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~海外で暮らす・日々の記録・旅の記憶~   

ベトナムの歴史

個人的には、ベトナムの歴史といっても、20世紀の戦争、中国・フランス・アメリカと戦った歴史を、開高健のルポや映画などからぼんやりと知る程度でした。

ベトナムに来ることが決まった後、ベトナム史の本を買って読んだりしましたが、複雑なため一度読んでもなかなか覚えられません。以下、自分用のメモとして。

ベトナム史7段階

①紀元前~938年
 中国の影響を受けながら、北部を中心に独自社会が形成される。

②938~1407年
 独立王朝の時代。呉⇒丁⇒前黎⇒李⇒陳⇒胡と王朝が交代しながら国家形成が進む。

③1407~1802年
 明の支配から独立した後、南進 (Nam tiến) が急速に進む。チャンパを南へ押し、さらにクメール勢力の領域だったメコンデルタへ進出して、現在のベトナムの南北に長い国土が形成される。

④1802~1884年
 阮朝 (げんちょう/グエンちょう) による統一国家。現在のベトナムにかなり近い領域を一つの国家として統治する。

⑤1884~1945年
 フランス植民地時代。この時代にトンキン (北部)・アンナン (中部)・コーチシナ (南部) の区分が制度化され、現在のベトナム社会にも大きな影響を残す。

⑥1945~1976年
 独立戦争・南北分断・ベトナム戦争。1945年の独立宣言から1975年のサイゴン陥落まで、実に30年にわたる戦争の時代。

⑦1976年~現在
 統一社会主義国家⇒ドイモイ⇒国際社会への復帰。1986年のドイモイが、現在のベトナムを理解する最大の転換点。

ベトナム史 詳細年表

先史・古代
約50万年前:現在のランソン省で、原人に似た骨が発見される
約2万~2万5千年前:北部ベトナムでソンヴィー文化が成立
紀元前4000~3000年頃:フングエン文化が栄える
紀元前2000年頃:ドンダウ文化が成立
紀元前1000年頃:ドンソン文化が成立。青銅器、とくに青銅製鼓で知られる
紀元前7~3世紀頃:伝説上の文郎国が成立。雄王 (フン・ヴオン) が支配したとされる
紀元前258年:安陽王の甌雒 (オーラック) が文郎国を滅ぼす。古螺城 (コーロア) が築かれたとされる
紀元前221年:秦の始皇帝が中国を統一。以後、中国史料に現在のベトナム北部に関する記録が増える
紀元前208年:趙佗が甌雒を滅ぼす
紀元前207年:趙佗が南越国を建国
紀元前196年:前漢が南越国を冊封し、朝貢関係が成立
紀元前111年:前漢の武帝が南越国を滅ぼす。交趾・九真・日南の3郡を設置し、北部・中部の一部を直接支配する

中国支配と抵抗
紀元1世紀:中国から鉄製農具、牛耕、灌漑技術などが伝わる
34年:後漢の蘇定が交趾郡太守となり、重税などにより現地の反発が高まる
40年:徴側・徴貮 (徴姉妹) が後漢に対して反乱。徴側が王を称し、一時的に独立
43年:後漢の馬援が徴姉妹の反乱を鎮圧
2~3世紀:中国の政治的混乱に乗じて、交趾周辺で反乱や自治的な動きが相次ぐ
248年:趙氏貞 (婆趙) が呉に対して反乱を起こすが鎮圧される
3~6世紀:中国の魏晋南北朝時代。ベトナム北部では中国王朝による支配が続く
542年:李賁 (リー・ビ) が梁に対して反乱
544年:李賁が「万春国」を建国し、李南帝を称する
545~548年:梁が万春国を攻撃
602年:隋が万春国を滅ぼす
679年:唐が安南都護府を設置
722年:梅叔鸞が唐に対して反乱し、「黒帝」を称するが鎮圧される
8~9世紀:唐の支配が続く一方、現地勢力の自立傾向が強まる
863~866年:南詔が安南に侵攻。唐の高駢が南詔軍を撃退
866年:高駢が安南都護となり、大羅城 (現在のハノイ) を整備
905年:曲承裕 (クック・トゥア・ズー) が安南を実質的に支配
930年:南漢が安南に侵攻
931年:楊廷芸が南漢を撃退し、大羅城を奪回
937年:楊廷芸が矯公羨に殺害される
938年:呉権が白藤江の戦いで南漢軍を撃破。約1000年に及んだ中国王朝による支配からの独立を達成

