タイにて思うエチオピア
アジスアベバは2400mの高地で空気が薄く、長期滞在者は時々健康管理のため、空気が濃い低地に下りるよう指導を受けています。よくみんなが行くのはカイロやドバイですが、バンコクにもエチオピア航空 (ET) の直行便があり、日本食の買い出しができるので長期滞在者には人気の旅行先です。ということで、エチオピア赴任中の2006年お正月、アジスからバンコクに旅行に行きました。
それまで何度も乗ったETでしたが、なんとこの時の飛行機は、行きも帰りも5分のくるいもなく、初めてオンタイムで運航されました。前年11月、ザンビアに出張に行った際、アジスからルサカに直行のはずが、「先にジンバブエに降りま~す」というアナウンスとともに本当にジンバブエに降り、結局3時間遅れでザンビアに着いた、なんてことも遠い記憶です。そういえば、アクスムに行ったときは飛行機が飛ばず、1日延泊なんてこともありました。
それはさておき、ETのタイムテーブルを見ると、アジスアベバは見事にアフリカのハブ空港になっていることがわかります。バンコクに行く飛行機も、ナイジェリアやその他の国からのトランジット客が大半を占めています。それ故、飛行機に乗り込むため階段を下りていく時は、手荷物を山ほど抱え、我先にとあわてふためくアフリカ人たちによって混乱を極めます。ドミノ倒しになりそうで本当に危険なのですが、混乱を避けて後からのんびり乗り込んだりすると、自分のシートの上の荷物スペースは当然他の客の荷物で埋まっていますし、他人が自分のシートに座っていることもよくあります。
それと、アフリカの人たちは (というかナイジェリア人のことですが)、ヘッドホンを最大音量で聴く人が多いのはなぜでしょうか。ヘッドホンから漏れてくる音楽で、飛行機の中がいつもかなり騒がしいことになっています。そういう天真爛漫なお客を、もう少しスチュワーデスが毅然とした態度でさばいてほしいのですが、ETのスタッフもいい加減イヤになっているようで、わりとみんな自由に過ごさせています。モコモコとふくれ上がったアフロヘアーに、大きめのクシをかんざしのように差している姿なんてマンガでしか見たことありませんでしたが、けっこうやっている人がいました。
この時のフライトで驚いたのは、アジスを出た飛行機がバンコクまで直行で行って、その先、中国の広東省広州までルートを延ばしていたことです。近年の中国によるエチオピア進出 (アフリカ進出) にはすさまじいものを感じていましたが、ついにはフライトもダイレクト便ができていました。バンコクで降りた客は半分ほどでしたから、残りの客はみんな中国にビジネスに出かける人たちだったのでしょう。
午前1時半に定刻通り出発した飛行機は、午後1時半、これまた定刻にバンコクに降り立ちました。アジスとは4時間の時差があるので、トータル8時間のフライトです。アフリカからタイに来た旅行者は、サインボードに従って所定の入国カウンターに行き、イエローカード (黄熱予防接種証明書) を提示し検疫を受けなければなりません。エチオピア入国時にはイエローカードは不要ですが、他の国に行くことを考えると、結局イエローカードは必須となるため、自分はエチオピア赴任前に日本で予防接種しました。
初めてタイに旅行したのは、1988年のことです。この時はカタールに赴任していたのですが、同じ地球上でもずいぶん違う世界があるんだなぁと、ずいぶんため息が出た記憶があります。その後も中東での仕事が続き、何度か一時帰国の際などにタイに旅行しましたが、数年おきに旅行するバンコクは、行くたびにどんどん発展していると感じます。特にこの時度肝を抜かれたのは、Siam Centerの横に新たにオープンした Siam Paragonです。
BTS Siam駅の通路からこのショッピングセンターに入ると、噴水や高級スポーツカーのディスプレイにまず驚かされます。地上階には他のショッピングセンターと同じくフードコートがありますが、面積がかなり広く、また他店に比べると全体的におしゃれな感じで、若者から家族連れまでいろいろな人たちでどこも混み合っていました。そして地下には、なんと水族館が。入場料がタイの物価に比べたら高目の設定で、また時期が時期だけに入場者の多くは外国人旅行者でしたが、まちがいなくバンコクの観光新名所になると思いました。
この時の旅行では、とにかくBTS (高架鉄道) やMRT (地下鉄) が便利で、昔感じたバンコクの交通渋滞の不便さを一切感じませんでした。前に来たときはよくトゥクトゥク (三輪タクシー) を使っていたのですが、電車は渋滞知らずの上、車内は冷房がよく効いています。さらにSiam CenterやEmporiumなど、主要なショッピングセンターにはいちいち地上に降りなくても高架駅の通路から入れます。トゥクトゥクは情緒があって結構好きなので今回もあえて1回乗りましたが、電車の快適さと比べると天と地ほどの差がありました。トゥクトゥク運転手も商売あがったりでしょう。このバンコクの風物詩も、いずれ消えていくんでしょうか。
