A Dog's World 

~海外で暮らす・日々の記録・旅の記憶~   

諸言語にまつわるエトセトラ

言葉の響き

わざわざアラビア語を勉強しておいて、「言葉の響きがあまり美しいとは思わない」などと言うと身も蓋もないのですが、当初からそれは薄々感じていました。

コーランの読誦は人によってものすごくきれいに聞こえるし、そういう有名人のCDは何枚か持っていますが、それはコーランが韻を踏んでいて、いわば詩であるから読誦が心地よく感じるのであって、アラブ人同士の日常会話を聞いてウットリすることなどまったくありません。

特にエジプト人は必要以上に声がでかいので、むしろ「なんで怒りながらしゃべっているの」といつもハラハラしながら聞いていました。

会話が美しいと感じない以上、言葉は単なる意志疎通の道具になってしまいます。極めて主観的な問題ですが、少なくとも感情移入できなければ、上達もありません。そういった意味では、アラビア語において自分は相当遠回りをしてしまいました。たぶん遠回りしたまま迷子に・・・。

では「美しい言語」とは何でしょう。よく言われるのがフランス語です。以前、リスボンに旅行したとき、美術館のカフェでくつろいでいたら、後ろのテーブルに30才くらいの女性2人組が座りました。

少し声をひそめて、ささやくように話すその言語は (たぶん) フランス語。背後から聞こえてくる会話の意味はまったくわかりませんでしたが、思わずうっとりするほど心地よい響きを持っていました。

意味がわかったらまた印象は違っていたでしょうけど (実は「後ろのおじさんキモいよね」とか言ってたかもしれないし)、その時、やっぱりフランス語はきれいだと確信したわけです。

その後、旅行でパリに行きましたが、テレビをつけたら男性アナウンサーの威勢の良いフランス語が聞こえてきてびっくりしました。「Paris」を「パギー」とか言っていて、そこにはリスボンで感じたお洒落で都会的なニュアンスは皆無、自分のフランス語像がガラガラと崩れた瞬間でした。

映画「ピンクパンサー」でもクルーゾー警部が「ドゥー・ユー・アバ・グーム?(Do you have a room?)」とか言って茶化していましたね。ホテルの人も負けじと「ドゥー・ユー・アバ・ギザグバスィヨーン?(Do you have a reservation?)」と返していました。

* * *

もうひとつ、これまでで一番きれいだと思った言葉、それはウルドゥー語のある歌です。カタールにはインド南部のケララ州から出稼ぎの人がたくさん来ていて、その時ケララの言葉が「マラヤラム」だということを知りました。

そのうちケララ出身の友達が地元の女性歌手「チトラ」のテープをくれて、それからしばらく聴き続けるほどチトラを気に入りました。もちろんマラヤラム語の歌詞の意味はまったくわかりません。

カタールを終えて日本に帰った後、友達がインドに行くということだったので、「マラヤラムのチトラ」を買ってきてくれとリクエストしました。ところが、彼はデリーあたりで人気沸騰中の別のチトラ (Jagjit & Chitra Singh/Latest) のCDを買ってきてくれたのでした。

しかし曲はとても良く、気に入ってずっと聴いていました。聴けば聴くほど曲が好きになっていって、ある日何を歌っているのか知りたくなり、ヒンディーを勉強中の友達に聞いてみました。

彼は必死に聞き取りと翻訳をしてくれましたが、どうしてもわからない部分、ヒンディーとは全く異なる部分が何ヶ所かあったそうで、結論として、これはヒンディーではなくウルドゥー語の歌、ということでした。

もともとインド映画はカタール時代によく見ていたので、その頃からヒンディーの響きは悪くないなぁと思っていました。「アッチャー」「ナマステ」「マイネ・ピャール・キャ」とか、美しいというのではなく、可愛いというか。

ウルドゥーはヒンディーと9割くらい同じだと言いますから、その歌も自然に耳に入ってきたのだと思います。聴き込んでいくうちに、ある歌のある1小節が、殊の外耳に心地よく感じました。「ハムネ~リパトゥ~メレ~エ~キン」の特に「リパトゥ」の部分が。

実際には接続詞かなにかでそれだけ抜き出しても意味は取れないようですが、単語の響きとしては、それまで聞いていたどの言葉よりも美しいと感じました。

もちろん歌っている女性の声が良いのもありますが、ウルドゥー語がなぜか心に響いたんですね。iPodに入れてずっと何年も聴いていました。

だからといって、ウルドゥー語を勉強しようとは思いません。使えるのはパキスタンくらいですし、あまり積極的にパキスタンに行きたいとは思わないので。

英語もいろいろ1

サウジアラビア滞在の後半に住んでいたコンパウンド (外国人専用住宅) は、100戸のうちほとんどがイギリス人でした。ちらほらと知り合いもできましたが、イギリス英語の壁は思いの外厚く、「なんでこんなにわからないの?」と落ち込むくらい、イギリス人の話していることがわかりませんでした。

イギリス人 (の男性) が集まると、なぜか話題がいつも株とか投資の話になっていたことも、ますます頭を混乱させる一因だったと思います。1対1で話せば、気を利かしてゆっくりわかりやすく話してくれる人もいないではありませんが、ほとんどは遠慮なしで普通に話しかけてくるので、イギリス人と会うときはいつも気が重くなったものです。

