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~海外で暮らす・日々の記録・旅の記憶~   

Where We Belong:私たちの居場所(タイ映画)

Where We Belong」は2019年のタイのドラマ映画です。東京国際映画祭では邦題「私たちの居場所」で上映された話題作で、タイのアカデミー賞とも言われる「スパンナホン賞」で最優秀作品賞を受賞しました。

主演はBNK48のメンバー、ジェニス (Jennis Oprasert) とミュージック (Praewa Suthamphong)。他にもBNK48のメンバーが何人も登場します。

『留学に夢膨らむ女性と故郷に残る女性の運命が動き始め・・・』(filmarks.comより)

という簡単なあらすじと最初に見た映画ポスターから想像したのは、「少女期を脱し、離れ離れになりながらも、お互い一歩大人の階段を上り始める、青春の苦悩と希望の物語」といったものでした。

きっと典型的なアイドル映画だろうなと、実は最初は敬遠していて、長らく観ていなかったのですが、ただスパンナホン賞も取っているし、よくよく見れば監督はコンデート・ジャトゥランラッサミーです。

同監督の監督/脚本作品は「Midnight My Love (2005年)」と「Me...Myself (2007年)」を観ていて、両方とも大好きな作品です。社会問題を折り込みながらエンタメ作品として昇華され、どちらも一筋縄ではいかない、ほろ苦いストーリー展開が印象的でした。

ということで、あらためて本作を観たわけですが、さすがにありきたりの青春物語ではありませんでした。というかむしろ相当残酷なストーリーに思えました。

地方都市 (チャンタブリー) の閉塞感、古い価値観の親子関係、母親の喪失、女性への抑圧社会、自分の存在価値、たったひと言で友情が壊れるこの年代特有の危うさ等々、なかなかの鬱展開が続きます。

スー (演:ジェニス/BNK48)
母親が他界して以降、この町に居場所があると感じられず、どこでもいいから出ていきたいと考えている。そうして合格したフィンランド留学試験 (フィンランドには興味なし)。しかし父親が反対したままで、同意書にサインしてくれない。

体温低めの性格。友人であっても一定の距離は保ちたい。かつて親友だったミューから一方的に喧嘩別れされた。今はベルが一番の友人。弟は男の娘。ファッションはいつも地味なネルシャツかTシャツ。

ベル (演:ミュージック/BNK48)
両親が離婚したため、父親と祖母と3人暮らし。祖母の世話係。進路が決まらずぶらぶらしている。時々バンコクの母親に会いに行くが、自分を置いて出ていった母親を許せない。バンドを組んでいるがメンバー間のいざこざで活動休止中。

熱い性格。友人とは腹を割って話したいし、友人が困っていたらなんとしても助けたい。この町が好きではないが、ここが自分の世界の全てだと思い込んでいる。スーは一番の親友。内心スーには留学をやめてもらいたいと思っている。ファッションはいつも派手な柄物シャツかジャージ。

スーの父、ベルの父
スーの父親が留学に反対している理由は、先代から続くバミー屋を、スーに継いでもらいたいから。いったんスーが出ていったら、もう二度と帰ってこない予感がしている。家族経営にこだわっているが、料理は女性 (母、妻、娘) がするものという価値観。 

ベルの父親はたぶんいい人だが、保守的な考えの持ち主と思われる。祖母の世話は娘 (ベル) の役目など、女性に求める価値観が古い。妻 (ベルの母親) にとってはこの町と同様に退屈な存在だったのだろう。

スーの母、ベルの母
スーの母親は数年前 (たぶん2年前) に他界。臓器提供の意思を示していたが、書類に配偶者の同意サインがなく、亡くなった直後に医師からサインを求められた。スーはやめてくれと泣いて父に懇願するが、「妻の意思だから」とサインをする。物語の中で、スーの母の心臓が提供された女性とのエピソードも。

ベルの母親は離婚した後バンコクでバリバリ働き、生き生きとそして羽振りよく暮らしている。ださいファッションのベルに可愛い服を買い与えるが、駅で見送った直後、ベルはその服をゴミ箱に投げ捨てる。

ベルの祖母
よぼよぼ。夫は死別。若かりし頃、向かいの家に住んでいた青年に胸を揉まれたことを今でも大切な思い出にしている。ベルもその話をさんざん聞かされた。時々自分で胸を揉んでは吐息をついている。

ベルのバンド
5人組ガールズバンド "Stratosphere"。プレーとパーンが一人の男子を巡って仲違いして以降、活動休止中。スーはバントメンバーではないが、メンバーが集まるきっかけを作った仲間。スーの留学前に、ベルはスーに演奏をもう一度聴かせてあげたいと、プレーとパーンの仲直りに一役買う。

スーのボーイフレンド (1)
イルカショーの飼育員ケン。スーと違ってこの町のこの生活に満足している (ここ以外に世界を知らないとも)。イルカも愛を持って接すれば愛情を返してくれると言う。スーの留学はあえてとめなかった。

ミュー (演:オーン/BNK48)
スーの元親友。ベルの後押しで、スーはミューが働く場所に押しかけ、留学前に会って話をする。スー自身は何が理由でここまで嫌われたのかわからない。思い当たること (あの時あんなことを言ったから?) を問うが答えはなく、あまりの態度に怒ったベルが横から割って入り、現場は大混乱。

この後スーとベルはうっぷんを晴らすかのように、海に行って水に飛び込む。波打ち際に寝転がり、ある日ミューの夢を見たと話すスー。以前と変わらず親友としてふるまっていたが、それが夢であること、こんな日はもう二度と来ないことを、夢の中で自分はわかっていたと話す。