バンコクである意味一番悲しかったのは、食べ物が美味しすぎることでした。エチオピア料理もかなり美味しいとは思いますが、それも「アフリカの中では」という枕詞付きです。この旅行でもトムヤムクン、グリーンカレー、カニカレー、エビチャーハン、フカヒレスープなどなど、毎日食べたいものをお腹いっぱい食べました。そのどれもがあまりに美味しくて、エチオピアに帰ったあとのことを想像しては悲しくなったものです。ただ、どこで何を食べても全部美味しいということでもなく、やはりガイドブックに従って人気の店を選んでいく必要はありました。
それにしても、バンコクの外食産業の隆盛ぶりは目を見張るものがあります。屋台、レストラン、フードコートなど、食事ができる場所はそれこそごまんとあります。しかも、エチオピアに比べても、ずっと安くて美味しいものが食べられます。1988年の旅行から、バンコクに行くたびに食べているのが、MBK (マーブンクロンセンター) のフードコートにある、豚足の煮込みをかけたご飯 (カオカームー) です。この時は1皿40バーツ (120円) と少し値上がりしていましたが、あいかわらずのとろけるおいしさでした。1食100円の食事も、あるいは1食5000円の食事でも、それに見合った満足感が得られるのがタイの魅力でしょうか。
年々、目に見えて変わっていくバンコクの街ですが、この時は特にその発展ぶりに圧倒されました。ただ、実際のところ「本当にこのペースでずっとやっていけるの?」という不安を覚えたのも事実です。新しいショッピングセンターはどこも人で満杯でしたが、買い物袋を抱えた人は実はあまり目にしませんでした。ショッピングセンター自体がきれいすぎて、維持費もだいぶかかりそうです。もちろん、そのあたりは十分計算しているのでしょうが、他人事ながら心配になってしまいました。
しかし、タイとエチオピアのこの埋めがたい差はどこにあるのでしょう (あるいはアフリカとアジアの差と言っても良いでしょう)。もともと国内に流通しているお金の総量が違うのがまずひとつ。やはりお金は天下の回り物ですから、回っていくお金の総量がそもそも少ないエチオピアでは、その点から不利です。また、タイではお金を使う場所がいくらでもあります。食事、買い物、観光、エステ、観劇、スポーツ観戦、宝くじ、等々。地元人でも外国人でも、お金がいくらあっても足りないくらいです。
エチオピアの場合、お金がないのが先かもしれませんが、お金を使いたくてもあまりそういう場所がありません。外食はいまいち、遊園地もなく、ショッピングセンターもありません (ないことはないですがたいしたものを売っていません)。観光名所として地方に世界遺産がありますが、アクセスが悪い上に現地のホテルもいまいちで、こんなに観光しづらい国はそうそうないと思います。他にアジスアベバで一応産業と呼べそうなものはせいぜい飲み屋ですが、どこもたいして賑わっていません。そもそもウイスキー水割り1杯が7ブル (90円) 程度と格安なので (エチオピア人には贅沢価格ですが)、どんなに繁盛していてもそんなに儲けにはならないそうです。
まぁ、総じてエチオピア人は真面目だということでしょうか。しかし国が発展していくためには、(極めて資本主義的な考え方ですが) 国民がどんどんお金を使ってくれなくてはどうしようもありません。例えば国営で、総合娯楽センターのようなものを造るというのはどうでしょう。税金も期待できるし、少なくともエチオピアにいる外国人は、お金を使いたがっていると断言できます。もちろん、毎年100万人が飢餓にあえいでいるという現実を考えれば、それも不謹慎な話なんですが。うーん、難しいですね。でもタイだって貧しい時代はあったわけですから、何がここまでの差を生んだのでしょうか。きっと研究に値するテーマですね。
タイの屋台でパクチーどっさり
初めてタイに旅行したのは1980年代、泊まったのはフアラムポーン駅にほど近い、ナントカ旅社 (中華系の安ホテル、ゲストハウス/名前は忘れました)。1泊80バーツ (当時で400円くらい) という格安の値段でしたが、部屋は相当広くてベッドも清潔、シャワーとトイレも水はジャンジャン出るし、イスタンブールで泊まったブルーモスク前の1泊700円のドミトリーよりよほど快適でした (イスタンブールは共同トイレが最悪・・・)。ただし、部屋のドアの鍵として大きい南京錠を渡された時は、ちょっとだけびびりました。
ホテルに食堂がなかったので、朝食は毎日周辺の屋台に行きました。ホテルを出ると、目の前にズラリと屋台が並んでいます。どれを見ても美味しそうでしたが、朝からコッテリ系はつらいので、やはりまずはヌードルから。麺も中華麺ではなくライスヌードルにしました。細麺から幅広麺まで何種類かあったので、とりあえずきしめんくらいのものを選択。あとはどんな具を入れるか指差しで伝えて、通りに広げられた共同のテーブルに座って待ちます。ほどなく、温かいタイ風ラーメンの丼が運ばれてきました。
