A Dog's World 

~海外で暮らす・日々の記録・旅の記憶~   

アラル海と死海

「20世紀最大の環境破壊」と言われる、アラル海の縮小、いや、消滅の危機。1960年当時、アラル海は世界の湖の中で第4位の面積を誇っていました。

 1. カスピ海:43万6000km2
 2. スペリオル湖:11万7400km2
 3. ビクトリア湖:6万8870km2
 4. アラル海:6万8000km2

この時のアラル海の面積は琵琶湖の100倍、日本の東北地方ほどの大きさがありましたが、今や面積は10分の1と言われ、南北に分割されたうちウズベキスタン側で言えばわずか20分の1 (3500km2) です。その理由は旧ソ連時代の自然改造計画。

ウズベキスタンを含む中央アジア5ヶ国は、旧ソビエト連邦を構成する共和国でした。1960年代、ソ連はアラル海の東に広がる乾燥地帯を農地に変えようと大規模な灌漑を開始、計画経済を進めました。

アラル海に注ぐふたつの河川、アムダリヤとシルダリヤ (※注) から灌漑用水のため大量に取水し、新しく生まれた農地では綿花が栽培され、ウズベキスタンの綿花生産量は150万トン (1940年) から450万トン (1970年) に増大しました。

※注:「ダリヤ」は「海 (転じて大河)」を意味するため、アム川と表記する場合も。またアムダリヤ川という表記もよく使われる。

こうしてアラル海は、1960年代は年平均20cm、1970年代には年平均60cmのペースで水面が低下し、急激に縮小していきました。一晩で湖岸が数十メートルも後退することがあったそうです。また大規模灌漑は、塩分濃度が上がった水を下流に大量に排出することにもなりました。

アラル海はもともと塩分濃度は1%程度 (海水の3分の1) で、サケやチョウザメなどがよく獲れ漁業が盛んでしたが (外来種の放流も)、面積の縮小と合わせ塩分濃度が上昇し、塩分に強い魚種 (カレイ) の導入も虚しく、2000年には塩分濃度が海水の2倍 (7%) に達したため、ついに漁業は不可能となりました。

アラル海の中にあった小島は外部と地続きとなり、島の生物群はオオカミの侵入によって個体数が激減、またアラル海南部の湿地帯も干上がり、植生が砂漠の植物に代わったことから、渡り鳥の飛来もなくなりました。

アラル海の縮小、生態系の破壊およびその対策に関する様々な資料からなる『1965年から1990年までのアラル海に関する記録』は2011年、カザフスタンの申請によりユネスコの「世界の記憶」に登録されました。

アラル海湖畔@2023年6月 (いただいた写真)

アムダリヤ@2023年10月 (ウルゲンチ近郊)

さてさて、アラル海のことをあれこれ考える毎日ですが、ある時ふと知人が、「アラル海も死海も出口のない湖だよね、アラル海はもともとなんで漁業ができていたの?」と聞いてきました。

そんなことは考えてもみなかったので、そういえばなんでだろうと思い、少しネットで調べてみたのですが、そのものズバリの回答は見つかりませんでした。なんとなくヒントはありそうですが、ぜんぜん確信は持てず。ちょっとだけ羅列してみると:

死海はかなり古い時代に形成された、もともと海底が隆起した場所にできた (そのため土壌のミネラル分が高い?)、そもそもの体積が桁違い (死海は小さい)、死海は2000年前にはすでにミネラル豊富な (塩分濃度が高い) 場所として知られていた (クレオパトラも死海の製品を美容に使っていた)、などなど。

くらべたらアラル海は巨大 (水温が上がりにくいから蒸発量も少ない?)、形成年代は1~2万年前 (あるいは200万年前とも)、自然の水循環サイクルの中で流入量と蒸発量がうまくバランスしていた (1960年までは)、なんてことを今のところ考え中。

久しぶりに死海のことを考えたら、また死海に行きたくなりました。いや、ていうかまずアラル海を見なくては。せっかくウズベキスタンにいるんだから。(下の写真はヨルダン時代に訪れた死海リゾート⇒コチラ)