A Dog's World 

~海外で暮らす・日々の記録・旅の記憶~   

雨が降ったら傘をさす?

タシケントは久しぶりの雨らしい雨。天気予報でも午前中いっぱい雨マークなんて、よく考えたら初めて見たかもしれません。

朝、自宅から地下鉄の駅まで、駅を降りてから会社まで、もちろん傘をさして歩きました。ざあざあ降りではないものの、日本ならみんな傘をさすレベルの雨でした。

ところが周りを見てみると、傘をさして歩く人は半数以下 (せいぜい2~3割)。冬のためフード付きの服を着ている人が多く、みんなフードはかぶっていましたが。

午前中、どうせそのうち止むだろうと思っていましたが、雨はずっと降り続き、お昼の時間になるとますます本降りに。

敷地を行き交う人達は、あいかわらず傘をさす人が半分もいません。それにしてもこんなに雨が降り続くなんて、ウズベキスタンに来て初めてのことです。

前日から今日は雨と予報が出ていたのに、みんな傘を持っていないのかな、なんてことをぼんやり考えましたが、そういえば今までの国もそうだったなと、ふと思い出しました。

中東
中東にいた時は、どの国も滅多に雨が降らなかったので、そもそも傘を持っていない人が多かったと思います。

むしろ、ごくたまに降る雨をあえて身体に受けて、「雨に濡れる」という貴重な体験を楽しんでいたようにも見えました。

雨の日はみんなテンションが高かったですし、「今日はいい天気ですね」とそんな言い回しもしていました。

サウジアラビアなどはあまりに雨が降らないため道路に排水溝がなく、数年ぶりの大雨なんかに降られると、道路は低い所に一気に水が流れ込みました。

水浸しの交差点に突っ込んでいき、そこで立ち往生している車を何台も見ました。たぶん経験がないから、想像もつかなかったのでしょう (写真:リヤド)。

アフリカ
エチオピアには、明確な雨期があります。8月はほとんど毎日、バケツを引っくり返したような雨が降りました。

雨の振り始めは傘をさしても意味がないほど強く降るのですが、しばらく待てば雨脚が弱くなってくるため、いつも30~40分待ってから外出していました。

日本人はそこから傘をさして出歩くのですが、エチオピア人のとくに男性は、誰一人として傘なんてさしていなかったように記憶しています。

おしゃれなエチオピア人女性はストレートパーマをかける人も多く、彼女たちにとって雨は天敵。せっかくかけたパーマが台無しになってしまうからです。

ではどうするか。傘があれば良し、なければ代わりにスーパーの買い物袋 (ナイロン袋) を頭に被る姿を、まあまあよく見かけました。(写真:アジスアベバ)

大洋州
大洋州のトンガでは、雨は生活の一部でした。中東・アフリカにくらべたら、ほどよく降ってくれます。ただ、やはりみんな傘は使っていませんでした。

「雨なんてへっちゃら」という顔をして、普段と変わりなく通勤・通学していたように思います。

雨に打たれるとシャワー代わりにもなるのか、とくに子供たちはむしろ積極的に濡れに行っていたような印象も。ただしストパーの女性は、やはり厳重にガードしていたかな。

フィジーは首都スバにいましたが、世界的観光地のナンディ (本島の西側) が「年間300日晴れ」と言われるのに対し、東側のスバは「年間300日雨」とも言われていました。

スバはトンガにくらべたら傘をさす人が多かったように思いますが、本当にもう毎日毎日シトシトと陰気臭い雨が降るので、そうなると自分も含め、多少の雨はみんな気にせず、傘をささずに出歩いていました。

大洋州のいいところのひとつは、虹がよく見られたこと。「雨が降らなければ、虹は出ない (苦難がなければ、成功はない)」ということわざも。(写真:トンガ)

東南アジア
インドネシアもタイも雨期があり、その期間は毎日のように雨が降っていました。道路の排水が機能不全で、大雨の後はお決まりのように道路が冠水し、そして大渋滞に。

自分は常時傘を持って出かけていましたが、現地の人で傘は少数派。移動は小型バイク/バイクタクシーが多いので、レインコートの着用率が高かったと思います。

バンコクは、主要なBTS (高架鉄道) やMRT (地下鉄) の駅に直結で、大きなショッピングモールがあります。

また、町のあらゆる場所にカフェなり何なりあったので、雨が降ったら止むまで雨宿り、というパターンが普通だったと思います。

それによって約束の時間に遅れる、というようなことは、タイ人はあまり気にしていなかったような。待たせた相手も、雨だから仕方ないという感じで。

自分も、強めの雨だったら雨宿り派でした。フットマッサージを受けたり (1時間200~300バーツ)、映画館で映画を見たり (200バーツ前後)。ああ懐かしい。(写真:バンコク)

「雨が降ったら傘をさす」、日本では当たり前のことですが、世界の中では実は少数派なのかもしれません。