A Dog's World 

~海外で暮らす・日々の記録・旅の記憶~   

犬食・鯨食について思うこと(過去記事再録)

年が明けて、韓国の犬食禁止法可決や、またアイスランドが今年商業捕鯨を廃止するというニュースが報道されました。また少し思うところがあったので、ふたつに関連した過去記事を再録します。

トンガの犬食文化

自分がトンガに来る1年ほど前、ニュージーランド在住のトンガ人が、庭で犬をバーベキューにして焼いていたところを近隣住民に通報され、警察に拘留されるという事件がありました。トンガには昔から犬食文化があって、このトンガ人もおそらく罪の意識はなかったと思います。

この事件は、ニュージーランド国内で議論をよびました。文化人やマスコミは、犬食を非難することは相手の文化に対する無礼であり、また、これが移民排斥感情につながってはいけないという警告的な論調で語っていたようですが、世の多くの愛犬家に言わせると、犬食は動物虐待以外の何ものでもありませんでした。

ニュージーランドの現行法では、犬を殺して食べることは犯罪ではありません。そんなことを言ったら、ニュージーランド人だって肉食が大好きです。犬と牛・豚・羊・鶏、何が違うのでしょうか。「正しい文化」と「正しくない文化」なんて、誰にも決めることはできません。

ニュージーランドの中でも特にコスモポリタンな街であるオークランドは、市内に50万人、近郊を含めた首都圏では125万人が暮しています (ニュージーランド全体の4分の1)。そのうち40% (50万人) は外国人で、さらにその半分 (23~24万人) はトンガも含めた大洋州の人間です (トンガ人=3万人)。

オークランド市は、今後30年間で100万人の受け入れを宣言しています (移民+国内からの流入)。ますます多種多様な文化がひしめくことになり、だからこそ今から相手の文化を尊重すること、寛容になることの是非が盛んに議論されているわけです。

注意したいのは、寛容と不干渉は似て非なるものだということ。ヨーロッパのイスラム系移民と地元住民あるいは他の文化的コミュニティーとの関係は、どうも不干渉を貫いているような気がします。触らぬ神に祟りなし。つまり、一生わかりあえない。わかりあおうという気もない。それはそれでちょっと悲しいですね。

実はトンガ国内でも、それほど頻繁に犬が食べられているわけではありません。自分はトンガに1年以上いて、犬を食べている場面に出くわしたことは皆無、死んだ犬を肩にかついでうれしそうに道を歩いている人を見たことが1回あるだけです。

食文化の継承は大切なことだとは思いますが、いつまで続くのかな。日本の鯨食もですけどね。(⇒元記事:トンガのグルメ)

イルカとクジラ、そしてフカヒレ

写真は地元のスーパーに並べられたイルカパック (国内産)。静岡では縄文時代からイルカを食べていたとも言われています。子どもの頃から給食や食卓には、クジラに加えイルカが出ていたし、地元では時々回転寿司でも回っていますから (クジラの握り、イルカの味噌煮など)、自分の中ではイルカ食もクジラ食も特に奇異なものではありません。

ただ、いくらでも食べ物があるこの時代に、わざわざイルカやクジラを食べなくてもと思わなくもありません。また、海外生活を長く続けていると意識も多少は変わってきて、とくに大洋州勤務を終えた後は、スーパーでこうして売られているのを見つけるたび、複雑な気分になっていました。

トンガのババウ島でホエールスイムをした際、同行したオーストラリア人から一言目に「あなたの国ではクジラを食べるんだよね?」とけっこう真顔で言われたし、フィジーでは新聞の一面に日本の捕鯨が問題であると大々的に記事が載りました。ツバルでは「我々は捕鯨に賛成票を投じているんだけど? (だからもっと援助を・・・)」と言われたり。

日本や日本人のことはほとんど知らないけれど、捕鯨を続ける「悪い国」であることは知っている、という人が増えてしまうことは、外交的にもやはりあまりよろしくないんじゃないかなと。日本政府も反論の広報をそれほど熱心にやっている印象はないし。「こっちの文化なんだから放っておいてくれ」という理論は、このグローバルな時代にはもはや通用しないですよね。

(グローバルな時代だからこそ逆にローカルの個性を維持すべきという議論はまた別のところで)

正直なところ、いま静岡県人がイルカとクジラを食べる必然性はあまりないのかなと思います (とくに栄養学的には)。ただ、異なる価値観や文化的背景から、特定の国・地域に古くから伝わる食文化を頭ごなしに否定してしまうのも、それはそれで問題ありではないかなと思ったり。

同じような意識の変化は、フカヒレについても言えます。タイに赴任した際、中華料理店で催された食事会に同席した若いタイ人が、フカヒレは食べないと言っていました。理由をたずねたら、フカヒレの採集方法が世界的に問題視されていることを知ったからとのことでした。その日の晩に自分もあれこれ調べてみたところ、まあ確かにこれは問題視されるよなと。

写真は以前食べたフカヒレラーメン (日本)。タイ料理・中華料理から今すぐフカヒレを失くせとは思わないし、自分がこれまで食べてきた事実も変わりません。でも、これからは少し意識を変えるべきなんだろうなと思っている次第です。

なお、タイ離任前、やはり最後にもう一度と、フカヒレを食べに行ってしまった自分でした (⇒コチラ)。煩悩がなくならない。。