バンコク・プライド2025
6月はLGBTQ+をはじめとする性的マイノリティを称えるプライド月間であり、多くの国で平等を促進するためにプライドパレードが開催されます。
「バンコク・プライド」は、タイの首都バンコクにて、6月の世界的なプライドマンスに合わせて開催されるタイ最大級の性の多様性を祝うイベントです。
LGBTQIAN+コミュニティの権利を尊重するだけでなく、刺激的なイベントも多数。6月1日にはパレード (Bangkok Pride Parade 2025: Born This Way) が行われました。
タイのLGBT事情(再録)
LGBTに関する法整備が進み社会からの受容度も高いように見えるタイですが、当事者にしてみたらまだまだ生き辛いのだそうです。たとえ法律でLGBT差別が禁止されたとしても、"男は男らしく、女は女らしく" という考え方が根強いタイでは、根本のところでは受け付けられないのかもしれません。
このところ (※注:2020年) こうしたグループも反政府デモに参加して主張を行っていますが、"自分は自分らしく" というごく自然な考え方が万人に受け入れられる世の中になればいいなと願う一方、果たして自分はそれを受容できているのかなと自問自答。
■タイのジェンダーグループ (Coconuts Bangkokより)
■バンコク大学制服 (2015年~)
選択肢は4種類:男子・女子・トムボーイ・レディボーイ用
おすすめ!タイのLGBT映画
■ミウの歌 (Love of Siam)
「ミウの歌 ~Love of Siam~」は2007年のタイ映画です。アクションやホラーが人気でドラマは流行らないと言われるタイですが、低予算の作品で役者もほとんど無名の新人ということにもかかわらず、異例のロングランヒットを記録した伝説的作品。
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幼馴染みのふたりの少年、ミウとトン。子供の頃は向かいに住んでいて、一緒に遊んだり困った時は助け合ったりする無二の親友だった。ミウは祖母とふたり暮し。トンは両親と姉テンとの4人家族。しかし、トンの姉テンが家族と離れひとりチェンマイ滞在中に失踪したことを機に、トンの家は引越していってしまう。
高校3年になったある日、若者が集まる街 "サイアム・スクエア" でふたりは偶然再会する。トンの家族は姉テンの失踪の影を未だ引きずっていた。父親は自分を責めアルコール依存、母親は気丈にふるまっているものの限界寸前。トンの心は晴れず、仲間と遊んでいてもデートをしていても身が入らない。
一方ミウは、祖母を亡くして以降ずっとひとり暮らしだった。音楽が好きで、学生バンド "August" では曲作りとボーカルをやっている。メジャーデビューの話も出ていてそれなりに楽しくやっているが、心のどこかにいつも孤独を抱えていた。
ミウとトン、お互いの気持ちを理解できるふたりは、互いに重要な存在になる。ただそれは、深い友情なのか、それとも恋なのか・・・。戸惑うふたりと、それぞれ悩みを抱えている家族や仲間たちを通して、愛とは何かを問う、それぞれの喪失と再生の物語。
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上映時間が158分とかなりの長尺です。途中で休憩を入れるつもりで観始めましたが、ストーリー展開が巧みで、登場人物の誰もが愛おしく、胸がしめつけられるようなエピソードばかりのため、むしろあっという間に観終わってしまいました。主なエピソードは次のとおり。
【ミウ✕祖母】
