「Ploy (プローイ)」は2007年のタイ映画です。同年のカンヌ映画祭では "監督週間"(政治や商業を抜きにして、より自由な映画選出を謳って設けられた上映週間) で上映されました。一般ウケするタイ映画と違って、文学の香りがするアート系作品です。
アメリカでレストランを経営するウィットは、7年前に再婚した元女優の妻ダーンを連れ立って、身内の葬儀に出席するため10年ぶりにタイを訪れました。
早朝5時にバンコクのホテルに着いた二人でしたが、長旅で疲れ早く眠りたいダーンをよそに、眠れないウィットはホテルのバーに行きました。ウィットのジャケットをしまおうとしたダーンでしたが、ポケットから女性の電話番号のメモ書きを見つけてしまいます。
ウィットはバーで19歳の少女プローイと出会いました。プローイはスウェーデンから帰ってくる母親とこのホテルで朝10時半に待ち合わせしており、バーで時間をつぶしていたのです。何気ない会話の後、母親が来るまで自分の部屋で休めばいいと、プローイを部屋に連れて帰るウィット。
突然部屋を訪れたプローイを見て、ダーンはたちまち不機嫌になりました。プローイがシャワーを浴びている間、すぐ彼女を連れ出すようウィットに迫るダーンでしたが、ウィットは取り合ってくれません。
ここで物語はもうひとつのストーリーラインを描きます。先ほどのバーテンダーが、このホテルのメイドとこっそり隠れて逢瀬を楽しんでいたのです。こちらはタイ映画としてはありえないアダルティーな描写で、タイ国内での上映時はだいぶカットされたそうです。
一旦眠りについたダーンでしたが、あまりの怒りに目が覚め、ソファーで寝ているプローイを枕で押さえつけると、一気に息の根を止めました。事が終わってから急に慌てるダーン。しかしこれはダーンの夢でした。
まったく会話が噛み合わないダーンとウィット。ダーンが部屋を出ていってしまい、プローイとウィットは二人きりになりました。ウィットとダーンはともに既婚者だったこと、それぞれ子供がいること、再婚から7年たって関係性が薄れてきたことなどを、ウィットは話すのでした。
なぜ関係性には終わりが来るのかとつぶやくウィットに、プローイは「さみしいの?」と聞きます。「世界中みんなさみしいだろ、忙しくて気付かないふりをしているだけで」と答えるウィット。
そんなウィットにプローイは、「おかしな夢を見るの」と言い、バーテンダーとメイドの逢瀬の話をし始めました。そう、このストーリーはプローイの夢 (妄想) だったのです。
約束の時間になり、プローイは母親に会うため、寝ているウィットを起こさず部屋を出ていきました。ふと気になり、609号室 (バーテンダーとメイドが使った部屋) にこっそり忍び入るプローイ。しかし中には誰もいませんでした (誰もいないと思える演出)。
一方ダーンは、カフェで知り合った男性の家を訪れていました。こっそり指輪をはずして。お酒を飲み、酩酊状態になったダーンを襲う男。最初はその気があったかもしれないダーンでしたが、強い抵抗を見せました。しかし睡眠薬入りのお酒のせいで意識が遠のいてしまい、あえなく男にベッドに連れて行かれてしまいました。
部屋で目を覚ましたウィット。自分ひとりきりです。ダーンに電話しても出てくれません。留守電に「離れないでくれ」とメッセージを入れましたが、その後バスタブに浸かりながら、不安 (さみしさ?) を隠せないウィットでした。
場面は変わり、ダーンは得体の知れない廃工場で男に消されそうになっていました。男が目を話したすきに車から降り逃げようとしますが、なかなか逃げ切れません。拳銃を持った男と対決するダーン。扉の向こうで二人が争う激しい音が。
またも場面は609号室。メイドがベッドメイキングをしています。バーテンダーもドアのあたりにいましたが、メイドに気づかれることなく部屋を出ていってしまいました。そしてベッドの上で愛の歌を滔々と歌うメイド (カメラ目線!)。これもプローイの夢?ちょっと謎。
さらに場面はお葬式へ。ウィットとダーンは何事もなかったように葬儀を終え、会場を後にしました。タクシーの中でダーンに「愛してる」と伝えるウィット。ウィットの肩にもたれかかりながらダーンは「今朝の女の子、可愛かったわね」と言うのでした。
どうやら、ダーンが男について行ったこと全部、ダーンの夢 (妄想) だったようです。バーテンダーとメイドのこともプローイ (もしくはメイド?) の夢 (妄想)。思いきり発想を飛躍させれば、ウィットの寝取られ妄想という可能性も。
この物語、いったい何が現実で何が夢なのかということを描きたかったようです。関係性の終焉というテーマは曖昧に終わったような印象。関係性そのものが夢みたいなものということなのかもしれませんが。
そもそもプローイは存在したのかと疑いたくもなりますが、ラストの二人の会話で、一応プローイは現実だったことがわかります。どこか浮世離れした、天使のような悪魔のような、そのどちらとも思えるような、強く印象に残るキャラクターでした。(プローイ=タイ語で "宝石")
監督はペンエーク・ラッタナルアーンで、「わすれな歌」の監督さんです。あんなに大衆的で切ないメロドラマを撮った人が、こんなにややこしいアート系の作品を撮るんですね。面白いな。