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サマルカンド(歴史概要)

ウズベキスタンの地方都市サマルカンドは、抜けるような青空と多くのモスクを彩るラピスラズリ色から、「青の都」とも呼ばれます。人口約55万人 2021年)。

紀元前10世紀ころから中央アジア有数のオアシス都市として栄え、その住民でもあるソグド人は国際的商人としても活躍しました。

8世紀初頭、ウマイヤ朝 (アラブ) の支配下に入ると、9~10世紀のサーマーン朝の時代にイスラム化が完成、11~13世紀のカラ・ハーン朝、セルジューク朝、カラ・キタイ朝、ホラズム・シャー朝の支配時代にはトルコ化が進展し、以降徐々にトルコ人イスラム教徒の居住する都市となりました。

1220年、モンゴルの侵入によって市街・城壁を破壊されましたが、やがてティムールによってその廃墟の南西に新市街が再建され、14~15世紀のティムール朝の時代には帝国の首都として空前の反映を示しました。

16世紀以降、ウズベク人のシャイバーン朝の支配下に入り、時にはその首都となりましたが、1868年にロシアによって征服され、1924年以降はウズベク社会主義共和国の、そして1991年のソ連の崩壊後は、独立国家ウズベキスタン共和国の一都市として今日に至っています。

サマルカンドにはティムール朝時代の遺跡が多く、シルクロード観光の一大中心地として機能するかたわら、強大なティムール帝国の首都としての記憶から、ウズベク民族の誇りのよりどころともなっています。