麺の上には、シャキシャキのもやしと揚げニンニクがトッピングされています。具として選んだフィッシュボールも美味しそう。そこまでは良かったのですが、何やら緑色の葉っぱがモサッと乗せられているのが目を引きました。最初は「バクドゥーニス (葉っぱが平たいイタリアンパセリのアラビア語)」かなと思いましたが、しかしその鮮やかな緑色から、得も言われぬ香気が漂ってきます。思わず顔を近づけると、「!?」。
く・・・、なんだこの匂い、いや、臭い・・・。ちょっと考えて、「あ、そうか、これが噂のパクチーか」とようやくそこで葉っぱの正体を理解しました。「三つ葉みたいなもんだよ」とは聞いていましたが、香りのレベルがまったく違います。鼻腔をマッハで通り抜けて脳髄を直撃する刺激臭は、きっと薄めればいい匂いだけれど、直はさすがに強すぎて不快度マックス。思わずクラクラと眩暈がしました。
「パクチーがなくても美味しいのに。いや、なかったらもっと美味しいのに・・・」と心の中でつぶやきつつ、屋台のおばさんを恨めしそうに見やりましたが、向こうは「美味しいでしょ?」という自慢顔で微笑んでいました。確かにスープも麺も美味しいし、フィッシュボールもいい。しかしねぇ、パクチーはちょっと・・・。何しろこの時、生まれて初めてパクチーに出会ったわけですから、ちょっと刺激が強すぎました。
パクチーの香りに泣きそうになりながらも、それでもラーメン自体は美味しかったので、パクチーをよけつつスープまで飲み干しました。当然、パクチーは食べられませんでしたが、露骨に地面に捨てるのも悪いかなと思い、丼の底にそっと残しておきました。周りを見渡すと、みんなパクチーをムシャムシャ食べています。それを見てまたゲンナリ。この時点では、自分の意識として、パクチーを食べ物の範疇には入れていませんでした。どちらかというと、トイレの芳香剤の仲間という感じ。
それから1週間、朝はずっとこの屋台に通いました、というかつかまりました。明らかにタイ人ではないのですぐに顔を覚えられ、「たまには違う屋台に」と思っても、おばさんが満面の笑みで、「今日もラーメンでしょ?」とばかりに丼とお玉を握りしめて目で訴えかけてくるため、素通りできるような雰囲気ではなかったからです。美味しいラーメンなので、別にそれを食べるのはやぶさかではないのですが、やはりパクチーが・・・。違う屋台のご飯ものなら、まだパクチーエキスが広がらないと思ったんですけどね。
4日目になって、今度は屋台のおばさんに「パクチー、ノーノー」と繰り返し言ってみました。おばさんは最初キョトンとしていましたが、こちらも身振りを大きくして、パクチーを指さし「パクチーを」、指を口に持ってきて「食べるのは」、手をプルプル振って「ムリムリ」、と、言った、つもり・・・。
ドキドキしながら丼を待っていましたが、果たして、テーブルに届いた丼には、いつもの3倍くらいのパクチーが盛られていたのでした。パクチーを指さし何やらわめいている自分を見て、よほどのパクチー好きと勘違いしたのでしょうか。ガックシ。もちろん、翌日から3日間、パクチーどっさりのスペシャルサービスが続いたことは言うまでもありません。
まぁ、それから、橋の下をたくさんの水が流れ (←開高健風)、ついに2008年の香港で、ようやくパクチーの美味しさを認めることができたわけです。時間かかったなぁ。
タイの豚足ご飯
学生時代、JR阿佐ヶ谷駅のすぐ横に、台湾料理屋がありました。中国語科の友達に誘われてお店に行くと、中華料理に漢方薬の匂いを足したような、なんともいえない本場っぽい香りが充満していました。注文は友達にお任せしたのですが、台湾風ラーメンやチマキなど、これまで食べたことがない味で実に美味しい。
日本風の中華料理屋 (ヘンな言い方ですが) とはまったく味の方向性が違っていました。独特の香辛料やザーサイの風味が効いていて、調味料もすべて中国産を使用しているとのこと (店のご主人がちょっとカタコトの日本語で自慢していました)、チャーハンひとつとっても、海の向こうの異国の風味に富んでいました。
そこで生まれて初めて食べたのが、豚足です。軽くしょう油で煮込まれた、プヨプヨしたゼラチン質の皮がおいしいのはもちろんですが、初めて味わうその食感がとても心地よく、また足にかぶりついている自分の姿を客観的に見ると、なんだか滑稽で、すごく楽しくなってしまいました。
豚足をかじりながら「クククッ」と笑う自分を見て、店のご主人は「ヘンな客が来ちゃったなぁ」と思ったかもしれません。その後、横浜も含めて何軒か大きな中華料理屋に行って豚足を食べましたが、どの店も味付けしないで蒸しただけの豚足に甘い酢味噌をつけて食べるスタイルでした。正直、こちらはまったく好きになれませんでした。
