アメリカで1947年6月24日に初めて "UFO" が目撃されたという記録があることにちなんで、UFO研究家をはじめとした有志が記念日を制定しています。
実業家ケネス・アーノルド氏が飛行機で移動中に、時速約2,700kmもの速度で急昇降を繰り返す9機の見慣れない飛行物体を発見し、この物体を "Flying Saucer" (空飛ぶ円盤) と呼びました。
アーノルド氏の空飛ぶ円盤発見情報が記事になり全米で報道されると、同様の目撃証言が相次ぐことに。
これを受けて調査に乗り出したアメリカ空軍は "Unidentified Flying Object" (未確認飛行物体) と名づけ、その事実を認める見解を示しました。
しかしすぐにアメリカ空軍は目の錯覚の一種であると訂正しつつ、UFOの存在は不明との結論を改めて発表する展開に。このドタバタが、その後も肯定派と否定派が論争を続ける火種となりました。
現在、アメリカ国防総省は、UFOの存在について確固たる結論を導き出すことは困難としながらも、UAP (Unidentified Aerial Phenomenon:未確認の空中現象) を認める内容を公式に発表しています。
個人的には、地球人がいるんだから宇宙人もいるだろうし、むしろいてほしいと願います。もともと不思議世界に興味津々で、「ムー」を創刊当初から読んでいましたし。
ということで、UFOあるいはUAPに関連した過去記事を再録。多少こじつけなものもありますが、「空中人間 (Floating Man」はついUAPあるいは Flying Humanoid を連想してしまうので。
フェルガナ渓谷の古代宇宙飛行士
ウズベキスタン赴任が決まったことをある大先輩に連絡したところ、「UFO壁画の現地レポートよろしく」と、不思議世界大好きな先輩の趣味全開のオーダーが返ってきたのでした。
最近、ふと思い出し簡単に調べてみたところ、どうやらそれはフェルガナ渓谷 (フェルガナ盆地) のロックアート (洞窟壁画) のひとつらしいことがわかりました。
どんな画かもすぐに出てきて、こうなるとこちらもどんどん興味が湧いてきます。さらに調べていくと、結論から言えば "フェイク" なのかなということなのですが、その辺りをちょっとまとめてみます。
下の画が件の「古代宇宙飛行士 (Ancient Astronaut in Fergana)」。2020年2月にフランスのUFO研究雑誌「Lumières dans la Nuit」が "発見" した事実として、画の出所は、1967年に刊行されたロシアの雑誌「スプートニク」でした。
フランスの雑誌の検証としては、これはウズベキスタンのフェルガナ渓谷にある古代ロックアートに触発され、創作されたものです。ロックアート群は紀元前2000年から7000年、ものによっては1万年前のものもあるそうですが、この宇宙飛行士にも見える画は、1万2000年前のものであると説明されたそうです。
後年、スプートニク誌の画が切り抜かれ、エーリッヒ・フォン・デニケン (※注1) の著書「神々の戦車」に掲載されたことで、もはや架空のイラストではなく、フェルガナの本当のロックアートとして広まってしまったのでした。
スプートニク誌は1960 年代に複数の言語で発行され、西側の一般市民や空想に傾倒しがちな作家たちが読むことができる、数少ないロシアの出版物でした。よく見れば画の右下に、画を描いたアーティストの名前もあるんですけどね。
ということで、あわてて現地に行って探さなくてよかったなと。でも、心のどこかで「本物であれ」と願う気持ちもあったりなかったり。1万2000年前といえばドロパストーン (※注2) もありますしね。
などと考えていたら、どうやらスプートニク誌の元ネタが、ドロパストーンではないかという記述をネットで見かけました。そうだ、不思議世界って意外と狭いコミュニティの中で使い回しとかしているんだっけ。。。
* * *
※注1: Erich von Däniken
スイス、アールガウ州、ツォフィンゲン出身のSF作家。 代表作に「未来の記憶」がある。"古代のコンタクト (paleo-contact)" と古代宇宙飛行士説を広めた主要人物のひとり。 しかし彼の複数の本で提出されたこれらの考えは、科学者および大学人の多数派によって拒絶された。彼らは彼の作品を偽史、偽考古学および偽科学のカテゴリーに入れた。その一方で、彼が提唱する「古代宇宙人来訪説」に現在も支持者が世界中に存在することも事実である。
※注2: Dropa Stones
1937年、チベットの辺境の地で考古学者 Chu Pu Tei により発見された、謎の円盤型ストーンアート。古代文明の痕跡とともに見つかった700枚余りの石の円盤は、いずれも直径30cmほど、表面は穴を中心にした渦巻状の紋様が彫られており、古代エジプトのヒエログリフのような文字や絵、さらには頭部の大きい人型の存在も描かれている。
イブン・シーナーの「空中人間」
イブン・シーナー (980-1037年) は、イスラム哲学史上最も重要な哲学者、医学者です。ラテン名はアビケンナ (英語読み:アビセンナ)。ブハラ近郊 (現ウズベキスタン) に生まれ、幼い頃から天才を発揮し、18才の頃には形而上学以外の全学問分野に精通し、医師としても名声が高かったと言われます。
やがて、アリストテレスの形而上学 (*1) 研究から出発して独自の存在論を確立し、後世のイスラム哲学に絶大な影響を与えました。彼の存在論・宇宙論は、やがて十二イマーム派の神学にも取り入れられました。
