日本では8月21日は「噴水の日」だそうです。1877年 (明治10年) 8月21日に東京・上野公園で開催された第1回内国勧業博覧会で、会場に日本初の西洋式噴水が設置されたことにちなんで制定されたとのこと。
噴水といえば思い出すのが、サウジアラビアの西の都ジェッダにある「ファハド王の噴水 (King Fahd's Fountain)」。高出力エンジンで通常260mの高さに水を噴き上げ、最大出力なら312m、世界でもっとも高い噴水です。

サウジアラビアには合計9年住んでいましたが、住居はずっと首都リヤド。ジェッダはたまに出かけるくらいでしたが、最初のリヤド赴任の時はまだだいぶ若かったので、リヤドからジェッダには二度、自分で車を運転して行きました。その時の様子を過去記事から。
ジェッダにドライブ(1)
自分がリヤドで砂漠生活 (?) を満喫していた頃、ジェッダに知人が転勤してきました。ジェッダは紅海に面した古い港町ですが、昔からメッカ巡礼の基地として栄え、また近代になってからは石油収入を元に急速に発展しました。
市内にはガラス張りの高層ビルが林立し、紅海岸を走るコルニーシュロードは極めて快適なハイウェーです。世界一高く水を噴射できる噴水は (普段は260m、最大で312m)、市内のどこからでも目に入ります。
それまでジェッダには行ったことがなかったので、知人に呼ばれたことをこれ幸いと、自家用車を運転して1000kmの旅に出かけました。
リヤドを出て150kmくらいは、比較的変化に富んだ道路でした。高低差もあり、右に左に大きくゆったり蛇行する道は、運転を飽きさせません。
しかしある地点を抜けると、急に土地が平らになりました。地平線の遙か向こうまで真っ平らな土漠が広がっています。
なんだか急にやることがなくなったような (って運転してるんだけど)、手持ちぶさたな感覚に襲われました。
「ヒマだな、スピードでも出すか」当然の成り行きというか、こんなことを考えました。もうスピート感覚もだいぶ鈍っています。
道はひたすら平らでまっすぐ、対向車もほとんどなし、当然信号機なんてありません。自分が時速130kmくらいで走っている横を、サウジ人のベンツがビュンビュン追い抜いていきました。
しばらく走って、前後に車がまったく見えなくなったのを確認すると、おもむろにアクセルを踏み始めました。
スピードメーターは140、150、160と順調に上がっていきます。しかし170のあたりでスピードの伸びが鈍くなってきました。
「アルティマ (=日産セフィーロ) よ、お前の実力はこの程度なのか?」心の声が届いたのでしょうか、ジワジワとスピードが上がり始めました。
なんとか180、もう一踏ん張りして190。時速200kmに近づくに連れ、視界がだんだん狭くなってきました。
ほんのわずかな道路の凹凸が車体を揺さぶり、ハンドルをかなり強く握らないと今にも暴れ出しそうです。ガソリンが見る見る減っていき、エンジンの悲鳴が聞こえてきました。
そろそろ限界かと思いメーターに目をやると、針がジャスト200を指していました。「よし、ここまで!」 大きな満足感を得て、慎重にアクセルを戻しました。
日本では味わうことのできない高速の世界をかいま見ることができ、その時はとてもうれしかったのを覚えています。
ただ、何年か過ぎると、あの時はよくもまあ無事だったなと、思い出すたびゾクッと身体が震えたのでした。


