A Dog's World 

~海外で暮らす・日々の記録・旅の記憶~   

サマルカンド観光(1)レギスタン広場

週末、タシケントから列車に乗って、サマルカンドに行ってきました。ウズベキスタンで初めての観光旅行です。とりあえず写真を中心にレポートを。まずは「レギスタン広場」から。

レギスタン広場には3つの「マドラサ」があります (※メドレセとも)。マドラサは元々アラビア語で「学ぶ場所、学校」を意味する単語ですが、中世にはイスラム世界の高等教育機関として広く普及しました。

広場の正面から見て、左側が「ウルグ・ベク・マドラサ」、中央が「ティラカリ・マドラサ」、右側が「シェルドル・マドラサ」です。

これまで写真では見ていましたが、実際に目の当たりにすると、その大きさに驚かされ、鮮やかな青いドーム型の屋根や壁一面に施されたモザイク画 (画といっても幾何学模様やアラビア文字がほとんど) が目に染みました。 

ウルグ・ベク・マドラサ (1417-1420)
ティムール朝の建国者であるティムール (1336-1405) の孫でティムール朝第4代君主ウルグ・ベクにより建てられました。ウルグ・ベク自身も優れた天文学者・数学者・文人であり、ここで教鞭をとったと伝えられています。

2階建ての建物には講義室と生徒の寮があります。15世紀のイスラム世界においては最高の大学のひとつでした。

青いタイルで装飾された美しい壁面。イスラム美術で主流のアラベスクは、宗教性や神秘性よりも、数学的・科学的な美しさを感じます。

歴史的建造物のマドラサも、現代においてはお土産ショップが多数入る観光資源に。テディベアかわいかったな。

入り口で制服を着た人にオファーされたので、ミナレットにも上りました。料金は10万スム/1200円 (広場入場料と合わせてだと理解)。それにしても階段がきつかったです。翌日筋肉痛に。

ミナレットの上から望む風景。膝はガクガクなれど、気分晴れ晴れ。

シェルドル・マドラサ (1616-1636)
17世紀のサマルカンドの統治者ヤラントゥシュ・バホドゥルの命により建てられたマドラサ。人面と動物のモザイク画が目を引きます。宗教 (偶像崇拝を禁ずるイスラム教) を超越した自身の権力を示したかったのだと言われています

人面の太陽を背負ったライオンが子鹿を追いかけるの図。ヘタウマっぽくほんわかしていてかわいいですが、デザインした建築家は後に責任を取らされ自害することになったのだとか。

タシケントのコングレスセンター (議会) にある例のアレですね (↓)。今回ようやくオリジナルを見ることができました。

ウルグ・ベク・マドラサと200年の時の差があるとは思えないほどデザインに統一性があります。素晴らしい。(※あるいは近代の修復で合わせたのかはちょっとわかりません)

ため息が出るほどの精密さ。見ているだけで肩が凝ります (自分が職人だと想像したら・・)。

ティラカリ・マドラサ (1646-1660)
シェルドル・マドラサの完成10年後に、同じ統治者により建てられました。寄宿学校以外にも、モスクとしての機能があります。

迫ってくるような圧倒的ボリューム感。

ペルシャ語で「金色の」という名を持つ理由は、モスク部分に一歩足を踏み入れれば一目瞭然、まばゆいばかりの豪華絢爛さにはただ息を呑むばかり。装飾には何キロもの黄金が使われたのだそうです。

土曜の夜8時。ライトに照らされいい雰囲気です。昼間より人出が多い印象。

翌日 (日曜日) も来たら、何組ものカップルがウェディングフォトを撮っていました。