独立王朝--呉朝・丁朝・前黎朝
939年:呉権が王位につき、呉朝を開始
944年:呉権が死去。後継者争いが起こる
950年代:各地の豪族が分裂し、内戦状態となる
965~967年頃:「十二使君の乱」。各地の有力者が割拠
968年:丁部領が十二使君を統一し、丁朝を建国
968年:国号を「大瞿越」とし、華閭 (ホアルー) を都とする
979年:丁部領が暗殺される。幼少の丁璿が即位
980年:黎桓が即位して前黎朝を建国
981年:前黎朝が宋軍の侵攻を撃退
984年:黎桓がチャンパを攻撃し、インドラプラを占領
1005年:黎桓が死去
1009年:李公蘊が即位し、李朝を建国

李朝--ハノイの誕生と「大越」
1010年:李太祖が都を華閭から昇龍 (タンロン、現在のハノイ) へ遷都
11世紀前半:李朝が中央集権化を進め、仏教を保護
1054年:李聖宗が国号を「大越」と改称
1069年:李朝がチャンパを攻撃。現在のクアンビン省・クアンチ省に相当する地域を獲得
1075年:李常傑が宋に先制攻撃。広西方面へ侵攻
1075~1077年:李宋戦争
1077年:李朝軍が宋軍を撃退
1075年頃:科挙制度が導入される
1076年:国子監が設立され、ベトナム最初の大学とされる
12世紀:李朝の勢力が拡大する一方、地方豪族の勢力も強く残る
1164年:宋が李朝君主を「安南国王」として認め、独立国としての地位を事実上承認
1225年:李朝が滅亡。陳朝が成立

陳朝--モンゴルとの戦い
1225年:陳氏が李朝から王位を受け継ぎ、陳朝が成立
13世紀前半:陳朝が中央集権化、科挙・官僚制度を整備
1257年:モンゴル帝国軍がベトナムに侵攻
1258年:陳朝がモンゴル軍を撃退
1283年:元が再び陳朝への侵攻を計画
1285年:元軍が大規模侵攻。陳朝軍が反撃し撃退
1287年:元が3度目の侵攻を開始
1288年:白藤江の戦い。陳興道率いる陳朝軍が元軍を撃破
1289年:陳朝が元に使節を送り、捕虜を返還
14世紀前半:チャンパとの婚姻などを通じて南方へ領土を拡大
1377年:陳睿宗がチャンパ王・制蓬峩との戦いで戦死
1389年:制蓬峩が戦死
14世紀末:陳朝が衰退し、胡季犛が実権を掌握
1400年:胡季犛が陳朝を倒し、胡朝を建国

明の支配と黎朝
1400年:胡季犛が国号を大虞とする
1406年:明軍がベトナムへ侵攻
1407年:明が胡朝を滅ぼし、ベトナムを直接支配
1407~1413年:陳朝復興を目指す後陳朝が抵抗するが敗北
1418年: 黎利 (レ・ロイ) が明に対して蜂起
1418~1427年:藍山蜂起。黎利が明軍と戦う
1427年:明軍が撤退
1428年:黎利が後黎朝を建国。国号を大越とする
15世紀中頃:後黎朝が中央集権化を進める
1460年:黎聖宗が即位
1471年:黎聖宗がチャンパへ大規模遠征。ヴィジャヤを占領
1471年:チャンパ王国の中核地域が大きく縮小。ベトナムの南進が本格化
15世紀後半:ベトナムが現在の中部ベトナムへ勢力を拡大
16世紀初頭:後黎朝の政治的混乱が深刻化

