宿題のトラウマ
自分が小学4年生だった時の話。連休前にたくさん出された宿題を、がんばって全部やったのだけれど、そのノートを家に忘れてしまった日のことです。
担任にはいくらそう言っても、まったく信じてもらえません。冷たい口調で、だったら家に行ってノートを取ってくればいいと言われました。
自宅は小学校から5キロ川上にあり、自分はバス通学でした。バスも昼の時間帯は2時間に1本しかなく、次の上りのバスで帰ったとしても、バスの終点からさらに家まで10分歩くので、そのバスでは下ってこれません。
つまり、バスを使ったら小学校に戻ってくるのは午後1時過ぎになってしまうため、自分の好きな理科の授業も、楽しみにしていた給食も諦めなければなりませんでした。
なのでそれは無理ですと、時間の計算を含めて担任に伝えました。すると、今から歩いて帰れば、戻りは1本早い午前の下りのバスに乗れるだろうから、昼前の理科にも間に合うと、そう言われました。(※5キロを1時間で歩く計算)
不運にもこの日は冷たい雨が降っていました。普段バス通学の自分は運動も苦手な方です。雨の中を5キロ、しかも1時間で歩くなんて絶対に無理だと思い、想像しただけで身体がふるえました。
歩いて帰るのは嫌だと伝えると、宿題をやったというのは嘘だろうと、今度ははっきり言われました。自分に注がれるクラスメイトの視線も冷たいものでした。
「宿題やっていないんだろう?」
「宿題はやりました」
「だったらノートを見せて」
「家に忘れました」
「取ってくればいいだろう」
「5キロ歩くのは嫌です」
「やっぱりやっていないよね?」
「宿題はやったんです」
「だったら普通は証明したいよね?」
「やったんです・・・」
「先生はチャンスを与えているの!」
「本当です・・・」
「もういい、席に戻れ!」
結局、自分は家には帰りませんでした。宿題をやったことも、雨の中歩いて帰るのが嫌だったことも、理科の授業を受けたかったことも、全部本当でした。
先生はなぜ自分の言うことを信じてくれないのだろう。心の中でずっとそう思っていました。とても悲しかったし、おそらく初めて人間不信になった瞬間でした。
カタール警察
今も自分は、信じてもらえないことに激しく心を乱されます。若かりし頃、初めての赴任地カタールでの出来事。会社の同僚が休暇に出かけた際、アパートの鍵を預かりました。
同僚が戻る2日前、依頼どおりクーラーをつけるため鍵を開けて部屋に入ると、なんと衣服や物が散乱しています。明らかに空き巣が入った形跡でした。
会社を通して地元警察に電話し、自分はアパートで警官の到着を待ちました。内部の検分に立ち会うと、警官が「誰か合鍵持ってる?」と聞いてきたので、「ああ、これ」と鍵を見せたところ、警官の顔つきが変わりました。
「この数日間、どんな行動を?」そう聞かれ、ほどなく「一緒に警察に来て」と有無を言わさぬ口調に。あれよあれよと言う間にパトカーに乗せられてしまったのでした。
警察署に着き、取調室に座らされました。こちらはもうパニック状態です。電話を借り、会社の上司に電話して、助けに来てと必死に訴えました。言葉もろくに通じない異国の警察署に留置される、この恐怖。
しかし上司は意外にものんびりした口調で、「どうせ疑いはすぐ晴れるから、とりあえず捜査に協力して」とだけ言うと、早々に電話を切ってしまいました。
その後、小一時間は警察にいたと思います。何か書類を書かされたり、サインをさせられたり。犯人扱いだったのか、単に事務手続きだったのか、それとも両方だったのか。
我ながら、かなり取り乱していたと思います。何より自分はこの時、一瞬でも犯人だと疑われたことがショックでなりませんでした。後で考えると、本当に疑われていたのかもわかりませんが。
これ、きっと小学生の時のトラウマからです。人に信じてもらえない (疑われる) ことは、大人になっても自分の鬼門です。カーッと頭に血が上って心臓がドキドキし、冷静ではいられなくなってしまいます。
今後、何かの事件に巻き込まれ、自分が容疑者の一人にされたとしたら、たぶんめちゃめちゃ挙動不審になって、さらに疑われるんだろうなと容易に想像がつきます。そして真相がわかったあと、「お前が捜査を撹乱した」と怒られるという。。
なお、当時の中東では「第一発見者が犯人」というのが定説で、それ故、殺人現場を目撃したとしても、すぐに通報してはいけないと言われていました (たとえ遺体が身内だったとしても)。
※写真はイメージです