それから何年もたって、ついに旅行で訪れたバンコク。ワット・トライミットで黄金の仏像を見た後、ヤワラー (中華街) をブラブラ歩いていると、小汚い食堂が軒を連ねる通りにぶつかりました。横道をのぞくと生鮮市場があって、中はずいぶん活気があふれています。表通りにも人力車を手にした人がたくさんいたので、ここのお店は買い物客から人夫まで、毎日地元の人たちのお腹を満たしているのだろうと想像できました。
「よそ者お断り」的な雰囲気がなきにしもあらずで、さすがにタイ語ができないと料理を注文するのは厳しいかなとも思いましたが、あるお店の軒先で、よれよれのランニングシャツに短パン姿のおじさんが食べていたものがあまりに美味しそうだったので、思わずお店に引き寄せられると、おじさんの料理を指さし「あれをくれ」とジェスチャーしました。
店内の床に散乱する野菜くずを足でかき分け、何匹もハエがとまるテーブルに座るやいなや、それはすぐにやって来ました。甘辛く煮込んだ豚足を乗せたご飯「カオカームー」です (料理の名前は後で知りました)。トロトロのグズグズになった豚足は、けっこう肉もたくさんついていて食べ応え十分。甘辛いタレと豚の脂がご飯にネットリからみつき、コッテリした美味しさがたちまち口いっぱいに広がりました。
自分、ネットリ&コッテリは大好物。また、鼻から抜ける香りも豚一色。本当に美味しいんだブー 。これが豚の角煮になると、半分は肉であってほしいし、箸でつかんで脂だけだったりすると「ゲゲッ」と思ったりしますが、カオカームーの場合、全部脂でも良いなぁ。
ただし、やはりここにもいました。緑の魔物パクチーが。ご飯の上に威風堂々と鎮座する豚足の上に、したり顔で居座っています。そして、あの独特の香気 (臭気) を放っているのです。これはたまらんと、思わず全てのパクチーを (わずか1mmの欠片まで)、丁寧にお皿の端っこに追いやって、ふたたび豚足をパクリ。むーー、美味しい。
しかし、このわずか数分の間に、すでにパクチーの香りがご飯や豚足に移っていました。どれだけ強力な香り成分なんでしょう。その後もタイに旅行する度カオカームーを食べましたが、特にMBK (マーブンクロンセンター) のフードコートは多用しました。ここでカオカームーとエビワンタンメンを食べるのが、いつも本当に楽しみでした。
サウジアラビアにいると、時々無性に豚足が食べたくなります。決して叶わぬことだとは知りつつも。
タイのフカヒレにメロメロ
フカヒレといえば高級中華料理の代名詞です。高級ということは、それだけ貴重なんでしょう。フカヒレスープといっても実際に入っている量はごくわずか。へたをすると、フカヒレが何本入っているか数えられそうな寂しい器もあります。しかもそんなのに限って春雨が入っていたりして、周りのテーブルからは、「あいつフカヒレスープ食べてるぞ、しかもあんなに入ってやがる」などと恨めしそうな視線を浴びせかけられ、一方こちらは、「違う違う、フカヒレそんなに入ってない、これほとんど春雨だから」などと心の中で悲鳴を上げつつ、お店の共犯者になったような罪悪感を感じたりするわけです。
本当は声を大にして叫びたいのです。「ほとんどフカヒレ入ってないぞ」と。まあ結局は、せっかく思い切って頼んだ高い料理が、よもや期待はずれなどとは決して認めたくないという心理が働き、「やっぱり高いやつは1本1本が太いね、高級フカヒレだ」なんてわざとらしくつぶやきつつ、さも満足した風にウェイターに目線を送ったりなんかするわけですが。かのシャア少佐が自らに発した反省の弁、「認めたくないものだな、自分自身の若さゆえの過ちというものを」なんて台詞を我が身に重ねて感じるのはこういう時ですね。あ、これ、初めて香港に行った時の話です。「フカヒレ=高い=メチャメチャ美味しい」と思っていた若かりし頃のこと。
よく考えると、フカヒレそのものに味があるわけではありません。「このフカヒレ旨い!」なんて言っている人は、フカヒレの味ではなく、周りのスープやタレを味わっているだけです。だから、「フカヒレ=美味しい」ということはないはず。そもそもフカヒレスープでは、フカヒレそのものを味わえるだけの量なんて入っていないのが普通です。「だったらフカヒレ100%、フカヒレの姿煮だ!」なんて勢いよくメニューをにらみつけても、そこに書かれた値段を見た瞬間、目の焦点がぼやけ、手足はブルブルふるえ、気が動転した末にはたと天を仰ぐ、なんてことになりかねません。ま、自分がそうでしたから、香港で。
そんな敷居の高いフカヒレですが、バンコクではとてもリーズナブルに食すことができます。2度目のタイ旅行 (1990年代初頭) で、ヤワラー (中華街) のどこかを歩いていた時のことです。急に、フカヒレの看板を掲げるお店がズラリと並ぶ通りに出くわしました。あわてて1軒をのぞいてみると、地元の人がのんびりとフカヒレスープを食べているではないですか。店内にはりっぱな乾燥フカヒレがいくつも飾ってありました。吸い込まれるようにテーブルにつき、もらったメニューを見てみると、日本円に換算して1000円、1500円、2000円という、にわかに信じがたい、価格破壊もはなはだしいフカヒレの姿煮が、写真付きで掲載されていました。