ある時、コンパウンドのプールサイドパーティーで、1人のイギリス人が話しかけてきました。しかし、彼の英語は珍しくゆっくり、丁寧、簡潔で、とてもよく理解できました。一通り会話をしたあと「わかりやすく話してくれてありがとう」とお礼を言うと、彼は頭をかきながら「実は私はスコットランド出身で、英語は今習っているところなんだよ」と恥ずかしそうに言っていました。それでわかりやすかったのか・・・。

確かにイギリスは「United Kingdom (連合王国)」と言うように、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドから構成されています。

言葉はスコティッシュもあればウェルシュもあって、英語はもちろん全国で良く通じるものの、基本的にはあくまでイングランドの母国語、という意識があるみたいです。

10日間のイギリス国内バスツアーに参加した時は、特にウェールズなんてローマ字表記なのに何と読むかわからないような地名の看板が多くて、「イギリス=英語」という固定観念が崩されました。

イギリス人らしき人に「あなたはイギリス人ですか」とたずねるとき、「English」と言うとイングランド以外の人は不快に感じることもあるそうなので、無難に「British」あるいは「UK」と言う方が良いそうです。イングランドの人に聞いたら、けっこう気を使う問題だと言っていました。

英語もいろいろ2

初めて赴任したのは、カタールというペルシャ湾の豊かな小国でした。労働力の90%は外国人 (出稼ぎ労働者) と言われていたように、町にはインド人やフィリピン人があふれていました。

買い物ではむしろアラビア語よりみんなの共通語である英語の方が良く通じたし、多くのカタール人家庭がフィリピン人のメイドに子育てを任しているので、子供がアラビア語よりも先にタガログ語を覚えてしまうという笑えない話もありました。

さて、インド人の英語というとご存じの方も多いでしょうが、まず「R」はものすごく巻き舌です。例えば水は「ウォータル」、空港は「アイルポルト」。

また「Th」は舌をかむ「サ」ではなく「タ (タハ)」と発音します。「タンキュー (Thank you)」とか「アイ・ティンク (I think)」などは頻繁に出てくるのですぐにこちらも覚えましたが、発音に加えインド英語の独特の抑揚とかなりの早口には最初はかなり手こずりました。

特にきちんと英語を勉強した人ほど「インド英語はわからない」と言います。自分は幸か不幸か (たぶん不幸・・・) 本格的に英語とつきあい始めたのがカタールだったので、インド英語にはすっかり耳が慣れ、逆にいつまでたってもイギリス英語にはなじめないままです。

サウジアラビアでの出来事ですが、知人 (日本人) の家にいた時、電話がかかってきました。知人は電話口で「え?なに?」を連発しています。間違い電話ではなさそうだけど全然わからないので代わってくれ、と言われ電話に出ると、相手は「アイム・ドリベル、カル・プロブレム」と言っていました。

「I'm driver, car problem」と言っているのだとすぐにわかったので、知人にその旨を伝えてまた電話を渡しました。話が終わって受話器を置いた後、知人は「あの英語が良くわかったねぇ」と感心していました。感心されるとちょっと悲しい・・・。

* * *

アラブ人の英語も、ある意味全然別物です。アラビア語には母音が「アイウ」の3音しかないこと、「P」音がないこと、「ガ (NGA)/例えば “干し柿” のガ (鼻にかかる音)」がないこと (もうちょっときつい音のガはある)、「R」は巻き舌で発音することなどから、初めて聞く人にはかなり聞きづらいものになります。

「ブリーズ・ブッシュ」と言われたら「押してください (Please push)」ということだし、「バンダ・スーバルマルケット」は「Panda Supermarket」のことです。

「イ・エ」「ウ・オ」の発音上の区別はあいまいで、「ヨウコ」と「ユウコ」は同じように聞こえるようです (きちんと区別して聞いていても、実際の発音はうまくできない人が多い)。

「干し柿」は「ホシカキ」または「ホシジャキ」。サウジではQをG、カイロではJをGと発音するのですが、逆にこれがG音 (特にNGA) を紛らわしくさせているようです。

またアラビア語では、文法的に受動態を表現することができますが、普通はあまり使いません。「私は彼に招待された」とは言わずに「彼は私を招待した」と言うのが一般的です。

あくまで動作の主体の人を主語にもってくるのがアラビア語の流儀で、そういう思考回路を持っているためか、確かにアラブ人が話す英語の会話でも、あまり受動態は使っていなかったように思います。

逆にエチオピア人の英語は、かなり受動態を多用します。アムハラ語ではそういう文法構造が一般的なのかもしれません (←ちゃんと調べろ?)。

ファッカミーとパックユー

ある日の職場での出来事。大柄なスタッフがドアから顔をのぞかせ、中にいたサウジアラビア人スタッフを見つめながら、ぼそりと「ファッカ・ミー」と言いました。

微妙に物騒な物言いに、名作映画「エクソシスト」のセリフを思い出し、横で聞いていた自分はドキリとして、一体この2人の間に何があったのかと心配になりましたが、大柄なスタッフはもう一度、今度は「ミーア・ファッカ」と言いました。

なぁんだ、そういうことか。ホッと胸をなで下ろしました。つまり、彼はミーア (100リヤル札) がファッカ (小銭) にならないかと問いかけていたのでした。まったく人騒がせな。ちなみに、ファッカはお釣りの意味もあります。

