A Dog's World 

~海外で暮らす・日々の記録・旅の記憶~   

懐かしのオートバイカタログ(3)

押し入れの奥にしまってあった懐かしのオートバイカタログ。モトコンポなんて懐かしさ爆発です。連鎖的にホンダ・シティのCMが思い出されます。モトコンポはシティのおまけ感 (おもちゃ感) が強かったのか、当時はあまり売れなかったらしいですが、40年後の現代にこれほど個性的なオートバイがあったら、みんなきっと飛びつくことでしょう。

ちなみに、最初のマイカーはシティにしたかったのですが、社会人初勤務のカタールにはシティが売っていなかったので、同じくホンダのシビックにしました。写真はドーハのアパート前。懐かしい・・。(⇒カタール過去記事)

1980年代のオートバイカタログには、芸能人やスポーツ選手など内外の有名人が何人も起用されていました。ビヨン・ボルグやピーター・フォンダなど、とくにホンダは外国人スターを起用していたように思います。テレビで流れるCMも多かったし、オートバイが若者文化に直結していて、業界が上昇気流に乗っていた時代ですね。

おまけ:オートバイ思い出噺

初めてオートバイに乗ったのは高校1年の頃です。まず、近所の「親分」に連れられ、友達2人と一緒に解体屋に連れて行かれました。

そこには車やオートバイの半分バラされたような車体が山積みにされており、その光景を見てこちらはただポカンとするばかり。

すると親分が、「各自オートバイ1台分の部品、ただしエンジンは2スト50cc」と言うやいなや、部品の山に分け入りさっさと物色を始めました。

勝手がわからずみんなしばらくウロウロしていると、親分がやって来て「MR50が良いだろう」と言ってくれました。MR50はヤマハの2スト50ccオートバイで、パッと見て10台分くらい見て取れます。

それから30分ほどかけてフレームやハンドル、タイヤなど必要な部品、それもできるだけきれいなものを集めました。

問題はエンジンです。それが動くのかどうかは、親分の目利きが頼り。「これは難しそうだ」「これは良し」などと判断が下されました。

他の部品についても「ブレーキが壊れている」「このサスは死んでいる」などとやり直し命令が出て、結局全部そろうまで1時間以上かかりました。

部品代は1台あたり5000円から8000円くらいだったと思います。親分のトラックに全員分の部品を積み込み家に戻ってくると、その日からオートバイ再生に悪戦苦闘する日々が始まりました。

組み立てそのものは、あまり難しいことはありませんでした。田舎の家なので庭も土地も広く、また農機具の整備のため工具は立派なものがそろっています。3日ほどかけて組み立てとグリースアップを行い、いよいよエンジンの始動に移りました。

車体からはずされ、野ざらしにされていたエンジンをどうやって復活させるかというと、もうあとはひたすら押し掛けをするだけです。ギアを3速くらいに入れ、オートバイを押しまくる。もちろん始動キーはなく、直結です。

何百回と押し掛けをしていると、そのうち、一瞬エンジンがかかるようになりました。こうなればしめたもので、オートバイを押す手にも思わず力が入ります。そうして、それぞれ1週間ほどでエンジンがかかるようになりました。

エンジンがかかるようになったら、今度はキャブレターの調整です。エンジン音に耳を傾けながら燃料とエアーの調整をして、ようやくアイドリングが安定するようになりました。

エンジンの調子が良くなったあとは、マフラーのクリーニングをしました。マフラーを車体からはずしたき火の中に入れると、モヤモヤと大量の黄色い煙が出てきます (2ストオイルの残りカスが燃えた煙)。

煙がなくなるまで待って、マフラーをたき火から取り出し、木槌でコンコン叩くと黒いカスがボロボロと出てきてクリーニング完了。エンジンのふけ具合も断然調子良くなりました。

* * *

最初にオートバイを走らせていた場所は、村に広々と横たわる田んぼの中です。そこでただグルグル走り回っているのがもう楽しくて仕方ありませんでした。

しかしほどなく親分から、「クワ、カマ、ノコギリを持って集合」と声がかかりました。友達と一緒に親分のトラックに乗ると、家から2kmほど川上の山 (親分の家の土地) に連れて行かれました。

そこで親分から、「ここにモトクロスコースをつくる、木と草を刈れ」と号令がかかりました。正直「そんなことできるの?」と思いましたが、とにかく目の前にある木と草を黙々となぎ倒し刈り取っていきました。

4人がかりでしたが、当然その日1日では完成せず、さらに日曜日を3回つぶしました。この時、自然の木や草を手で刈っていくことの大変さを痛感しました。

そうやって苦労して出来上がったモトクロスコースは、1周100mはあろうかというなかなか立派なもの。自然の地形が起伏に富んでいて、クイックターンやジャンプなどひと通りのことはできました。

その後はたびたび親分のトラックにみんなのオートバイを乗せ、モトクロスコースに通いました。オートバイの構造・調整から乗り方まで、すべてこの時期に学びました。幸せな時代だったなあ。