話し言葉と書き言葉
アラビア語を学習する上でもっとも困難な問題は、書き言葉と話し言葉が違うということです。書き言葉 (フスハー/正則アラビア語) は、新聞、本、手紙の記述に使われるのはもちろん、テレビ・ラジオのニュース、公の場でのスピーチなどで話されます。学校で習うのもこちら。
しかし、あらゆる地域において、フスハーを日常生活の中で「話している」例はありません。それぞれの地域が話し言葉 (アンミーヤ/口語) を持っているからです。これはまるで日本から東京首都圏を取ってしまったような状況。
例えば、本国で日本語を勉強してから日本に来た外国人にとって、もし東京が存在していなかったら、「一体どこで "ちゃんとした" 日本語が話されているんだ」とずいぶん悩むことでしょう。
では、アラビア語の一例を。
■お元気ですか (男性に対して)
正則アラビア語:カイファ・ハールカ
サウジアラビア:ケーファ・ハーラック
エジプト:イザイヤック
ヨルダン:シュローナック
■何が欲しいですか (男性に対して)
正則アラビア語:マーザー・トゥリード
サウジアラビア:ウシュ・テボガー
エジプト:アンタ・アーイズ・エー
ヨルダン:エーシュ・ビッダク
■良い
正則アラビア語:タイイブ
サウジアラビア:ゼーン
エジプト:クワイイス
■私の本 (所有表現)
正則アラビア語:キタービー (名詞の語尾にイ音追加)
サウジアラビア:キターブ・ハッギー
エジプト:名詞・キターブ・ビターイー
ヨルダン:キターブ・イリー
(ハッイー、タバイー、マーリーなども)
■音の変化:Q→G/A
正則アラビア語:カホワ (コーヒー)
サウジアラビア:ガホワ
エジプト:アホワ
■音の変化:J→G
正則アラビア語:ジャマル (ラクダ)
エジプト:ガマル
■音の変化:K→CH
正則アラビア語:サマク (魚)
アラビア湾岸諸国:サメチ
上記はサウジアラビア=リヤド、エジプト=カイロ、ヨルダン=アンマンです。国内でも地域によってアンミーヤは異なります。フスハーを話せばみんなわかってくれますが、普通返事はアンミーヤで返ってきます。
アラビア語上達のヒケツは、その土地の方言に染まりきることだと頭では理解していますが、やはりそれぞれが違いすぎるし、日本で文法からきちんと勉強したばっかりに、自分は方言を話すことにどうしても抵抗がありました。
かと言って日常生活でフスハーをしゃべると、あまりに堅すぎるのか苦笑されるのがオチでしたから、結局今でもアラビア語を話すとき「フスハーにするか、アンミーヤならどの地方のもので話せばいいか」と躊躇してしまいます。まあそもそも自分はどのアンミーヤも中途半端のままなのですが・・・。
カイロのアラビア語:J→G変換
エジプトに赴任してまず驚いたのが、アラビア語のJ音の発音でした。J音がG音に変化することは当然知っていましたが、その徹底振りには感心するやらあきれるやら。
「税関 (ジュムルク) に機材 (アジュヒザ) が届いているんだけど」と職場のスタッフに相談したら、みんなポカンとするばかりです。
何度か説明しても反応はありません。困っていたらそのうち部長が戻ってきて、事情を説明すると笑いながら「あぁ、グムルクのアグヒザね」と言って、スタッフに指示を出してくれました。
スタッフも「なんだ、グムルクか」とか「アグヒザは早く引き取らないとね」などと一気に和やかな雰囲気になったのですが、同時に「カイロではジュムルクなんて言ったってわからないよ、ちゃんと "正しく" グムルクと言いなさいね」と諭されてしまいました。
うーん、正しくって言われても、ジュムルクで100%正しいんだけど・・・。まあ確かにテレビでもJ音はG音で発音していますから、エジプト人にとってはもうそれが正しい発音なんですね。フランス語で「愛している」は何だって聞いたら「グテーム」と答えられましたから。