莫朝・鄭氏・広南阮氏--「南北ベトナム」の時代
1527年:莫登庸が後黎朝を倒し、莫朝を建国
1533年:黎氏を擁立した勢力が後黎朝を復興
1543年:後黎朝側が莫朝に対する攻勢を開始
1545年:鄭検が後黎朝の実権を掌握
1558年:阮潢が広南方面へ移り、後の広南阮氏政権の基礎を築く
16世紀後半:北部では鄭氏が後黎朝皇帝を擁し、南部では阮氏が自立的に勢力を拡大
1592年:鄭氏が昇龍を占領し、莫朝を北部の中心から追放。後黎朝が復活
1599年:鄭松が実権を握り、「鄭主」体制が確立
17世紀前半:ホイアンが国際貿易港として繁栄。日本人町も成立
1624年:イエズス会宣教師がベトナムでキリスト教を布教
1627年:鄭氏と広南阮氏の戦争 (鄭阮戦争) が始まる
1630~1640年代:ホイアンの日本人町が繁栄
1672年:鄭氏と広南阮氏が休戦。ベトナムは事実上、北の鄭氏政権と南の阮氏政権に分裂
17世紀後半:広南阮氏が南進を加速
1693年:広南阮氏がチャンパを属国化
1698年:阮氏が現在のホーチミン市周辺 (サイゴン) を支配下に置く
18世紀:阮氏がメコンデルタへ進出
1757年:阮氏の南進によって、現在のベトナム南部にほぼ相当する地域がベトナム側の支配下に入る

西山朝--ベトナム史最大級の内戦
1771年:阮文岳・阮文恵・阮文侶の「西山三兄弟」が反乱を開始
1773年:西山軍がクイニョンを占領
1777年:西山軍が広南阮氏の勢力をほぼ壊滅させる
1778年:阮文岳が皇帝を称し、西山朝を建国
1785年:阮文恵がラチャーガム=ソアイムットの戦いでシャム軍を撃破
1786年:西山軍が北上し、鄭氏政権を滅ぼす
1787年:阮福暎がフランス人宣教師ピニョー・ド・ベーヌと接触し、フランスから軍事支援を得る
1788年:後黎朝の皇帝が清朝に援軍を要請
1789年:阮文恵が清軍を撃破。これが「ドンダーの戦い」
1789年:後黎朝が完全に滅亡
1792年:阮文恵 (光中帝) が死去
1790年代:西山朝が弱体化
1802年:阮福暎が西山朝を倒し、阮朝を建国。フエを都とする

阮朝--現在のベトナム領域の統一
1802年:阮朝成立。ベトナム史上初めて、現在のベトナムに近い南北を一つの政権が統一
1804年:清朝から「越南」の国号を認められる
1810年代:阮朝が中央集権化を進める
1820年:明命帝が即位
1831~1832年:明命帝が地方行政制度を改革。北城総鎮・嘉定城総鎮を廃止し、中央集権的な省制を整備
1832年:チャンパ最後の王国が阮朝に併合される
1833年:南部で黎文傀の反乱。シャムも介入
1833年:明命帝がキリスト教禁教令を発令
1834年:阮朝がカンボジアを占領
1839年:国号を「大南」とする
1841年:紹治帝が即位
1845年:阮朝がシャムとの戦争を終結させ、カンボジアから撤退
1847年:嗣徳帝が即位
1857年:阮朝によるキリスト教弾圧が強化され、宣教師が処刑される
1858年:フランス・スペイン連合軍がダナンを攻撃
1859年:フランス軍がサイゴンを占領
1862年:第一次サイゴン条約。阮朝が南部3省をフランスに割譲
1863年:フランスがカンボジアを保護国化
1867年:フランスがコーチシナ西部3省を併合
1874年:第二次サイゴン条約。フランスのベトナム南部支配が拡大
1882年:フランス軍がハノイを再占領
1883年:第一次フエ条約。阮朝がフランスの保護権を認める
1884年:第二次フエ条約。ベトナム北部・中部もフランスの保護国となる
1884~1885年:清仏戦争。清朝がフランスと戦う
1885年:天津条約。清がベトナムに対する宗主権を放棄
1885年:咸宜帝がフランスに対する「勤王運動」を開始
1888年:咸宜帝がフランス軍に捕らえられる

