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ホラズム

「ホラズム」(ウズベク語:Xorazm) は中央アジア西部に位置する歴史的地域です。アムダリヤ川の下流域、アラル海の南岸にあたり、現在はウズベキスタンとトルクメニスタンに分割されています。

中心都市はウルゲンチとヒヴァで、ヒヴァを中心とする中央部はウズベキスタン共和国のホラズム州となっています。東をキジルクム砂漠、南をカラクム砂漠に挟まれた乾燥地帯に位置します。

ここを中心とした歴史上の最大領土はイスラム王朝のホラズム・シャー朝 (1077-1231年) で、首都の変遷は、1077-1212年:クフナ・ウルゲンチ、1212-1220年:サマルカンド、1220-1221年:ガズニー、1225-1231年:タブリーズ。

古くからアムダリヤ川の豊富な水資源を利用した灌漑が行われ、高い農業生産力に支えられたオアシス都市が栄え、遊牧民の中継交易基地として経済的、文化的に進んだ地域でした。

8世紀にアラブ人によって征服され、9世紀頃にはイスラム教を受容。こうして紀元前以来のイラン文明とイスラム文明が結びつき、当時のイスラム世界の高い学術水準の中でも最高峰を誇るフワーリズミーなど大学者を輩出しました。

13世紀のモンゴルの襲来などもふくめ、地域は様々な王朝により破壊と再生が繰り返され、19世紀にロシア帝国の南下に伴い保護国 (植民地) になると、1920年にはヒヴァの最後のハンが廃位され、ホラズム人民ソビエト共和国が成立しました。

しかし1924年、ソビエト政権が中央アジアを民族別の境界線に再区分する民族境界画定を断行した結果、ホラズムの旧来の区画は廃止され、①ヒヴァを中心とするオアシスがウズベク・ソビエト社会主義共和国領、②南部の乾燥地帯がトルクメン・ソビエト社会主義共和国領となりました。

さらに、③北部のカラカルパク人居住地域がロシア・ソビエト連邦社会主義共和国に属するカザフ自治共和国のカラカルパク自治州 (現ウズベキスタンの一部であるカラカルパクスタン共和国の前身) へと三分割されるに至りました。

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あらためてホラズムの歴史を学ぶと、6月末にカラカルパクスタンに行った際、レンタカーの運転手と雑談をしていて、カラカルパクスタンは言語も文化もカザフスタンに近いと言われたことが、ようやく理解できました。

ヒヴァ旅行の準備のつもりでしたが、ひとつ頭が良くなりました。

マップの元サイト