親の転勤について行かず、祖母アマと暮らす10歳のミウ。ミウは親に疎まれていると思っているが、祖母は自分の世話をするため残してくれたのだと言う。祖母は亡くなった祖父を想いこの家を離れられなかった。ピアノを弾くのが好きだったミウに、もっと上手にピアノを弾ければいつか誰かに気持ちを伝えることができるようになると、祖父との思い出の曲を弾きながら話す祖母。
【ミウ✕トン】
ミウは祖母との死別により、愛する人もいつかはいなくなるという現実を目の当たりにし、虚無感を抱いている。ミウはバンドの顧問からデビュー曲としてラブソングを書くよう命じられるが、女性と付き合ったこともないミウは曲が書けずに焦る。しかしトンを想うことでラブソングを書くことができた。トンの家のガーデンパーティーで曲を初披露した夜、ミウはトンとキスをする。
【ミウ✕トンの母】
トンの母スニーは壊れる寸前の家族をひとり必死に守ろうとしていた。ミウとトンの関係を見てしまったスニーは、トンから去るようミウに忠告する。姉テンがいなくなった今、トンは普通に結婚し、子供をもうけ、普通の幸せな家庭を作らなければならないからだ。ミウはスニーの忠告を聞き入れ、トンと距離を置くようになる。
【トン✕家族】
トンは姉テンの失踪によりバラバラになった家族の中で、自分の居場所を見失っていた。自分にとって家族とは何なのか、自分は何者なのか。学校生活は一見楽しくやっているが、深い悩みが消えることはなかった。母スニーはテンの失踪がトラウマとなり、もともと厳しかったが今でもトンを学校に送り迎えするほど過干渉で、トンも母の顔色ばかりうかがっている。
【ジュン✕トン一家】
ミウの学校顧問が雇ったバンドマネージャー、ジュン。トンの姉テンを知るミウは、テンとうりふたつのジュンに驚き (一人二役)、トン、そしてスニーに紹介する。依存症で食事もしなくなった父ゴンを元気づけるため、謝礼目当てにジュンはトンの家に通うようになった。チェンマイ出身で家族はいないと口を濁すジュンを、もしかしたら本当に記憶をなくしたテンかもしれないと、すがるような思いで見つめる一家。ジュンも娘を演じることにある種の安堵を覚えるが、次第にこれではいけないと考えるようになる。
【ゴン✕スニー (トンの両親)】
あの時テンのチェンマイ滞在延長をスニーは反対していたが、ゴンが認めさせた。ゴンの後悔は消えず、今は食事もとらず酒浸りで肝臓をやられ、スニーとの仲も冷え切っていた。ジュンが家に来るようになって少しはましになったが、あいかわらず隠れて酒を飲み、食事もしなかった。物語後半、手を付けていないご飯を下げ、新しいご飯を出すスニー。ゴンがキッチンをのぞくと、冷えて固まったご飯とおかずをスニーがひとり食べていた。スニーが出ていった後、ゴンはようやくご飯に口をつける。
【イン✕ミウ】
かつてのトンの家に住む女子高生インはミウに夢中。向かいの窓から見えるミウの姿を毎晩のぞき、怪しい占いまで使ってなんとかミウの気を引こうとしているが、ミウは気づくそぶりもない。トンの母スニーがミウに伝えた忠告を偶然聞いてしまい、ショックを受けたインは、壁に貼ったミウの写真 (ストーカー級の量) を全部はがすのだった。
その後、ラブソング作りの最終段階で、ミウがインに古い中国の歌の歌詞の意味をたずねに来た。インの家でたまたまかかっていた曲が、祖母との思い出の曲だったのだ。歌詞カードを手に兄に聞くといってインが部屋を出た際、ベッドの下に大量の自分の写真を見つけるミウ。
