18世紀にチャオプラヤー川沿いに建てられたワット・ラチャティワート(Wat Ratchathiwat/ Rajathiwas)は、当時の名をワット・サモライ(Wat Samorai=アンカーストーンの寺)といい、若き日のラーマ1世およびラーマ2世が出家修行をしたお寺でもあります。
20歳のモンクット王子(後のラーマ4世)も祖父と父に習いこのお寺で修行をしましたが、当時まだこのあたりは町の中心部からも遠く森に覆われていたことから、彼らは「町の僧侶(Kamawasi)」に対して「森の僧侶(Aranyawasi)」と呼ばれていました。大変静かな環境で、学問と瞑想にはうってつけの場所だったそうです。
モンクット王子は元々は兄のラーマ3世よりも早い王位継承権が与えられていましたが、学問に専念するため兄に王位を譲り、即位までの27年間、出家を続け寺院に属し(その後ワット・ボウォンニウェットの住職にも)、パーリ語やサンスクリット語を習得するとともに全国を行脚し、また英語・ラテン語を学びキリスト教に触れるなどして、革新的な仏教集団、タマユット派(タマユット・ニカイ)を創始するにいたりました。
1851年、ラーマ4世が王位についた際、お寺は現在の名前(=王が住む寺)に変えられました。その後、本堂や仏塔はラーマ5世により建て替えられました。デザインは当時一流の芸術家・建築家でもあったナリッサラー王子(ラーマ4世の子息、ナリット、ナリスとも、ワット・ベンチャマボピットも彼のデザイン)。
クメール様式で、他にあまり見ないデザインです。元の名前 "Samorai" はクメール語の "Thamor (石)" から来ているとも言われているので、そこから想起されたのかも(元々クメール様式だったかもしれませんが)。
このように王室と大変縁が深く(第2級王室寺院)、ご本尊の上側にはラーマ1世から5世までのシンボルマークも刻まれました。本堂内部の壁画はイタリア人画家カルロ・リゴリによるもので、フレスコ画であり、これも他のタイ寺院ではまず見られない特徴です。1000人収容できるというチーク材造りの転法輪堂(タイ寺院最大)と合わせ必見の寺院と言えるでしょう。本堂オープンは08:30-10:30、13:00-16:00(土日クローズ)との情報あり。
なお、ラーマ4世は西洋との関係を重視し、イギリスから家庭教師を迎え入れ子弟に西洋の教育を施しました。この時のことが後に「王様と私」という作品につながりました。