A Dog's World 

~海外で暮らす・日々の記録・旅の記憶~   

アメリカ人とイギリス人(映画『教皇選挙』を観てふと思い出す)

昨年、映画「教皇選挙 (конклав)」をウズベキスタンで観ようかどうか迷って結局あきらめた自分でした。ロシア語吹き替えなので、会話中心であろうシリアスなドラマは避けがち。

3月のアカデミー賞でも話題になっていたので残念に思っていましたが、それを受けてのことでしょう、日本に戻ったら地元のシネギャラリーで再上映していたため、これ幸いとさっそく鑑賞しました。

映画を観た数日後のことです。ローマ教皇フランシスコの訃報とともに、葬儀の後にはコンクラーベが始まるというニュースが。不謹慎ながら、ついタイムリーだなと思ってしまいました。

映画はあくまでフィクションのストーリーですが、いくばくかのリアリティーは含んでいるのではなかろうかと、あれこれ想像を巡らせてしまったのは自分だけではないはず。

ということで、もうかなり昔のことですが、サウジアラビア時代にイタリア旅行をして、その際バチカンを訪れたことを思い出しました。システィーナ礼拝堂の天井画は本当に息を呑むほど圧巻でした (⇒Vatican Museum Web)。

若かりし頃、イタリアとイギリスでそれぞれバスツアーに参加しました。その時、アメリカ人とイギリス人について感じたことを記した過去記事を、懐かしさとともに再録。

アメリカ人(イタリアバスツアーにて)

イタリアの国内12日間バスツアーに参加したときのことです。約50人の参加者のうち、日本人やアジア人はゼロ。オーストラリアに移住したイタリア人が3分の1、アメリカ人が3分の1、残りは南アフリカ人 (白人) とヨーロッパの人でした。最後はみんなと連絡先を交換しあうほどうち解けましたが、そこに至る過程では、いろいろと艱難辛苦がありました。

団体旅行なので、毎日昼と夜は全員で食事を取ります。すると、どのテーブルに座るかで食事が楽しいものにもつまらないものにも変わります。言葉の点から言っても、この団体の中で明らかに浮いていた自分に、最初に会話を挑んできたのは年輩のアメリカ人でした。

彼は、孫が8人いること、仕事をリタイヤして旅行に参加したこと、イタリアにはマクドナルドがなくて寂しいこと (←これはウケ狙いか) などを、大きな目と長い手足を駆使して話してくれました。こちらがフンフンとひたすら相づちを打っていると、「お前も何か話せ」としきりに催促し、自分のつたない英語を時に深くうなずき、時に爆笑しながら丁寧に聞いてくれました。

それまではみんなから食事の相席を避けられていたような気がしていましたが、翌日からはわりと遠慮なく誰でも自分のテーブルに座るようになりました。たぶん「あの日本人はけっこうしゃべれるぞ」とアメリカ人がウワサを流してくれたのかも知れません。だからといって別に会話が弾んだわけではありませんが、「無口で得体の知れない人」から「無口で普通の人」に格上げ (?) されたようです。

旅行中の大型バスの中でも、冗談を言ってみんなを無理矢理笑わそうとしているのはいつもアメリカ人でした。イタリア人も陽気でしたが、この時のイタリア人グループは移住先 (オーストラリア) からの久しぶりの里帰りということもあって、みんな行く場所見る場所すべてで静かに興奮していました。彼らはナポリの風景に涙を流し、ベネツィアのゴンドラの上では誰からともなく合唱が始まりました。とにかく自分たちが感動するのに精一杯で、他国人に声をかける暇などないといった感じでした。

彼らと比べると、アメリカ人は、とにかく他人にちょっかいを出して「一緒に楽しもうよ」という姿勢が明確でした。年をとったスーザン・サランドンのような怖い顔でいつもするどいツッコミをする女性がいて (そのツッコミがウケていた)、食事が相席になったとき、こちらは何か言われるんじゃないかとけっこうビクビクしていて「だったらしゃべり続けよう」と開き直り、文法がメチャクチャだと思いつつもひたすら自分の話をしました。

