10月10日は「目の日」(目の愛護デー) ということで、世界的に広がる民間信仰「邪視」について、サウジアラビア時代の出来事を含め紹介したいと思います。
邪視
邪視 (Evil Eye/邪眼) 信仰とは、他人の強い視線や妬ましい眼差しが人や物に災いをもたらすという信条であり、世界中の広範囲に広がる民間信仰です。
この信仰では、特に裕福な人や多くの財産を持つ人がその被害にあうと信じられており、妬みからくる視線が原因とされることが多いです。
邪視から身を守るため、青い目玉など様々な護符・お守りなどが用いられます。日本を含む東アジア (中国・韓国) では、比較的まれな信仰です。

次の写真はローマ時代のモザイク画。邪視から身を守るために使われた多数の道具が描かれています。

イスラム圏の邪視信仰
イスラム圏でも邪視は古来、広く信じられてきました。それはイスラムが勃興した後もなくなることはなく、現代まで脈々と続いています。
イスラムの教えでは、邪視から身を守ることができるのはアッラーのみであり、いかなる護符も効果はないとされています。
預言者ムハンマドは当時の人々に対し、邪視から身を守るためお守りやシンボルを用いることを禁じました。それは偶像崇拝とみなされるからです。
しかし実際には、今も変わらず青い目玉や「ファーティマの手」と呼ばれる手のひら型の飾りが、邪視のお守りとしてスーク (市場) でも普通に売られています。


次の写真はトルコのカッパドキア近郊。荒野の木に大量の護符が飾られています。

文化による違い
イスラム圏では「妬みの眼差し」(アイン・ハサド, عين الحسد) が、他人の所有物に害を及ぼすことを願う行為と解釈されます。一方、西洋では視線そのものが災いを引き起こすとされています (そもそも見つめてはいけない)。
また、イスラムでは偶像崇拝が禁じられていることと関連し、聖像の目が邪視をもたらすという解釈が生まれ、偶像 (とくに仏像) の目や顔が破壊される、あるいは首が落とされることも多くありました。

邪視から身を守るジェスチャーとして、握った手の親指と小指を立て動物の角のように見せかける、また手を握り親指を人差し指と中指の間から出す形もあるそうです。
ちなみに、中指を立てるジェスチャーも、元を正せば邪視を防ぐものだったようです。今となっては別の意味にしか取られませんが。
褒めてはいけない@サウジアラビア
中東地域に古くからあるいろいろな迷信や土着信仰は、イスラムの勃興以降は基本的にすべて否定されています。
にもかかわらず、相変わらず邪視信仰は根強く、自分がリヤドに住んでいた当時も、サウジアラビア人は普通に邪視を信じていた節がありました。
アラビア語で邪視はアイン・ハサド (妬みの眼差し/عين الحسد) と言い、そうした目で所有物を見つめられると、それに厄災が降りかかるというものです。
そこから転じて、何かを褒めることも妬みや恨みに通じるので、邪視と同じ結果になると言われていました。
つまり、他人や他人の持ち物を褒めたりすると、その人・物が不幸に見舞われると信じられていたわけです。
ある日、知人 (日本人) が職場の若手スタッフ (サウジ人) と町中で会った際、笑顔を交え「奥さんきれいですね」と挨拶しました。
すると、スタッフからは「悪いことが起きるからそういうことは言わないでくれ」と真顔で言われてしまったそうです。
他のサウジ人女性と同じく、彼女も黒いベールで顔を覆っていて、どんな顔なのか一切見えなかったから冗談でそう言ったのに、と知人はぼやいていました。
イスラムではこういった土着の信仰や迷信を徹底的に否定しているのですが、人々の生活の中には、このような話が未だごまんとあるそうです。
もうひとつ、サウジ人の持ち物を褒めてはいけない、という話。職場の同僚 (日本人) が、サウジ人スタッフの腕時計を見て何気なく「金ピカでカッコイイね」と褒めました。
そのサウジ人は若干困った顔をしつつも、「だったらどうぞ」とにこやかに腕時計を差し出してきたそうです。
同僚は断り切れずに腕時計を受け取り、後日、仕方ないので同じくらいの値段の時計を贈るハメになりました。
なんでも、褒められたら「くれ」ということになるので、言われた方は太っ腹なところを見せなければならないのだそうです。自分も気をつけなければ。。
