアム) は見ず、販売室の方でお皿をザッと見てサクッと3皿購入。所要10分。買えてよかった。

なお、帰りのタクシー代は10万スム/1200円渡しました。会話はスマホの翻訳機能でしたが、ちゃんと意思疎通できてよかったです。

⑭トゥルキ・ジャンディ廟
ギジュドゥヴァンからブハラに戻り、ホテルで小一時間休憩してから再びお出かけ。トゥルキ・ジャンディ廟は、中世紀のブハラの歴史における有名なイマームの 1 人、トゥルキ・ジャンディの墓石があるとされます。ウズベキスタンの無形文化遺産に登録されているとのこと。こういった史跡が人々の生活空間に普通にあるんですよね。すごいな、ブハラ。

⑮ザビヨン・ダビヨン・ハマム (*Map)
いい経験をしたのでまた別途詳細を書こうかなと思いますが、まずは概要を。恐る恐る入りましたが、湯婆婆のような若干押しの強い女性マネージャーが英語が達者で、意思疎通は何も問題ありませんでした。

1階には男性用・女性用の公衆浴場 (大きな大理石の台座があるいわゆるハマム) がひとつずつ、2階には男女 (家族) で入れるプライベートサウナがあります。1階は5万スム/600円、2階は8万スム/960円。それぞれ1時間の料金。

自分は2階でサウナ+垢すり (ピーリング/8万スム) を選択。バスタオル1万スムで計17万スム/2040円の支払い。垢すりは誰がやるんだろうと思っていたら、湯婆婆でした。15分くらい喋りっぱなし、こすりっぱなしであっという間に終了。ああ気持ちよかった。しかし我ながらすごい垢が。みんなそうだから心配するなと慰められました。

2階のサウナですが、誰か入っている時は別の客を入れないのか (プライベートと言うくらいだし)、単に他の客が来なかっただけなのかは不明。1階のハマムは地元民7~8人 (中年・青年・少年) がくつろいでいました。

向かい側にはゴジエン・メドレセがあります。

夕食@Old Bukhara
毎回新しいレストランにと思って Laziz House と Chinar に行ったのですが、両店ともクローズ。ということで Old Bukhara 再訪。シャシリクを2本 (羊、牛) とショルバ (スープ) をいただきました。通されたのは中庭の席。吹き込む夜風で湯冷めしそうでした。風が吹くたび枯れ葉が落ちてくるし。

この日もよく歩きました。計14.5km (スマホの自動計測)。月がきれいな夜でした。