「こ、これは!」。あまりの安さに衝撃を受け、一旦は血が騒いで身体中が熱くなったのですが、すぐに「まさか、この値段でそんなにちゃんとしたものは出てこないよな」と我に返ったため、とりあえず1500円のものを注文しました (日本人は真ん中が好きですから)。しかし、土鍋の中でスープ (とろみがついたタレ) とともにグツグツ煮立ちながら運ばれてきたそれは、やや小ぶりではあるけれどまさにフカヒレの姿煮。けっこう重量感もあって、初めてフカヒレをほおばるという体験ができました。味は、オイスターソースベースのタレがちょっとシンプルすぎて、さすがに「旨い!」と言い切る自信はないというか、むしろ「普通?」みたいな。値段が値段なだけに、余裕しゃくしゃくのコメントです。味云々は別にして、この時はフカヒレの姿煮を食べたという事実が素直に嬉しかったです。
一度こういうものを食べたおかげで、次からはわりと冷静にフカヒレと対峙できるようになりました。値段が高いから美味しいわけではないことも、こうやって段々と学習していきました。そして2006年のバンコク。たまたま手にした「歩くバンコク」というガイドブックで絶賛されていた、「キアック・シャークフィン」というレストランに行きました。結論から言うと、そこで食べた3200円のフカヒレの姿煮は、まさに絶品!。あんなにコクのあるスープ (タレ) はこれまで味わったことがありませんでした。
フカヒレも1本1本が太いし食べ応え十分。まさに「フカヒレを食べたぞ」と思わしめる、美味しさとボリュームを合わせ持つ逸品でした。満足、満足。こうなると、もう香港では、ましてや日本でなんてフカヒレを食べる気にはなりません。フカヒレはバンコクに行った時の楽しみにとっておこうと、気持ちに余裕ができましたから。
ちなみにこのお店、フカヒレ以外のメニューもかなり美味しかったです。魚の浮き袋の炒め物なんて珍しいものも食べられます (タイでは珍しくないの?)。アワビご飯にもやられました。あまりに良い匂いがしたものですから、料理の写真を撮ることもすっかり忘れてしまいました。高級ぶっていない店内の様子も好印象でした。というかほとんど普通の食堂です。その感じにますますやられました。まさに町の名店。繁盛して、店を拡張して、支店まで作って、結局味が落ちる、なんてことにならないよう祈るばかりです。
魔王ドリアン
初めてドリアンを食べたのは、東京での学生時代。インドネシア語科の友人と連れだって、"高級"インドネシアレストランに行った時のことです。そのお店では、同じくインドネシア語科の友人がアルバイトをしていました。インドネシアにも旅行したことのある友人たちは、さすがの的確さで「これとこれとこれだったら、そんなに高くないし初めての人にも食べやすいよ」と言って、パパッとメニューを選んでくれました。
運ばれてきた料理は、なるほどどれも食べやすく、たちまちお皿は空っぽになっていきました。一通り料理を楽しんだ後、「さて」といった感じで、1人がちょっと姿勢を正しながら、「あれ、いっとく?」と意味深な発言をし、バイトの友人を呼んで、「ドリアンひとつ」と伝えました。
一応その名前だけは知っていたので、「おー、ついにドリアンを食べるのか」とワクワクしながらその登場を待ちました。数分後、白いお皿にデロンと乗せられた、クリーム色の物体がテーブルに届きました。薄暗い店内だったので、顔を近づけてもっとよく見ようととした瞬間、いきなりムッとする臭気に鼻がツーンとして、思わず顔をそむけてしまいました。
そして目をシバシバさせて、「何これ!?」と友人たちに聞いてみると、なんだかみんなニヤニヤと好奇な目をこちらに向けています。「ま、食べてみてよ」とみんなは言うのですが、このタマネギが腐ったような、ドブ川のような、干からびた犬のフンのような、およそ果物とは思えない異様な臭いは一体何なんでしょう。
「本当に美味しいんだから」と言いながら、友人はスプーンでそれをひとすくいしてパクリと口に運び、「く~、おいしい!」とうなるようにその味を絶賛するのですが、それを聞いてもまだこちらは及び腰です。しかし、他の料理に比べたら、断トツに高いドリアン。貧乏学生の食事会ですから、なんとしても割り勘負けは避けたいところです。
おそるおそるスプーンの先にちょっとだけつけて、目をつぶって思い切りパクッと口に入れると、「お!」と小さく声が出るくらい、驚きの甘さが感じられました。例えて言うならカスタードクリームのようなクリーミーさと甘さ。「えぇっ!?」とのけぞっていると、周りはもう大笑いです。そしてみんな「でしょ?」と言うものですから、こちらもあわてて「うん!」と答えずにはおれなかったわけです。