もともとエジプト (カイロ) があまり好きではない自分にとっては、カイロの象徴とも言える「J→G変換」は、心情的になかなか受け入れられるものではありませんでした。
ただ、相手が高卒くらいだと本気でわかってくれないので、そんな時は不本意ながらちゃんと変換してしゃべっていました。
ある時、運転手に新聞 (ジャリーダ) を買ってきてもらおうと思いましたが、その通りに発音してもきっとわからないだろうと思ってわざわざ「ガリーダ」と言ったら全然わかってくれませんでした。
「世の中のニュース (アフバール) がたくさん書かれているもので大きな紙が何ページもあって」などと回りくどい説明をしていたら、運転手はポンとヒザを叩いて、「あぁ、グルナールか」。・・・カイロでは、Journalが転化して新聞の意味になり、当然J音はG音に変換され・・・。
カイロのアラビア語:Q→A変換
カイロでは「J→G変換」の他に、「Q→A変換」という大きな特徴があります。「ダキーカ (Daqiqa:1分/ちょっと待っての意)」は「ディイーア」、「カホワ (Qahwa:コーヒー)」は「アホワ」、「カディーム (Qadim:古い)」は「アディーム」、「スーク (Souq:マーケット)」は「スーゥ」といった感じ。
実はアラブ人にとって、カイロのアラビア語の発音はとてもきれいに聞こえるんだそうです。例えば「ジャミール・ジッダン (とても美しい)」と言うよりも「ガミール・アウィー」の方が響きが良いと、こう言うわけです。
形容詞の強調に「アウィー」を付けるのもカイロ方言です。元は「カウィー (Qawy:強い)」。その辺の感覚的なものはいまいちピンと来ませんが、確かにQ音をA音にするのは全体的にはきれいかなと思います。
「ダキーカ」を「ダギーガ」と発音するサウジ方言 (Q→G変換) よりは、「ディイーア」の方が軽やかです。ちなみに「おい、彼が来たぞ」というのを、フスハーでは「ハー・ホワ・ジャーア」と言いますが、カイロでは「アホ・ゲー」と言います。本当にきれいなのか・・・?
エジプトは中東において文化・エンターテイメントの一大発信基地でしたから、カイロ方言はほとんどの国でとてもよく通じます。エジプト映画やエジプトシンガーの歌声が、テレビを通じて全アラブ世界に浸透しているわけです。
「アイワ (Yes)」「クワイイス (良い)」「イザイヤック (元気ですか)」「アナ・アーイズ (私は欲しい)」など誰もが知っています。
もちろん、サウジ人に「アンタ・アーイズ・エー?(何が欲しいか)」とたずねても、「アナ・アーイズ・○○」とは返ってきません。
もちろんフスハーの「ウリード・○○」でもなく、サウジ方言の「アボガー・○○」と答えられるでしょう。
「ハーザー/ハーズィヒ (これ)」を「ダー/ディー」と言うのも特徴のひとつです。「ナハール (昼間)」とくっつけて「エンナハールダ (今日)」、「ワクトゥ (Waqtu:時間)」がカイロ方言で「ワアトゥ」になりそこから「ディルワアティ (今)」などなど。
文法については、カイロ方言は動詞を否定する場合、動詞の語尾に「シュ」を付け足します。「マー・ジャーア (彼は来なかった) →マガーシュ」「ラー・アアリフ (知りません) →マー・アアラフシュ」「ライサ・インディー (持っていません) →マー・アンディシュ」など。
「マフィーシュ (ない、いない)」も良く聞く言葉でした (サウジではマーフィー)。「マフィーシュ・モッホ!(能無し/モッホ=脳)」なんて罵声、よく聞いたなぁ。
名詞の複数形
アラビア語の名詞には単数、双数、複数の3種類があります。複数形はある程度の規則性はあるものの、基本的にはひとつひとつ覚えなければなりません。例えば、日(単数形:ヤウム/複数形:アイヤーム)、家(バイトゥ/ブユートゥ)、本 (キターブ/クトゥブ)等々。
ある程度パターンはありますが、学習者にとってはかなりやっかいな言語だといえます。しかし利点もあります。
