トンガ創世神話
はじめに、海とプロトゥ (霊が住む世界) があった。
ふたつの境界にはトウイアオ・フトゥナという岩があった。
岩の上にはビキと双子の妹ケレ、アトゥンガキと双子の妹マイモアオ・ロンゴナ、フ
ヌアウタと双子の妹フォヌアバイ、ヘモアナと双子の妹ルペが住んでいた。
ビキはケレと交わり、息子タウフリフォヌアと娘ハベア・ロロフォヌアが生まれた。
アトゥンガキはマイモアオ・ロンゴナと交わり、娘ベレラヒが生まれた。
フォヌアウタはフォヌアバイと交わり、娘ベレスィイが生まれた。
成長したタウフリフォヌアはハベア・ロロフォヌアと交わり、3人の息子、ヒクレオ、タンガロア、マウイが生まれた。
3人は世界を分けあい、ヒクレオはプロトゥ、タンガロアは空、マウイは地下世界をとった。
海ヘビの姿をしたヘモアナと、鳩の姿をしたルペは、残りの世界を分けあった。ヘモアナは海を、ルペは陸地をとった。
タンガロアは空にあって、タンガロア・タマポウリ・アラマフォア、タンガロア・エイトゥマトゥプア、タンガロア・アトゥロンゴロンゴ、タンガロア・トゥフンガらの子をもうけた。
眼下に広がる海原を見飽きた老タンガロアは、陸地をさがすためチドリの姿をしたタンガロア・アトゥロンゴロンゴを下界に遣わした。
タンガロア・アトゥロンゴロンゴが見つけられたものは、水面下の岩礁 (後のアタ島) だけだった。
老タンガロアはタンガロア・トゥフンガに、彼が作っていた木彫りの切りくずを海に投げるよう言った。
タンガロア・トゥフンガは長くこの作業を続けたが、チドリの姿で下界に降りたタンガロア・アトゥロンゴロンゴは、二度に渡って陸地を見つけることはできなかった。
三度目に、タンガロア・アトゥロンゴロンゴは切りくずが島になっているのを見つけた。これがエウア島である。
この後、タンガロア・トゥフンガがさらに切りくずを海に投げ入れると、カオ島とトフア島ができた。
トンガタプ島と他の多くの島は、マウイの仕事である。ある日、マウイはマヌカを訪れると、トンガ・フシフォヌアという老人から釣り針をもらった。
マウイは海に釣り針を投げ入れ、糸を引き上げようとすると、大きな獲物がかかっていた。
必死の力でマウイが引き上げると、海の底からトンガタプ島が持ち上がった。
マウイは釣りを続け、次々に多くの島を海底から引き上げた。フィジーとサモアのいくつかの島も、マウイが引き上げたものである。
海中にあったアタも、やがて水面からその姿を現した。
タンガロア・アトゥロンゴロンゴはチドリの姿でアタ島を訪れると、一粒の種を島に落とした。
タンガロア・アトゥロンゴロンゴが次にアタ島を訪れると、芽吹いた植物で島は覆われていた。
チドリの姿をしたタンガロア・アトゥロンゴロンゴがくちばしで植物の根をつつくと、ふたつに分かれた。そして彼は空にもどった。
数日後、タンガロア・アトゥロンゴロンゴが島に降りると、腐った根の中にイモ虫が丸まっていた。
彼がイモ虫をつつくと、ふたつにちぎれた。それぞれの身は、人であるコハイとコアウになった。
タンガロア・アトゥロンゴロンゴのくちばしの中にはまだイモ虫の身が残っており、それは人であるモモになった。
コハイ、コアウ、モモは、最初のトンガ人となった。
マウイは3人のためにプロトゥから妻を連れてきた。彼らはトンガ人の祖先となった。
ラピタ ~太平洋を制した古代人~
ラピタ (Lapita) とは、今から3000年ほど前、パプアニューギニア北部の島々を起点に太平洋全域まで広がっていった海洋民で、ポリネシア人、ミクロネシア人、メラネシア人(海岸部)の民族的・文化的ルーツであると考えられています。
ラピタは特徴的な土器(Lapita Ceramic)を残しており、太平洋全域で200ヶ所あまりの地域から出土が確認されています。トンガでは1997年、ハアパイで大規模な発掘調査が行われました。
