ヨルダンにいたのは2000年から2002年まで。短い期間でしたが、9.11アメリカ同時多発テロがあり、世界の政治バランスも大きく変わっていった時期でした。
もう20年以上も前ですが、当時ヨルダンで考えていたこと (投稿記事) を2本、ピックアップしてみました。
20年もたつというのに、地域の情勢はそれほど変わっていないのかなと。パレスチナ問題は相変わらず解決の糸口すら見えないという。。
憎しみの連鎖
初めての中東暮らしはカタールでした。ちょうどインティファーダ (パレスチナ人の蜂起) の頃で、毎日夕方のニュースでイスラエル治安部隊に投石するパレスチナ人の映像が流れました。
治安部隊に捕まったパレスチナ人は、その場に押さえつけられ、大き目の石で両肩をガンガン叩かれ、骨を砕かれていました (投石できないよう)。平和ボケした日本から来た自分にとっては、にわかには信じがたい衝撃的な映像でした。
この映像で何を感じたか正直に言うと、それは抑えようのない怒りでした。明らかにパレスチナ人は被害者だと思ったし、「イスラエル許せん!」と本気で腹が立ちました。
職場にもパレスチナ人 (出稼ぎ労働者、ただし国を追われて) が何人かいて、彼らとパレスチナ問題の話をしても、そこには「話し合いで」とか「政治的に解決」などという言葉は微塵も出てきませんでした。
日本人なら、「傷つけられた悲しみは相手を傷つけても癒えない」という達観的な考え方が多少なりともあるように思いますが、パレスチナ人にとっては、徹底抗戦とイスラエル殲滅あるのみといった感情がすべてでした。
ヨルダン勤務の2年間は、毎日のように新聞やテレビでイスラエル軍によるパレスチナ人殺傷のニュースを見聞きしていました。2、3ヶ月に1度は、職場のパレスチナ系ヨルダン人スタッフの身内がイスラエル軍に殺されたという話を聞きました。
そんなスタッフから、「家族が殺されたら誰だって銃を取るさ、お前だってそうだろ」と問いつめられた時は、黙ってうつむくしかありませんでした。
イスラム教の聖典コーランには、「敵を見たら殺しなさい」とか「敵のうちでもっとも悪いのは自分の土地を占領する者である」などと書かれています。
パレスチナ人にとって、対イスラエル戦は完全に正義であり、殉死したなら天国に行くことが約束される「ジハード (聖戦)」なのです。
ここのところ連日イスラエル軍によるレバノン攻撃が報道されていますが、パレスチナ人が本気ならイスラエル人も本気です。やはりどちらかが完全に消滅するまで、戦いは終わらないのかもしれません。
日本とアメリカ
中東では、ほとんどの人が親日家だと言っても良いでしょう。ただし、養殖真珠の開発により大打撃を被ったカタール (のかなり年輩の人) はちょっと微妙ですが。いくつか理由はあるのですが、まずは車。どの国に行っても、町には日本車があふれています。値段はあまり安くはありませんが、信頼性・耐久性の面でずば抜けた評価を得ています。ちょっと知っている人なら、天然資源や材料を安価に輸入し、技術力を駆使して車など高価な製品を輸出しているリッチな国、と言うでしょう。
それから、これは日本人としてはあまり触れられたくない話ですが、この地域では赤軍の知名度が日本以上に高いという事実。特にパレスチナ人にとっては、岡本公三はイスラエルの空港で銃を乱射し、多数のイスラエル人を殺傷したことから、未だにヒーローとして語り継がれる人物です。あの9.11アメリカ同時多発テロも、翌日のヨルダンの新聞には赤軍の犯行であると載りました。
また、比較的貧しいアジア諸国の中にあって、戦後飛躍的に経済成長を遂げた勤勉な国民性は、何より日本人の特徴として賞賛されています。さらに、それだけ急激な近代化を果たしたにもかかわらず、天皇制を維持していることも彼ら (アラビア湾岸諸国の王政国家) は手本にしたいそうです。
つまり、天皇制という旧態然としたシステムを維持しつつ発展を遂げた方法 (⇒イスラムの教義を厳格に維持しつつ国を発展させる方法) と、発展を遂げたのに未だ天皇制という古風なシステムを維持している秘訣 (⇒発展を遂げた後も王制を維持する秘訣) を知りたいということです。確かに中東はイスラムに厳格な王国が多いですからね。民主化運動はもっとも深刻な問題です。
さて、もうひとつ決定的なことがあります。それは、あのアメリカに太平洋戦争で本気のケンカを仕掛けたことです。アメリカは、国内ユダヤ資本の政治的影響力から、イスラエルに対する全面的バックアップを続けています。アメリカはパレスチナ和平工作を推進しているように見えて、実はアラブ諸国の結束を乱すようなことばかりしています。
エジプトやヨルダンにイスラエルと和平条約を結ぶよう働きかけたのは、イスラエルと隣国との軍事的緊張の軽減を狙ったものであって、決してパレスチナ問題の解決を考えたものではありません。少なくとも、パレスチナ人はそう否定的にとらえています。
パレスチナ人だけでなく、中東諸国全般に見られるアメリカ嫌いは相当なものです。湾岸危機にしても、サダム・フセインの愚行は許されるものではないものの、イラクを「はめた」アメリカはさらにひどい、という見方が根強くありました。
当初、イラク軍のクウェート侵攻を黙認するかのような反応をしたアメリカでしたが (だからイラクは侵攻した)、結果的には湾岸戦争を利用して地域の利権に食い込んでいったと、多くの現地人が話していました。
そんな「悪魔」アメリカに、アジアの小国である日本が一度でも戦争を仕掛けたという歴史は、パレスチナ人の溜飲を下げるには十分なものです。
しかしヨルダン人とこの話をしていると、必ずおまけが付いてきます。「今の日本はどうしてアメリカと深いつき合いをしているのか、日本はパレスチナ人の仲間だったのではないか、もう一度アメリカに抵抗しよう」と言われるのです。
今のアメリカの外交姿勢は好きではありませんが、日本がアメリカと決別したらそれはそれでいろいろ支障が出るだろうな、などと冷静に考えてしまう自分がいます。