中東・アフリカで生活していた頃は、日本に帰るときは北回り (ヨーロッパ経由) にするか南回り (アジア経由) にするか、フライトを選ぶのも楽しみのひとつでした。
北回りならロンドン (BA)、パリ (AF)、フランクフルト (LH)、アムステルダム (KLM)、南回りならバンコク (TG)、香港 (CX) などにして、まずはフライトそのものを楽しむこと。といっても機内食くらいですが。
そして経由地ではトランジット泊から1週間ほどの滞在まで、その時の都合に合わせて計画を立てるのが本当に楽しかったです。現地よりむしろ計画時の方がワクワク感があって良かったかもと思うくらい。
そんな若かりし頃の旅のひとつが、ヨルダン生活のときにやって来たタイ。中東とくらべると風景から食べ物から人柄からすべてが肌に馴染む感覚があって、普段気づいていなかった緊張感が解けていき、心底リラックスできた記憶があります。
ついがんばって観光もしたりなんかして、パンダバスの日本人向けツアーでアユタヤに出かけたのは良い思い出です。あの時、木の根に包まれていた仏像の顔は、今はどうなっているんでしょう。さらし首のようにも見えましたが。でもきっとそのままか。あれがひとつ目玉になっていたし。
今回の滞在中、アユタヤはまた行きたいなと思っていましたが、なかなか機会が作れず、去年からは新型コロナで観光という雰囲気ではなくなり (そもそも観光は制限されていたし)、その上いまアユタヤは洪水の被害に直面している真っ最中です。
たぶん10月末で雨季が明けるので、来月以降、洪水が落ち着いたら、コロナの様子をうかがいつつ行ける機会を探りたいなと。11月1日からタイ政府は外国人に対して段階的に入国制限を緩和 (隔離検疫廃止) する予定なので、合わせて国内観光も活性化していけば良いなと思います。
ワット・マハータート(アユタヤ)
1369年~70年の2代ラーメスアン王が建てたという説と、1370~88年の3代ボロムラーチャー1世が建てたという説がある13世紀の重要な寺院の一つです。かつては、塔の頂上が黄金に輝いていたこの寺院もビルマ軍の侵略により廃墟と化し、今は木の根の間に埋め込まれた仏像の頭や、頭部がない仏像、崩れ落ちたレンガの壁や礼拝堂の土台が残るのみとなっています。1956年の修復の際、塔の跡から数々の黄金仏や宝飾品などが発見され、これらは現在、チャオサムプラヤー国立博物館に展示されています。(タイ国政府観光庁HPより)
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もう20年前なんだな、行ったの。写真を見返してびっくり。また象に乗りたい。
アユタヤからの帰りはチャオプラヤー川をボートで下りバンコクへ。ヨルダンにはない大きな川とのんびりした川辺の風景にただただ感動。
20年前のバンコク中華街、ヤワラー通り。走っている車のモデルが古いくらいで建物や看板はほとんど変わっていないように見えます。ごちゃごちゃ感もあいかわらず。
20年前のワット・プラケオ。当時から観光客でごった返していましたが、中国人観光客はあまりいなかったような。欧米の観光客の方が目立ちました。あ、中国系の人は年末 (年越し) ではなく2月の旧正月に繰り出していたかもしれません。
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ちなみに、ヨルダンの生活が緊張ばかりで辛いだけだったかというとそんなことは全然なく、むしろ自分の中ではもっとも楽しい国のひとつでした。名所旧跡、自然、グルメなど、本当に盛りだくさんでした。ただ、2001年の9.11アメリカ同時多発テロ以降は、アンマンの町の雰囲気も地域の政治情勢もガラリと変わってしまいましたが。