マナド
北スラウェシの州都マナドは美人が多いことでつとに有名です。かのメナード化粧品もその名にあやかったのだとか。マナドという名前の語源ですが、太平洋戦争中、ここに上陸した日本軍が拠点の「ミナト (港)」にしたことから、という説もあったりしましたが、実際には現地のミナハサ語でもともとそういう名だったそうです。
それを確かめたいなと思って、ジャカルタ南部のクマン地区にある古地図屋さんに行ってきました。オランダ人が営むそのお店は、古地図とアンティークが所狭しと並べられています。しんと静まり返った店内で、当時の聖書から抜き出されたという16世紀の世界地図や、18世紀のバタヴィア (ジャカルタ) を活写した版画などに見入っているうちに、まるで往時にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えました。
カリマンタン (ボルネオ) 島、スマトラ島、ジャワ島にくらべ、スラウェシ (セレベス) 島の地図はほとんどありませんでしたが、1800年代半ばの地図で確かに "Menado" と記載されているのが確認できました。スッキリ。
日本製の地図
自分が日本人だとわかると、店主は奥から日本語で記されたスマトラ島とマレー半島の地図を2枚、引っ張り出してきました。いつの時代のものかと聞かれ、地図を見渡すと昭和18年 (1943年) 製のものでした。
オランダのインドネシア支配は、太平洋戦争終結後に起こったインドネシア独立戦争により、ついに終わりを迎えました。独立戦争には残留した旧日本兵も加わったそうです。日本とオランダは、ここインドネシアにおいてはちょっと微妙な関係です。
他にめぼしいものとして、江戸時代末期の江戸の地図がありました。神社や名所旧跡が記されていることから、用途としては観光地図のようなものだったそうです。値段は聞かなかったなあ。ちょっとほしかったけど。
※過去記事「インドネシアの生活 (ジャカルタ)」から抜粋+追記。