ネイアフ港
ババウのネイアフ港には世界中のヨットマンが集まるそうです。トンガタプとはまたちがった華やかな港町の雰囲気がただよっていました。といっても規模はだいぶ小さいですが。
初フェリー
トンガ赴任後しばらくして、初出張で行ったのがババウでした。実は出張中、国内線のチャタムズエアーがいろいろあって数日間全線欠航となりました。
このままではいつトンガタプ島にもどれるかわからないということで、予定を1日早くきりあげ、その日の夜出発のフェリーボート臨時便に乗りこむことにしました。
航行時間は16時間と聞かされていたので、割増料金を払ってベッドつきの部屋を確保。4人の相部屋ですが、エアコンは効いているし、何よりイスに座って16時間の船旅など、さすがに辛いと思ったので。とにかく部屋が取れてラッキーでした。
船酔いの薬も持っていましたが、それを使うにはおよばず、まずは快適な船旅となりました。ただし、やはり長い。夜9時半出発、翌日午後2時半到着 (結局17時間かかりました)。
この間、何もすることがありません。最後の数時間は炎天下のデッキに陣取って、陸が見えるのは今か今かと待ちわびていました。
水平線の彼方にトンガタプ島が見えてきたときは、本当に感動しました。マゼランやコロンブスも、こんな気持だったんでしょうか。
ホエールウォッチング1
ホエールウォッチングツアーに申し込み、前日土曜日に乗り込んだババウ。土曜の夜は激しい雷雨になり、果たして明日クジラは見られるのか、あわよくば一緒に泳ぐなんて甘すぎるのか、そもそも船は海に出られるのか、などと心配が消えぬまま就寝。
そして、雷雨のサタデーナイトから、一夜明ければ空には虹が。このおだやかなる晴天に、我ながら強運だとつくづく思う。海はまるで鏡のように、船のマストを静かに映すのみ。これが吉兆でないのなら、この世になんの吉兆があろうか。いざ行かん、クジラがそこに待っている。
仲間は5人。ガイドのクラウディア、陽気なフランス人のドミニク、親子ニュージーランダーのフィオレンティーナとショーン、そして謎のおっさん。他の4人とはボートの出発地プアタウカナベ・ホテルから一緒だったので、お互い気さくにあいさつを交わし、すぐに仲良くなったのだけれど、途中の島のロッジから乗りこんだおっさんとは、どうもみんな最後まで打ち解けられず。
ちなみに陽気なフランス人て、日本人と一番相性のいい人種だと思います。なんだかすくわれるんですね。めちゃめちゃフランス語訛りの英語を、マシンガンのようにしゃべるから、「ああ、英語って発音なんてどうでもいいんだ」と思うことができる。
つられてこちらもペラペラと、とにかくたくさんしゃべりまくる。2人が交わすいい加減な英会話に、横で微笑むフィオレンティーナ親子。意味はちゃんと通じているんだろうか。
さてさて、ようやく始まったクジラツアー。この日で3日連続海に出ているというドミニクに言わせると、一昨日は素晴らしく、昨日はハズレ。とにかく日によって運不運が激しいらしい。
ガイドの最初の説明も、「自然が相手だからハズレでも怒らないで」。ま、それはそうだ。どんな結果であろうと納得せざるを得ない。それでも運良くクジラと泳げたときは、「あわてない、さわがない、まずよく見ること」 そう念押しされる。
ボートは軽快に海を走る。波はおだやか。風は涼しげ。碧い海と白い雲。島々の緑が目にしみる。最初はボートの縁に立って、どんなささいな動きも見逃すまいと、遠くの波間をじっとにらみ続ける。
けれどもそのまま1時間、2時間。時に速く、時にゆっくり、ボートはひたすら走り続ける。・・・うーん、もう無理。暑い。まぶしい。酔い始めてきた。みんなも明らかにテンションがた落ち。
そんなこんなで「今日は無理かも」とみんなが思いかけた頃、突然、無線の交信が入ってきた。ガイドの眼が光る。一点を凝視している。遠くには似たようなボートが。あそこを目指せ。エンジン全開。ボートが一気に角度を変えて、荒々しく水しぶきをたてながら疾走。
距離にして約100メートル。相手のボートに近づきすぎないよう、こちらは動きを止める。エンジンの回転が最小にしぼられる。ドミニクが双眼鏡を取り出す。「いる!」 その声にみんなの目が輝き出す。ようやく、本当にようやくクジラに出会えた。けれども我が船 C'scape号は動かない。ガイドはすっかり静観のかまえ。
何かの本で読んだ。ホエールウォッチングのメッカ、ババウといえども、自然保護の観点から、毎回必ずクジラと泳げるわけではない。いや、むしろ、クジラをかわいいと思うのであれば、あえて船から見下ろすだけなのが本来の姿。いいじゃないか、ウォッチングだもの。ホエールスイミングなんて言ってないし。
なんてことをつらつら考えているうちに、いきなりクラウディアのスイッチが入った。足ヒレとマスクをつけ、ボートの縁に座ってスタンバイモード。無線が何かを告げている。「あっ!」 誰もが驚いた。クジラがプシューッと潮を吹きながら、どんどんこちらに近づいてくるのだ。
「ちょっと見てくる」 そう言い残して、彼女はドボンと波間に分けいった。実際にはわずか数分だったろうけれど、長い長い時間、我々は固唾を飲んで彼女のサインを待った。ダメか、いいのか、どうだ、どうなんだ!どうしちゃったんだよーー!