ヨルダン南部、ワディ・ラムに行った帰り、道を走っていると後ろから見覚えのある車が追い抜いていきました。先ほど砂漠ツアーで走ってもらった運転手さんとそのピックアップトラックでした。彼もこちらに気付き、すかさず車を減速すると、止まれという仕草をしました。
彼は車を降りるとこちらに向かって 「家がこの近くなんだ、コーヒーを飲んでいかないか」 と話しかけてきました。この時、「フィンジャーン・カホワ (コーヒーを1杯)」 ではなく 、「ファナージーン・カホワ (コーヒーを何杯も)」 と言ってくれました。ヨルダン人のホスピタリティー精神にちょっと感動した次第。
* * *
名詞変化のパターン(すべてではないものの、これくらいのパターンを覚えれば初めて聞いた単語でもある程度想像がつくようになります)。
①アウアーウの型 (単数形/複数形)
スーク/アスワーク (市場)
ヤウム/アイヤーム (日)
カラム/アクラーム (ペン)
ワラドゥ/アウラードゥ (男の子)
ワクトゥ/アウカートゥ (時間)
②ウウーウの型
マリク/ムルーク (王)
イルム/ウルーム (知識)
カルブ/クルーブ (心)
ダルス/ドゥルース (勉強)
バイトゥ/ブユートゥ (家)
ジャイシュ/ジュユーシュ (軍隊)
③ウウウの型
キターブ/クトゥブ (本)
タリーク/トゥルク (道)
ラスール/ルスル (使者)
マディーナ/ムドゥン (都市)
④イアーウの型
バハル/ビハール (海)
カビール/キバール (大きい)
ジャバル/ジバール (山)
ラジュル/リジャール (男性)
⑤アウウウの型
ナフル/アンフル (川)
アイン/アウユン (目)
シャハル/アシュフル (暦の月)
リジュル/アルジュル (足)
⑥ウアアーウの型
アミール/ウマラーウ (王子)
ワズィール/ウザラーウ (大臣)
ファキール/フカラーウ (貧しい)
サフィール/スファラーウ (大使)
⑦アウイアーウの型
サディーク/アスディカーウ (友人)
タビーブ/アティッバーウ (医者)
カウィーユ/アクウィヤーウ (強い)
⑧ウウアーンの型
ビラードゥ/ブルダーン (国)
カディーブ/クドゥバーン (レール)
⑨アアーイウの型
マクタブ/マカーティブ (事務所)
マドゥラサ/マダーリス (学校)
マスジドゥ/マサージドゥ (モスク)
ジャウハル/ジャワーヒル (宝石)
⑩アアーイーウの型
スルターン/サラーティーン (スルタン)
ミフターフ/マファーティーフ (鍵)
スンドゥーク/サナーディーク (箱)
クルスィーユ/カラースィーユ (椅子)
フィンジャーン/ファナージーン (コップ)
アラビア語の国名
世界の国名を言うとき、アラビア語と日本語では意外に違うものがあります。
トゥーニス (チュニジア)
ヤマン (イエメン)
アルジャザーイル (アルジェリア)
フィラスティーン (パレスチナ)
ウルドゥン (ヨルダン)
このあたりは想像の範囲内としても、
マグリブ (日の沈む国=モロッコ)
ミスル (イスラム初期に征服地に建設された軍営都市=エジプト)
イマーラート (Emirate/首長国=アラブ首長国連邦)
などはわかりにくい例です。
ニムサー (オーストリア)、ユーナーン (ギリシャ) にいたっては、想像できる人はほとんどいないでしょう。
エチオピアは「ハバシュ」。アムハラ語でエチオピア人のことを「アベシャ (Habesha)」と言いますが、アビシニアもここからできた単語でしょう。
ヤーバーン (日本) はもちろんJAPANから来た単語でしょうが、中東に来て最初に驚く単語のひとつです。たいていの人は 「野蛮!?」 と思ってしまうからです。
ちなみに 「サハラー」 はそもそも砂漠という意味なので、サハラ砂漠というのはちょっとおかしな表現です。まあフラダンスみたいなものですね。ハチマキバンド、キモノドレス、スモウレスラー、etc。よく考えたら英語圏の人って名付けが下手なのかな?