フランス領インドシナ
1887年:フランス領インドシナ連邦成立
1887年:ベトナムはトンキン (北部)、アンナン (中部)、コーチシナ (南部) に分けて統治される
1889年:ラオスがフランス領インドシナに加わる
1890年代:フランスによる植民地行政・徴税制度が強化される
1904年:ファン・ボイ・チャウが維新会を設立
1905年:ファン・ボイ・チャウが日本へ渡る
1905~1909年:東遊運動 (ドンズー運動)。多数のベトナム青年が日本へ留学
1906年:ファン・チュー・チンが日本を訪問
1907年:ハノイに東京義塾が設立される
1908年:フランス当局が東京義塾を閉鎖
1909年:日本政府がベトナム人留学生を国外追放。東遊運動が終息
1911年:ファン・チュー・チンがフランスへ渡る
1912年:ファン・ボイ・チャウがベトナム光復会を設立
1914~1918年:第一次世界大戦。約10万人のベトナム人がフランス軍兵士としてヨーロッパ戦線などへ動員される
1925年:ファン・ボイ・チャウが上海でフランス官憲に逮捕される
1925年:ホー・チ・ミンがベトナム青年革命同志会を結成
1927年:グエン・タイ・ホックがベトナム国民党を結成
1930年2月:インドシナ共産党が成立
1930年2月:ベトナム国民党がイエンバイ蜂起を起こす
1930年6月:グエン・タイ・ホックらがフランス当局に処刑される
1930~1931年:ゲティン・ソヴィエト運動など、農民を中心とする反仏運動が発生

日本軍進駐と独立
1939年:第二次世界大戦が始まる
1940年9月:日本軍が北部仏印に進駐
1941年:ホー・チ・ミンが帰国
1941年5月:ベトナム独立同盟 (ベトミン) を結成
1943~1944年:日本軍・フランス植民地政府による統制が強まる
1944年:ベトナム北部で大飢饉が発生
1944年12月:ベトミンの武装組織としてベトナム解放軍宣伝隊が結成される
1945年3月9日:日本軍が「明号作戦」を実施。フランス植民地政府を武力で解体
1945年3月:バオ・ダイ帝が日本の後押しで「ベトナム帝国」を成立させる
1945年5~7月:ベトミンが北部・中部で勢力を拡大
1945年8月:日本がポツダム宣言を受諾
1945年8月:ベトミンが全国蜂起を開始。いわゆる「八月革命」
1945年8月:ハノイをベトミンが掌握
1945年8月30日:バオ・ダイ帝が退位
1945年9月2日:ホー・チ・ミンがハノイでベトナム独立宣言を読み上げ、ベトナム民主共和国の成立を宣言

第一次インドシナ戦争
1945年9月:日本軍の武装解除のため、中国国民党軍が北部、イギリス軍が南部へ進駐
1945年9月23日:フランス軍がサイゴンを攻撃し、植民地支配の再建を開始
1946年:フランスとベトナム民主共和国の交渉が決裂
1946年12月:ハノイで戦闘が始まり、第一次インドシナ戦争が本格化
1949年:フランスがバオ・ダイを元首とするベトナム国を成立させる
1949年:中華人民共和国成立。中国がベトナム民主共和国を承認
1950年:中国・ソ連がベトナム民主共和国を承認。アメリカなどはベトナム国を承認
1951年:インドシナ共産党がベトナム労働党へ改組
1953年:北ベトナムで土地改革が始まる
1954年3月~5月:ディエンビエンフーの戦い
1954年5月:フランス軍がディエンビエンフーで降伏
1954年7月:ジュネーヴ協定。ベトナムを北緯17度線付近で軍事的に分断
1954年:ベトナムからフランス軍が撤退