突然、彼女はふり向くと、大きく手をかざして我々を呼んだ。「レッツゴー!」 ドミニクが勢いよく海に入る。続けて我々も。10年ぶりの足ヒレに閉口しながらも、とにかく急いでクラウディアのもとにかけつける。ようやく5人がそろうと、彼女は海中を指さしながら、泳ぎを止めろと指示を出した。
彼女の指のその先に目を凝らす。そこには、悠々と泳ぐ親子のクジラが、真っ青な世界に薄ぼんやりと浮かび上がっていた。親子は進む。そしてしだいに海面に、ゆっくりと、けれども確実に、その姿を現していた。こんな場面に出くわしといて、まさか自分が本当にクジラと泳ぐなんて、実はまだこの時も実感はなかったりしたわけだけれど。
初めてのホエールスイミングは、時間にして約15分。興奮したか? 確かにした。でも、楽しかったかと聞かれたら、ちょっと返答に困る。「緊張」 きっとそれが正直な気持ち。だってこれまで見てきたどんな生き物よりも、圧倒的に巨大だったから。
その後は場所移動とついでに息抜きってことで、きれいな浜に行きました。そこで30分ほど休憩。角度によってエメラルドグリーンにもコバルトブルーにも見える水面の下には、白い砂と色とりどりのサンゴが。12才のショーンに水中カメラを渡したら、お母さんの写真をたくさん撮ってました。孝行息子だ。しかし絵になるなぁ。
(つづく)
ホエールウォッチング2
きれいな浜での休憩をはさんで、我が船はふたたびクジラを求め沖へと向かう。すでに十分クジラと泳いだ気になって、正直けっこう満足気味の我々。「え、また行くの?」 ドミニクが興奮気味に問いかけると、ガイドの顔には不敵な笑みが。「まだまだ」 そんな力強い返答に、ちょっと船酔い気味のこちらはどんな顔をしていいのやら。
なにはともあれ無線が命。交信を続けながら、午前中とはうってかわってほぼ一直線にどこかに向かう。しばらく走って着いた先は、ヤシの木が生い茂る島の内湾。そこにはすでに1隻の船が、10人ほどのパランギ (外国人=白人) を乗せていた。船の横に立つ白波。もう見間違うはずもなく、確かにくじらの親子が泳いでいる。
まずはこちらもスタンバイ。マスクを洗って足ヒレ装着。向こうの船のパランギが、海から上がればこちらの番。ガイドに続いて我々も、次々海に入っていく。少し心に余裕ができて、今度は難なくクジラに接近。我々5人は身を寄せあって、静かにクジラと一緒に泳ぐ。
底知れぬ深さの海中は、青一色の不透明な世界。じっと下を見ていると、だんだん焦点が消失していく。目で見ているその先が、近いのか、遠いのか、まるで判断できなくなる。ふと気づくと左後方から、大きな母クジラが突然ヌッと姿を現した。"ビクッ!" 生まれてこのかた何度ビクッとしたかわからないが、この時ほど特大の "ビクッ" はなかったろう。
さっきまで何度も見ていた子クジラとはくらべものにならない、堂々たる体躯の母クジラ。しかも近い。というか近すぎる。ガイドが我々の動きを制する。「近づきすぎるな!」 そう、我々は誰もが彼女のヒレに当たりそうだった。ヒレはいいけどあのフジツボは、まさに天然のおろし金。ちょっとでもかすればけっこうな惨事だろう。
そのままゆっくり母クジラと、つかず離れず泳ぐこと5分。ようやく母は海中に、ゆっくりゆっくり沈んでいった。だんだん消え行く母の姿を、追ってその子も海中へ。ここで時間は15分。ホエールスイミングにはルールがある。一度に5人 (ガイド+客4人)、最長15分。これを守っているからこそ、クジラもここに戻ってきてくれるのだ。
ボートに上がると誰もがみんな、開口一番「Amazing !」「Incredible !」「Unbelievable !」 絶賛に次ぐ絶賛の嵐。みんな興奮を隠せない。なによりガイドのクラウディアが、一番興奮してしゃべりたおしている。ひとしきりみんなで感動を話し合ったあと、ひとり寂しげな表情を浮かべるフィオレンティーナに気がついた。
そう、我々はガイドも入れると6人 (ひとりは子供だけど)。誰かひとりが常に居残りしなければならない。そしてこの時は彼女が残った。母クジラとのまたとない出会いを、彼女は逃してしまったのだ。あの陽気なドミニクも、すまなさそうに頭を下げる。もうこちらのセリフは決まっていた。「次は自分が残るから、ぜひあなたが行ってくれ」
なんだかこう言うと格好良く聞こえるけれど、実はけっこうしんどかったのだ。もう十分楽しんだし、船から写真も撮ってみたい。もともとそんなにアウトドア派でもアクティブでもない自分にとっては、これくらいが限界だ。
次のチャンスはすぐにやってきた。ザブンと5つのしぶきがたって、5人がクジラめがけて泳いでいった。みんなの泳ぎを目で追いながら、船の上からシャッターを切る。その時、思いもよらぬクジラのジャンプ!。反射的にシャッターを切る、我が黄金の人差し指。撮れたか。どうだ。液晶確認。ヨシッ。いい仕事した。早くみんなに見せたい!
