サウジアラビアのお墓
イスラムでは、キリスト教と同じく死者は土葬にされ、天国に行くか地獄に行くかの「最後の審判」を待つことになります。つまり死というものは通過点であって、それで全てが終わったわけではないと考えられています。
そういった考えに立ってのことなのか、サウジアラビアのお墓は質素というかとてもあっさりしています。遺体の頭をメッカの方角に向けて埋葬し、軽く土盛りをしたら頭の部分にレンガとか棒をおいて終わり。
お墓参りもあまりしないそうですし、20年ほどたったらブルドーザーで地面をならして整地したりもします。おそらくお墓参りというスタイルは「偶像崇拝」に通じる部分があって、それであまり推奨されないのかもしれませんが、それにしても日本人の感覚では信じられないほどぞんざいな扱いです。
サウジアラビアの首都リヤドで初めてイスラムの墓地を見たときは、カルチャーショックもいいところでした。広い墓地の一角はすでに相当な年月がたっているのか、土盛りもほとんどなくなり、白骨がちらほら露出していました。
世界は広い。故に宗教、文化、死生観など、星の数ほど違いがあるのは当たり前。しかしこの埋葬スタイルは、仏教とか神道系の日本人にはやはり受け入れがたいものがあるなと思いました。
荒野の墓地@サウジアラビア
アブハーはサウジアラビア西部の高山地帯にある保養地です。標高は3000メートルを超えており、眼下に眺める山脈や、切り立つ岩壁に作られた町で雲がわき起こる様など、観光地としては見応え抜群です。
少し近郊に足をのばすと、昔ながらの工芸品を売っているバスケットスーク、ハンギングロックにかかるロープウェー、イエメンの影響も見て取れる段々畑、山肌に群れを作るバブーンなど、見所がたくさんあります。
個人的に、一番心にグッとくるものがあったのは、オスマントルコ軍の墓地でした。第一次世界大戦中、オスマントルコがサウジアラビア西部のヒジャーズ王国に勢力を伸ばしていたことは「アラビアのロレンス」でも描かれていますが、当時、この地で命を落としたトルコ軍人達の墓地がアブハー郊外にあるのです。
その後、世界は第二次世界大戦によって混迷を極め、この墓地のことも忘れられてしまったのでしょう。異国の地にひっそりと埋葬された彼らの望郷の念を考えると、思わず心がふるえました。もっとも、トルコ軍人の場合、むしろイスラムの聖地に眠っていることは本望なのかもしれませんが。
小さな世界遺産ティヤ@エチオピア
エチオピアには4つの世界遺産 (文化遺産) があります。そんな中、アジスアベバから車で1時間半ほど南西に下った所にあるティヤの遺跡は、もっとも手軽に見ることができる世界遺産です。800年ほど前に造られたという以外は、ほとんどベールに包まれたままで、見る者の想像力を大いにかき立ててくれます。
12世紀に建てられたこの遺跡は戦士の墓であり、石碑に刻まれた剣は倒した敵の数であるとのことです。それ以外はあまりよくわかっていませんが、ティヤ近郊には、同じように石を加工した遺跡がいくつもあるそうです。ちょっとこの規模で世界遺産はどうなんだろうとも思いましたが、そうやってこのあたりを観光開発していこうという思惑があったのではないかと想像します。
トンガのお墓
キリスト教なので土葬です。
みな思い思いに飾りつけていますね。
カラフルでにぎやかな感じが良いです。
ウズベキスタンのお墓
タシケントで、裏道を行こうと思ったらイスラム教徒の墓地に迷い込んでしまったことがありました。サウジアラビアの簡素なものとは異なり、墓石もあるしっかりしたお墓が多かったです。
ほとんどの墓石には生前の顔が彫刻されていて、さすがにこれを写真に撮るのははばかられるなと、その時はカメラを取り出すこともしませんでした。
タシケントの教会を見に行った時は、キリスト教徒の墓地も併設されていましたが、やはりそちらも墓石には顔が描かれていました。このスタイルが定着しているのかもしれません (こちらも写真なし)。
タシケントの日本人墓地
太平洋戦争の終戦直後、中国東北地方 (満洲) や樺太に駐留していた日本兵約57万5000人が、武装を解除して投降した後、捕虜としてソビエト連邦内の各地に連行され、過酷な労働を強いられました。
中央アジア地域のウズベキスタンにも約2万3000名の日本人が移送され、国内各地で建設事業に従事するなど長期的な抑留生活を送り、日ソ間の国交が回復され (日ソ共同宣言)、帰国する1956年までの間に、884名 (2010年1月現在) が亡くなりました。
タシケントのヤッカサライ地区にある日本人墓地は、タシュケント地区及びウズベキスタン各地で亡くなったこれら日本人の共同墓地です。[Wikipediaより]
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よく晴れた日曜日、Googleマップを頼りに墓地を訪れました (*Map)。最初に「ここかな?」と思った場所は、何やらトラックが横付けされ、大きなパーティションと撮影カメラがセットされている最中でした。
道をふさぐような大きなパーティションを前に躊躇していたのですが、そんな自分の様子を見てきっと日本人だとわかってくれたのでしょう、撮影隊と思しき人が、「ここだよ」と手招きしてくれました。
何がいつ始まるのかわからなかったので、邪魔してはいけないと、足早に中をぐるっと周り、手を合わせてきました。とてもよく管理されていて、日頃お世話をしてくれている人がいるんだなと。ありがたいことです。