南北分断・ベトナム戦争
1954年:北部にベトナム民主共和国、南部にベトナム国を中心とする政権が成立
1955年10月:ゴ・ディン・ジエムが国民投票でバオ・ダイを退位させ、ベトナム共和国 (南ベトナム) を成立させる
1955~1956年:南北統一選挙が予定されていたが実施されず
1956年:ジュネーヴ協定で予定された全国統一選挙が実施されない
1958年以降:北ベトナムで企業国営化など社会主義化が進む
1959年:北ベトナムが南部での武装闘争を本格化
1960年:南ベトナム解放民族戦線 (ベトコン) が結成される
1960年:第二次インドシナ戦争 (ベトナム戦争) が本格化
1961年:アメリカが南ベトナムへの軍事支援を拡大
1963年6月:仏教徒弾圧への抗議としてティック・クアン・ドック師が焼身自殺
1963年11月:軍事クーデターでゴ・ディン・ジエム政権が崩壊。ジエムは殺害される
1964年8月:トンキン湾事件
1965年:アメリカ軍による北爆 (ローリング・サンダー作戦) が本格化
1965年:アメリカ軍の地上部隊が大規模にベトナムへ投入される
1968年1月:テト攻勢
1968年:アメリカが北爆停止と和平交渉を開始
1969年:南ベトナム共和国臨時革命政府が樹立
1969年9月:ホー・チ・ミンが死去
1970年:アメリカ・南ベトナム軍がカンボジアへ侵攻
1971年:南ベトナム軍がラオスへ侵攻
1972年:北ベトナムがイースター攻勢を開始
1972年:ニクソン大統領が中国を訪問。米中接近が北ベトナムにも大きな影響を与える
1972年末:アメリカが「クリスマス爆撃」と呼ばれる大規模北爆を実施
1973年1月27日:パリ和平協定が調印される
1973年:アメリカ軍の大部分がベトナムから撤退

南北統一
1975年1月:北ベトナムが南部への大規模攻勢を開始
1975年3月:中部高原・中部諸都市が相次いで陥落
1975年4月:北ベトナム軍・解放勢力がサイゴンへ進撃
1975年4月30日:サイゴン陥落。南ベトナム政権が崩壊
1975年:南北統一後、大量の難民が国外へ脱出。いわゆる「ボートピープル」が発生
1976年7月2日:ベトナム社会主義共和国が成立。南北ベトナムが正式統一
1976年12月:ベトナム労働党がベトナム共産党に改称

統一後--カンボジア・中国との対立
1977年:ベトナムとカンボジアの国境紛争が激化
1978年:ベトナムがカンボジアとの国境紛争を拡大
1978年12月:ベトナム軍がカンボジアへ侵攻
1979年1月:ベトナム軍がプノンペンを占領。ポル・ポト政権が崩壊
1979年2月:中国がベトナムへ侵攻。中越戦争が始まる
1979年3月:中国軍がベトナムから撤退
1980年代:ベトナムは国際的に孤立。カンボジアへの軍事駐留が続く
1986年12月:第6回党大会で「ドイモイ (刷新)」政策を採択。計画経済から市場経済への改革が始まる

