A Dog's World 

~海外で暮らす・日々の記録・旅の記憶~   

ヨルダンの聖書ゆかりの地・教会

ソドムとゴモラ

旧約聖書:創世記・第19章
夜が明けて、御使い達はロトを促して言った。「立って、ここにいるあなたの妻と二人の娘とを連れ出しなさい。そうしなければ、あなたもこの町の不義の為に滅ぼされるでしょう。逃れて、自分の命を救いなさい。後ろを振り返って見てはならない。低地にはどこにも立ち止まってはならない。山に逃れなさい。そうしなければ、あなたは滅びます」。

ロトがゾアルに着いた時、太陽は上った。主は硫黄と火とを天からソドムとゴモラの上に降らせて、これらの町と、全ての低地と、その町々の全ての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。しかしロトの妻は後ろを顧みたので、塩の柱になった。

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何が起こったのか
ソドムとゴモラに何が起こったのでしょう。まず考えられるのは、大地震ではないでしょうか。大地が大きく陥没し、地中のガスが吹き出し引火、そしてこの地に大量に存在した硫黄に燃え移ったと考えるのは、それほど不自然なことではないと思います。

現在の航空写真を見ても、陥没によって死海の水が南側に大きく広がったように見えます。また、死海のほとりに立つと、場所によっては硫黄のようなにおいが鼻をつくことがあります。

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ロトその後
ロトは娘2人とともに、洞窟で過ごします。「父も年老いてきました。この辺りには、世のしきたりに従って、わたしたちのところへ来てくれる男の人はいませ ん。さあ、父にぶどう酒を飲ませ、床を共にし、父から子種を受けましょう」 聖書にはこのように記されています。結果、2人は男の子をもうけます。姉の子はモアブ人、妹の子はアンモン人の祖先となります。

聖書になぜこのような記述があるのでしょう。これは、当時風紀が乱れていたモアブ人とアンモン人を差別する理由、そのいわれを説明したかったのだという指摘があります。申命記・第23章には、「アンモン人とモアブ人は主の会衆に加わることはできない。十代目になっても、決して主の会衆に加わることはできない」と書かれており、明らかに蔑視されています。ヨルダン人の祖先なんですけどね。

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ネボ山

マダバから西に10km進むと、モーセ終焉の地と言われているネボ山があります。頂上に建っている教会の内部には、4世紀と7世紀に建てられた教会の跡とモザイクが残っています。教会の外に出ると、ヨルダン川西岸地域 (パレスチナ/カナン) が見事に一望できます。

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モーセはヘブライ人の預言者で、イスラエル建国の祖、ユダヤ人の祖と言われています。モーセは古代エジプトのゴシェンで生まれました。当時、ヘブライ人はエジプトのファラオのもと、奴隷として生活を送っていました。

モーセが生まれる前に、ファラオはヘブライ人の王が生まれるという予知夢を見たため、ヘブライ人の新生児をことごとく殺害するよう命令を下しました。モーセの母は生まれたばかりの我が子をなんとか助けようと、モーセをパピルスであんだかごに入れナイル川に放します。

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それを拾ったのがファラオの娘で、モーセは王女の息子として育てられました。成長してからはいろいろあって一度はエジプトを離れますが、「エジプトに戻り同胞を助けよ、そして約束の地カナンに導け」との神のお告げを受け、そのために奇跡を起こす力を授けられました。

モーセ一行の旅は「出エジプト記」にも詳しく書かれています。特に紅海が割れるシーンは映画の題材にも取り上げられていて、本当にこんなスペクタクルがあったら良いのに、と思うようなことばかりです。個人的にはこの奇跡の数々を信じたいですけどね。

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モーセはその後シナイ山で十戒を授かり、さらに40年間荒れ野をさまよった末、ついにカナンの地を目前にしました。しかし神はモーセにこう言います。

「エリコの向かいにあるアバリム山地のネボ山に登り、私がイスラエルの人々に所有地として与えるカナンの土地を見渡しなさい。あなたは登っていくその山で死に、先祖の列に加えられる」

残酷なことに、神はモーセにカナンの地を踏ませることは許しませんでした。モーセの死後、一行の行く末はヨシュアに託されました。研究家は、これを紀元前13世紀頃の出来事と考えています。

自分はエジプト滞在中にモーセが十戒を授かったというシナイ山のジャバル・ムーサ (モーセの山)、そして今回、モーセ終焉の地であるネボ山に足を運ぶことができました。

ネボ山からパレスチナ (カナン) の荒れ野を見下ろしていると、3000年前に繰り広げられた壮大な人間ドラマがまざまざと脳裏に浮かび上がります。

しかし、パレスチナ (カナン) を「約束の地」であるとした旧約聖書がイスラエル建国の根拠となっているが故に、パレスチナ問題を解決しがたい泥沼の紛争にしてしまいました。

