A Dog's World 

~海外で暮らす・日々の記録・旅の記憶~   

城か要塞か(アラビア語から考える)

4月6日は「城 (しろ/46) の日」ということで、城にまつわるあれやこれやを。まず、自分は「Castle (城)」の語源はアラビア語だと思っていました。実際、城はアラビア語で「カスル (قصر)」ですから。

ただ、城をアラビア語に直訳すると、第一候補では「カルア (قلعة)」が出てきます。ニュアンスは、「カスル=城/パレス」、「カルア=城/要塞」といったところかなと。

日本語で城と言えば、軍事的な防御施設として、土塁、石垣、堀、柵などで周囲を囲み、城主や軍勢が立てこもる場所です。

中世は戦うための「山城」が主流でしたが、戦国〜近世には統治・権威を示す「平山城」へと発展し、天守、曲輪、城下町を含めた複雑な機能を持つ拠点となりました。

西洋ではどうだったかと言うと、「ラテン語:castellum (小さな砦・要塞)」⇒「古フランス語:castel」⇒「英語:castle」という変遷が示すとおり、ローマ帝国の軍事施設を意味した言葉が、そのまま中世ヨーロッパで発展したものです。

やはり、どちらかと言えば、カスル (パレス) よりもカルア (要塞) の方が、ヨーロッパの城にはイメージが近そうです。

もともと中東・北アフリカでは独自の要塞文化があり、十字軍時代にはヨーロッパ人もそれらに触れました。

11〜13世紀、ヨーロッパの騎士たち「十字軍」は中東に遠征し、「分厚い石壁・円形の塔 (四角より防御に強い)・多重構造 (城の中にさらに城)」といった中東の高度な要塞技術に出会います。

十字軍の騎士たちは帰国後、それらをヨーロッパの城に取り入れ「本格的な石の城」を築くようになりました。

つまり、Castel という言葉はラテン系、築城技術はイスラム世界からの影響という「文化ミックス」が起きたわけです。

ヨーロッパの城はカルアではなくそのまま Castle と呼ばれましたが、実はアルハンブラ宮殿はカスルではなくカルアなんですよね (アルカルア・アルハムラー (القلعة الحمراء=赤い要塞)。

アルハンブラ宮殿の名のとおり、どこよりもパレス (カスル) っぽいですが、要塞 (カルア) の強さも持ち合わせていたのでしょう。城下町含め、これぞ「城塞」です。

逆に、ヨーロッパの端麗な城を見て、カスル (=パレス) という言葉がアラビア語に輸入されたのかもしれません。

マスマク城 (قصر المصمك)@サウジアラビア
首都リヤドに残る、サウジアラビア建国の始まりを示す城。分厚い土壁は無骨な要塞 (カルア) を思わせますが、サイズもさほど大きくなく石造りではないので、やはり要塞ではなくパレス (=カスル/居城) ですね。

十字軍の城塞@ヨルダン/カラク
ヨルダン中央部を南北に縦断する古道「キングス・ハイウェイ」。今は国道35号線となっています。

5000年以上前から、ギリシャやローマの古代の王が街道としていたそうで (Via Traiana Nova)、要所要所に町があり、下の写真はカラクです。

カラクは海抜1000mの高台に十字軍の要塞が残る町です。エジプト~シリア間の隊商路にあり、もともと宿場町として栄えていたそう。

12世紀には、ショーバックとエルサレムの間の軍事拠点として十字軍が要塞を築きますが、後にアイユーブ朝 (エジプト) のサラディンに征服されました。

要塞の規模はヨルダン随一で、数百頭の馬を飼っていたと言われる円天井のホールなど、見応え充分。周辺まで含め城塞のスケールです。

眼下に城下町が一望でき、こうした建造物はその土地で一番高い場所に築くというセオリーがよくわかりました。

十字軍の要塞@ヨルダン/ショーバック
ヨルダン南部、ペトラにもほど近いショーバックの村のすぐ近くには、やはり十字軍の要塞が残っています。

城の内部は教会、浴場跡、貯水池、井戸、脱出用の抜け穴などが見られます。壁の一部にはサラディンの碑文も残っており、小高い丘の上にたつ姿の美しさもあって、キングス・ハイウェイのひとつのハイライトになっています。

アルカルアの丘@ヨルダン
首都アンマンの旧市街中心部を見下ろす丘がこう呼ばれています (アルカルアの丘/Jabal Al-Qal’a)。眼下にはローマ劇場とともにラガダンのバスターミナルが一望できます。

ラガダンはバスの発着とともに人の移動がめまぐるしく、ローマ劇場周辺は外国人旅行者の姿が目立ちます。アンマン一活気のある地区。

アルカルア (要塞) の名の通り、この丘には青銅器時代から要塞が建てられ、ローマ、ビザンチン、そしてイスラム時代に入ってからも地域の要所として建造物の破壊と再建が繰り返されました。

現在も一応は「アンマン城」がありますが、外観はボロボロに崩れています。むしろ2世紀に建てられたヘラクレス神殿の跡の方が目を引くでしょう。

中東の伝統的なカルア (要塞) の写真があったんじゃないかなと思って書き始めたらぜんぜんありませんでした。申し訳ない。。。