部屋に戻ったインは写真を手にするミウを見て言葉を失う。「(歌詞は) どういう意味?」沈黙の後ようやく口を開くミウ。「愛がある限り、いつだって希望はある」そう答えるインにミウは、「君はまだ希望をもっている?」とたずねた。「希望をもってもいいの?」泣きそうな顔で言うインだったが、ミウは「君はいい友達だよ」と静かに伝える。
【イン✕トン】
合コンをきっかけに遊び仲間になった男女グループそれぞれの一員。ある日、トンの仲間が軽い気持ちで「お前ってゲイ?」と聞いた。憮然として部屋を出るトンを、インは追いかけた。お前が言ったのかと語気を荒げるトンに、必死に否定するイン。もみ合ううち、「俺がゲイかどうか知りたいのか」とインを強く抱きしめるトン。しかしすぐに悲しい顔をして身体を離してしまった。今度はインがトンの手をつかみ自分の胸に押し当てる。その手をふりほどくと、トンは床に崩れ落ちた。「自分は何なのか」と泣き崩れるトンを、インは優しく抱きしめた。
【ジュン✕両親】
若い頃、自分の人生を変えたくてバンコクで学ぶことを決心したジュン。両親の反対を押し切りチェンマイの家を飛び出して以降、何年も音信不通で、ようやく故郷に帰ったのは働きだしていくらかお金がたまった頃だった。しかしすでに両親も実家もなく、聞けばジュンがチェンマイを離れてほどなく、事故により両親は亡くなったのだという。後悔と喪失感に悩まされていたジュンは、トンの家で家族の大切さを痛感する。そしてバンドマネージャーを解雇されたのを機に、人生をやり直すため夜行バスに乗る。
【ミウ✕バンド仲間】
あることをきっかけにミウとバンド仲間のリーダー格X(エックス)に亀裂が入る (救護の実習授業でマウスツーマウス法をやらされた後、「お前舌入れんなよ!」とXに言われる、たぶん冗談)。クリスマスライブの日が近づく中、トンと距離を置いた後落ち込んでしまい歌う気になれないミウは、バンド練習にも顔を出さない。
ボーカルの代役はいるものの、顧問に最終確認された際、バンド仲間が選んだのはミウだった。一方的に仲違いされていたXがミウを迎えに行く。今でもミウは最高の友達だと言い、たとえすべてを理解できなくても、ミウのことを心配する人は周りにいると伝えた。そして再び練習に顔を出すミウ。
【トン✕ドーナツ】
誰もが羨む美男美女カップルだが、性格キツめのドーナツは、電話に出なかったりはっきりしない態度のトンにイライラしてばかり。ドーナツは違う男子ともデートしたが、ミウのクリスマスライブの日に再びトンを誘ってくる。困ったトンはインに相談するが、自分で決めなくちゃだめだと諭すイン。当日、トンはドーナツにもう会えないと謝る。「もっと早く言ってくれたら違う人とデートしたのに」そう言い残し去っていくドーナツ。
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とまあ、ざっとあげてもこれだけエピソードがあるわけで、同性愛、家族、友情、恋愛、自分探しなどテーマは多岐に渡りますから、158分が本当にあっという間でした。どれも心に残るものばかりで、もちろん主人公ふたりのやりとりは素晴らしかったです。(結末は書きません、でも号泣必至!)
トンの家族が再生していく過程も泣けたし、インのいじらしさも胸に迫りました。最後にトンの背中を押したのはインだったんですよね。その後のシーンが切ないし個人的にこの映画のMVPはイン。ジュンのいい女っぷりにも惚れたし、トン一家との別れも希望が感じられるものでした。
シリアスなシーンが多いですが、クスッと笑えるコミカルなシーンもたくさんあって、役者がいい、画もいい、音楽もいい、サイアム・スクエアの雑踏もいい。つまり、全部いい。100点満点の映画でした。あえてひとつ言うのなら、もっと長くてもいい!