* * *

以前、リヤドの空港で出国待ちをしていたときのことです。空港の売店はごった返しており、客も店員もみんながイライラしていました。

レジ係はフィリピン人。1人のサウジ人が前の客を押しのけて支払いをするよう迫ると、カッとなったレジ係はとっさに「パック・ユー!」と声を荒げました。

"Fxxk you"のことだとは思いましたが、残念ながらお国の訛りでFがPになってしまいました。これじゃあ「包んでまうどコラッ」ってことだな、などと考えるとおかしくて仕方ありませんでした。現場は一瞬緊張しかけたんですけどね。

スーダン人のかけ声

カタールにいた時のことです。大きな木枠に入れられた機材が日本から届きました。トラックからクレーンを使って職場の駐車場に降ろすと、そこからは人力で倉庫まで数メートル移動しなければなりません。

オフィスで働くスタッフが集まってきて、この大きく重い木箱をどうすれば効率的に動かせるか議論が始まりました。こういう時、率先して声をあげるのはインド人スタッフです。

ただ、デリー出身者と南部ケララ州出身者ではやり方が異なっていて、デリーが腕組みしながらああだこうだと言うのに対し、ケララは実際に木箱を押しながら力の入れ方などを考えています。

そこを高見の見物とばかりにニヤニヤしながらはやし立てているのがレバノン人。フィリピン人は慎重に考え込んでいました。

そうして何もせぬまま20分ほどたった時です。身長190cmのスーダン人がやおら木箱に肩を押し当てて、「とにかく押せばいいんだよ」と力を入れはじめました。

これにはみんなも慌ててしまい「ああそうだな、とりあえず押してみよう」ということになりました。

「ヘー、ラー、ホッブ!」

スーダン人から大きなかけ声があがりました。しかしこれを聞いた途端、力を入れようとしていたスタッフたちに「え?」という変な空気が流れました。インド人は半ば苦笑しています。

スーダン人はお構いなしに「ヘーラーホッブ!」を繰り返しました。あわててみんなが力を込めると、そのうち木箱もジワジワ動き、無事に倉庫に収めることができたのでした。

世界にはいろいろなかけ声があるんだな。

東と西

初めて「中東」という言葉を聞いたのは、第4次中東戦争でアラブ産油国が石油戦略を発動し、日本でもトイレットペーパーの買い占め騒動など、オイルショックの嵐が吹き荒れたという古いニュースだったでしょうか。なんで日本より西の国が「東」と呼ばれているのか、ちょっとだけ考え込んだ記憶があります。

そもそも「中東 (Middle East)」という言葉は、19世紀のヨーロッパで一般的であった「東方 (East/Orient)」概念に基づき「極東 (Far East)」に対置する形で設定された地域概念でした。なので、当時はバルカン半島も中東でしたが、北アフリカは含まれませんでした。

第2次世界大戦後、中東という地域名は世界中で使われるようになりましたが、この頃から「東」と「西」の使い分けは政治的なニュアンスを含むようになりました。それは、自由主義の「西側諸国」に対する、社会主義的「東側諸国」というくくり方です。

東西冷戦構造の時代、アラブやアジアの国々は西ヨーロッパ+アメリカ陣営につくか、ソ連につくかという選択を迫られました。アラブでは、社会主義によるエジプト革命でナセルが一躍第三世界のヒーローとなったこともあって、シリアなど周辺諸国が続々社会主義を導入、ソ連の援助を受けるようになりました。

当時、ヨーロッパ西側諸国にとって中東とは、単に地理的な意味だけではなく、いつ東に転向するかわからない危険をはらんだ地域、というニュアンスを持っていたのではないでしょうか。この地域に住む人々は、西側諸国が独善的に動かしている現在の世界秩序にアンチテーゼを投げかけるため、自らを中東と呼ぶことによって西欧に対する対抗的主体性を示していたのかもしれません。

ちなみに、西欧から見れば日本は極東に位置しており、地理的にはもちろん「東側諸国」に分類されるはずですが、多くの西欧諸国やアメリカ、さらに言えばほとんどの日本人は、自分たちは西側諸国の一員だと考えているのではないでしょうか。隣国のロシアや中国の厚い壁を避けて、東回りでアメリカ経由、ヨーロッパ諸国とつき合っているような感じ。

そんな状況にありながら、アジア諸国の中で政治的指導力を発揮したいなどと言うのは、ひょっとしたらお門違いなのかもしれません。戦後何十年もたつというのに、未だぎくしゃくした関係が続く国がある状況は、あらためて真剣に考え直した方が良いのではないのかなと思います。

アラビア起源の言葉

7世紀に興ったイスラムは、次々と領土を拡大していき、10世紀から14世紀にかけては哲学、数学、天文学、医学、化学、地理学などで世界をリードしていました。

正確に言えば、すべてがいわゆるアラブ人の功績ではなく、ペルシャ人など諸外国の多彩な知識人を含め、これらの科学技術がアラビア語の文献としてまとめられ、世界に発信されていったということです。

「ゼロ」の概念はもともとインドで発明されましたが、11世紀頃アラブ人によりヨーロッパに伝えられたため、今でもこれを「アラビア数字」と言うわけです。

アラビア語でゼロは「スィフル」と言いますが、ヨーロッパ語でゼロをあらわす単語はこれに由来すると言われ、英語の「Cipher (暗号)」やフランス語の「Chiffre (数字)」なども派生のひとつでしょう。

12世紀には地理学者イドリーシーがヘレニズム時代のプトレマイオスの地図を基本として、イスラム商人の交易によって得られた世界各地の情報を加味し、メッカ中心の世界地図を作りました。