ドリアンの味だけとったら、まちがいなく果物の王様でしょう。あの甘さは唯一無二。天然のものとはにわかに信じがたいほど、濃厚な甘味を持っています。ただ、あまりにも臭いが衝撃的なことから、人呼んで果物の魔王。こちらの方が呼び方としてはふさわしいと思います。見た目もトゲトゲで暴力的な感じがするし、ドリアンを凶器に使った「ドリアン殺人事件」なんて、あながちないとも言い切れないでしょう。
くさやとかナンプラ (魚醤) の臭いも相当きついですが、それは臭いが極端に濃いだけであっ、何万倍かに希釈していけば、やがて食欲をそそる良い香りに変わります。これとは違ってドリアンは、なんだか決定的に食べ物方面の香りとは異なっているように思われました。薄めても薄めても、やっぱり「オエ~」となることは間違いありません。ドリアンを最初に食べた人は、果たして正気の持ち主だったんでしょうか。あるいはよほどお腹が減っていたのか。
時は流れ、タイにも旅行するようになり、露店でドリアンの山を見る度に「いいなぁ、食べたいなぁ」と指をくわえた子供のように立ち止まっている自分がいます。相変わらずその臭いには辟易としていましたが、学生時代の舌の記憶が鮮やかによみがえって、どうしても食べたくて仕方ありませんでした。
ただ、ドリアンはホテルにも持ち帰れませんし、タクシーやバスへの持ち込みも大迷惑です (というか普通禁止です)。買ったが最後、その場で食べてしまうか、歩きながら頬張るしかありません。こうして、初めてのタイ旅行では、ついにドリアンを食べることはありませんでした。しかし、2度目の旅行で「今回はやけにたくさんドリアンを売っているなぁ」と思いつつ市場を歩いていたら、ある露店でドリアンがパカッと割られ、1房 (1サク) ずつ売られているのを発見しました (通常、1個のドリアンには5房の実が入っています)。
「ラッキー!」と小躍りしながら露店に近づき、さっそくひとつ購入すると、まずは臭いの確認。鼻を近づけると案の定、「そう、この臭い!」と思わず眩暈がするくらい臭います。ちょっとむせながら、ビニール袋を少しずつめくり、おそるおそるパクリとひと口。甘い。相変わらず甘い。やっぱり美味しい! あっという間に1房食べきると、もうひとつ買おうかどうかけっこう悩んだのですが、考えている間に出たゲップの臭いに我ながら気分が悪くなったため、結局断念しました。ドリアンの臭いって、すべてのやる気をなくす臭いですね。世をはかなむというか、自暴自棄になるような。こんなひどい臭いなのに、味はものすごく甘いってどういうことでしょう。本当に摩訶不思議な果物です。
実はこれ以降、タイで生のドリアンは食べていません。あの甘さは認めますが、やはり臭いがちょっと・・・。なので、その後の旅行ではもっぱら「さくさくドリアン」を買って食べています。これはドリアンの実をフリーズドライしたもので、臭いも正真正銘ドリアンです。メイド・イン・タイランドですが、缶のパッケージになぜか日本語で「さくさくドリアン」と書かれています。その実を口に入れると、まずフワッとドリアンの臭いが広がりますが、だいぶ薄まっているのでなんとか耐えられます。名前の通りサクサクの食感ですが、噛むとあっという間に口の中でトロトロになって、ドリアンの甘味を楽しむことができます。これはお土産にも最適です。好きな人にはたまらないでしょうし、場合によっては罰ゲーム的な使い方も・・・。
リヤドのスーパーマーケットにも、時々ドリアンが売られていることがありました。ある日、いつも行っているタミーミースーパーに入った瞬間、懐かしくも強烈な異臭に襲われ、たちまちドリアンがあることがわかりました。果物コーナーに直行すると、案の定10個ほどドリアンが並べられていて、それが何者なのか知らないサウジ人の眉をひそめさせていました。
かなり迷いましたが、結局ひとつ買って帰り、その臭いに「オエ~」を連発しながら、なんとか実を取り出しました。しかし、正直なところあまり美味しくなかったです。高かったんですけどね。輸出品として、当然完熟するはるか前に収穫して流通に乗せるわけですから、よく考えたら美味しいわけがありません。大失敗でした。
この時は、念のためと思って買ったもうひとつのタイの思い出、「果物の女王」であるマンゴスチンを食べて、なんとか気持ちを落ち着かせることができました。マンゴスチンは果物の中で一番好きです。あの華やかな酸味と甘味のバランスが絶妙。半分凍らせてシャクシャクにして食べると、夏の風呂上がりなんかには最高です。
タイ料理の色彩
今でこそタイ料理は大好きですが、初めてのタイ旅行でパタヤにいった時、海岸通りのレストランで食べたカレーには、驚きを通り越して静かな怒りをおぼえたものです。バンコクでは知らず知らずのうちに中華風のものばかり食べていたため、タイ料理って美味しいなぁと毎日ご機嫌でした (パクチーをのぞいて)。
汁そば、焼きそば、チャーハン、豚足ご飯、串焼きなどなど、何を食べても美味しくて、このままだと幸せすぎてバチが当たるかも、などと考えたりもしました。学生時代の一人暮らしで、カレー、ラーメン、吉野屋と、野菜も食べずに好きなものばかり食べていた時のちょっとした罪悪感にも似ています。
