A Dog's World 

~海外で暮らす・日々の記録・旅の記憶~   

お香の日、グダンガラムを思い出す

4月18日は「お香の日」だそうです。自分にとって好きな香りってなんだろうなと考えると、つい「ガラム」が頭をよぎります。タバコなんですけどね。

それは学生時代、インドネシア人留学生と毎日のように楽しく過ごしていたあの頃の記憶が、まざまざと蘇ってくるからです。

そんな過去記事を再録したいなと。ご時世的にタバコの話題もアレかなと思い、ブログ引越し時に削除していたものですが、まあいいや。

中東生活でガラムとはつかず離れずの自分でしたが、後年、ついにインドネシアに赴任することになりました。

地方出張に行くときはガラムをいくつか持参して、現地の仕事で協力してくれた村人に置いてきたりしました。

ジャカルタなど都市部では喫煙率も下がっていましたが、地方ではまだまだタバコ (ガラム) は良いコミュニケーションツールでした。

インドネシアのパチパチタバコ@サウジアラビア

学生時代、日本語科にインドネシア人の留学生がいて、半年ほどの間、他の学友たちと一緒になって毎日のように遊んだりご飯 (自炊) を食べたりしていました。

彼のアパートの押し入れの中には、それこそ山のような「ガラム」が。これは正式には「Gudang Garam (塩の蔵)」という名前で、インドネシアの国民的タバコです。

クローブ (丁字) がブレンドされていて、火をつけて吸うとパチパチ (Kretek) と音をたてるため、クレテックとも呼ばれます。

これがまた南国のタバコらしく、ネットリ甘く良い香りがするので、こちらは興味津々。でもなかなかほしいとは言い出せませんでした。

そんな自分の気持を察してか、ある日こちらが言い出すより早く、彼からガラムを差し出してくれました。これがガラムとの付き合いの始まりです。

その後、ガラムとはつかず離れずといった関係で、何年かインターバルをおいて、急にふと吸いたくなったりしました。

もっとも、タールがかなりきついので、吸うというよりはいつもプカプカ・パチパチと煙をふかしている程度。その香りの方を楽しんでいました。

逆に自分で吸わなくても、隣で誰かが吸っていればそれで十分、あるいはガラムの香りをプンプンさせたインドネシア人が、横にいてくれるだけでも良いくらいです。

学生時代も、彼が学食に入ってくると、「来た!」と誰もがわかるくらい、ガラムの香りが染みついていました。いや、本当に良い香りでした。

先日、鳩のヒナが残念なことになって、このところ少し落ち込んでいました。(※注:リヤドのアパートの窓の外側に鳩が巣を作っていたのですが、ある日砂嵐で飛ばされてしまいました)

そうしてふとガラムの香りが恋しくなり、ちょっと考えた後、おもむろに台所にあったクローブを取り出し、スプーンに乗せて下からあぶってみました。

結果は、うーん、惜しい。近い、けっこう近い香りです。ただ、ガラムも単にタバコ葉とクローブを混ぜただけではなく、甘い香りのフレーバーもブレンドされているのだそう。

「やっぱりダメか」と思って、昔バトハスークの一角でガラムを買った記憶をたどり、買い物に出かけることにしました。

バトハスークはリヤド市中心部にあり、ありとあらゆるお店がゴチャッとかたまっている広大な場所です。

昔からそのゴチャゴチャ加減はすさまじく、渋滞と路上駐車がひどいためなかなか自分で車を運転して行くような気にはなりませんでした。

しかし今回はガラムのためです。12年ぶりのバトハは、あまりに雰囲気が変わっていて、たどり着くまで (たどり着いたのにそこがそうだと気付くまで) ちょっと時間がかかりました。

そうして車を路駐すると、最初に入ったお店でガラムを見つけ即購入。家に戻ってすぐに1本火をつけると、久しぶりの甘い香りに心底癒やされたのでした。

でも、やっぱりきつい。もともとタバコは苦手だし。今度は香炉を買ってきて、そこでほぐしたガラムを焚いてみようかな。

バホール(お香)@ヨルダン

職場で丁子入りのタバコ (ガラム) を吹かしていたとき、1人のスタッフが部屋に入って来るなり、「誰かバホール  (お香) を焚いているのか」と心配そうに聞いてきました。

ヨルダンでもお香は一般的ですが、何か悪いことがあった時、おそらくその原因であろう他人のねたみや嫉妬を追い払うという意味でお香を焚くことが多いため、どちらかといえば縁起の良いものではないのだそうです。

そこで部屋に入ってきた彼も、自分かあるいは同室のスタッフの身辺に何か悪いことが起きたのではないかと、心配してくれたようでした。

「このタバコの匂いだよ」 と言いながらガラムを見せると、「毎日それを吸っていれば悪いことも起きないだろう」 というありがたい (?) 言葉を頂戴しました。

イスラム教の成立によって、それ以前の迷信・俗信は根本的に否定されましたが、やはりなくならないものですね。