イブン・シーナーは、外界も自己の肉体もなんら知覚し得ない状態で空中に漂う「空中人間」(*2) の比喩により、自我の存在がアプリオリ (*3) に把握されるとしています。他方、存在を本質との関係で見ると、存在は本質にとり偶有であるので、そのため、ものの本質はその現存以前にそれとは別な状態で存在すると結論し、この状態の本質を本性 (タビーア) と呼びました。
存在可能者の本性が現存者になるには、その存在を必然化する原因が要求され、この原因により現存する存在者は、当然、必然的性質を有することになります。こうして、現存するものはすべて必然的であるという結論が導かれました。
しかし、真に必然的な存在は神のみであるので、現存者の存在が必然性を帯びて見えるのは思惟の領域にとどまるものであり、外在における存在者はあくまで偶存、しかし偶存であることが本質であるとしています。存在の真相についての彼の思索は、やがて彼を神秘的直知による把握へと導いていきました。
* * *
と、本から抜粋してみたものの、わかったようなわからないような・・・。いや、実際わかっているわけないのですが。つまり、身体の中に魂は確かに存在する、ということなのでしょうか。そして魂から人間を作るのが神、あるいは宇宙の全能者。
これが「誰」なのかについて絶対的な定義をすることは難しそうですが (せいぜい仮定)、生まれてきたことはすべて必然性 (原因・理由) があると言われると、なんだか嬉しいですね。「自分なんか世の中にこれっぽっちも役にたちゃしない」なんてひねくれている時は勇気づけられるでしょうから (*4)。
ただ、プランクトンなんかの場合は、上位の生物の腹を満たすために生まれてきたのかもしれないので、そういうのだとちょっと悲しすぎますね。まあそれが自然の摂理なのでしょうけれど。
*1: アリストテレスの形而上学
自然界の事物は物質、植物、動物、人間、天体 (知的な存在者) というふうに階層状に連なっていて、その一番上の階層に神がいる。自然界全体は、上の階層のものが下のものの目的になるような目的論的体系を持つ。神はあらゆる存在者があこがれる究極目的である。神自身は他に目的を持たないから動かないが、他のすべてを動かす。神は不動の動者であり、世界全体の第一動者である。世界のうちに属するこのような神は、宗教的な神ではない。アリストテレスは自身の「神学」を、科学が必要とし、科学が確定できる範囲に限定しているからである。
*2: 空中人間 (「治癒の書」"魂について"より)
魂が一挙に、しかも完全なもの (それ自体で完結したもの) として創造されたと想像してみる。外部の事物を見る視覚もなく、完全な無の中で想像され、感覚も遮断され、四肢からも切り離されているので触知などもできないと想像してみる。その上でなお、おのれが存在しているかどうかを精査してみるならば、あらゆる形状や尺度を伴わずとも、おのれが存在していることは間違いなく確証・認識できるにちがいない、と想像できる。同時に、自己認識できるものとしての魂は、おのれが身体とは別物だということも認識しえるだろう。
*3: アプリオリ
認識論において用いられる難解な言葉であり、アポステリオリの対語。「先験的」「先天的」などと訳される場合があるが、どちらの訳もこの語の意味にあっていないと言われ、多くの場合アプリオリとカタカナで書かれる。「私はこのことをアプリオリに知っている」という場合は、「私はこのことを知っているが、経験を通じて知ったのではない」というような意味。
*4: 自己の存在意義
他者に必要とされることは生きる喜びにもつながりますが、過重労働で心身ともに疲れ果て、仕事を休むという判断すらできなくなった時は、「自分が思っているほど世界は自分を必要としていない」という言葉を思い出すことも必要。
UFO少年アブドラジャン(ウズベキスタン映画)
「UFO少年アブドラジャン (Abdullajon)」は1991年に公開された、ウズベキスタン初のウズベク語SF映画です (作中ロシア語も)。
宇宙人の少年が主人公なのでSFではありますが、全体のトーンはドタバタ人情コメディ。副題に「スティーブン・スピルバーグに捧ぐ」とあって、E.T. なんかを意識しているのかなと。
画作りは30年ほど時代を遡ったような錯覚を覚えるほどレトロなテイストで、それが意図的なのかは別にして、実に味わい深く、カルト的人気を博しているのも納得の作品です。
* * *
ある日、ウズベキスタンのとある村で集会が開かれていました。モスクワからの電報を読み上げる議長。宇宙人を乗せた未確認飛行物体がこちらに向かっているとの内容に半信半疑の村人たち。
そんなある日、初老の男バザルバイは奇妙な円盤が墜落する現場を目撃します。近づいてみると、そこには裸の少年が倒れていました。
バザルバイは少年をアブドラジャンと名付け、一緒に暮らし始めます。コインや作物を巨大にしたり、コルホーズ (集団農場) で数々の奇跡 (珍現象) を起こしてみせる少年ですが、村人はその正体を知りません。
そんな中、村に異星人がいることを予測していた軍が、ついに動き出しました。次々と繰り出される戦車、戦闘機。
バザルバイの妻は隠していた通信機を少年に渡すと、少年はUFOを呼び寄せ旅立っていくのでした。
* * *
別れのシーンはちょっとグッときました。Wikipediaでストーリーはわかっていたものの、ウズベク語はちんぷんかんぷん。それでもなお、バザルバイ夫妻の感情がよく伝わってくるのでした。
当時のウズベキスタンの田園風景や暮らしぶりが垣間見られるし、AmazonでDVDが買えるようなので、日本語字幕でちゃんと観たいなと思いました。