今月1日、ついに「大エジプト博物館 (The Grand Egyptian Museum)」がグランドオープンしました。ツタンカーメンの黄金のマスクもようやくこちらに移されたそうです。
総面積は約50万平方メートル、完成までに20年の歳月と10億ドル (約1500億円) を超える巨額の費用を要し、日本政府も円借款で842億円を援助しました (年利1.5%のローン)。
収蔵品のボリュームと考古学的な貴重さは、単一文明 (古代エジプト文明) の展示としては唯一無二であり、Googleマップのレビューにも絶賛の声が多数あがっています。
何より、4000年から5000年前の遺物であっても、その技術的な精巧さと芸術的な美しさには驚愕します。エジプト王朝のおおよその年代は次のとおり。
・エジプト初期王朝時代 3100–2686 BC (第1~2王朝)
・エジプト古王国 2686–2181 BC (第3~6王朝)
・エジプト第1中間期 2181–2055 BC
・エジプト中王国 2055–1795 BC
・エジプト第2中間期 1795–1550 BC
・エジプト新王国 1550–1069 BC
・エジプト第3中間期 1069–664 BC
・エジプト末期王朝 664–332 BC
ギザの大ピラミッドが建設されたのは第4王朝の時代です。第3王朝時代に作られた階段ピラミッドから、直線のラインを持つ真正ピラミッドへと技術革新を果たしました (ここがピークとも)。
エジプトの首都カイロに住んだのはもう25年も前のことで、初めてのエジプト旅行はさらに前のことです。しかし今もなお、それらの記憶は脳裏に強烈に焼き付いています。
エジプトにもう一度住みたいかと聞かれたら、即答で嫌ですと答える自分ですが、観光だけを考えれば、世界最高の国のひとつであることは間違いありません。
では、そんなエジプト経験の過去記事からいくつか再録します。エジプト人を褒めている、数少ないものも。あと考古学博物館のこと。
初めてのエジプト旅行
初めてのエジプト旅行はカタール赴任中のこと。それはもうワクワクしながら行ったものです。ホテルも含めて何も計画せずに行ったので少し不安もありましたが、不安よりも期待の方が上回っていました。
カイロ空港に降り立ち、入国カウンターはどの方向だと通路でキョロキョロしていた時のことです。1人の女性がこちらに近づいてきました。首から何かIDカードを下げており、身なりはきちんとしたスーツ。
彼女は目の前に来ていきなり「パスポートを見せろ」と言いました。すっかり空港のスタッフだと思いあわててパスポートを見せると、次に「ホテルはどこだ、ツアーは予約しているのか」と鋭い質問が飛んできました。
一瞬ドキッとしながら、「何も予約していない」と答えました。「では、こちらへ」と言うと、彼女はパスポートを手にして歩き出しました。こちらはもうついて行くしかありません。
ホテルは嘘でも予約してあると言った方が良かったかなと後悔しました。てっきり彼女は警察官で、ホテル予約もなしに来た旅行者に、何かペナルティーを科すのではないかと思ったからです。
しかし、それはまったくの見当違いでした。小さな部屋に招き入れられると、彼女はそれまでの冷たい表情をすっかり変え、急にニッコリ微笑んできました。そして、やおらエジプトツアーのカタログをドンと机の上に広げたのです。
「あ、そういうことか」一瞬で理解しました。彼女は警察官ではなく、観光旅行の手配師だったのです (正確にはエジプト政府観光局職員)。彼女の押しの強さと自分の気の弱さからして、もう断るのは無理とあっさり白旗を上げました。
結局その事務所で、カイロ市内ツアー (考古学博物館、ムハンマドアリーモスク、ハンハリーリスーク、ベリーダンス付きナイル川ディナークルーズ、コプト博物館、他)、ギザとサッカラのピラミッド見学、ルクソール夜行列車の旅、アレキサンドリアバスツアーと、盛りだくさんのツアーを予約することになりました。
ホテルを含め全行程の予約と、その日カイロ市内に行くタクシーの手配も済ませました。値段については比較のしようがありませんが、それほど高いとは思いませんでしたし、何より自分1人でやったらとてもこんなアクティブには動けませんから、ここですべて頼んで良かったと今でも思っています。空港の入国手続き前にこんな客引き (政府観光局職員) がいるなんて、他の国ではなかなかないでしょうね。
初めてのエジプト旅行は、やはり見るもの全てが新鮮で、毎日が驚きの連続でした。一番印象に残っているのは、カイロからルクソールに行った夜行列車です。グッスリ眠って翌朝に目を覚ますと、窓の外には延々と続く田園風景。朝靄が立ちこめ、朝日を受けて黄金色に輝くその景色は、今でも忘れられない光景のひとつです。
列車のコンパートメントで食べた朝食はいたって普通のものでしたが (クロワッサン、コーヒー、フルーツ)、殊の外美味しく感じました。振動・騒音も予想以上に少なくとても快適で、カイロで乗ったタクシーやバスとは大違いでした。カイロで見たピラミッドもかなり感動しましたが、ルクソールはその感動を大きく上回るものでした。












それにしてもこれ以降、エジプトにはなんだかんだ4回行って、あげく、仕事で3年住むことに。観光地としては、本当に素晴らしいんですけどねえ。