そしておもむろに彼女が言った言葉は「へぇ、本当にしゃべれるじゃん」でした。口は悪いが気は優しい彼女は、最初の数日、本当に他の人たちが自分を「変な人」とウワサしていたことを話してくれました。そして「あんたはもっと話しなさい、その方が良いよ」と言ってくれました。でも、話の先でお酒が全然飲めないことを話すと「子供だね (Kids!)」と言ってそっぽを向いてしまいました。その顔は笑っていたように思いますが。

他にも、50才くらいの太めのアメリカ人 (男) がいて、いつもバカなことばかり言っていました。ウケを狙って、わざと人の近くでくだらないことをつぶやきます。こちらが思わず笑っても、ツンとすました顔で、ただただウケたことに満足感を覚えていたみたいです。ポンペイの遺跡を見ていたとき、道ばたにたびたび犬の糞が落ちていて、見つけるたび「ドッグチョコレート」と言ってはククッと笑っていました。周りからは「もうしゃべるな」といつも怒られていましたが、みんな彼のことが大好きでした。

両親と一緒に来た25才くらいのアメリカ人女性は、カップルやグループがほとんどの中、独り身だったためよくスナップ写真を頼まれていました。いつも快く引き受けていましたが「I'm a happy snapper!」と自虐気味に言っていたのが印象的でした。なんとも気の利いたひと言ですね。ふと思いついたのか、けっこう考えたフレーズなのか。それまでアメリカは個人主義の最たる国といった思いこみがありましたが、このグループのみんなは他人を喜ばせることに必死でした。正直、アメリカ人をかなり見直しました。もっとも、旅行という非日常世界でしたから、できるだけ他人と関わって、少しでも思い出を作りたかったのかもしれません。

イギリス人(イギリスバスツアーにて)

イタリアのバスツアーが本当に楽しかったので、勢いで今度はイギリス国内バスツアー11日間に参加しました。9月中旬でしたが、出発の日はロンドンは小雨が降っていて底冷えする気温でした。そんなジメジメした気候と同じように、バスの中も何やらしんみりした雰囲気に包まれていました。

外国人もちらほらいましたが、ツアー客のほとんどはイギリス人です。しかもみんな仕事をリタイヤして人生が一段落したところに、自分へのご褒美として夫婦で旅行に参加した人たちばかりでした。なので他人との会話はほとんどなし。ひたすらみんな自分の世界に浸っていました。

しかし日程も後半になってくると、さすがに夫婦での会話に飽きたのか、食事の席でいろいろと話しかけられるようになりました。しかし、言われることといえば「若いあなたがなんでこんな高いツアーに参加しているのか」「あなたの年齢ならもっとふさわしい旅の仕方があるでしょう」「私が君くらいの歳にはバックパックで無銭旅行をしたものだ」などなど、完全にお説教モードでした。若者に対するエールとも言えますが。

ヨーロッパの国々は「自分の身分や年齢にふさわしい生活スタイル」という考え方があることは、なんとなくわかっていました。イギリスでは見事にそれを指摘されてしまったわけです。若い上にリュックサックで高級ツアー (イギリス人談) に参加している自分は、彼らイギリスの老夫婦にとっては明らかに「場違い」な存在だったようです。(※実際にはむしろ安い部類のパックツアーでした、外国人旅行者にとっては)

「お金を払えば何をしても良い」という考え方は、ヨーロッパでは顰蹙を買うだけです。未だに階級社会なんだなぁと感じました。それにしても、居心地の悪いツアーでした。そして寒かった。人は冷たい、天気は悪い。おまけに食事もいまいち。陽気でおせっかいで涙もろいアメリカ人と一緒に回ったイタリアバスツアーを、心底懐かしく思い出したのでした。

※参考過去記事:イタリアの写真