南蛮漬け、エスカベシュ、セビーチェ、フィッシュ&チップス、これらの料理はすべて外国から伝わったものであり、それは1500年以上も前にペルシャの王が好んだ料理「シクバージ」から派生したものです (⇒関連過去記事)。
ひとつの料理が世界を巡り、千数百年の時を経て現代の私達が口にしていることについては壮大なロマンを感じずにはいられませんが、もうひとつ、ごく身近なもので同様に世界に広がっていったものがあります。それが、ケチャップ (トマトケチャップ)。
ケチャップ (ke-tchup) はもともと中国南部の福建省で使われる「魚醤」という意味の方言です。"tchup" という音節は福建語や広東語で今も「ソース」を意味し、"ke" という音節は福建語で「保存された魚」です。
なお、"ke" は広東語でトマトを意味する "fan-ke" の一部のように見えますが、これは偶然。中国人の中にはケチャップはトマトソースの中国語だと信じている人も多く、トマトケチャップという言い方は意味がダブっているからおかしい、と主張するのだとか。
紀元前の時代から、東南アジアや現在の中国南部の川沿い・海沿いに住む人々は、魚と炊いた米、塩を重ねて漬ける発酵保存食品を作っていました。この時にじみ出る発酵した汁が魚醤で、地域の味覚にあった調味料として定着していきました。
福建地方は1200年頃、中国の船乗りたちが行き交う活気あふれる一帯となっていて、うち泉州は当時世界でもっとも裕福な港町のひとつでした。大勢のアラブやペルシャの商人が集まり、彼らは町に7つあったモスクで礼拝を行っていたそうです。
泉州は「海のシルクロード」の出発地点であり、マルコ・ポーロは中国からペルシャに戻る途中に寄ったこの港で、おびただしい数の船を見て驚嘆したと言います。こうした船乗りたちによって、交易品とともにケチャップ (魚醤) の味がヨーロッパに伝えられていきました。
18世紀の初めには、魚醤は、こちらも中国人により製造法が確立された蒸留酒「アラク」とともに、イギリスで大きな利益を生む商品となりました。その味が民衆にうけると、料理人たちは高価な輸入品の味をまねて、独自のケチャップを作ろうとしました。
イギリスで初めてケチャップにトマトが入ったのは、19世紀になってからのようです。また、当初はアンチョビが使われていましたが、1850年代にはレシピからアンチョビが消えました。
さらにアメリカに伝わると、イギリスよりも多少甘くてドロッとしたケチャップに変化していき、1910年頃、ハインツなどの製造業者が砂糖の量を増やし、さらに日持ちするよう酢を加えました。これが現在日本でも一般的なケチャップというわけです。
紀元前まで遡ることができる中国南部・東南アジアの食文化「魚醤」が、形を変え地球を一周し、「ケチャップ」となり日本に到達したわけです。これもまたすごいことですね。
ただ、「シクバージ→南蛮漬け」は肉から魚という変化はあったものの、まだ面影はあるのに対し、ケチャップがもはやまったく原型をとどめていないのは、可笑しくもあり、哀しくもあり。
なお、インドネシアではケチャップという単語がソースという意味で定着し、とくにケチャップマニス (=甘いソース) はインドネシア国民に好まれています。インドミーのミーゴレンなどについている、ドロッとした真っ黒で甘いあのソース。