エジプト考古学博物館とティナ・ターナー
言わずと知れた世界最高峰の博物館。何がすごいって、ミイラが無造作に山のように積んであるところでしょうか。とにかく収蔵品が多すぎて、どれも考古学上とても貴重なものにもかかわらず、「とりあえず並べました」的なあまりに雑な見せ方が、なんともエジプトらしいです。
それにしても、ツタンカーメンの黄金マスクをはじめ、世界的に有名な収蔵品がキラ星のごとく並んでいる、こんなに貴重な博物館なのに、警備の人間はいたってのんびりしています。というか、警備そっちのけでお小遣い稼ぎしているところが、これまたエジプト的。
館内は写真撮影はOKですが、フラッシュは禁止されていました。日本人が写真を撮っていると警備の人間がスッと近づいてきて、「今フラッシュが光ったぞ、バクシーシ」とよく言われていました。博物館としての罰金ではなく、警備員個人に払うお目こぼし金。
オートで光ってしまう人がいるんでしょうね。ただ、光っていてもいなくても、関係ありません。自分がフラッシュなしカメラ (Pentax LX) で撮っていた時も同じように声をかけられましたから、誰彼かまわず日本人と見れば声をかけていたのでしょう。
また、こちらが収蔵品の前で静かに見入っていると、「これは○○○の像だ、説明したんだからバクシーシ」と言ってきたり、とにかく何につけ「バクシーシ」と言ってきました。たぶん実際にお金を渡す観光客 (日本人) がそれなりにいるのでしょう。当時は博物館に行くたび、鬱陶しくて仕方ありませんでした。
カイロの考古学博物館には、世界的なスターもやって来ます。一度、館内でティナ・ターナーを見た時は感動しました。あの顔、あの服、あの髪型。両脇には黒服・サングラスの屈強なボディーガードが2名。誰が見てもティナ・ターナーだとわかる容姿。たぶん最初から隠れる気などまったくなく、堂々とした振る舞いはさすがの貫禄でした。






エジプト人の良心
悪名高いカイロのタクシーですが、良い思い出もひとつ。それは初めてエジプト旅行に行ったときのこと。
考古学博物館を見た後、カイロ市内を観光しながらひたすらてくてく歩き、ムハンマドアリーモスクにたどり着きました。
カイロの地理を知っている方なら、これがけっこうな距離だということがおわかりでしょう。
モスクには1時間ほどいましたが、さすがにまた歩いて帰る気にはなれませんでした。暑さはまだしも、町中を走り回る旧車タクシーの排気ガスであまりにも空気が悪かったからです。
しかしサイフを確認すると、12ポンド (390円/当時) しかありませんでした。ザマレクのホテルまで戻れるか微妙なところです。
ガイドブックを取り出し、目安の料金を計算、まぁなんとかいけるだろうとふんで、タクシーをつかまえました。最悪、メーターが12ポンドになったら事情を話してそこで降りれば良いと考えつつ。
タクシーに乗り込み運転手に「ザマレク」と伝えると、走り出してまず運転手がたずねてきたのは、「町の中心部は渋滞がひどいから迂回して良いか」ということでした。
わざわざ聞いてくるくらいですから、だまそうとしているわけではなさそうです。渋滞中も料金は時間で加算されるため、迂回の距離加算分とは相殺でしょう。「マーシ (いいよ)」と答えました。
しばらく走っていると、水道橋が見えてきました。地図を取り出して道を確認するとかなりの遠回りで、いったん目的地からは遠ざかるようなルートです。
「ちょっと遠回りすぎない?」と言うと、運転手は「でもこっちの方が時間はだいぶ短いよ」と答えました。
メーターが12ポンドになってどうせ途中で降りるなら、少しでも目的地に近づいておきたいと思っていたので、この選択は失敗だったかなと少し後悔しました。
また、迂回路といえども、結局みんな同じことを考えるので、それほどスイスイ走れたわけでもありませんでした。
とにかくメーターはジワジワと加算されていきます。8ポンドを超えたあたりでもうメーターから目が離せなくなり、10ポンドになって、ついにおずおずと運転手に事情を話しました。
サイフを広げ、「ごめん、12ポンドしかないんだ、12になったら降りるよ」と伝えると、運転手は「本当にないの?うーん」と考え込んでしまいました。
ほどなくメーターは12ポンドになり、「ここでいいよ、止めて」と言ったのですが、運転手は黙ったまま車を走らせ続けます。
そうしてメーターが15ポンドを越えたところでようやくタクシーは止まり、おもむろに運転手が口を開きました。
「ここならザマレクまで歩きやすいから」サラッと言ってのける彼の、なんと格好良かったことか。彼は嫌な顔ひとつせず12ポンドを受け取ると、あっという間に走り去って行きました。
エジプト人というのは概して強い者 (権力者や金持ち) には反発するけれど、弱者にはとことん優しいなあと、しみじみ思いました。
後でよく考えたら、ホテルまで行ってもらってそこで全額払えばよかったんですけどね、部屋にお金はあったので。お互い気がつきませんでした。
いずれにしろ、エジプト人の良心を見た、とても貴重な経験でした。もしかしたらこちらが拙いながらもアラビア語で会話したことが、プラス要因だったのかもしれません。