当時はイスラム商人の活躍がめざましく、東西の文化交流や物流において、彼らが世界を動かしていたといっても過言ではありません。

そのため、現代に残るイスラム起源の単語も豊富に見いだすことができます。Algebra (代数)、コットン、マガジン、オレンジ、シュガーなどなど。

オレンジについては、現代アラビア語では「ブルトゥカール」と言いますが、これは国名のポルトガルと一緒です。その昔、北アフリカにあった野生の柑橘類「ナランジ (定冠詞を付けるとアンナランジ)」はとても苦く、果物として食べることはできませんでした。

それがヨーロッパに持ち出され、品種改良されて甘い果実をつけるようになり、今度はポルトガルからアラブに逆輸入されたため、ヨーロッパではオレンジ、アラブではブルトゥカールと言われるようになりました。

また、シャーベットと言えばいかにも涼しげでヨーロッパ語的な響きがありますが、実はアラビア語の「シャリバート (飲み物)」が起源です。

贅沢を好んだアラブの太守が、冬の間に貯蔵しておいた雪 (あるいは氷) を夏の暑い時期に倉から取り出し、冷たい飲み物として食べたのが始まりだそうです。日本にも江戸時代には南蛮貿易によりシャーベットが紹介されていたそうです。

ちなみに、フランク・ハーバートの「デューン」シリーズには、イルム (知識、科学) をはじめいろいろアラビア語の単語が用いられていました。アラビア語の単語は、ヨーロッパ人にとってはどこかエキゾチックな響きがあるのでしょうね。

アルファベット

アラビア語のアルファベットは28文字です。このうち15番目の音「ダード」は、口の中でDの音をこもらせて発する特殊な音で、これを正確に発音できるのはネイティブのアラブ人だけであると言われています。

そのため、アラビア語 (ロガ・アラビーヤ) のことを別名 「ダードの言語 (ロガ・ダード)」 と言ったり、アラブ人のことを「ダードを発音する人々 (ナーティクーン・ビッダード)」 などと言う表現が生まれました。

アルファベットの起源は前13世紀のフェニキア文字です。フェニキアは現在のレバノン地域ですね。フェニキア文字は、当時、地中海貿易の商業用語として広まり、やがてヘブライ文字、古代ギリシャ文字、古代ローマ字へと変遷していきました。

フェニキア文字の最初の2文字は「アレフ (牛) 」「ベート (家)」です。だから「アルファベット」なのですね。当時のフェニキアでは人間の財産といえば家畜と住居だったことから、この2文字がトップに来たのでしょう。

ギリシャ語もアルファ、ベータですし、ヘブライ語もアレフ、ベートゥ。アラビア語の最初の3文字はアリフ、バー、ターで、文字の形は異なりますが、並び方の起源は同じなのかもしれません。

語感

言葉のもつ感じ、ニュアンスというのは、その言葉に対するこちらの知識あるいは思いこみによって変わってくるのかもしれません。アドベンチャーと聞けば冒険そのものですが、アバンチュールというと何か奔放な恋愛を想像してしまいます。また、青い鳥といえばかの名作を思い出しますが、ブルーバードではまったく別の印象を受けます。

さて、ある日、日本のテレビ番組のビデオを見ていたら「朧月夜」というお姫様が出てきました。きれいな名前だなぁと思いましたが、これを「Oborozukiyo」とローマ字で書いて、意味をアラブ人に説明したとしても、自分が感じたほどの感動はないでしょう。

逆に、アラビアンナイトで有名な「バドルルブドゥーリ姫」は、例えこれが「満月の中の満月」という意味だと聞いたとしても、大多数の日本人にはピンと来ないでしょう。逆に濁音ばかりで汚いと感じる人もいるかもしれません。

総じてアラビア語は、力強い単語が多いように思います。「I love you」が「バヒッベック」というのは、もうちょっとロマンチックにならないかなと思います。

一方、日本語っぽいアラビア語、またその逆というパターンもいくつかあります。日本語のような単語の場合、名前になりそうなものもあって、実際に自分の子供にアラビア語とかけた名前をつけた人を何人も知っています。

ヤスミ (ヤスミーン:ジャスミン)、マリカ (マリカ:女王)、ハヤト (ハヤート:人生)、アヤ (アーヤ:奇跡、コーランの一節)、ミナ (ミーナー:港) などです。

逆に、日本人の名字でアラビア語の単語に近い音のものがあり、そういう人たちはアラブでもすぐに名前を覚えてもらえます。

浜田 (ハマーダ:よくあるアラブ人の名前)、前田 (マーエダ:食卓)、平 (ターイラ:飛行機) などが有名なところです。平さんの場合、飛行機の口語である「タイヤール」と呼ばれていました。

最悪なのは (と言っては失礼ですが)、楠 (クス) さんでした。アラビア語の口語で女性のあそこを意味し、もっとも言ってはいけない単語です。この方は一度エジプト人に自己紹介をして大爆笑になって以来、ファーストネームを言うよう心に誓ったそうです。

シャトランジュ(チェス)

チェスの起源は、インドで生まれた「チャトランギー」というゲームだそうです。それがペルシャを経てアラブに持ち込まれ「シャトランジュ」という名前になりました。ペルシャ語には「チャ」音がありますが、アラビア語にはないので「シャ」音で代用、「ガ」音も厳密にはないので「ジャ」音が代用されています。

