暑い夏、冷凍みかんが美味しい毎日。冷凍みかんを食べるたび、もう18年も前の曲ですが、GTPの「冷凍みかん」という曲を思い出します。
当時、エチオピアから帰国したら静岡で流行っていました。もしかして全国区ではないのかな。YouTubeにはまだ動画があります。
面白いのはMVのはじめにどう見てもエチオピアの家が出てくること。観るたびいつも「なんで?」と思っていました。
久しぶりにMVを見返し、「やっぱりエチオピアの家だよな」と思ったわけですが、過去記事「エチオピアの家」を再録するので、ぜひ見比べてみてほしいです。
エチオピアの家
各国で、各地域で、家はもっともその民族の知恵が注ぎ込まれた産物だと思います。数千年にわたる気候風土との戦いの元に築き上げられた、その土地に特化したインダストリアルデザインの完成形。これはもうよそ者がああだこうだ言うことではありません。
例えば、日本の家が「木と紙でできていてすぐ燃える家」などと揶揄されようと、我々日本人は誇りを持って住んでいるわけです。高温多湿で地震が多い日本では、石組みの家よりはやはり木造が良いのでしょう。増改築も容易ですしね。
もし、自分に建築の知識があれば、エチオピアの家を見てもう少し気の利いたコメントを思いつくかもしれませんが、とりあえず素人の視点で、いくつか典型的なエチオピアの家をレポートします。
■構造
ひとつの典型的な家の造りが、大きな傘を建て、まわりを木の壁で囲っていくものです(写真1枚目:オロミア州トゥルボロ)。木材はすべてユーカリ。アムハラ人が持ち込んだユーカリの木は、今はエチオピア全国で薪に材木にと大活躍しています。
大きな傘のような骨組みを作り、壁を土で塗り固め、屋根を藁で葺いたら完成。傘のてっぺん、つまり大黒柱の先端にポットのようなものをかぶせる地域もあります。この辺は各部族の美意識の表れでしょう。
とにかくとてもシンプル。でもけっこう頑丈そうです。家ができあがるまで3〜4週間といったところでしょうか。
こちらはエチオピア中部のブタジラの家、その下はアムハラ州アデット。(※注:州の区分/名前は当時のものです)。
■内部
アムハラ州アデットで家の内部を見せてもらいました。家の外観でまず「おや?」と思ったのは、煙が屋根からもやもやっと出ていたことです。
中に入ると料理の煮炊きの煙が充満していました。煮炊小屋を別に造っている家もありますが、コーヒーを入れたり乳香を焚いたりするので、結局家の中はいつも煙に包まれています。
なんで煙突を造らないのかなと思っていましたが、後日「それは常に藁葺き屋根をいぶして虫がつかないようにしている先祖の知恵なのだ」ということを聞きました。納得。でも煙い。
土を盛り上げて形作ったベッドなんかもあって、きっと中はがらんどうだろうという予想ははずれました。内部は意外にデザインが凝っていて、とてもにぎやかな印象でした。
それと、たいていの家には家畜スペースがあって、大切な家畜は主人たちと一緒に寝起きしているそうです。
■北部の家
エチオピア北部では、石造りの家がたくさん見られます。基本構造は変わらないと思いますが、木のかわりに石を積んで壁を造っているのが特徴です。
石が簡単に手に入らない南部とはちがって、そこら中に石がごろごろしている北部では、この資源を使うのは当然というわけです。
デブレブラハンで見た家は、大黒柱が1本ではなく2本あるようで、それによって家の形が丸から長円形になっていました。
そのぶん構造が複雑になりますが、より広い空間が確保できます。中には石+土の壁、かつ四角い形の家もありました。
■南部の家
南部諸民族州 (※当時:現在は分割再編成されています) は広大な面積を持ち、その名の通りいくつもの民族で構成される多民族地域です。
家の形態も各民族によって異なることは容易に想像できますが、まずは州都アワサから西に約180kmのホサイナという町の近郊で見た家を紹介します。
ご覧の通り、基本構造は変わりませんが、屋根だけでなく、家全体を藁葺きにしているところが、なんともおしゃれで雰囲気満点です。
この地域は雨が多いので、土壁よりはこうして全体を藁葺きにした方が通気性が良く快適なのかもしれません。
また、それまで他の地方で見た家とくらべたら、ひと回りサイズが大きいのが印象的でした。
収穫物を家の中で貯蔵するとか、小型家畜 (羊、鶏) ではなく大型家畜 (牛) を家に住まわせるとか、家が大きい理由はちゃんとあるのだと思います。
続いて南部州イルガチェフェ (アワサから南に約120km)。こちらは土壁で小さめの家。急に中から牛が出てきて驚きました。
村人と記念写真を撮っていたらまたも中から牛が。人と家畜が一緒に住んでいるのか、家畜専用の家なのか、確認はできませんでした。
■東部の家
エチオピア東部の乾燥地域では、近年は政府による遊牧民の定住化政策が進み、家を建て、定住生活を選択する人が増えています。
ただ、もともと定住という生活様式には向かなかった土地ですから、建築材料も乏しく、あまり立派な家はありません。
ディレダワ近郊で見た家も、土造りの小さなもので、一見すると「貧困地帯?」などと考えがちです。
しかし、日中40度以上にもなる厳しい太陽の日差しを防ぐには、厚い土の壁で囲うのがもっとも経済的かつ効果的です。雨がほとんど降らないので、家の内部はカラッと乾燥していて思ったより快適でした。
もともと、家の中のように空気がよどんだ場所にはできるだけいたくないという人達ですから、寝るためだけの家としてなら、これで必要十分ということなのでしょう。
■家を建てる時期
エチオピアの人達は、どういうタイミングで家を建てるのでしょうか。大きな区切りとしては、日本と同じく結婚があげられます。新婚さんはやはり新居に、ということで、結婚するときは式の費用だけでなく、家を新築する費用も必要になります。
イスラム教徒は4人まで妻をめとることができる、ということは日本でもよく知られていますが、東部の乾燥地域はイスラム教徒が多く、やはり複数の女性と結婚している男性がたくさんいます。
マタハラ (アジスアベバから東に約190km) で会ったカラユ族の男性は、2人目の妻をめとったことから、隣に家を新築したそうです。
もとの家には1人目の奥さんとお母さん、新しい家には2人目の奥さんを住まわせ、自分は毎日交互に両方の家で暮らしているそうです。