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日本語の起源、古代日本

日本語の起源

世界には、約3000の言語があると言われています (定義の仕方によっては7000とも)。100万人以上が話している言語にしぼると、その数は100程度になるそうです。1000万人以上だと約30言語。そして1億人以上が話している言語となると中国語、英語、ヒンドスターニー語(インド北部、パキスタンの口語)、ロシア語、スペイン語、ポルトガル語、ドイツ語、フランス語、アラビア語、ベンガル語、マレー語(インドネシア語含む)、そして日本語となります。

これら世界の言語はいくつかの系統に分かれ、その言語の元になった祖語というものがあります。同一の祖語に属する言語の集団を同一語族といいますが、主立ったものにアルタイ語、ウラル語、シナ・チベット語、オーストロネシア語、ドラビダ語、セム・ハム語、ニジェール・コルドファン語の各語族が存在し、世界の言語の大半はこれらの語族のうちのいずれかに属しています。その中で、スペインのバスク語とともに日本語は、起源がはっきりしていない言語だと言われています。

日本語の起源としては、これまでに諸説があげられています。アルタイ語起源説、高句麗語同系説、朝鮮語同系説、オーストロネシア語とアルタイ語の混合起源説、クレオールタミル語そのもの説などなど。いろいろな文献から類推すると、北方から日本列島に流入した古代人が使用していた北方系言語に、南方から黒潮を利用して上陸した縄文人の言葉と、朝鮮半島から渡来した弥生人の言語体系をあわせて、新たな言語として日本語が創られたと考えるのが自然なんじゃないかと思いました。

大和朝廷が成立した時代、日本を含めたこの地域の共通語は、商用語としての中国語百済方言だったそうですが、強大化していた中国と朝鮮半島の政治的影響力を低下させることと、当時ばらばらだった日本国内の人々をまとめるため、漢文から脱却した新たな共通語が必要だったことは想像に難くありません。こうしてできあがった日本語は、北、南、西の諸言語の語彙や文法的特徴を併せ持っていたため、ずばりどの言語系が起源、と言えないのではないかなと。日本人は遺伝子的にもバラエティーに富んでいると言うし。

日本語の発達

日本語が国語としてだんだんとその形をかためていく過程は、万葉集などから見て取れるそうです。

柿本人麻呂
「天海丹 雲之波立 月船 星之林丹 榜隠所見」
(あめのうみに くものなみたち つきのふね ほしのはやしに こぎかくるみゆ)

※倭語の単語を意訳した漢字(当て字)を、倭語の語順にしたがって並べていますが、動詞の変化語尾や助詞は表記しておらず、まだ漢文の一種といった段階。

天武天皇/万葉集
「紫草能 尓保兵敝類妹乎 尓苦久有者 人嬬故尓 吾恋目八方」
(むらさきの にほへるいもを にくくあらば ひとづまゆゑに われこひめやも)

※動詞の変化語尾や助詞も含めて、漢字(当て字)が使われています。ただ、この頃はまだ助詞などが表記されないことも多かったようです。

山上憶良
「世間乎 宇之等夜佐之等 於母倍杼母 飛立可祢都 鳥尓之安良祢婆」
(よのなかを うしとやささしと おもへども とびたちかねつ とりにしあらねば)

※一部意訳漢字で、それ以外の倭語はすべて一音節に漢字一字を当てて音訳しています。

東歌 あずまうた
「可豆思加乃 麻万能宇良未乎 許具布祢能 布奈妣等佐和久 奈美多都良思母」
(かづしかの ままのうらみを こぐふねの ふなびとさわく なみたつらしも)

※名詞とそれ以外の品詞の区別はなく、倭語の一音節ごとに漢字一字を当てて音訳しています。このように、日本語は漢字を使いながらも、中国語から独立して独自の国語となっていったとのことです。そして、さらに簡単に音を表すため、平仮名と片仮名が開発されたというわけです。

日本書紀
「破夜歩佐波 阿梅珥能朋利 等弭箇慨梨 伊莵岐餓宇倍能 娑弉岐等羅佐泥」
(はやぶさは あめにのぼり とびかけり いつきがうへの さざきとらさね)

※これは元々「隼鳥昇天兮 飛翔衝搏兮 鷦鷯所摯焉」という漢文で意訳した句が、その後の日本語の発達によって、本来の音で採録されたものだそうです。なんだかかえって難しくなっているような気がしないでもありませんが。

しかし単語を一音ずつ当て字で表すというルールがあったからこそ、朝鮮半島渡来の言葉より以前から存在していた南方系あるいは北方系の言葉を、日本語として柔軟に採用することが可能になったのかもしれません。あるいはそのための音訳ルールだったのかも。

また、漢字には名詞と動詞の区別がなく、語尾変化もないため、字と字の間の論理的な関係を示す方法がありません。一定の語順がなく、文法的に自由度の高い漢文を基礎として、その訓読という方法で日本語の語彙と文体を開発したため、日本語はいつまでも文法的に不安定なままで、論理的な散文の発達が遅れたそうです。「ありをりはべりいまそかり」なんてとにかくリズムだけで覚えた、古文はつらかった、なんてことを思い出しました。