ちなみに、イランと歴史的に関係が深いカタールやサウジアラビア東部地域では「カ」を「チャ」と発音する独特の方言があります。「サマク (魚) → サメチ」、「シュローナック (元気ですか) → シュローネッチ」など。

この地域はスンニー派が大勢を占めるアラビア半島にあって、実に9割の住民がシーア派ということでもその関係の深さがわかります。

チェスで「詰み」という意味の「チェック・メイト」を、アラビア語では「シャー・マータ (王は死んだ)」と言います (有名な辞書に載っていました)。

王様のことをアラビア語の「マリク」ではなくペルシャ語の「シャー」と言うあたり、チェスが東方からもたらされたものだと実感します。

今書いていてふと思いましたが「シャー・マータ」と「チェック・メイト」って発音が微妙に違うだけで実は同じ言葉を言っているのかもしれません。ただ、「チェス」という単語がどこで発生したのかはいまいち想像がつきません。

なお、チェスボードは8×8マスなので、駒の配置が左右対称ではありません (キングとクイーンは向かい合っています)。また、必ず白が先手なので、白が若干有利です。

アーメン

アーメンは日本でも良く知られたフレーズです。国語辞典には「キリスト教徒が祈りの後に唱える語、確実・まことの意」と載っています。一方、英和辞典には「ヘブライ語で "しかあれかし (So be it.)"」と記されています。

アラビア語では「A-M-N」の3語根から、Amina (保護する)、Ammana (保証する)、Aamana (信仰する) という動詞とともに、Amn (安全・保護)、Amin (誠実な・忠実な)、Aamin (アーメン) といった単語ができています。

今日、一般にアラビア語と言われるものは古典北アラビア語で、その成立過程からしても、ヘブライ語とアラビア語には似た単語がたくさんあって当然です。

アーメンもそのひとつと言えるでしょうし、逆にアーメンという言葉から、アラビア語の動詞が出来上がっていったのかもしれません。外来語が3語根あるいは4語根の体をなしていれば、自在にアラビア語に取り込むことができるからです。

サウジアラビア東部方言の「バンチャル/ユバンチル (パンクした/パンクする)」はその一例です (Puncture=パンクがアラビア語の動詞化した)。

この法則に基づくなら、例えば「蕎麦」なら3語根として「S-W-B」を取り出し、「ソバ/サウワーブ (そば/そば屋)」「サーバ/ヤスーブ (そばを打った/そばを打つ)」という造語もあり得ない話ではありません。

「ウドン/ウッダーン/マウダン (うどん/うどんを打つ人/うどん屋)」「アダナ/ヤードン (うどんを打った/うどんを打つ)」 なんてね。

アムハラ語

エチオピアではアムハラ語 (公用語)、ティグリニャ語、オロモ語、グラゲ語など80以上の言語が話されています。アジスアベバでは比較的英語が通じますが、片言なりともアムハラ語を使うことで、生活はより快適になります。

ただ、アムハラ語は動詞の変化が複雑で、発音に関しても独特の破裂音や、母音が7音あるなど、本格的に習得するにはかなり難しい言語だと言われています。

自分も最初は、せめて職場のスタッフ (特に掃除をしてくれる人) との会話はなんとかしたいと思っていたのですが、掃除の指示などは「アフン (今)」 「ボハラ (後で)」くらいで、後は身振り手振りでなんとかなってしまったのも事実です。

そんなアムハラ語ド素人の自分ですが、ある時一念発起してアムハラ語の単語集作りをするためようやく少しだけ身を入れて勉強しました。元をたどれば同じ仲間であるアラビア語については昔まじめに勉強したので、そのあたりのことにも少しふれながら、アムハラ語について記します。

セム語
アフロ・アジア語族 (セム・ハム語族) のひとつ。西アジアから北アフリカにかけて発展。北部を代表する言語はアッカド語。アッカド語は最古のセム語で、紀元前3000〜前1000年ごろメソポタミアで話され、その後も1000年ほどは文語として用いられました。

アッカド語のうち北部方言をアッシリア語、南部方言をバビロニア語と呼ぶこともあります。北部中央グループにはヘブライ語、ウガリト語、フェニキア語、アラム語があります。南部中央セム語としてアラビア語があります。アラビア語からマルタ語が分かれ、マルタ島で話されています。

南部周辺グループは、アラビア半島南部で話されていた南アラビア語と、エチオピア諸言語からなります。南アラビア語は古代サバ王国などで話されていました。エチオピア諸言語は、今は文献や典礼言語として残るゲエズ語と、現在も話されているアムハラ語、オロミア語、ティグリニャ語などが含まれます。

特徴
セム語では、一般的に単語は基本的な意味をもつ「語根」と呼ばれる3つの子音から構成されています。例えばアラビア語で「K-T-B」は「書くこと」を意味し、ここからマクタバ (本屋)、カーティブ (小説家)、キターブ (本) などの単語が作られていきます。

さらに、単語の語頭に「マ」を付け「Ma-u-a-u」とすれば「それをする場所」を表し (マクタブ=書く場所=事務所)、「マ」を付け「Ma-u-uu-u」とすれば「すること」を意味します (マクトゥーブ=書くこと=手紙)。

動詞についても語根を中心として人称にしたがって変化し、ヤクトゥブ (彼は書く)、ヤドゥルス (彼は勉強する)、ヤジュリス (彼は座る) のように、どの語根も規則性をもって変化します。(アラビア語の場合、ひとつの語根が1形から10形まで変化して意味のバリエーションが出来ますが、人称変化は規則性を保っています)