■ミー・マイセルフ 私の彼の秘密 (Me...Myself)
「ミー・マイセルフ」は2007年のタイの映画です。恋愛物はコメディタッチの作品が多い中、これは純粋なラブストーリー。ただしミステリアスな展開に加え、タイならではの社会問題 (問題と言うと語弊がありますが) にも触れていて、奥深く、そしてかなり泣ける物語となっています。
ある夜、主人公ウムは誤って男性を轢いてしまいます。そのせいで記憶をなくした男性 (アクセサリーの名前からタンと呼ぶようになる) を、ウムは家で面倒見ることに。ウムは亡くなった姉の息子オームを引き取り一緒に暮らしています。
突然同居することになったタンにウムは最初イライラしっぱなしでしたが、オームはよくなついています。次第にタンに気持ちを寄せるウムでしたが、時々フラッシュバックするタンの記憶の断片には女性の影が。
二人は結ばれますが、その後タンの記憶が戻り、二人の間に大きな溝ができてしまいました。ウムのもとを離れるタン。ウム自身、大きな迷いがありましたが、甥っ子オームの涙の訴えに何かを決意するウム。エンディングのその結末は。。
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脚本が良くできています。「記憶が戻ったら○○だった」という設定モノとしてはなかなかの衝撃度ですが、タイでは十分あり得ますし、タンを演じたアナンダ・エバリンハムが超絶イケメンなので説得力も十分。
日々の行動を日記に記していくタン。1ページ目には「他人の日記を見ちゃダメだよ」と注意が書かれていて思わずノートを置くウム。しかし実は次のページには、という細かさもいいです。
観終わった後に思い返してみると、タンの行動もつじつまが合っているし、終始語られる "自分らしくあること" というメッセージ、ウムの直接の女性上司の生き方なども響いてきます。いい映画でした。
■愛なんていらない (It Gests Better)
「愛なんていらない」は2012年のタイのLGBTをテーマにした映画です。3人の物語がそれぞれ交錯しながら進み、最後はひとつに結実する脚本は、多少わかりにくさはあるものの (たぶんあえて)、逆に最後まで集中して一気に観ることができました。
1. 少年ディン
女装して踊る姿を父に見つかり出家 (短期修行) させられた少年ディン。嫌々お寺に行ったものの、同じ年頃の指導係の僧を見た途端、気分はウキウキに。夜、お化けが怖いと指導係の寝室に何度も押しかけるディン。ある夜、ディンが目を覚ますと指導係は寝室を抜け出し、お堂で座禅を組んでいます。自身を拒絶されたことに深く傷つくディンでした。
2. 青年トンマイ
父が亡くなり、父が所有していたゲイのショーパブを処分するため、母 (父とはだいぶ昔に離婚) と居住するアメリカからタイにやって来た青年トンマイ。お店のダンサー (ゲイ、女装しているが見た目は男) たちから処分は思い留まるよう言われますが、トンマイの態度はドライ。
お店でただひとり女性だと思ったドクマイも実は元男 (性転換手術済み) だと知ったものの、ドクマイの胸元を見てドキドキするトンマイ。運転手トンリウ (ゲイ、顔は女っぽいが身体は男) と酔った勢いで一夜を共にしますが、翌朝、我に返ったトンマイはトンリウを部屋から追い出しました。
お店の処分をあらためてダンサーたちに伝えるトンマイ。その日、最後のショーが始まると、トンリウは圧倒的な歌声でゲイの心情を歌い上げました。促され父の部屋を見たトンマイは、部屋に飾られたたくさんの自分の写真に驚きます。母は離婚した後も父と連絡をとっていたのでした。そしてそこには女装した父の写真も。
3. 中年サイターン
地方の村に派手な車でやって来たサイターン (50歳くらい、性転換出術済み)。雑貨屋で店主から万引を疑われたことをきっかけに、イケメン青年ファイと知り合いに。ファイは知っての上でサイターンと関係を結びます。日頃感じるゲイへの差別を愚痴るサイターンに、気にし過ぎだとなだめるファイ。
夜、雑貨屋を裏口からこっそりのぞくサイターン。見れば強盗が押し入り、店主は脅されていました。棒を持って強盗の背後に近づこうとしたその時、サイターンはもうひとりの強盗から背中を撃たれてしまいました。血を流し意識を失ったサイターンに、「ディン!我が息子!」と悲痛な声を上げる店主でした。
