カラカルパクスタンの首都ヌクスから車をチャーターしてムイナク (またはモイナク、Muynak/Mo'ynoq) に行ってきました。
目当ては「船の墓場」。20世紀最大の環境破壊と言われるアラル海の縮小を間近に感じたいと思い。
ヌクスからムイナクの距離は200kmほど。クングラードを過ぎてから道路がかなり悪くなり (穴ぼこだらけ、アスファルトのツギハギだらけ)、片道3時間ほどかかりました。
船の墓場の写真はもう何度も見てきましたが、あらためて自分の目で見ると、やはりインパクトは大きかったです。
展望台は在りし日の水際だったそうです。眼下に広がる荒涼とした大地、そこに並べられた、赤い錆にまみれただ朽ちていくのを待つだけの船たちが、心に刺さりました。
ここが数十年前までは巨大な湖だったのだと、なんとか想像しようとしましたが、それはとても難しい作業でした。
日中、気温は33℃ほど。砂まじりの熱風が吹きつけ、持ってきた日傘も満足にさせませんでしたが、無我夢中でカメラのシャッターを押しました。
ひととおり写真を撮り終え、博物館で当時の様子を学び、結局そこからもう一度エリアを一周してしまいました。
砂の上に横たわる船を見つめながら、どこかでこの環境破壊に歯止めをかけることはできなかったのかと、忸怩たる思いは止まりませんでした。
環境よりも経済発展を選び、大規模灌漑を決して止めなかったのは、ウズベキスタン国民というよりは、当時のソ連指導部です。
一時期、アムダリヤ中流域の農業は発展したかもしれませんが、代わりにアラル海の漁業が壊滅し、また現在は水不足と塩害の広がりで農業すら大変な状況です。
さらに乾燥湖底から舞い上がる (塩分だけでなく重金属を含むという報告もある) 砂塵で健康被害が出るなど、流域の最下流に位置するカラカルパクスタンは、まさに被害者。
今は人類の愚かさの象徴であるムイナクの船の墓場。将来、再び水があふれ、アラル海が復活するようなことができれば、次は人類の英知の象徴になり得るのかな。
いや、そうあらねばならないと、青い空を見上げながら思ったのでした。
アラル海(再録)
「20世紀最大の環境破壊」と言われる、アラル海の縮小、いや、消滅の危機。1960年当時、アラル海は世界の湖の中で第4位の面積を誇っていました。
1. カスピ海:43万6000km2
2. スペリオル湖:11万7400km2
3. ビクトリア湖:6万8870km2
4. アラル海:6万8000km2
この時のアラル海の面積は琵琶湖の100倍、日本の東北地方ほどの大きさがありましたが、今や面積は10分の1と言われ、南北に分割されたうちウズベキスタン側で言えばわずか20分の1 (3500km2) です。その理由は旧ソ連時代の自然改造計画。
ウズベキスタンを含む中央アジア5ヶ国は、旧ソビエト連邦を構成する共和国でした。1960年代、ソ連はアラル海の東に広がる乾燥地帯を農地に変えようと大規模な灌漑を開始、計画経済を進めました。
アラル海に注ぐふたつの河川、アムダリヤとシルダリヤ (※注) から灌漑用水のため大量に取水し、新しく生まれた農地では綿花が栽培され、ウズベキスタンの綿花生産量は150万トン (1940年) から450万トン (1970年) に増大しました。
※注:「ダリヤ」は「海 (転じて大河)」を意味するため、アム川と表記する場合も。またアムダリヤ川という表記もよく使われる。
こうしてアラル海は、1960年代は年平均20cm、1970年代には年平均60cmのペースで水面が低下し、急激に縮小していきました。一晩で湖岸が数十メートルも後退することがあったそうです。また大規模灌漑は、塩分濃度が上がった水を下流に大量に排出することにもなりました。
アラル海はもともと塩分濃度は1%程度 (海水の3分の1) で、サケやチョウザメなどがよく獲れ漁業が盛んでしたが (外来種の放流も)、面積の縮小と合わせ塩分濃度が上昇し、塩分に強い魚種 (カレイ) の導入も虚しく、2000年には塩分濃度が海水の2倍 (7%) に達したため、ついに漁業は不可能となりました。
アラル海の中にあった小島は外部と地続きとなり、島の生物群はオオカミの侵入によって個体数が激減、またアラル海南部の湿地帯も干上がり、植生が砂漠の植物に代わったことから、渡り鳥の飛来もなくなりました。
アラル海の縮小、生態系の破壊およびその対策に関する様々な資料からなる『1965年から1990年までのアラル海に関する記録』は2011年、カザフスタンの申請によりユネスコの「世界の記憶」に登録されました。
■アラル海湖畔@2023年6月 (いただいた写真)