バンコクからバスに乗り、パタヤに着いたのは昼前の時間でした。適当に安宿を決めてから海岸通りに出かけると、立ち並ぶレストランのうちひときわ大きなタイレストランに入りました。それまでほとんど屋台かフードコートで食事を済ませていたので、メニューを見た時はバンコクよりもかなり高めの値段設定にややあせりましたが、中でもあまり高くないタイ風カレーを選択しました。
旅行に来て、初めて食べるカレーです。というより、その時はタイ料理にカレーがあるということを知りませんでした。「タイ風のカレーを食べるぞ」と意気込んでいたわけではなく、単にインドカレーみたいなものを想像していただけです。
オープンテラスに座って海を眺めていると、すぐに料理が運ばれてきました。しかし、大きな器の中にはオレンジ色のトロトロの液体が入っています。「カレー、・・・なの?」と首をひねって、ウエイターの方をチラリと見たのですが、別に間違ってここに運ばれてきたわけではなさそうです。カレーが黄色オンリーではないことはわかりますが、想像とはかなり違ったものが出てきたので、少し取り乱してしまいました。
水を1杯飲んでから、気を取り直してスプーンでひと口すくって味見をしてみると、辛い、そして甘い。それもそのはず、ココナッツミルクが山ほど入っています。しかしベースは真っ赤なカレーだけあって、メチャメチャ辛い。そこにココナッツミルクの甘さが入るので、色はオレンジに、辛さもマイルドに・・・、なってなーい! これではただ激辛で激甘なだけです。
お腹は減っているのにまったく食が進まず、10分ほどカレーとにらめっこをしていたのですが、結局ほとんど残してしまいました。この時のショックと言ったらありませんでした。「この値段だったらバンコクの屋台でラーメンが5杯食えるのに」などとせこいことも考えましたが、日本も含めて外食で頼んだ料理をほとんど残すなんて生まれて初めての経験だったため、我ながらなんともいえない敗北感というか、やり場のない憤りをおぼえたわけです。ココナッツミルクはその後ほどなくして大好きになったのですが、この時の自分にとってはあまりにも違和感のある味で、どうしてもスプーンを口に運ぶことができませんでした。
お金を払う時、ウエイターがテーブルの上のほとんど手をつけられていない料理を見て、心配そうな顔つきでこちらを見たのですが、それを無視して無言でレストランを出てしまいました。その時の自分はどんな顔をしていたんでしょう。「こんなもの食えるか!」と勝手に一人で怒って憮然としていたのなら、今考えるとすごく恥ずかしいです。もし当時にタイムスリップできるなら、「これはまずいんじゃなくて自分の口に合わないだけ」と自分自身に注意してあげるのですが。
パタヤからバンコクに戻って、今度は屋台だけでなくいわゆるレストランという所にも行ってみました。そうしてメニューを見たら、あるわあるわ、色とりどりのカレーが。レッドカレー、イエローカレー、そしてグリーンカレー! 今でこそグリーンカレーは月に1度は食べないと気が済まないくらい好きなのですが、当時はなんとも奇妙な食べ物に思えました。インドにも緑色のカレーはありますが、それはほうれん草ペーストのカレーです。グリーンカレーって何故あの薄緑色なんでしょう。見当もつかない。
カレーだけでなく、タイ料理は全般的にカラフルです。日本料理も色彩は豊富ですが、どちらかというと地味で渋いテイスト。中華は自分の知っている範囲では茶色が基本て感じ。フランス料理とイタリア料理も、経験の範囲ではあまり特筆すべきカラフルさはないような。
しかしタイ料理は、色鮮やかな上に原色が多いように思います。その上、1皿の中にたいてい赤、黄、緑の三色が入っています。赤はカニ、エビ、赤唐辛子など。黄はココナッツミルクが溶けたスープ、もやし、パパイヤなど。緑は空心菜、ネギ、青唐辛子、パクチーなど。というかたいがいパクチーは乗っているので、緑はほぼ確実に確保されていますが (泣)。
タイ料理にはいろいろときれいなものが多いですが、個人的に一番見た目でほれぼれする料理が、カニのカレーソース炒め卵とじ (プーパッポンカリー)。有名店ソンブーンに行ったら必ず注文します。テーブルに運ばれてきた直後のお皿は、それはもう完璧なまでに美しい姿をしています。情熱的なカニの赤、全てを包み込むような優しい卵の黄色、抜群のアクセントを醸し出すネギの緑。見た目良し、香り良し、そして何より味が良し。
タイ料理ってすごいなぁとつくづく思います。味覚と嗅覚に加え、視覚も楽しませてくれるわけですから。日本料理も、例えば海鮮丼なんて素晴らしく色鮮やかですが、残念ながら嗅覚にはほとんど訴えかけてきません。日本料理で嗅覚といったら、やはりウナギの蒲焼きでしょうか。甘辛のちょっと焦げた匂いはこたえられません。お腹がぐうぐう鳴ります。焼き鳥もいいなぁ。特に鶏皮。いや、最後は関係ない話になってしまった。
チャーハンに砂糖?