実は、ラピタの本当の名称はわかっていません。1952年にこの土器が発見されたニューカレドニアで、現地人が発した「Xapeta'a (穴)」という単語を学者が聞き間違え、そのまま定着してしまったそうです。
ラピタ土器は紀元前1350年から紀元前750年にかけパプアニューギニアで盛んに作られ、紀元前250年頃まで続けられたようです。トンガ、フィジー、サモアの西ポリネシア地域でも、紀元前800年頃のものが出土しています。
ラピタ人はわずか数世紀のうちに次々と南洋の島々を発見し、各地に入植していきました。検証によりその大航海は第一期と第二期にわけられるのですが、その間には1000年ほど空白の時間があります。
太平洋各地に生息するサンゴや、南米アンデス山脈の湖底の堆積物から得た気象データは、このふたつの時代に、異常な高頻度でエルニーニョ現象が起きていたことを示しています。
通常は東から西に向かって吹く貿易風を、時には何週間にもわたって逆転させたスーパー・エルニーニョが、彼らの航海を大いに助けたのでしょう。羅針盤も海図もなかったであろう時代に、ラピタ人は自然現象を最大限利用する知恵を持っていたのです。
いずれにしても、古代人が現代人よりも科学技術において劣っていたなどとは、なかなか言い切れるものではありません。古代人の叡智にあらためて感動です。
ムア ~帝国の夢の跡~
トンガが大首長国としてポリネシアの海域を支配していた頃、もっとも反映した帝国の首都がムア (Mu'a) でした。今でもピラミッドの底辺とおぼしき遺跡 (墳墓?) がいくつも残されています。Google Earthで見ると一目瞭然。
まぶしく照りつける太陽の下で、くずれかけ草に覆われた大きな石の階段を見ると、きびしい歴史の流れを感じずにはおれません。でも何かが滅びたからこそ、新しい何かが生まれたんでしょうね、きっと。
ハバイキ
ポリネシアではほとんどすべての島々で、魂が旅立っていくという伝説の地「ハバイキ (Havaiki)」の話が伝わっています。
そこは最初に太平洋海域に住みついた人たちの原郷であり、マオリの伝承歌にも「われらは大いなるハワイキより来たる」と歌われています。
母なる地ハバイキの名はポリネシア人の移動によって各地に伝播し、ハワイ (Hawaii)、サモアのサバイイ島 (Savaii)、クック諸島のアバイキ伝説 (Avaiki) などにその名をとどめています。
トンガのエウアイキ島 (Eueiki) もそうなのかな。
トンガのお手玉
トンガには古くから ヒコ (Hiko) という女の子の遊びがあります。ジャグリング、と言うよりはお手玉と言った方が日本人はイメージがわきますね。
5才くらいになると、日本人が縄跳びなんかを始めるように、トンガでは自然と上の子たちがヒコを教えていくそうです。
今どきの子ならボールを使って遊ぶのでしょうが、昔ながらにツイツイの実 (Tuitui Nuts) でヒコをすることもまだ珍しくはありません。
ヒコの由来をうまく説明できるトンガ人はいませんが、ひとつの神話があります。
その昔、地下世界に住む盲目の女神 ヒクレオ (Hikuleo) は、許可なく近づく者の目玉を抜き取っては、女の子たちを家によびそれらをお手玉として遊んだのだそうです。
このことから、トンガの女の子たちはけっして夜、ヒコはしません。地下世界からヒクレオをよんでしまうからです。「ヒクレオに目玉を取られるぞ」 親たちは昔からそう言って、子どもを早く寝かしつけたのでしょう。
トンガの幽霊
フェフルニ (Fehuluni) はもともと男には女の姿で、女には男の姿で現れる幽霊でしたが、近代になってからは主に女性の幽霊として語られるようになりました。
自分の頭を腕に抱え、髪をとかしているのだそうです。ときどき目撃談が聞こえてきますが、中には、飛行機の乗客が翼に乗って髪をとかしているフェフルニを見たという話もありました。