『もしこの世界から国境が消えたら、争うことなんかなくなるのに』 こんなきれいな歌が流れる2022年夏。未だに国家間の戦争もありますが、圧倒的に内戦・内乱・国民不和の方が多いという現実の中、チャレンジする価値はあると思います。
世界には国籍よりも自身が所属する血統や文化・宗教に強い帰属心を持つ人々も多いです。王様の言うことは聞かなくても部族長の命令なら従う、法律は軽んじるけれど教義は絶対、とか。
もし国という縛りがなくなったら、同じ文化的背景やメンタリティーを持つ人々が、必然的に集団を形成していくのかなと思います (経済的なことは一旦度外視)。自分が居心地のいいグループに所属すれば、少なくともグループ内で争うことはなくなります。
これ、(方言はあるものの) ひとつの言語、(ほぼ) ひとつの民族で形成される日本では、なかなか想像しにくいかもしれませんが、世界に目をやれば、国の中にいくつかまったく異なる言語・民族・宗教があるなんてわりと普通のことです。
なので、国境を消すというより、国境を再構築すると言った方がいいかもしれません。それで世界がリスタートする。なかなか面白いんじゃないでしょうか。難点は、これだと「世界平和=世界がひとつになる」とは180度違うということですね。
グループ同士お互い不可侵・無関心、たとえ平和であっても、こんな冷たい世界って、望む人は少ないかも。でも、とくに宗教はやっかいなんですよね。それぞれに絶対的な教義があると、お互い譲り合うことができません。個人で接すればいい人なのに、宗教という看板を背負うと、絶対に相容れることができないという。
世間には "異文化理解" といった講座があったりしますが、個人的見解で言えば、それは「話せばわかる」といったレベルの話ではありません。むしろ「話してもわかり合えない」ことを知るための授業ですね。参考までに下図を。あくまで個人的な考えですが。
自分はイスラムを国教とする国に何年もいて、実感としてこんな風に思います。残念ですけれど、今のところこれが現実かなあと。宗教は否定しません。宗教を必要としている人たちを数多く見てきましたし。
宗教とか平和とか幸福とか、そんなこんなをあれこれぼんやり考え続けている人生です。もちろん完璧な結論など出るはずもなく、自身の考え方も行ったり来たりです (過去記事のまとめはコチラ)。