レストランのテーブルの上には、普通どんな調味料あるいはスパイスが乗っているでしょう。日本だったら、まず醤油、そして塩コショウはかなりの確率であります。次いで七味唐辛子、酢、ラー油など。ソースは案外ないですね。ソースが必要な料理には直接かけられています。もちろんトンカツ屋は別ですが。
基本的には、日本料理は出されたものをそのままの味で食べられるよう、味付けがされていると思います。調味料が必要な場合も、刺身には醤油、フライにはソース (または醤油かタルタル)、天ぷらには天つゆと、その組み合わせもほぼ決まっています。いくら好きずきとはいえ、お刺身にソースをつける人は相当変わり者扱いされるでしょう (マグロにマヨネーズはけっこういけますが)。
中東の場合は、もっぱらオリーブオイルと塩コショウが置かれています。オリーブオイルはサラダにかけても良いですが、料理を頼むとだいたいパンがついてきますから、小皿にオリーブオイルを注ぎかるく塩をふって、それをちぎったパンにつけて食べるととても美味しいんです。
料理のメインディッシュは、サウジアラビアならカフサ (スープで炊いたご飯の上にヒツジ肉が乗っている)、ヨルダンならマンサフ (ほぼカフサ、ヨーグルトソースの「ジャミード」をたっぷりかけて食べる) というご飯ものが有名です。ミックスグリル (ヒツジ、チキン、シシカバブなどのBBQ) は中東全体で一般的なメインディッシュです。どれもそのままで十分おいしいので、調味料をつかうとしても、塩コショウを少々といった感じです。
中華料理は、醤油、酢、チリソース (唐辛子ペースト?) が多く、むしろ塩コショウはあまり置いていないというイメージがあります (コショウは多いかも)。また、春巻きには甘辛のトロッとしたソースがついてきます。蒸し餃子には刻みショウガが入った酢醤油。中華料理もやはり完成された味付けで出てきますから、チャーハンや焼きそばの上にあらためて醤油などをかける人は少ないでしょう。酢はお好みで。
一方、タイ料理は事情が大きく異なり、テーブル調味料がかなりにぎやかなことになっています。タイ料理の基本の味は、辛味、酸味、甘味だと言われますが、これらがからみあって、より複雑な味を醸し出すことが最良とされます。このためレストランのテーブルには、砂糖、ナンプラー、唐辛子の酢漬け、粉唐辛子の4点セットが必ず置かれ、客は料理にさらに味を足し、好みの味にして食べるのが普通です。そういった意味では、コックさんも100%完成型の味付けで調理するわけではなく、お客も出てきた料理をそのまま食べるような横着はしないというわけです。
こうやって事前に聞いていれば「なるほどね」ですむわけですが、初めてバンコクの食堂でご飯を食べた時、頼んだチャーハンと一緒に調味料4点セットが出てきて、「え!砂糖?」と驚いたことをおぼえています。しかも、周りのお客はラーメンとか焼きそばとか、料理に関係なく砂糖も含めてこの4点セットをけっこうな量、投入していたのでまたまたビックリしました。
こうなると、味がなんでも一緒になってしまいそうですが、よく考えたら日本料理も基本は鰹ダシと醤油と砂糖 (みりん)、なのに肉じゃがとカツ丼、親子丼はまったく別物だし、それぞれ旨い・不味いがわかりますから、慣れ親しんだ味であればあるほど、微妙な違いが分かるのかもしれません。こだわりも三者三様。おそらく外国人にはわからない世界なんでしょうね。
ということで、タイのテーブル調味料4点セットのうち粉唐辛子は使いますが、今まで他の3つは使ったことがありません。今度こそ使ってみようとタイレストランに行くたび思うのですが、でもチャーハンに砂糖をかけることは、たぶん一生ないと思います。ラーメンにナンプラーを入れることも。もし日本でうどん屋にダシ醤油が置いてあったら、時々は入れたりするのかな、なんてぼんやり考えてみたりもしますが。
ちなみに、料理にはどんな「味」があるか。中国では五種の味、すなわち「酸、苦、甘、辛、鹹 (しおからい)」、インドでは6つのラサ (6つの味覚)、すなわち「マドゥー (甘味)、アムラ (酸味)、ラヴァナ (塩味)、カトゥ (辛味)、テクタ (苦味)、ケシャイ (渋味)」と言われています。日本では「塩味、甘味、酸味、苦味」あたりが基本でしょうか。「渋味」も加えた方が良いかもしれませんね。ところで「旨味」って味の種類なのかな。旨味調味料とかありますけど。
プーケットのカエルの合唱
プーケットに旅行したのは7月。雨期のため毎日曇りがちで、日中晴れ間はのぞくものの、夕方から夜半にかけては必ず短時間、土砂降りになりました。雨が降ると少しは暑さもやわらぎますが、熱帯の湿った空気が身体中にまとわりつき、歩く時も空気の重さを感じたものです。それでも、夕立の後の散歩は殊の外気分が良いものでした。
その日も、ホテルで夕食をとった後、ちょうど雨も上がったので庭を散歩することにしました。すると、まもなく「パチン、パチン」あるいは「ポコン、ポコン」という、かわいい感じの破裂音が聞こえてきました。「何の音だろう」と考えながら歩いていると、そのうちに、少し低音からやや甲高いものまで、あちらこちらからパチパチポコポコと合唱のように音の洪水が押し寄せてきました。
辺りは闇に暮れかかっています。どこから聞こえてくるのか、また何の音なのか、さっぱり見当がつきませんでした。立ち止まってよくよく耳をすましてみると、どうやらそれは地面の下から聞こえてきます。最初は目をこらしても暗い地面に何があるのかさっぱりわかりませんでしたが、目が慣れてくると、そこに雨水を流すための側溝があることがわかりました。
側溝には金属製の目の粗い網がかけられています。そしてそこに耳を近づけると、ひときわはっきりと音が聞こえてきました。その時です。以前、マレーシアに住んでいた人から、田んぼのカエルの大合唱のテープを聴かせてもらったことを思い出しました。その鳴き声がまさにこの音。テープを聴いた時は「これがカエルの鳴き声?冗談でしょ?」となかなか信じなかった自分ですが、ようやく納得できました。
そのカエルの情報はないものかとインターネットでいろいろ探しましたが、今のところ見つかっていません (名前もわからないし)。本当に、不思議な鳴き声なんですよねぇ。