世の中に「絶対」なものなどないというのがおそらく大多数の日本人の考え方でしょうが、この地では、宗教によって様々な「絶対」が規定されています。

自分が属する宗教が「絶対」だと言っているのですから、譲歩する可能性はゼロでしょう。うーん、やっぱり穏健な解決は無理か。。

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イエス洗礼の地

新約聖書「マタイによる福音書」に描かれた、キリストが洗礼を受けた場所が、ヨルダンにあります。あたりにはすでにヨルダン川の流れはありませんが、当時の遺跡が発掘されていることから、この場所でほぼ間違いないようです。

何度か訪れましたが、まだ修復工事中だったこともあり、観光客を見たことはありませんでした。もし本当なら (いや本当ですって)、世界中からキリスト教徒が巡礼に来てもおかしくないほど貴重な場所です。

それなのに、あのあまりにも静かなたたずまいは何だったんでしょう。ヨルダンは他にも素晴らしい歴史の遺物があちこちにあるわりに、外国からわざわざ訪れる観光客はあまりいません (せいぜいペトラ)。ヨルダン在住者にとってはありがたい状況でした。

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マダバの教会のモザイク

アンマンの南約30kmにあるマダバの町には、いくつもの重要な教会があります。教会内にはビザンチンやウマイヤ朝時代のモザイクが残されていますが、中でも有名なのは、聖ジョージ教会にある6世紀のパレスチナの地図です。

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床に敷き詰められたモザイクは、ところどころ剥がれていますが、全部で200万ピース以上と言われています。世界のどの地域でも、人が宗教にそそぐ情熱には目を見張るものがありますが、キリスト教は特にその情熱を絵画やモザイクなどの芸術作品に向けるように思います。

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以前、エジプトのシナイ山で知人が撮った同じような写真を見ましたが、マダバの教会でも、光の玉がポツポツと浮かぶ不思議な写真を撮りました。この写真の前後に光はなし。なんなんでしょうね。

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ウムラサス

ウムラサス (ウム・エル=ラサス) はヨルダン中部にある小さな村です。村の一角にウマイヤ朝時代の遺跡がありますが、もうほとんど廃墟と化していますから、これを目当てに訪れる観光客はいません。ただ、その横には8世紀に作られた聖ステファノ教会があり、内部のモザイクの美しさから、ヨーロッパのクリスチャンの間ではつとに有名です。残念ながら、日本ではまだ知る人ぞ知るといった観光地です。

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教会内部のモザイクには説明書きが少ないのであれこれ想像するしかありませんが (ヨーロッパのガイドブックにはけっこう説明が書いてあるそう)、当時のエルサレムとそれを取り巻く拠点に作られた教会の絵などが床一面に描かれています。

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マダバの教会も描かれているので、当時はヨルダンもキリスト教徒にとっては重要な地域だったということです。他にも天使や動物、魚の絵がありました。これらのストーリーがきちんとわかったら感動もひとしおだろうと思いますが、うーん、残念。

モザイクは色あせることなくとても美しい状態で保存されていて、ヨルダンで1番美しいモザイクと言われているのもうなずけました。

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死海写本 (ヨルダン国立考古学博物館)

アンマン中心部、アルカルアの丘に、ヨルダン国立考古学博物館があります。本当に小さな建物ですが、展示物はなかなか興味深い物が並べられており、中でも白眉は「死海写本 (死海文書)」です。

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死海写本は、死海北西岸のクムラン洞穴群を中心に、ヨルダン各地で発見された文書のことを言います。1947年、ベドウィンの少年がクムランの洞穴で、素焼きの壺におさめられた巻物を発見しました。

現在までに11の洞穴から500をこえる写本の巻物が見つかっており、第1洞穴からは「イザヤ書」の全巻が発見されています。写本は羊皮紙やパピルスなどにヘブライ語、アラム語、ギリシャ語などで書かれていて、これらは2000年前にこの地で修道生活を送っていた古代ユダヤ教の一派であるエッセネ派が残した物です。

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当時、ローマ軍の襲撃から守るため、荒野の洞穴に隠したと言われていますが、いずれも紀元前200年頃から約300年の間に書写されたもので、現存する最古の聖書より1000年近く古いものです。聖書以外の巻物は、多くの旧約聖書の注解と、クムラン宗団の典礼、教理、戒律などを記した物です。

残念ながら、写本のほとんどはエルサレムのイスラエル博物館にあり、アンマンの博物館にある物はごくごく一部だけです。いつかエルサレムに行って全貌を見てみたいなあ。

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