ヨルダンにいた時のこと、いつものように職場でパソコンの画面をにらんでいたら、ある年配のスタッフがひょっこり顔を出しました。
曰く、「あなたはいつも難しい顔をしていて見るに耐えない、1時間働いたら10分休憩しなくてはいけない、ついては、私の話を聞いてはくれまいか」とのこと。どうも彼は、イスラムのことを話したいようでした。
「あなたはいい人だ、私の話をわかってくれると思う。最後の審判の日に、あいつは同じ職場にいたのにイスラムのことを何も教えてくれなかった、なんてことを言わないでほしいんだ」
続いて、「あいつはイスラムを教えてくれた、いい奴だったと証言してほしいんだ。そうしたらまた天国で会えるから」とのこと。
その後も少し、イスラムの話が続きました。彼の顔は真剣でした。真剣な割には動機が不純なような気もしましたが。
コーランには、この世の終末が生々しく描写されています。本来、人間はその始祖アダムとイブからすべてイスラム教徒であり、最後の審判の日、ひとり残らず墓からあばき出され、生前の信仰や行為によって天国行き、あるいは地獄行きを宣告されるそう。
そのため火葬は厳禁。お墓に土葬され、じっと最後の審判を待つわけです。地元の人のお葬式に行った時は、この思想も手伝ってかとてもさっぱりしたある意味和やかな雰囲気さえ漂っていました。死は終わりではなく、単なる通過地点なのでしょう。
ただ、実際のところみんながどこまで本気で信じているのかやや疑問に感じたので、何人かにたずねてみました。すると、「コーランに書かれているからそうなんだ」「みんな信じているからたぶんそうだろう」「よくわからないがウソだとは誰も言えない」などと、全面的に肯定とは言えないまでも、ヨルダン人から否定的な意見はありませんでした。
なお、コーランの中では天国 (ジャンナ) について「こんこんと湧き出る泉のほとり、緑したたる木陰でうるわしい乙女にかしずかれ、美味しい食べ物やお酒を存分に味わい、そして神の姿を見る」と記されています。
これを文字通りに解釈する人と、比喩表現ととらえる人と、様々な立場があるそうです。なんとなく「男性天国」といった趣があるようなないような。でも、天国はあってほしいです。今は痛切にそう思います。