ドイモイと国際社会への復帰
1987年:外資導入・市場経済化が本格化
1989年:ベトナム軍がカンボジアから撤退
1991年:カンボジア和平に関するパリ和平協定
1991年:ベトナムと中国が国交正常化
1994年:アメリカが対ベトナム経済制裁を解除
1995年:ベトナムとアメリカが国交正常化
1995年:ベトナムがASEANに加盟
1998年:APECに加盟
2000年:米越通商協定が締結
2001年:ベトナム共産党第9回大会。市場経済化と国際経済統合をさらに推進
2003年:SARS流行。ベトナムは早期封じ込めに成功
2006年:APEC首脳会議をハノイで開催
2007年:WTO加盟
2010年:ハノイ建都1000周年
2010年:タンロン (昇龍) 遺跡が世界遺産に登録
2011年:共産党第11回大会。グエン・フー・チョンが書記長に就任
2013年:新憲法を採択
2014年:中国の石油掘削リグ「海洋石油981」をめぐり、反中デモが発生
2016年:共産党第12回大会。グエン・フー・チョンが書記長に再選
2016年:台湾系企業フォルモサ・ハティン・スチールによる大規模海洋汚染問題
2017年:APEC首脳会議をダナンで開催
2018年:CPTPPに署名
2019年:EVFTA (EU・ベトナム自由貿易協定) 締結
2020年:新型コロナウイルス感染症が世界的に拡大。ベトナムは初期段階で比較的効果的な封じ込めに成功
2020年:EVFTA発効
2021年:共産党第13回大会。グエン・フー・チョンが異例の3期目の書記長に就任
2021年:新型コロナ感染が急拡大し、特にホーチミン市で深刻化
2022年:ベトナムで大規模な汚職摘発が相次ぐ
2023年:グエン・スアン・フック国家主席が辞任
2023年:ベトナムとアメリカの関係が「包括的戦略的パートナーシップ」に格上げ
2024年3月:ヴォー・ヴァン・トゥオン国家主席が辞任
2024年5月:トー・ラムが国家主席に就任
2024年7月:グエン・フー・チョン共産党書記長が死去
2024年8月:トー・ラムが共産党書記長に就任
2024年10月:ルオン・クオンが国家主席に就任
2025年:ベトナム戦争終結から50年。4月30日のサイゴン陥落50周年が大きな節目となる
2026年1月:共産党第14回大会。トー・ラムが書記長に再選
2026年4月:トー・ラムが国家主席にも就任し、党書記長と国家主席を兼任

ベトナム人の対日感情

ベトナムの学校教育では、日本軍による1940~45年の占領や1945年の大飢饉は、現在でも重要な近現代史の一部として教えられています。

特に飢饉は、日本とフランスによる「二重の支配・搾取」や戦時下の食糧政策などによって生じた悲劇として説明されます (70~200万人が犠牲に)。

また、1945年3月の日本軍によるフランス植民地政府の排除と、その後の八月革命・独立宣言へとつながる流れも重視されています。

教育の焦点は、「日本人の残虐性」を強調して現在の日本人への敵意を形成することではありません。

日本軍は、フランス植民地主義とともにベトナムを支配した「帝国主義・軍国主義」の一方として位置づけられ、1945年の日本の敗戦を契機にベトナムが独立を実現した、という民族解放の物語の中で扱われています。

そのため、戦争の記憶そのものは残っていても、それが現在の日本人への反感に直結することは少ないとされます。

むしろ戦後の日本は、経済発展・技術・教育・ODAなどを通じて、「信頼できるアジアの先進国」という新しいイメージを形成してきました。

現代のベトナムでは、「日本軍による過去の占領は批判的に記憶しているが、現在の日本・日本人とは切り離して考える」という認識が浸透していると考えられます。

* * *

1979年の中越戦争で、中国軍によるベトナム侵攻を取材していた日本人ジャーナリスト、高野功氏が中国軍の銃撃を受け死亡しました (⇒Wikipedia)。

彼はベトナムでは単なる外国人記者ではなく、「中国の侵攻を世界に伝えた日本人」として記憶されています。

高野功氏は一時期、ベトナムにおける「日越友好の象徴」とまでなっていました。このことは、ベトナム人の歴史認識の柔軟性をよく表していると思います。

日本人ジャーナリスト高野功、1979年国境紛争の勇敢な目撃者