この時は母クジラのお出ましはなく、かわりに子クジラがずっとみんなの周りで泳いでいた。まるで手招きしているように、片ヒレを海からつき出し空中でヒラヒラさせている。そのままほぼ15分の間ずっと、子クジラは人の周りを離れなかった。
ボートに上がるみんなの顔が上気している。波に漂っているのはきつい。けれどもそんな疲れも吹き飛ぶほど、未知の体験に心を躍らせている。カメラの液晶に浮かび上がるクジラのジャンプを見せると、みんな本当に驚いてくれた。「オフィスにPCある?。今日の写真、シェアしたいんだけど」 ガイドに向かってそう言うやいなや、船上は拍手につつまれた。
次の回も居残り。この時はいい写真なし。相変わらず子クジラがまとわりつく。ホエールスイミングのルールがもうひとつ。午後4時半には終了すること。そして次が本日最後のスイムとなった。「ジャパニーズ、最後はお前が行け」 ドミニクが真っ直ぐな目で言葉を投げかけてくる。でも、結局ボートに残ったのは謎のおっさんだった。おっさん、ありがとう。
ということで、最後のスイムも子クジラがずーっと遊んでくれました。いい具合に水中ビデオも水中カメラもバッテリーがなくなったので、あとはひたすらクジラの目を見ながら一緒に泳ぎました。こんなにがっつり泳げるなんて、まったく想像していませんでした。やるじゃん、トンガ。すごいじゃん、ババウ。
でも、クジラの突進は怖いです。間違いなく寸前で避けてくれるんだけど、次は本当に当たるんじゃないかとずっとヒヤヒヤしていました。怖かったのはみんなも同じだったみたいで、最後は自然とみんなで手をつないで泳ぎました。いい仲間だったなぁ。
ちなみにガイド曰く、この日はめったにないほど大当たりだったそうです。もう一生ないだろうな、こんなこと。ああ、楽しかった!
カペ(ジャイアントタロ)
ババウの野菜市場に行ったときのこと。遠目に見たら「ワサビ!?」と思うような形のものがありました。ただ、異様にでかい。こんなワサビはありません。聞けば「甘い」とのこと。
なんだろうと思いつつトンガタプにもどってきて聞いてみたら、どうやら「カペ」というタロイモの仲間らしいことがわかりました。サツマイモみたいに甘いのかな。それとも単に美味しいという意味で「Sweet」と言ってたのかな。お芋もいろいろですね。こんな立派なのを一本買いしてみたいものです。
バニラ
ババウはバニラの産地です。バニラはツル性の植物で、実はエンドウ豆のよう。熟して茶色くなったものが、マーケットで束になって売られていました。1束500円から1000円。やはり安いんでしょうか。さやをさくとねっとりとした極小粒のバニラビーンズがびっしりと詰まっています。アイスクリームに入っているのはこれですね。
ババウのマーケット
土曜日にマーケットをのぞくと、お芋、バナナ、パパイヤ、カバなど典型的な産品がずらり勢揃い。今はスイカが旬なようで、あちらこちらでゴロゴロ売られていました。ちなみにこの日、トンガは父の日。市場でダンスイベントもありました。
その他、ババウのマーケットにて、見たり買ったりしたもの。
三度目の正直
1月下旬は悪天候、2月中旬はサイクロン・ジャスミンと、二度にわたりババウ行きがキャンセルされましたが、3月のこの金・土でようやく三度目の正直、久しぶりのババウ上陸。やっぱりいいなー、ババウ。なんだかとってもリゾート?(いや実際そうなんだけど)
ババウで楽園気分
週末三連休を利用して再びババウへ。数人でヨットをチャーターし、白砂のきれいな無人島でつかの間の楽園気分を味わってきました。ババウ、すごいです。
念願のDC-3
今まで7、8回チャンスがあったのに全然当たらなかったのでもうほとんどあきらめていましたが、今回のババウからの帰路、ついに念願のDC-3に乗ることができました。
DC-3という飛行機については詳しくはWikipediaを見てもらうとして (←横着)、戦前から活躍している傑作機に未だに乗ることができるのは感動のひと言。ちなみにDC-3を定期商業路線で飛ばしているのはトンガくらいだそうです。
