A Dog's World 

~海外で暮らす・日々の記録・旅の記憶~   

日本人の英語力について

先日、「日本人の英語力が非英語圏で92位に後退」といったニュースを読みました。スイスの語学教育機関「Education First (EF)」による調査結果で、英語を母語としない116ヶ国のうち、日本人の英語力は92位、アジア23ヶ国では16位だったそうです。

世界の約210 万人がオンライン上で受験した無料テストのデータを分析した結果だそうですが、EFのサイトに「これかな?」というテストがあったので試しにやってみたところ、確かに難しい設問だなと思いました。

質問あるいは会話のひとつめに対して、4つある回答案・返答案は、だいたいひとつは的外れですが、残りはこちらの温度感でけっこうどれでもいけるんじゃない?という気がしました。物事の考え方、会話の仕方が日本とは異なるような気が。

質問:彼は辛い豆腐料理が_____美味しいと思ったので、もう一度注文しました。
回答1:少し (slightly)
回答2:特に (especially)
回答3:主に (mainly)
回答4:なかなか (fairly)

質問:彼女の自信の源は、娘が最大の_____であると母親が繰り返し言ってくれたからです。
回答1:達成 (achievement)
回答2:実験 (experiment)
回答3:挑戦 (challenge)
回答4:実現 (realization)

上の質問は回答2だろうなと思いつつ、自分の普段の言い方だと回答4のニュアンスが多いなと思ったり、下の質問は回答1なのかなと思いつつ、この親子の関係性がわからないし、そもそも4つあげられた英単語の根本的なニュアンスがわかっていないかもと不安に。(テスト終了後に正解がどれかは出てきません)

英語に限りませんが、母国語以外の言葉を話す時は、その国の歴史・文化・価値観・生活習慣などを知らないと、ちゃんとした会話を成立させることは難しいとつくづく思います。しかし先日、久しぶりにまた目からウロコの出来事が。

近所の床屋で髪を切った際、スタッフが髪の切り始めに軽い会話をしてきました。
「ウズベク語かロシア語は?」
「ごめんなさい、英語だけで」
「OK、自分は英語、フランス語、ドイツ語、韓国語、中国語、トルコ語、ペルシャ語、タジク語を話せるよ」
「それはすごいねえ」

なんて会話の後、少しして「ああ、アラビア語も話せるんだよ」と (英語で) 言ってきたので、へぇと思いつつ、「自分もアラビア語は少し話せるよ、どこで習ったの?自分は中東で長く働いていたんだ」などとアラビア語で話したところ、それには無反応。

「ん?」と思いましたが、そう言えばそうでした。こっちの人、というかこれまで出会った非英語圏の人たち (主にインド・パキスタン人) は、「話せる」のハードルが低いんでした。

挨拶とごく簡単な日常単語を知っていれば、それはもう「話せる」のであって、そう信じているからこそ、その姿は堂々としたものです。この姿勢は語学上達の鍵だと思うし、この前向きさが自分に欠けている最大のポイントだとも思います。

多くの日本人は、「私は英語が話せません」と英語で (I cannot speak English.と) 言いますからね。これってすでに話せているではありませんか。まったく自己評価が低すぎます、日本人は。

自分を振り返ってみると、エチオピア、インドネシア、タイに住んでいたので、生活上必要だったから普段の会話は最低限コミュニケーションが取れるくらいはいけました。もう本当にサバイバル会話でしたが。

でも自分でこの3言語を「話せる」とは思っていません。話すではなくて、自分が言いたいことだけ「指示」はできる、でも相手がベラベラまくし立ててきたら全くわからない、だからその言語は話せない、といった感じ。

「その国のことを知らないと会話はできない」なんて、インド人に言わせたらちゃんちゃらおかしいですよね。どのみち、日本人が日本語で会話する場合であっても、相手の言っていることの3割は想像や推測で理解しているそうです。

なので、日本人ですら初対面の人や考え方・生活環境が大きく異なる人だと、あまりうまく会話が成立しないのは当たり前で、これが外国人ならなおさら。会話はそもそも完璧に伝える・理解することは難しく、最大の意義は会話によって距離感を縮めることなのかもしれません。

そう考えた方が海外生活・海外旅行が楽しくなることは間違いないですね。発音だってブロークンイングリッシュで十分です。「自分の英語が聞き取れない?あなた耳悪いですね」と断言できるインド人のメンタリティをもっと見習いたい。