A Dog's World 

~海外で暮らす・日々の記録・旅の記憶~   

2001年9月12日のヨルダン

ヨルダンにいたのは2000年から2002年までと短い期間でしたが、2001年には9.11アメリカ同時多発テロがあり、中東情勢のみならず、世界の政治バランスも大きく変わっていった時期でした。

アメリカ主導の「対テロ戦争」は、国際的なテロ対策の枠組みが強化された一方で、中東地域への軍事介入と長期化が世界に大きな影響を及ぼしました。

2023年10月にハマスがイスラエル領内で仕掛けた攻撃以降、パレスチナ問題はますます混迷を極め、解決の糸口どころか、むしろ悪化している状況です。

9日にはイスラエル軍がカタールの首都ドーハでハマス幹部を攻撃したという衝撃的なニュースもありました。イスラエルはもう近隣国に味方を作る気などないのでしょう。

それでは、9.11同時多発テロの翌日、ヨルダンにいた自身の身の回りで起きた出来事を、再度ふり返ります。(※過去記事再録です)

9.11アメリカ同時多発テロの翌日、ヨルダンにて

2001年9月11日、仕事帰りにアンマンのスーパーで買い物をしていました。時間は午後4時前。突然携帯電話が鳴り、「アメリカでビルに飛行機が突っ込んだ」と職場のスタッフが知らせてくれました。

その時は、軽飛行機が事故でも起こしたのかなと高をくくっていたため、そこまで慌てず買い物を済ませ、家に戻ったのはそれから15分ほどしてからでした。

ヨルダンはNHKを受信することができたので (時差-6時間)、ニュース10を観ようとテレビをつけたところ、そこには信じられない光景が映し出されていました。

全世界の誰もが目を疑ったでしょう。ジャンボ機が突っ込み炎上するワールドトレードセンター、そしてその倒壊。自分は深夜までずっと、ライブニュースに見入っていました。

翌9月12日、職場はこの話題で持ちきりでした。みんな異様に興奮しています。職場のスタッフの多くは、数次にわたる中東戦争の結果、パレスチナという郷土を追われ命からがら逃げ出した人たち、あるいはその二世です。

彼らがイスラエルとその最大支援国であるアメリカに対して抱く感情は、我々の想像を遥かに超えた根深いものがあり、この凄惨なテロ行為については、歓声をあげる人が少なくなかったのも事実です。

困ったことに、現地紙に「赤軍の犯行」という記事が載ったため、朝から午後までスタッフがひっきりなしにオフィスに入ってきました。

曰く、「赤軍は良くぞやってくれた」「日本はアラブの友達だ」。口々にこんなことを言っては握手を求められるので、その都度否定するのが大変でした。

数日間、テロの犯行グループについてほとんど情報がなかったため、職場でも朝からやれ赤軍だ、いやアメリカ人の内部グループだなどと、皆大声で盛り上がる騒ぎに。

しかし、しだいにアラブ系の容疑者が特定されてくると、不思議なもので誰もその話題を口にしなくなりました。

テロの直後はみな興奮のあまりテロを礼賛するような発言も聞かれましたが、やはり誰もが、「いくら何でもやりすぎだ」と思っていたのでしょう。

イスラム同胞の犯行ということに、みな少なからずショックを受けていたようです。これには彼らの良心を見たような気がしました。

ちなみに、エチオピアは独自のカレンダーを採用していて (ユリウス暦)、新年が9月11日です。通常ならワールドトレードセンターでたくさん働いているはずのエチオピア人が、この日はみんな休みをとっていて誰ひとりとしてオフィスにいなかったため、アメリカ治安当局は当初、エチオピア人の犯行を疑ったのだそうです。

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過去記事は以上です。下の写真は2000~2002年のアンマン市の様子。アンマンはその昔、ローマ帝国支配下ではフィラデルフィアと呼ばれ、丘が多い景観からローマ人にもこよなく愛されたそうです。