A Dog's World 

~海外で暮らす・日々の記録・旅の記憶~   

海外を目指したきっかけ

幼少期

ど田舎の生まれです。周りには山、川、畑。市の水道はなく、山肌を流れる清流の水を家に引き込んでいます。春はウグイスがさえずり、秋は虫の音につつまれる。行政村ではないけれど、実態は村。子供ながらに、この村が大好きでした。

あれは幼稚園か小学校の頃だったでしょうか。「野生の王国」というテレビ番組を見て、アフリカの大自然の姿に感銘を受けました。そして「驚異の世界」という番組で、ニューギニアなど日本とはまったく異なる文化に驚きの声を上げました。

それまで、自分にとってはこの村が世界の全てだったのですが、最初に外の世界を意識したのはこの時です。普通、人が成長していく過程で「村→町→県→日本→外国」という風にだんだんと世界が広がっていくのだとしたら、自分の場合は「村→外国」と一足飛びに視野が広がったように思います。

その後も、日曜の朝は必ず「兼高かおる世界の旅」を見ました。家にあった旧約聖書 (子供向けの本) を読みながら、世界にはいろいろな起源の物語があるものだと気分が高揚したのを覚えています。イザナギ・イザナミよりは、確実にアダムとイブの物語の方に強く惹かれました。

あいかわらず村が大好きで、ここ以外で暮らすなどまるで想像できませんでしたが、それでも海外に対するあこがれがどんどん強くなっていった時期でした。

小学4年生くらいから、和田慎二のマンガにはまりました。「キャベツ畑でつまずいて」の世界観は、一時期自分が憧れる外国そのものでした。「クマさんの四季」「わが友フランケンシュタイン」「アラビアン狂想曲」「ピグマリオ」など、異国 (異世界) を舞台にしたマンガは本当に面白くて、何度も何度も読み返しました。

中学生になると、NHKの「シルクロード」、そして久保田早紀の「異邦人」。これにはガツンとやられました。和田慎二のマンガで「やや東よりなヨーロッパ」に向き始めていた気持ちは、一気に「中国西域」「中央アジア」に引っ張られました。

ローラン、カラホト、タクラマカン、天山、カシュガル、パミール高原。すべての地名が魅力的に響きました。きっと前世はこの地域 (◯◯スタン) の生まれだったんだと思い込み、この頃決定的に「いつか中央アジアに行く」という目標ができました。

高校時代

高校は市内で一番の進学校を受験しましたが、あえなく失敗。自分にとってはすべり止めだった私立校に通うのはなんとも気が重いものでした。1学年が10クラスもあるマンモス校で、中高大一貫校かつスポーツ推薦組もたくさんいたことから、学生の雰囲気が緩いというかとにかく明るかったのが、余計に辛かったです。

これだけ生徒がいると、本当にいろいろな人がいました。分数計算はできないけれどデータ野球で甲子園に行った人。スポーツでプロから誘いを受けている人。帰国子女で英語ペラペラの人。弁論大会で爆笑を取る人。書道7段、空手4段、外国人教師、アメリカ人留学生。

いつ見ても勉強しているのに赤点続きの人。学級委員に立候補するたび落ちている人。万引きで捕まる人。何をされても怒らない人。怒ってばかりいる人。マンガばかり描いている人。スプーン曲げが (1度だけ) できた人。体育教師に目をつけられ殴られてばかりの人。

バイトに励む人。オートバイで事故る人。株をやっている人。自転車で日本1周する人。シンナー吸い過ぎで歯がボロボロの人。退学してヤクザの事務所に入った人。同棲する人。子供ができて泣いていた人。心が病んでしまった人。ものすごい金持ち。家が借金だらけ。真面目、ヤンキー、ガリ勉、天才。美人、美男子、人気者、嫌われ者。

田舎生まれでずっと小さなコミュニティーで育ってきた自分には、毎日がショックの連続でした。学生集団なのに、まるで社会の縮図を見ているようでした。自分から見ればすべての学生が「一芸」を持っていました。

みんなが勉強そっちのけで毎日を個性豊かに過ごしているのを見て、自分の覇気のなさに嫌気がさすとともに、「勉強だけが全てではない」と強く思うようになりました。それまでは「高校は受験勉強に集中し大学進学で汚名返上」と考えていましたが、それもただ周りにいい顔をしたいだけなのかなと、自問自答が始まりました。

そうして高校2年生の冬、大学進学という考えをやめ、語学の専門学校に行こうという気持ちがかたまりました。全国大学・専門学校ガイドという本が家にあって、これをめくっていたとき、中国語やアラビア語を教える専門学校があることを知ったのです。

直感的に「これだ!」と思いました。外国語大学にくらべると語学の授業の密度が段違いです (そもそも偏差値の問題も・・)。しかしその後は、中国語とアラビア語でけっこう迷いました。目標は中央アジアです。中国語を習い東から西に攻めていくか、それともアラビア語を習い西から東にいくか。

最終的には、学習人口が圧倒的に少ないアラビア語を選択しました。この時、正直どんな就職先があるかはまったく考えませんでした。入学試験免除をねらって、担任に推薦文を書いてくれるよう職員室で直談判したのが、高校生活で一番頑張ったことでしょうか。

語学学校

高校生活は素直にエンジョイできず、内向的で斜に構えたものの見方をしていました。そのうち学研の「ムー」を買うようになり、オカルト、空想科学、終末思想、古代神話などにはまりました。ユダヤの数秘術によれば、自分の名前には「移動、引っ越し、海外」という運命があると知り、ちょっと嬉しくなったりもしました。

高校卒業後に始まった東京での学生生活は、なかなか刺激的なものでした。学校には他に中文、ヒンディー、インドネシア語のクラスがあり、とくにヒンディーの学生は「語学を活用して就職を」などと考える人は皆無で、話題と言えば「インド放浪」。目を輝かせて旅の話をする彼らを見ると、「こういう自由な生き方もあるんだなぁ」とため息が出ました。

ムーを読んでいたおかげで、吉祥寺の怪しい店 (インドや西アジアの雑貨屋・レストラン) にもすんなりなじみ、アパートではお香を焚いてシタールの音色やコーランの読誦にうっとりする毎日。学校の友達を家によんで、スパイスから作ったカレーをふるまうこともよくありました。

そんなこんなで2年生の夏、まずは度胸試しにと先輩に連れられ受けた海外派遣員の試験に図らずも合格 (カタール)。当時は語学試験が地域ごと主要言語に別れていて、自分は他の数十名とともにアラビア語の試験を受けたのですが、やはり語学だけなら外語大より強かったということなのでしょう。

* * *

それ以来、幸か不幸かずっと海外勤務が続いています。毎回2年単位 (1~2年の延長あり) の契約ベースで、要はフリーランス (フリーター) です。合間合間に「国内で定職につかなくちゃ」という焦りにも似た思いはつねにありましたが、専門学校で出会った友達のことを思い出すと、「くらべたらよほど真面目にお勤めしているしもう少し海外でもいいかな」と、スッと気が楽になったものです。

それにしてもふり返ると、子供時代から本当に心は「海外一直線」でした。すべての要素が現在につながっています。16才当時、高校受験失敗は「挫折」と考えていましたが、あの高校生活がなかったら、もし進学校に進んでいたら、きっと違う人生だったんだろうなと思います。

そう考えると、人生はすべての出来事が必然なのかなと思ったり。そんな自分の座右の銘は、「結果オーライ」。