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これら3人の物語が前後しながら進み、また、ディンとサイターンがお寺で出会ったり、トンマイの夢にサイターンが出てきたりするので、とにかく3人は関係性があるんだということが段々わかってきます。ちょっとミスリードはありますが、結局、3人の物語は2人の物語であり、それぞれ時代/時間が異なるものでした。
少年ディンは成長し結婚しますが、妻が妊娠中、女装して踊っているところを妻に見つかったことから、離婚を切り出します。妻は同意して離婚、アメリカに移住し、その後トンマイが生まれました。ディンは離婚後、性転換手術を受けて女性サイターンになり、ゲイのショーパブを開くのでした。
父も高齢となり、一度会っておきたいと故郷の村にやって来たサイターン。雑貨屋を営む父に会うも、最初は万引き犯に間違われるなど、自分を息子だと認識してくれない様子に落胆しますが、図らずも死の間際、父は自分をディンと呼んでくれたのでした (たぶん最初からわかっていた)。
トンマイがタイに来たのは父サイターンが亡くなった後です。映画の中では、ショーパブの一画にある父の部屋に飾られた父の写真を見て、我々はトンマイがサイターンの息子だと確認します。映画のラストでは、トンマイは父の故郷の村を訪れ、祖父 (雑貨屋の店主) と対面 (おそらく初)。ファイも加わり、一緒に父の遺灰を川に流すのでした。
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ひとつ文句というか、映画のポスタービジュアルがぜんぜん内容を表していないのはいかがなものかと思いました。とくに8人写っている方。これだと軽いラブコメにしか思えません。男女8人ともこの格好では出てきませんし、まったく8人を言い表していません。赤い車の方はカッコイイけれど、さすがにちょっと言葉足らずです。
変に重くなりすぎず軽妙なタッチで進むストーリーなのですが、扱うテーマはけっこう重く、観終わった後の余韻は深いものがありました。思いがけず素晴らしい作品だったので、もっとちゃんとしたポスタービジュアルがあっても良かったのになと思います。(そうしたらもっと早く本作に出会えていたかも)
タイはLGBT先進国で、みんな普通に市民権を得ていると勝手に思っていましたが、さすがにタイであっても、やはり人それぞれなんでしょうね。とくに誰か愛する人を求める場合は。LGBTについては普段ほとんど何も考えずに過ごしていますが、こういう作品をきっかけにたまには思いを巡らすのもいいかなと、先ほど降りだした雨を眺めつつ。
■トロピカル・マラディ (Tropical Malady)
「トロピカル・マラディ」は2004年のタイのドラマ映画です。後年「ブンミおじさんの森」でカンヌ映画祭パルムドールをとることになるアピチャートポン・ウィーラセータクン監督の作品。叙情的で寓話のような語り口の本作はカンヌで審査員賞をとり、またこの年のカイエ・デュ・シネマ誌の年間ベストワンにも輝きました。
※カイエ・デュ・シネマはフランスの映画批評誌で、アメリカのハリウッド映画 (の大作) は入りにくく、フランスを中心としたヨーロッパやその他の国の作品 (どちらかというとストレートな娯楽作品よりはひねりの効いた作品) が選出されやすく、 アピチャートポン監督は常連です (本作、ブンミおじさん、光りの墓などほとんど選出)。
本作はふたつのパートに分かれています。前半はタイの地方都市で森林警備隊を務めるケンと、森近くの村に住む青年トンが、出会い、惹かれ合うストーリー。
「またゲイ?」と思わないでもありませんが (タイ映画のゲイというかLGBT率は非常に高い)、別に美青年同士でもないわりに、二人のたたずまいは違和感なくスッと気持ちに入ってきました。
二人は無邪気というか、きっと魂で惹かれ合っているんだろうなと、そう思えるような自然な絡み具合。いや、そんなに深い描写はありません。マックスでも最後にちょっと立ちションの後トンの拳をペロッと舐めるだけ。(不思議と「オエーッ!」とはならなかった)
前半で何か大きく物語が動くわけではありません。ケンとトンの日常が淡々と綴られていきます。画面は雑然とした街並みが多いし、感心するような仕掛けもないのですが、なぜか、見入ってしまいます。そして物語は後半へ。
