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~海外で暮らす・日々の記録・旅の記憶~   

サマルカンド観光(3)グーリ・アミール廟他

サマルカンドは紀元前10世紀頃からイラン系民族のオアシス都市として発展し、紀元前4世紀にはソグド人の都市マラカンダとしてギリシャ資料にも登場します。712年、ウマイヤ朝のアラブ連合軍に征服されイスラム化が始まると、商才に長けたソグド人の町としていくつもの王朝の支配を受けながら、数世紀にわたり繁栄を続けました。

東西交易路 (シルクロード) の要衝として大いに栄えたサマルカンドでしたが、1220年、モンゴルの来襲により徹底的に破壊され、人口の3/4が殺されてしまったと伝えられています。その当時の旧サマルカンドは、ラフマト川に南面するアフラシヤブ (の丘) と呼ばれ、現在の市街地の北側にありました。

その後、14世紀末から15世紀にかけてはティムール朝の首都として発展を遂げ、今も残るマドラサや一族の霊廟など壮麗な建造物が築かれました。2001年、サマルカンド旧市街はレギスタン広場シャーヒズィンダ廟群、グーリ・アミール廟など多くの歴史的建造物を擁することから、それらを合わせ、UNESCO世界遺産「サマルカンド-文化交差路」として登録されました。

今回の旅行では世界遺産を中心にあれこれ見て回りました。見どころは比較的ギュッと固まっているので、歩いて回れる距離です (1日10kmくらい歩きましたが)。レギスタン広場とビビハニムモスク (の先のバザール) の間は、有料電動カートがたくさん走っています (1乗車3000スム/36円)。下記のスポット、それぞれ入場料は1~3万スム。

グーリ・アミール廟
ティムール朝は、14世紀に現在のウズベキスタン中央部に勃興したイスラム王朝で、中央アジアからイランにかけて広大な地域を支配しました (1370年-1507年)。グーリ・アミールは、王朝の建国者ティムールとその家族を祀った霊廟です。

その優美なデザインは後代に建設されたタージ・マハルにも影響を与えたと言われますが、外観だけでなく内部のきらびやかな装飾も素晴らしく、サマルカンド観光においては必見のサイトです。ウズベキスタン人の家族連れの多くが、ガイドの説明に真剣に耳を傾けているのが印象的でした。

アクサライ廟
15世紀、ティムール朝の時代に建設されたと考えられています。グーリ・アミール廟の裏手にひっそり建っていて、スルーする観光客も多いのではないかと思いますが、その内部には、地味な外観からは想像もつかないほど艶やかな空間が広がっていました。

部屋の中央に小さな椅子が置いてあり、ここにスマホを置いてインカメラで天井を撮るといいよと教えてくれました。

ビビハニムモスク (又はビビハヌム、ビービーハーヌム)
ティムールの第一夫人 (ビビハニム) の名をとった、外周167m✕109mという大きなモスクです。インド征服の際に持ち帰られた大量の貴石が建材として使用されました。1405年完成。ティムールの死後は次第に使われなくなり、長年の風雪と19世紀末の地震で一時は廃墟と化しましたが、1974年、政府により再建が進められました。中庭には大理石で作られた大きなブックスタンドがあります。

シャーヒズィンダ廟から見たビビハニムモスク。

ビビハニム廟
ティムール朝の女性親族の霊廟。最初に埋葬されたのはティムールの妻ビビハニムの母親と言われています。地下 (ひとつ低い階) には棺が収められています。

アフラシヤブ博物館
世界最大の考古学遺跡のひとつであり、13世紀初頭にモンゴルによって破壊された古代都市アフラシヤブ (Afrosiyob) の史跡にある博物館。ゾロアスター教時代の偶像や発掘された出土品、アレクサンドロス大王時代のコインなど数多くの展示品がありますが、最大の見所は7世紀のフレスコ画です。ソグド人アートの希少な一例ですが、これは1965年、地元当局がアフラシヤブの丘の真ん中に道路を通そうと掘削を始めた時に発見されたものだそうです。見つかって本当によかった。あとは頭が異様に細長い頭蓋骨 (600~800年)、これってなんなんでしょうね。 

コニギル村のメロス製紙工場
少し時間が余ったので、タクシーでササッと訪問しました。桑の木の皮から紙を作る工程を見学できます。見学料1万スムでお茶+砂糖菓子も。お土産にB4サイズの紙を買いました (35,000スム/枚)。