またひとつ夢がかないました。クジラも見てDC-3にも乗って、もうババウに思い残すことはない。
見えにくい貧困
ババウの地方を巡回していた時に見せられた家。この地域では土壌侵食が問題になっています。どうやらまだ普通に人が住んでいる様子。これは、外国から援助を引き出すアピール? 無理に住み続けさせられている? これで本当に何も気にせず住んでいるんだとしたら、なんという剛の者。。
いや、冗談はさておき、エチオピアなどにくらべるとトンガ人は堂々とした体躯をしていて普段もカラッと明るい表情のため、「貧困にあえいでいる」といった雰囲気は感じにくいのですが、貧困ゆえの肥満 (栄養バランスの悪さ、カロリー過多) は深刻な問題ですし、本当にもうぜんぜんトンガ国内に仕事がないので、ほとんどのファミリーは誰かが海外 (オーストラリア、ニュージーランド、アメリカなど) に出稼ぎに行っていて、その仕送りでなんとか生活できているわけです。
家を引っ越す、建て直すといっても、先立つものがありませんから、すべては海外にいる家族 (親類) 頼み。人口わずか10万人、狭い狭い国土、しかも島国、天然資源なし、毎年のように来るサイクロン、時に起こり得る津波の恐怖、将来的な気候変動の影響。こうして考えると、トンガがこれから飛躍的に発展する可能性は、・・・やはりなかなか厳しいでしょうね。
カパ島
ババウの離島、カパに行って来ました。漁民支援プログラム。
海がきれいでした。ため息が出るくらい。
青の洞窟(もどき)
ババウにはたくさんの離島がありますが、中には岩盤に亀裂の入ったものもあります。
そのうちのひとつ、スワローケイブ。ボートで侵入していくと、晴れた日にはコバルトブルーの輝きの上にフワリと浮かんでいるような錯覚を覚えます。
よく小魚の群れもいたりして、なんともにぎやかな空間に笑みがこぼれます。わざわざ外国から観光客をよぶほどの目玉にはならないけれど、来た人はみんなちょっとだけ幸せになれる。そんな小さな宝箱が、ババウにはいくつもあります。
雨の日には空の写真を
トンガタプは今日も雨。
ババウの青空の写真を眺めて元気を出そう。
美ら島(ちゅらじま)ババウ
トンガではいろいろなプロジェクトにかかわりましたが、廃棄物管理もまた思い入れの強いものでした。ババウという一番のリゾートアイランドも、ゴミには悩まされています。
小さな島国では輸入品がないと生活できませんが、それは往々にしてゴミを生み出します。昔ながらの生活ではほとんどゴミの出ないトンガでしたが、2010年当時、ババウの廃棄物処分場には生ゴミからビン・カン、プラスチック、廃車、医療廃棄物などがうず高く積まれていました。
また、ゴミのかさを減らすため時々火がつけられるので、臭い煙や汚水が海に浸出するなど、近隣住民からクレームが出ることもしばしば。飲料水の源となる地下水の汚染も懸念されていました。
2011年からトンガを含む大洋州広域で廃棄物管理改善支援プロジェクトが始まり、役所ばかりでなく地元のリサイクル業者も巻き込み、徐々にゴミの管理体制を改善するとともに、処分場にも手が入れられました。沖縄県からもたくさんの知見をいただいています。
2011年は廃車など金属の有価ゴミが業者に回収されるようになり、2012年には処分場の整形工事も行われました。ただ、ゴミの自然発火というアクシデントがあり、1ヶ月以上も煙がくすぶり続けるなど、処分場の工事には苦労がつきまといました。
2012後半年には、浸出水の浄化システムを付加した新たな処分場工事が行われ、管理小屋も小さいながら立派なものが出来上がり、ババウ州知事を迎えてにぎやかなオープニングセレモニーが行われました。
もちろん、ここからがスタート。トンガ人がきちんと維持管理していかなければなりません。幸い、ババウの住民は島の美化に高い関心をもっています。観光業が生命線だということをわかっているのでしょう。
「美ら島(ちゅらじま)ババウ」 がますます輝きますように。
■ビフォー
■アフター