後半は、森林警備隊員 (ケンの俳優) がシャーマンの霊を宿したトラを追って森をさまようストーリー。シャーマンはいろいろ姿を変えることができ、人間の姿の時はトンの俳優が演じています。ケンともみあって、ケンを急斜面から突き落としたりもします。
その後なかなか森を抜け出ることができないケン。開けた場所に出ても険しい岩だらけの涸れ川だったり、獣に食い殺された牛を見つけ恐怖を感じたり。
再び森に分け入ったケンは、猿の導きを得ます。トラはケンに殺されることにより幽幻界から抜け出ることができる、あるいは、ケンがトラに食い殺されることにより、ケンがトラの世界に入れるのだそう。
身体に泥を塗りたくり、小川の貝や魚を貪り食うケンは、そうして準備を整えると、ついにその日の夜、暗闇の先に気配を感じ銃弾を放ちました。しかしそこに倒れていたのは1頭の牛でした。
側の大樹が光を放ち (ホタル?)、抜け出た牛の魂の後を歩いてついていくと、「私を待っていろ」という声が聞こえてきました (実際は字幕のみ)。力が抜け、がっくりと膝を落とすケン。ここからのシークエンスがちょっと複雑です。
そのまま四つん這いで歩き始めたケン。鳴り響く虫の声。暗闇に浮かび上がるトラの顔。シャーマンについてのナレーション。導きの猿。一瞬時間がさかのぼりケンが森に迷い込む前の場面。そしてまた四つん這いのケン。山の遠景。銃声。
四つん這いで毛づくろいのような動作をしていたケンは、急に我に返ったようにポケットからナイフを取り出すと、ついにトラと対峙しました。ポケットから取り出したナイフを手に、ふるえながら樹上のトラを見つめるケン。
ここで語り。「そして私は自分自身を見出した。母、父、恐怖、悲しみ。それはとてもリアルで、私に命をもたらした。私がお前の魂を食らえば、私達は獣でも人間でもなくなる。呼吸を止めろ。寂しくなるよ、ソルジャー」 夜の森。暗転。
さらに語り。「化け物よ、私は肉体と魂を差し出した。そして私の記憶も」 画面はトラと人間がつながる絵。再び語り。「私の血が滴るたびに歌を歌う。幸せの歌を。お前には聞こえるか」 夜の森。虫の声。木々のざわめき。暗転し終劇。
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映画の冒頭、中島敦の『山月記 (昭和17年)』の一節が引用された後、山で遺体を回収するケンたち森林警備隊、山を歩く裸の男、立ち寄った村で食事を施されケンがトンと出会うシーンなどが描かれます。
時間的には "後半⇒前半" と考えるのが自然でしょうか。ケンがトンに惹かれ、トンも自然に彼の気持ちを受け入れたことに合点がいきます。ストーリーがつながり、運命の環の完成を見ました。
エンドロール (キャスト紹介) もBGMは森の音 (木々のざわめきと虫の声)。この監督、森に並々ならぬこだわりがあるのでしょう、さすがのひと言です。この余韻は、"完全には理解できなかったけれど何かすごいものを観た" という感想につながりました。もう一度最初から観てみよう。
■マリラー 別れの花 (Malila)
「マリラー:別れの花 (MALILA The Farewell Flower)」は2017年のタイ映画です。末期ガンに冒された男 (ピット)と、彼の元恋人でジャスミン (タイ語=マリラー) の花を栽培する男 (シェーン)。二人の愛と死生観をリリカルに描く作品。
前半は二人の再会から始まります。ガンの治療やセラピー、民間療法などいろいろ試したものの回復しないピットは、バイシー (※注) を作ることで安らぎを得ていました。
※注:バイシー (バイスリ/Baisri) はバナナや蓮の葉とジャスミンなどの花で形作るタイの伝統的な装飾品 (供物) です。人の身体に宿る精霊 (クワン) を呼び戻し、精神の安定を導くと言われます (映画の中でも言及があります)。
娘の悲劇的な死から立ち直ることができず妻も離れていったシェーンは、ピットと再会してつかの間の安らぎを得ますが、ピットの病気を知り、彼の回復 (または来世での健康) を祈るため出家を決意します。出家式の際には自分のためにバイシーを作ってくれと頼むシェーン。
ピットはシェーン用のものを含め、前半部分でいくつかバイシーを作りますが、その工程が芸術的な美しさです。細かく丁寧な作業の連続で、葉を正確に折りたたみ、小指の先ほどの小さな花を成形してから糸で葉に縫いつけるシーンは、観ていて思わず息を呑んでしまいました。