アムハラ語の場合、名詞についてはアラビア語ほど整然とした規則性・汎用性は見あたりませんが (あくまで素人の意見です)、動詞については同じように語根を中心として規則性をもって変化します。

セム語族がたがいに密接な関係にあることは、同じ語根が共通に見られることからわかります。「S-L-M」という語根は、アッカド語、ヘブライ語、アラム語、アラビア語、アムハラ語ともに「平和」を意味します (サラームなど)。

アラビア語とアムハラ語の共通単語については、これまで自分が見聞きしたなかでは、1割弱くらいはそうだと思います (むしろ北部のティグリニャ語の方が共通点が多い印象)。

動詞の変化
動詞の変化については、語根を中心として人称にしたがって変化するので、学生時代にアラビア語で苦労したことを思い出しつつも、個人的には「とっつきやすい」ものです。

基本語根は語頭に「マ」を付け「〜すること」という意味を持ちます(「マ」が付くところがまたアラビア語っぽくて親近感をおぼえます)。以下、何例か記します (実際は複数形や丁寧形もあります)。「...」には語根が入ります。ただし、母音の発音はカタカナやアルファベットでは表現しきれず、未完了形語頭の「i」はイとウの中間くらいの感じで発音します。例えば「I want」は「イファッリガッロー」と「ウファッリガッロー」のどちらでも良いような感じです。

完了形
I did : ...ow/ku
You did (男): ...h/kh
You did (女): ...sh
He/It did : ...a/e
She/It did : ...ch/ach

未完了形
I do : i...allo-
You do (男): tu..allah
You do (女): tu...allesh
He/It does : yi...al
She/It does : tu...allech

こういった変化はアラビア語と同じような感じです。さらにアラビア語には未完了接続形やら短形があって、おまけに受動態まであるので、規則的なのは良いのですが、規則が多すぎてかなり苦労した思い出があります。

しかし当時からきちんとした文法書があったこともあって、なんとか学校の試験はクリアーしていました。こんな感じなので、アムハラ語もなんとかいけるかなとたかをくくっていたのですが・・・。

未完了否定形
I don't : al...m/um
You don't (男): at...m/um
You don't (女): at...m/im
He/It doesn't : ai...u/um
She/It doesn't : at...m/um

うーん、否定形まで動詞の変化で表すのかぁ・・・。これを知ったときはちょっと目の前が暗くなりました。「ウワッダッロー (私は好きです)」と「アルワッドゥム (私は好きではありません)」はいろいろな意味でちょっと違うなぁ・・・。
「Mawdad (好きであること)」から語根を「W-D-D」と拾い上げ、すかさず人称変化 (肯定形 or 否定形) を当てはめるのはなかなか難しいものがあります。外国人向けとしては、エチオピアではこれしかないという文法書を買ってきたら、現在完了形や過去完了形も変化の仕方が少しずつ違っていました。過去進行形や現在進行形の変化も、ちょっと想像の範囲を越えていました。使役の変化もあって、いろいろ規則的なのはわかりますが、どうにも面倒くさい。

「それを持ってきた」とか「彼を呼んだ」などのとき、動詞に非分離形人称代名詞が付くのはアラビア語も同じなので理解できますが、少なくともアラビア語は動詞の最後に人称代名詞が付くので、それほど難しいとは思いませんでした。

しかしアムハラ語では、どうも人称変化している動詞の最後ではなく間に入っているようなのです。文法書には動詞の実際の変化例が (アルファベットで) いくつか書かれていましたが、とにかく目がチカチカして全然頭に入ってきませんでした。

「You take」が「トゥワスダッラフ」だったら、「You take me」は「トゥワスダッラフニュ」と最後に非分離形人称代名詞がついてほしいと思うのですが、実際は「トゥワスダニャッラフ」と間に入ります。とにかくおぼえづらい・・・。

とはいうものの、ほんの一時期ではありますが集中的に勉強したかいがあって、エチオピア滞在の最後の方は多少なりとも意思の疎通はできるようになりました。

でも、こちらが少しでもアムハラ語で話すと、今度は向こうからまったく遠慮なしにアムハラ語でべらべらと話されるので、結局いつも「イクルタ (すみません)」を連発していました。

冷や汗ものでしたが、言葉が通じる喜びというものを久しぶりに感じたエチオピアでした。

フランス訛りの英語

久しぶりにフランス人と話をして (もちろん英語で)、エチオピアで会ったフランス人のことを思い出しました。掘削機を扱うメーカーのエンジニアで、アフリカ地区の営業と顧客の実地訓練を担当しているとのことでした。

自己紹介のとき「イン・シャグジ・オブ・ドギリング・ギグ・トゲーニング」と言っていて、「ああ、やっぱりRの音はこうなるんだ」と感動しました (in charge of drilling rig training=掘削機の訓練の担当)。

英語の発音に関しては他人のことはとやかく言えませんが、少なくとも彼は自分の肩書きを言うのがえらく大変そうでした。もっと普通に英語っぽくしゃべれるんじゃないかなとは思うんですけどね。フランス人はそういうのは曲げない人達なのかなと思ったりしています。

オブリガード=ありがとう?

