15世紀まで、インド洋の交易はほぼイスラム商人が掌握していました。そこに楔を打ち込んだのがポルトガルです。15世紀末、1488年にバーソロミュー・ディアスが喜望峰を発見すると、1498年にはヴァスコ・ダ・ガマがインドに到達しました。ヨーロッパ列強による大航海時代の幕開けです。
こうして16世紀以降、タイ (シャム王国) にも多くのポルトガル商人、船乗り、冒険家、技師などが訪れるようになり、そのまま移り住む者も増えました。彼らはタイの女性と結婚し、生まれた子供はポルトガル人とみなされポルトガルの法律が適用されたそうです。
後年になって彼ら子孫もタイ人 (シャム人) として扱われるようになりましたが、ミャンマーとの戦争に参加するなど (傭兵、医師、技師、測量士など)、当時は国王からも一目置かれる存在になっていました。
1767年、ミャンマーとの戦いに破れたタクシン王は、アユタヤからチャオプラヤー川西岸トンブリーに居を移し、ここを首都に定めました。翌年、戦いに参加したポルトガル系や中国系の人々に定住のため与えた土地が、クディーチーン地区 (Kudichin、またはKudeejeen/クディージーン) です。
現在もポルトガルや中国の血を引く末裔が多く住んでおり、教会、神社、そしてタイのお寺がほぼ隣り合わせで存在するなど、独特な雰囲気を醸し出すエリアです (すぐ近くにはモスクも ⇒トンソンモスク)。ポルトガル文化の影響を受けた、少し毛色の変わった料理・お菓子も魅力的。
■サンタクルス教会
■クディーチーンミュージアム
■ミュージアム屋上からの展望
・東にサンタクルス教会とワット・プラユーン
・西に宮安健神社とワット・カンラヤナミット
■バーンサクントーン (Sakulthong's House) ※レストラン
■タヌーシンベーカリー
■コミュニティーハウス
■宮安健神社 (Kuan An Keng Shrine)
■ワット・カンラヤナミット
■ミュージアムで購入したもの
ニワトリがかわいい布バッグと缶バッジ。"ガロ (Galo)" はポルトガル語で雄鶏、様々な工芸品にデザインされる、国民的ラッキーアイテムなんだそうです。
今回はMRTイサラパープ駅から歩きました。コミュニティーの内部はくねくねした細い路地で道を間違えやすく、自分は先に神社を目指したのでちょっと迷ってしまいました。まずはワット・カンラヤナミットを通ってチャオプラヤー川まで抜け、川沿いの遊歩道でサンタクルス教会に行くのがわかりやすいと思います (駅から約1.5km)。