後半はシェーンが出家し、指導者の僧侶に連れられて地方の村を托鉢して周ります。森の中に蚊帳を吊って野宿するのですが、この一帯の森では戦闘が続いているため、あちこちで死体を見かけるとのこと (先輩僧侶は元軍人)。(※注:ナブアを想起させます)
死体を見つけたらじっと見つめて脳裏に焼き付けるよう言われたシェーン。その機会はすぐにやってきて、言われたとおり、黒ずんで硬直した裸の死体を見つめますが、ウジ虫が這いずり回るその様に思わず嘔吐してしまうのでした。
さらに森で何日か過ごしたある日、シェーンはまた死体を見つけました。じっと見つめていると、ゆっくり死体が動いたかと思うと、目の前にピットが立ち上がっていました。ピットを抱き寄せ詫びを言うシェーン。ピットは安心したように力なく崩れ落ち、シェーンも一緒に倒れこみました。
そうして気づくと、ピットは横たわる死体に寄り添うように寝てしまっていたのでした。顔に赤黒い体液がべっとり付着していましたが、シェーンは押し黙り、思いつめたようにじっと死体を見下ろすばかりでした。
場面は変わり、シェーンが森の小川で僧衣を脱ぎ、沐浴するシーンで物語は幕を閉じます。
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最後にピットが現れるシーンですが、おそらくこれでシェーンはピットが亡くなったことを悟ったのでしょう。自らの功徳が足りずピットを死なせてしまったことを詫びたのだと思います。
なお、タイの僧侶は死体を見つめることで、生きているものは必ず死ぬということを意識に植え付けるのだそうです (昔はよく行われた修行、今でもあるそうですがホントかな・・)。
同性愛 (ゲイ)、僧侶、カルマ、ホラー (死体)、緑 (森)、水、といったタイ映画に特徴的な要素がいっぱいの作品。バイシー (バイスリ) に興味がある方は必見。でも後半相当グロいです。あ、前半もシェーンの娘さんがニシキヘビに巻き付かれて絶命するというなかなかのシーンが。
■トゥゲザー (2gether THE MOVIE)
日本の劇場公開に遅れること約5ヶ月、「2gether THE MOVIE」がようやくタイでも公開されました (※注:2021年)。もともとテレビドラマの存在は知っていましたが、個人的にはなかなか手を出しにくいジャンル。
これまで観る機会なく過ごしてきましたが、劇場版のレビュー (日本人の感想) を読むと、ドハマリしてドラマ版もコンプリートしましたという人がけっこういたので、そこまで人を夢中にさせる魅力があるのならばと、襟を正して映画館で鑑賞してきました。
本作は、2020年にタイで放送されたテレビシリーズ「2gether (トゥゲザー)」とその続編である「Still 2gether」を再編集し、新たなストーリーを加え劇場版として公開されたタイのロマンチックコメディ映画です。ジャンルは BL (ボーイズラブ)。あらすじは次のとおり。
『可愛い女の子とのバラ色の学園生活を夢見ていたタインは、ある日、同級生の男子グリーンから告白される。グリーンの猛アプローチに困り果てたタインは、友人たちの勧めで "ニセの彼氏" を作るという作戦を立てる。狙いを定めた相手は、学園一のイケメンで人気者だが無愛想なサラワット。突然の、そしてしつこいタインのお願いにそっけない態度をとり続けるサラワットだったが、それには秘められた理由があった』(Wikipediaより)
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タイといえば世界でも指折りのLGBT先進国。映画でもLGBT (おもにゲイ) をテーマにシリアスなものからコメディまで様々な作品が生み出され、傑作と言えるものもたくさんあります。
これまで自分が観てきたものはLGBTの葛藤を描いたドラマあるいは文芸作品で、どれもシリアスなものばかり。本作のようにストレートなラブコメBL作品は初めてでした。
観た感想を率直に言えば、面白い作品でした。なんといっても主役の二人、タイン (Metawin Opas-iamkajorn:ウィン) とサラワット (Vachirawit Chivaaree:ブライト) がいいですね。
二人の容姿と表情が、本当に役柄にフィットしています。映画の前半はテレビシリーズの総集編だそうで、サクサクっと軽快にストーリーが進んでいきます。笑える場面も多く、普通の学園コメディドラマとして楽しく観ることができました。