ポルトガル旅行中、リスボンからシントラへのバスツアーに参加した時のこと。若い女性のガイドさんと会話していました。

「日本人なのになんで日本人専用のツアーに入らないの?」「海外に住んでいるのでそういうのを手配できなくて」「日本人はポルトガルのこと知っているかな」「ザビエルと南蛮貿易は必ず学校で習いますよ」などと話していて、そのうち「日本語でサンキューってアリガトウだよね、ポルトガル語のオブリガードと似ているけど関係あるのかな」と聞かれました。

その時は「ふぅん」とうなずいただけでしたが、よく考えるとなかなか興味深い話だなと思いました。

南蛮貿易や宣教師を通じて「Arigato」と「Obrigado」のどちらかの言葉が生まれたのかもしれないと考えると、なかなか愉快です。ポルトガル語の「オブリガード」は、兄弟言語であるスペイン語 (グラシャス) やイタリア語 (グラッチェ) と比べると完全に系統が違うので、「ひょっとして日本語から?」なんて考えてしまいます。

逆に、当時の日本では「オオキニ」とかが主流で、そこに舶来のエキゾチックな響きを持つ「オブリガード」がちょっと訛って「アリガート」になって日本人の間で流行った、と考えるのも悪くありません。カルタ、金平糖、ボタン、襦袢、タバコなどポルトガル語起源の単語はたくさんありますから。

ちなみに、旅行前に簡単な会話帳を見てオブリガードという言葉は知っていましたが、日本語との関連性はまったく考えていませんでした。ポルトガル人とスペイン人は母国語同士でしゃべっても余裕で会話が成立するらしいですから、微妙に似ている言葉とかたぶん語源が同じ言葉というのがすぐにピンと来るんでしょうね。

確かに、どこの国の言葉ともまったくつながっていない、完全に独立した言葉というものもあまりないでしょうから、普段その辺を意識して外国人と会話すると面白いです。

旅をする言葉1「ファラン」

はじめて「ファラン」という言葉を知ったのは、「バンコク楽宮ホテル」という小説を読んだ20才の頃。それはタイ語で外国人 (白人) を意味する言葉で、どちらかといえば「外人 (ガイジン)」のニュアンスに近いと思います。

語源には諸説ありますが、11~12世紀にアラブ人が十字軍をさして「フィリンジア」と称したのが始まりとも言われています。当時の十字軍はそのほとんどが「Franks (フランク族、ゲルマン族)」だったからです。

時代は下り、アラブ商人がラクダを連ねてシルクロードを東西に行き交うようになると、外国人をあらわす単語としてこれが各地に根づいていったようです。では、いったいどこまで「旅」をしたのでしょうか。調べられた範囲で各国の言葉を記します。

エチオピア:farenji
ギリシャ:frangos、firanja
トルコ :frenk、ifrangi
アラビア:faranji、ifranji
イラン :farangi
インド :firenghi
タミール:parangiar
タイ  :farang
カンボジア:barang
ベトナム :pharang
マレーシア:palang (関連性無し?)
インドネシア:barang (関連性無し?)
サモア  :paalagi、papalangi
トンガ  :palangi

なんと、自分が暮らすトンガまでやってきていたのです。トンガ語で「パランギ」はもちろん外国人の意味。「パランギ」と聞くたび、実は人知れず感動している今日この頃です。

【注】現代アラビア語で外国人の直訳は「アジュナビー」です。マレーシアとインドネシアでは、その昔、ポルトガル人をさしてファランギと言っていましたが、上記の2単語は外国人を直接あらわすものではありません。そもそもの語源はアラビア語ではなくペルシャ語という説もあります。

また、「fi (薄い)+rang (色)=白人」というヒンディー語源説もあります。タイ語のファランの語源は「フランス人→ファランセ→ファラン」という説もあります。諸説紛々ですが、時空を超えた壮大なる偶然の一致と、決して言い捨てることはできないのではないでしょうか。

旅をする言葉2「死」

おそらく人類が知恵を獲得した最初期に発生したであろう「死」という単語。遡ることができるのは文献が残る四大文明発祥期までですが、古代メソポタミアのシュメール語では「mitu」、古代エジプト語 (ヒエログリフ) では「mwt」と呼ばれたようです。

驚くべきことに、この単語はその後長い年月をかけて世界中の言語に派生しています。

アラブ・アフリカ
アラビア語: mawtu
アムハラ語: mot
スワヒリ語: mauti

ヨーロッパ
マルタ語 : mewt
ラテン語 : mors (mortis)
イタリア語: morte
スペイン語: muerte
フランス語: mort

なお、欧米ではもうひとつの流れ「t-d/d-t」があります。
英語   : death
ドイツ語 : tod
オランダ語: dood

でも英語には「mortal」(死の、致命的な) という単語もありますね。ロシア語では「スミェールチ」らしいのですが、これって「s+mrt」かな。あるいは「シュメール」に似ているからシュメールそのものが死というイメージなのかも。ギリシャ語が全然別系統 (thanatos, tezaro) というのはちょっと気になりますが。

アジア・大洋州
インドネシア語: kematian
タガログ語: kamatayan
フィジー語: mate
トンガ語 : mate

もちろんアジアにはもうひとつの「si/shi」という語群があって、日本語や中国語以外にも探せばいくつもあるんじゃないかと思います。

ちなみにモンゴル語を調べていたら、とんでもない文献がありました。「モンゴル語の死を意味する表現について (→論文PDF直リンク)」。やっぱり死って最大限の表現方法がありますね。