ちなみに、アラブ諸国で売られている世界地図には、イスラエルの国名はなく、その地域はパレスチナと印刷されているのが常です。
数字の数え方
アラビア語の数字の数え方は少し面倒です。11から99は先に1の位を言うようになります。例えば21は 「1と20 (ワーヒドゥン・ワ・イシュルーン)」 になります。
これが3桁になると、123なら 「100と3と20 (ミア・ワ・サラーサ・ワ・イシュルーン)」 になります。
1,234だと 「1000と200と4と30 (アルフ・ワ・ミアターニ・ワ・アルバア・ワ・サラースーン)」 です。
試しにこれを英語に置き換えてみると、1,234は 「ワンサウザンド・アンド・トゥーハンドレッド・アンド・フォー・アンド・サーティー」 になります。なんだかとても回りくどいですね。
ヨルダン人の会話を聞いていると、123456という6桁の電話番号を伝えるとき 「123と456」 のように3桁にわけて言う人が多いようです。
つまり、「100と3と20、400と6と50」 という具合です。言う方はまだいいとして、これを聞いている相手はちゃんと覚えられるのか、ときどき心配になります。
1を書いて、間に空白を入れて3を書いて、最後に真ん中に2を書き入れる、そしてまた4と書いて間に空白を入れて6と書き真ん中に5を書き入れる・・・。
周囲のスタッフで計算間違いが多いこと、そして間違い電話がとても多いのは、この数字の数え方のせいかなと思ったりもします。
アラビア語ではお金の単位にも複数形があります。また、数の数え方がやや複雑で、名詞の性に合わせて数字も男女形を使い分け、1、2、3~10、11~99、100以上では名詞 (ここではお金の単位) を複数形にしたり語尾変化させる必要があります。
1Dinar=ディナール・ワーヒドゥ
2Dinar=ディナーラーニ
5Dinar=ハムサ・ダナーニール
20Dinar=イシュルーン・ディナーラン
100Dinar=ミア・ディナーリン
ただし口語ではもっとくだけた言い方で
1Dinar=ディナール
2Dinar=ディナーレーン
11以上=○○・ディナール
になります。いくら必要かと聞いて 「ダナーニール」 と言われたら、それは3~10Dinarの間ということになります。
Dinarの下の単位でも Fils (フィルス/フルース)、Piaster (キルシュ/クルーシュ) ともに複数形があります。
職場では毎日お昼にサンドイッチを買ってきてもらいましたが、毎週末、集金が来るとだいたい 「ディナーレーン (2Dinar=360円)」 と請求されました。
双数形というのはアラビア語の特徴のひとつですが、短くパッと言えるので便利です。
99の神の美名
アラビア語で神を意味する単語「イラーフ (Ilah)」に、定冠詞 (The) の「アル (Al)」がつき、ちょっと読みに変化が生じて「Allah (アッラーフ/The God/唯一神)」という単語ができたようです。
「ラー・イラーハ・イッラッラー (アッラーの他に神は無し)」という文句は、「ラー(No)+イラーフ(God)+イッラー(の他に)+アッラー」です。「イッラー・アッラー」が「イッラッラー」になるのは、単語が前から続いてくるときは定冠詞「アル」のAの音が省略されるからです。
また、アラビア語のアルファベットには「太陽文字」と「月文字」という区別があって、定冠詞から続けて読む時にそのまま「アル」のLを読むものと、Lを読まずに単語の頭の音がはねるものがあります。
太陽=アッシャムス (アルシャムスとは読まない)
月=アルカマル (アッカマルとは読まない)
これは単に、「その方が発音しやすいから」ということだそうです。太陽文字は「D、L、N、R、S、T、Z系の音」、月文字はそれ以外です。ただしこれは読みだけであって、書く方は定冠詞「アル」をそのまま書きます。
たとえば、「アッリヤード (リヤド=サウジアラビアの首都)」のアラビア語表記をそのまま英語表記にすると「Al-Riyadh」ですが、読み方からすると「Ar-Riyadh」になります。最近は「Ar-Riyadh」という表記に統一されつつあるように思います。
太陽文字のうち、N以外は小さい「ッ」が入って、アッダウラ (国)、アッラハム (肉)、アッサマク (魚)、アッザイトゥーン (オリーブ) などと読みますが、Nの場合はアンヌール (光)、アンニール (ナイル川) のように「ン」が入ります (この方が読みやすいから)。
また、ファミリーネームの場合は、太陽文字であってもアルとそのまま読むことが多いようです。
アルサウード (Al-Saud)=サウド家 (サウジアラビア王家)
アルサーニー (Al-Thani)=サーニー家 (カタール首長家)
と、前置きはここまでにして、99個あるアッラーの名前です。名前というよりも、唯一神を表す単語として、アッラーを筆頭に他にも98個の形容があると言った方が正しいかもしれません。ただ、一般的には「99 Names of God」と表現されています (これでネット検索できます)。
アッラーに続く98個の形容は、アッラーの性質、特性、個性などを言い表したものですが、こう書くとアッラーに実体や人格があるように感じられてなんとも言い方が難しいのですが、とにかくアッラーは慈悲深く、寛大で、偉大で、創造主で、生かす者であり、殺す者でもあり、唯一無二、そして永久不変の者であるということなんだそうです。
ちなみに、「アブドゥッラー (Abdullah)」という名前は、「アブドゥ(しもべ)+アッラー」で「神の僕」を意味し、とてもポピュラーなイスラム教徒の名前です。このアッラーの部分を他の98個のものに変えても、意味はすべて「神の僕」ということになります。アブドゥッラフマーンやアブドゥルアズィーズも頻繁に聞く名前です。