後半はちょっと一山あるものの、無駄にハラハラさせるわけではなく、すぐポジティブなシーンに切り替わるので、初見の自分でも幸せな気分になったし、ファンにとってはただただ幸せそうな二人の姿を目に焼き付けることができて、最高の作品だったのではないでしょうか。
ラストは次々ゲイカップルが誕生する怒涛の展開。若干苦笑しつつも、概ね満足して観終わりました。
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個人的見解ですが、タインもサラワットも、お互いを性別に関係なく人間として好きになったのではないかなと思いました。そうであってほしいという願望かもしれませんが。
青春の1ページとして見れば、とても美しくピュアなラブストーリーでしたが、最後に「20年後、30年後はどうなるだろう」といったナレーションがあって、この点はちょっと複雑な気持ちに。お父さんは何も言わずにサラワットを受入れていましたけれど。
ということで、青春ドラマとして考えればとても面白い作品でした。でも、自分はまだLGBTを一種のファンタジーと捉えているかもしれません。それはきっと、わかっていないってことなんだろうな。。
■アフター・サンダウン (After Sundown)
「アフター・サンダウン」は2023年のタイのBLホラー映画です。いやそんなジャンルある?と思われそうですが、ホラー要素がうまく使われ、タイならいかにもありそうなストーリーに仕上がっています。あらすじは次のとおり (楽天ウェブサイトより)。
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アユタヤにある寺院に身を寄せ、和尚と友人のダナイと暮らすセーンラウィー (NuNew) は、21歳を迎えたある日、富豪のシッティコーンカン家に引き取られる。この家には和尚の友人である祖父パリットと息子夫婦、そして現在は海外で暮らす息子のプラプルーン (Zee) がいた。
ある日プルーンの両親は、占い師から息子の運命を告げられる。その内容とは、厄年である25歳になる彼が ”運命の契り” を結ばなければ、凶事に見舞われ生涯孤独に暮らすことになるというお告げだった。そしてその相手は25歳以下で奇数の年齢でなければならず、一家の屋敷があるプラナコーンで生まれた人であってもいけなかった。
プルーンの両親は、屋敷に住み始めたラウィーがその相手に適任だと考える。タイに帰国したプルーンは見知らぬ人と契りを結ぶことに気乗りしなかったが、6カ月間だけとの条件で受け入れる。
しかしプルーンはラウィーが相手だと知り態度を変える。ラウィーが金のために屋敷に住みついたと決めつけ、ラウィーに冷たく当たるのだった。
期間限定で一緒に過ごす二人は、同じベッドで眠ることに。するとこれまで悪夢にうなされていたラウィーは、プルーンの隣では悪夢を見ないことに気づく。
しかしラウィーの身の回りでは怪現象が続き、二人の関係を変えるある出来事がラウィーの身に降りかかってしまう・・・。
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出会いは最悪だった二人。しかし実は子供のころ二人には接点があったことがわかり、またシッティコーンカン家に来て以来、悪夢と凶事に襲われプルプルと子犬のようにふるえるラウィーを見て、いつしかプルーンは彼を守りたいと思うように。
二人の気持ちは急接近しますが、それに伴ってお屋敷の使用人男子にも波風が立ち、物語の後半では和尚とパリット (プルーンの祖父) にも過去関係があることがわかり、本当にもうBL濃度100%のストーリーでした。
タイ映画は実はかなり保守的で、男女のキスシーンや女性の胸が露出するようなシーンはほぼありません。あってもかなり特殊な作品か (アート系とか)、よほど思想が強い監督の作品くらいです。
そんな中、上半身を脱いで抱き合ったり、長いキスシーンがあったりと、BLならここまでやるんだと、半ば呆気にとられてしまいました。
「2gether」はまだ青春物語の要素が強かったので、初めてちゃんとしたBLものを観たにしては楽しめました。しかし本作品は、ちょっとどう観ていいのか途中からわからなくなってしまいました。
105分とタイ映画にしては短く、また連ドラと違い1本で完結することから、食わず嫌いはやめてこういうジャンルの作品も観てみようと思ったわけですが、本当にもうお腹いっぱいです。。