A Dog's World 

~海外で暮らす・日々の記録・旅の記憶~   

カタール小史

自分にとってカタールは初めて海外生活をした国なので、今でも思い出深いものがあります。 海外旅行もこの時が初めてだし、飛行機に乗ったのも生まれて初めてでした。

今回、サッカーワールドカップにかこつけて、久しぶりに彼の地を踏んでみたいとも思いましたが、でもきっと飛行機からホテルまで、すべてが高いんだろうなと考えたら、「またいつか、でもいずれは」という気持ちになりました。

下の記事は、本当にもうはるか昔に書いたものです。今は首長含め政治的にもいろいろ変わったでしょうし、一人あたりの年間所得もだいぶ増えています (今は日本の2倍、世界トップレベルのお金持ち国)。

ワールドカップでテレビにたびたびドーハの街並みが映るので、それを楽しく見ている毎日です。本当にすべてが変わっていて、ただただ驚くばかり。

カタール小史

カタールはアラビア半島の東側、ペルシャ湾にちょこんとつき出た小国です。その国土は東西80km、南北150kmくらいしかありません。

こんなに小さくてよく独立する気になったなぁと思いますが、実は、もともとカタールは隣のバハレン、アラブ首長国連邦 (7首長国あります) とともに、9首長国で合体して独立する予定だったのだそうです。

それは、国旗にもあらわれています。カタールの国旗は向かって左3分の1が白、右3分の2がえび茶色 (バハレンは赤) です。2色の境界はギザギザになっていますが、ギザギザの突起が9こあるのは、9首長国は同胞であるという意味なのだそうです。

この地域は、紀元前はディルムーンに属し、7世紀からイスラム王朝の支配下に、19世紀後半にはオスマントルコの影響下におかれましたが、1916年から1971年まで9首長国はイギリスの保護領になりました。

イギリスの撤退とともに、まずバハレンが連邦制構想から離脱、独立を宣言しますが、それを見てカタールも単独での独立を宣言しました。近親憎悪ではありませんが、バハレンとカタールの王族は仲が悪かったそうです (実際はハワール諸島などの領有権問題)。

しかしカタールの首長家、これまで3人の首長 (国王) を出していますが、政権交代がいつも穏やかではありません。初代はサーニー家の首長だったアフマド。それからわずかに1年後、息子のハリーファが父親の外遊中を狙って無血クーデターをおこし、政権を奪取します。

ハリーファは1974年以降、原油価格の高騰により巨万の富を得、国の近代化に努めますが、1995年、息子のハマド (アフマドの孫) がおこした無血クーデターによりあえなく追放されることになりました。肉親なんだからもうちょっと穏やかにやってほしいですね。

ちなみにカタール北部の海には世界最大級の天然ガス田があり、当時も今も国民一人あたりの年間所得はかなり高いです (250万円くらい)。

それにくらべたらバハレンはほとんど天然資源はありませんから、アラブ首長国連邦、特にドバイの発展ぶりなどを見て「なぜ単独で独立しちゃったんだろう」とため息をついているバハレン人も多いのではないかと想像します。

* * * (過去記事おわり)

当時のシェラトンホテルとドーハ湾を撮った写真とくらべると、ドーハの町も本当に様変わりしています (1枚目は過去記事:カタール思い出語りより)。シェラトンホテルの周辺には、こんなにたくさん高いビルが建っているのですね (2枚目)。