日本人からすると「m-t/mrt」の響きに死はあまり感じないわけですが、世界的にはこちらの方が主流なのかもしれません。

いずれにしても、死という単語を多くの国で共有していることは明らかです。なぜそうなったのか、もう少しじっくり考えを巡らせてみようと思います。

ファカピコピコ

世界各地の言語において、そのモノ・コトがなぜそのような単語になったのか、必ず理由があるはずです。それは土地の歴史や風土によって長い間もまれ、いくつもの変化をくり返し(あるいは頑として変化を拒絶し)、そうして現代語として定着したわけです。なので、すべての単語は必然であり、言霊という命が宿っているということにもうなずけます。

先日、トンガ人と会議をしていたときのこと。トンガ人同士で「ファカピコピコ (Fakapikopiko)」という単語の応酬がありました。意味は「怠け者」。あるスタッフが思うように働いてくれなくて、どうにも難儀しているということを声高に叫んでいたのです。とにかく議論は真剣そのもの。シリアスな表情にこちらが口を挟む余地はありませんでした。

ただ、その語感がなんともおかしくて、まじめな議論の最中なのに、こちらは笑いを抑えるのに必死でした。ファカピコピコはないよなぁ・・・。いやいや、そこには必ず言霊が宿っているハズ。ずっと聞いていればいかにも怠け者という語感を感じ取れるハズ。ファカピコピコ、ファカピコピコ・・・。

うん、確かにあまり真面目人間ではなさそうかも。なんだか楽しくなってきたぞ、ファカピコピコ。もしかして怠け者というより、お調子者なのかも。そのファカピコピコだという人に、ひそかに会ってみたいと願う今日この頃。

タブー

「タブー」 の語源はトンガ語の Tapu (神聖な、禁止された) なんだそうです。実はマオリ語やタヒチ語も同じで、ポリネシアで広く使われている単語です。18世紀、キャプテン・クックの航海日誌でヨーロッパに紹介され、その後、世界に広まっていきました。「ハーレム」 みたいなものですね。当時のヨーロッパ人にとって、どこか神秘的な響きだったんでしょう。

ちなみにトンガの首都ヌクアロファがあるトンガ最大の島の名はトンガタプ (Tongatapu)。南の聖地もしくは聖なる南の地 (sacred south) という意味です。

ポーの一族はトンガ人(妄想)

トンガ語で 「ポー (Po)=夜」。南国で昼間は暑いので、意外と太陽は好かれません。トンガ人は日が沈んでからみんな元気になるので、「夜の一族」 もあながち間違いではないかも。

なお、トンガ語だとエドガーはエチカ (Etika)、アランはアラニ (Alani)。エチカもアラニもたくさんいます。元力士 (南ノ島) でトンガの警察署長をやっているのもアラニさん。「ポーの一族=トンガ人」 説、イヤ、ないな・・・。

ことば

1つの言葉をもつ国は幸いです。たとえ相容れなくても、相手が何を話しているのか意味はわかるでしょう。

3つの言葉をもつ国は幸いです。そこには共通語が生まれ、交流もいがみ合いもその言葉を介し平等に行われるでしょう。

2つの言葉をもつ国は悲劇です。お互いがゆずらず、優劣をつけようとするでしょう。フィジーがそうだとは言いませんが。

フィジーに住んでいた時にふと思い浮かんだ言葉。インド系フィジー人とオリジナルフィジー人の間にある、取り去りようのない壁を感じて。

悪魔の名前

映画「The Conjuring 2 (死霊館・エンフィールド事件)」を観ました。1も怖かったですが、2も相当なもの。スナヤンシティーの映画館も終始インドネシア人の悲鳴で騒がしかったです。ネタバレになってしまいますが、最後はとり憑いた悪魔の名前を明らかにすることによって、ついに悪魔との戦いに勝つことができました。

なぜ名前を呼ぶと悪魔が退散してしまうのか。それは、名前を知らないものはこの世に存在しないのと同じだからです。いないものは退治できません。本当の名前を呼ぶことによってその存在が特定され、人は始めて悪魔と対峙することができます。そうなれば悪魔など弱いもの。

映画館を出るとき、ふと、TSUNAMI (津波) が国際語になっていることを思い出しました。2004年のインド洋津波で未曾有の被害を出したアチェでは、人々が津波というものを知らなかったそうです。なぜ知らなかったのか。それは、津波を意味する単語がなかったからです。

アチェからほど近いシムル島も津波に襲われましたが、この島では犠牲者はほぼいませんでした。100年前の大津波(現地語でスモン)で島が壊滅状態になったことが、田植え歌などで現代まで伝承されていたため、シムル島の人々は大地震の後に来る津波のことを知っていて、みんな高台に逃げることができたからです。シムル島では悪魔に名前 (スモン=津波) があったのです。

その後、日本語であるツナミが世界に広まりました。これはとても良いことです。ただ、実はインドネシアにも、各地に津波を表す単語は昔からあったようだと、最近聞きました。単語としてはあっても、人々の脳裏から忘れられていたのかもしれません。Smong、Galoro、Ie Beuna、Hilangnya Negeri Elpaputih、Gergasi Dari Laut、Wor、Ae Mesinuka Tanalala。(←ちょっと自信ないですけど)

災害から身を守るためには、まず災害そのものを知らなければ始まりません。でもそれは、津波発生のメカニズムとかそんな難しい話ではなく、津波という単語を知っている、ただそれだけでも、少なからぬ効果があります。アチェでも津波という単語が生きた言葉として残っていたら・・・。今さらながら残念に思います。

【注】実際にはアチェにも古くから「Ie Beuna=イブナー」という津波を表す単語があったそうですが、人々に継承されていなかったようです。

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