日本とユダヤのトンデモ説

いろいろと日本語の起源を調べていくと、インターネット検索に「カタカナはヘブライ語が起源」という怪しい情報が思いの外たくさんひっかかり、また「古代イスラエルの失われた10支族は日本に来ていた」といういわゆる「日ユ同祖論」があいかわらず根強く流布していることがわかりました。

そんな記事を昔「ムー」でドキドキしながら読んだことを懐かしく思い出しましたが、さすがにカタカナとヘブライ語のアルファベットを結びつけるのは、実際に試してみましたけどちょっと無理があるなぁと感じました。面白いですけどね、ロマンを感じるし。では、日ユ同祖論支持派の主張をいくつか。

神社の狛犬は実は獅子(ライオン)でそれはユダ族のシンボル。
伊勢神宮の石灯籠にダビデの星が刻み込まれている。
エルサレム神殿の門に菊花紋章が刻み込まれている。
エルサレム神殿にも賽銭箱があり様式や構造が似ている。
古代ヘブライの建物にあったトリイ(門)と鳥居は同じ造り。

ユダヤのシオン(Zion)の祭と祇園(Gion)祭は同じ(7月17日)。
古代ユダヤの聖櫃(アーク)と日本の神輿は形が良く似ている。
祇園祭の山車には旧約聖書の創世記やダビデ王を描いた図がある。
カタカナとヘブライ語アルファベットが一部極めて似ている。
スメラミコト(天皇)は古代ヘブライ語アラム方言でサマリアの大王。

同じくヤマト(大和)は神の民(ヤ・ウマト)。
ミカド(帝)はガド族出身者の意、ガド族始祖の名はニェポン。
日本書紀の神武東征から、神武は遙か西の地から来たことがわかる。
イスラエル10支族が失踪したのは紀元前721年、神武誕生は紀元前711年。
伊勢神宮暦は他の神社と違ってヘブライ暦(ユダヤ暦)と同じ。

実はまだまだたくさんありますが、いちいちあげても仕方ないのでまぁこのくらいで。ちなみに、これらの説に対して遺伝子学を持ち出したりけっこう本気で反論しているグループもあって、その辺がますます「ムキになって反論するってことは、もしかしたら…」と期待を抱かせることになっているのではないでしょうか。

古代の世界でも民族同士の交わりというのは確実にあったわけですから、地理的に遙か西方に位置していたユダヤ(中東)の文化や血が、極東の島国に達していなかったとは誰も言い切れません。むしろ、それは当然あるべきことです。

こういう古代世界における異文化交流の痕跡を知ることは、個人的にはとても興味深いことです(特に祇園祭とか)。ただ、どうも日ユ同祖論を支持する人たちは、さらにその先に隠された何らかの「秘密」を追い求めているように感じます。
その辺がこの説を「トンデモ説」に貶めている原因でしょうか。「ムー」読者だった自分としては、好きですけどね、こういうの。でも、やっぱりそこまでは…。

* * *

日本とユダヤの関係という点では、有力渡来系氏族の秦氏(はたうじ)がユダヤ人でネストリウス派キリスト教徒だったという説もあります(佐伯好朗博士、1908年の論文)。

4~5世紀頃、数万人規模で朝鮮半島より渡来してきたこの一族は、養蚕や絹織物、土木に関して高度な知識と技術を持っていたことが伝えられています。京都の太秦に定住し、もともと居住に適さない湿地帯だった京都を大規模に開発し遷都を実現させました。

その「平安京」は、実はエルサレム (イル・シャローム=平和、平安) から名付けられたのだとか。「秦氏=ユダヤ人」までは、まぁ十分あり得る話として聞くこともできますが、だからといって「平安京=エルサレム」まで持っていかなくても・・・。

また、弘法大師として知られる空海は、天才と呼ばれる一方でいろいろと謎も多い人物です。実は、空海が「いろは歌」を作った際、中国留学中にネストリウス派キリスト教の影響を受けたことから、歌の中にその暗号を隠したと言われています。

ただ、一般的には「いろは歌」が作られたのは空海の時代より200年ほど後世のことだとされているので、これもかなりのトンデモ説です。ちなみに「いろは歌」は、空海よりさらに100年ほど前の柿本人麻呂が作者という別の説もあります。

いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす

(色は匂へど 散りぬるを)
(我が世誰ぞ 常ならむ)
(有為の奥山 今日越えて)
(浅き夢見じ 酔ひもせず)

これを7文字ずつ区切って書くと、末尾の文字に「とかなくてしす=咎無くて死す(無実の罪により死んだ)」、角の三文字に「いゑす」という暗号が浮かび上がるのです。

7という数字は、旧約聖書にあって1週間の元になった数字ですから、キリスト教との関連も暗示されます。「言われてみれば確かに」という感じが無きにしもあらずですが、「咎無くて死す」については、キリストとは関係なくかなり昔から囁かれていたそうです。

ろはにほへ
ちりぬるをわ
よたれそつね
らむうゐのお
やまけふこえ
あさきゆめみ
ひもせ

空海がいろは歌の作者だとして、また「イエス、咎無くて死す」という暗号を埋め込んだとしたら、なぜそのようなことをしたのでしょうか。空海は真言宗の開祖として仏教を極めたわけですが、同じ宗教人として何かキリストに感じ入るところがあったのでしょうか。トンデモ説とはわかっていても、興味は尽きることがありません。