ジェッダにドライブ(2)
サウジアラビアの首都リヤドから西の都ジェッダまでは、よく整備された幹線道路が延びていて、リヤドを出て150kmを過ぎたあたりから、信号もない、平らでまっすぐな道が延々500kmくらい続いています。
見渡す限りの土漠、山もなければ草木もない、当然人など住んでいるわけがない。本当に退屈なドライブで、この区間は睡魔との戦いでもあります。
リヤドからちょうど500kmの所に、州の境界がありました。当時、国内を長距離移動する場合は、所属先から移動許可 (レター) をもらう必要がありました。
普段はこの外国人を管理しようとする政府の面倒なシステムに辟易としていて、検査官にレターを見せる時はぶっきらぼうに無言で渡したりしていましたが、今回ばかりは事情が違います。
久しぶりに誰かと会話するチャンス。ここで眠気覚ましをしようと、チェックポイントに止まると柄にもなくはりきって挨拶してしまいました。
検査官もかなりヒマだったようで、ひとしきり世間話をして、お互いにこやかに手を振って別れました。眠気も取れすっきり。
リヤドから800kmくらいで、ヒジャーズ山脈がその姿を現します。その後、メッカの町に差しかかりますが、「イスラム教徒以外立ち入り禁止、迂回せよ」という大きな看板があり、日本語も含め数ヶ国語で注意が書かれていました。
メッカの迂回路あたりから急に道路は峠道の様相を呈してきます。クネクネクと急勾配を上っていくと、ヒジャーズ山脈の峠に到達しました。
しばし車をとめて下界を眺めます。下界を見下ろすという行為は、なんでこうも気持ちが良いのでしょう。風もヒンヤリとしています。これまでの疲れが吹っ飛びました。
その後は順調に峠道を下り、ジェッダまであと100kmになったところで、風の感じが変わってきました。
さっきまでの空気の冷たさが嘘のように、暑く重い湿気を含んだ風です。この湿度感は、リヤドではまったく経験したことがありませんでした。
ジェッダはさすがに歴史のある町だけあって、古い道路と新しい道路が複雑に交差し、新参者にはかなり走りづらい町です。
また、市長の美意識によって、近年まっすぐな道路はほとんど作られていないと聞きました。コルニーシュロードも良い感じのカーブを描いています。
リヤドを出たのが朝8時、地図を片手になんとかジェッダの知人の家に着いたのは夕方5時でした。
走行距離1008km、平均時速は100km以上でした。満足満足。でも、帰り道は本当にしんどかった。道中もう眠くて眠くて。。


* * *
ここからはジェッダの町の様子を。こちらも過去記事から。
ジェッダ旧市街
■バルコニー
ジェッダ旧市街、歴史地区に残る瀟洒なたたずまいの木製バルコニー付き建物を見上げていると、まるで古き良き時代にタイムスリップしたような感覚におそわれます。
Balcony という英単語はイタリア語の Balcone から来ているそうですが、もともとはペルシャ語のバールカーネ (パールカーネ) が語源なのだとか (ギリシャ語のバレオーという説も)。
アラビア語ではシャリファ、あるいはそのままバルクーン。マルタ島にも同じような木製のバルコニーがあるそうです。
イタリア、ベローナにあるロミオとジュリエットのバルコニーのようなツタの絡まる石造りのバルコニーも悪くありませんが、細木で格子が組まれたジェッダの木製バルコニーも、個人的には好きです。
残念ながらこういった建物は老朽化が進んでおり、傾きかけたものもたくさんあります。ジェッダ市当局はこれらの取り壊し作業を進めていますが、どのような形で歴史地区を保存していくのかが注目されます。




■サンゴの家
ジェッダ旧市街は歴史地区として保存が行われています。アラベスクをかたどった木製のバルコニーが据え付けられた建物は異国情緒がただよい、見る者にタイムスリップしたような感覚を与えます。
ただ、近年は建物の老朽化が進み、傾きかけたものもちらほら。ジェッダ市も建物倒壊の危険性を憂慮して、そんな建物の取り壊しを進めています。
ジェッダに残る古い建物は、ブロックの代わりにサンゴを使用しているため強度が低い、あるいはコンクリートに砂利ではなくサンゴを混ぜているため強度が低い、と聞いたことがあります。
ボロボロになった壁 (基礎) の中に、確かに貝殻が見て取れましたから、この話は本当だったようです。
サンゴでできた家なんてちょっとロマンチックな響きですが、塩分もあるでしょうし、建築資材としてはあまり適当ではなかったのかもしれません。



■電線だらけ
ジェッダ歴史地区はとにかく建物がゴチャゴチャと密集しています。おそらく改築を何度も重ね、電線と電話線を何度も引きなおした結果でしょう。写真のように線の束がむき出しで壁をつたっています。
雨の日は大丈夫なのかと心配になりますが、見ている分には攻殻機動隊に出てくるような近未来のサイバー空間を想像させ、ちょっとだけワクワクしてきます。まあ自分で住むのはイヤかもですけどね。