ベルは「そこに私はいた?」と聞くが、「ただの夢よ」とスーは答えた。あらためて、ベルはいつも友人の一番近くにいたい人で、スーはその点どこか冷めた人だというコントラストが。

しかしその夜、「別れの挨拶まで済ませたのに突然留学をやめたらおかしい人って思われる?」と聞くスー。ベルは「そんなの関係ない、ただやめればいい、あなたが世界の中心ではないのだから」と言った。

イタコ (1)
スーは父親に連れられ、弟と3人でイタコ (中年のおじさん) のもとを訪れた。亡くなった母親を口寄せしてもらうためだ。こんなの茶番だと席を立とうとするスーだったが、イタコが醸し出す雰囲気と話の内容に、最後は涙を流してすがるのだった。

イタコ (母親) は、「ここは私たちのいる場所じゃないって、スーに言ったのは私だったね」「天国には行ったけれどみんなと一緒にいたいから戻ってきた」「ここが居場所と思えなくても、より良くしようと努力すればいい」「でも行きたいならとめないよ、新しい土地でがんばりなさい」と話した。

帰りの車中、サインした留学の同意書をスーに渡す父親。しかしスーはそれを破り捨てた。

再び訪れた日常
スーは留学をやめ、英語学校に進学、友人たちと過ごす何気ない日常が戻った。バミー屋は今も手伝っているが、弟が調理 (スープ作り) を担当するように。

スーとベルはマリア像に祈りを捧げるようになった。そして「私たちどんな大人になるんだろう」「きっと私たちがずっと嫌っていたような大人になるんじゃない?」「そんな年齢になったら今の自分たちを思い出すのかな」「きっとそんなに思い出さないと思うよ」などと会話をしていた。

スーのボーイフレンド (2)
ケンと木かげに座るスー。ケンは (たぶんあいかわらず) 子供の頃の懐かしい話をする。ふいにケンがスーの手を握り、キスしようとしてきた。スーは抑揚のない顔でゆっくり拒否すると、その場を離れていった。

病院裏で
スーは病院裏のゴミ箱の前にたたずんでいた。蓋を開けると中には血糊の着いた包帯がたくさん。それに手を伸ばそうとした瞬間、裏門が開いてスタッフが出てきた。あわててその場を立ち去るスー。(説明がなくちょっと意味不明)

ビッチ
ベルがスーを乗せてバイクで町を走っていた時、突然スーがバイクを停めてと言った。バイクから降りると、橋桁にたむろしていた男女数人のうち一人の女性にくってかかるスー。現場は騒然。ベルも入ってたちまち乱闘に。「母さんの心臓を返せ!」スーは叫んだ。

スーの母親は亡くなったあと臓器提供し、そのうち心臓がこの若い女性に移植された (スーは後日郵送された書類からそれを知った)。母の心臓によって生かされたのに、尻軽で自堕落な生活を送っていることが許せなかった。映画の中ではこの女性と3度遭遇 (毎回男連れ)、3回めにこの乱闘。

乱闘騒ぎを止めたのが、車で通りかかった自警団 (夜回り) の男で、この男こそ、あの時のイタコだった。

イタコ (2)
スーはイタコに、もう一度母親に会いたいと頼んだが、男はやや困り顔で、あれは嘘でもう二度とできないと言った。スーはすべてを悟った。父親が仕組んだことだったのだ。夜の遊園地、絶望の表情で嗚咽するスー。映画本編では画面にスーしか写っていないが、予告編では向かいに座ったベルも涙を流していた。

ラストシークエンス
まだ夜が明けきらない頃、スーは母親の写真を持って家を出た。ベルの家で、ベルの祖母にそっと抱きつくスー。そしてスーは出ていった。祖母はベルに聞く「スーはどこ?」。無言のベル。

ベルの日常からスーがいなくなった。今日ベルは一人でバイクに乗っている。その顔はどこかうつろで、時に涙をこらえているような、しかし何かを決意したような、そんな表情だった。終劇。

* * *

まず、最初に載せたあらすじですが、これはちょっと違いました。スーはまったく留学に夢膨らんでいなかったし、運命が動き始めるという部分も、ベルには当てはまりませんでした。

最後、スーがどこに行ってしまったのかはわかりません。スーの部屋からスーツケースがなくなっていたので、たぶんある程度荷物を持って出ていったのでしょう、母親のもとに行った (自殺した) のではないと信じたいです。あれだけ絶望したら、その道を選んだとしても仕方ないですが。

ただ、イタコについては、自分は頭ごなしに否定はしません。時にはこうしたことが、どんな病院や心理カウンセラーよりも、悩める人の心をほぐすこともあるからです。父親にしてみたら、「行きたいなら行ってもいい」と一応は伝えたわけですし。でもやっぱり嘘は良くないですけどね。

スーの母親が臓器提供をしたということは、変な話、フレッシュな遺体だったわけです。長い闘病生活ではなく、おそらく突然死。事故かもしれないし、もしかしたら自ら命を絶った可能性も。

イタコが言った「ここは私たちのいる場所じゃないって、スーに言ったのは私だったね」という言葉、旦那に対しても常々愚痴っていたのでしょう。それを知っていたから、このフレーズをイタコに言わせたわけです。スーの母親の生前のストレスがうかがえます。

この映画では女性に対する抑圧や古い因習が終始描かれています。ベルの祖母がたった一度の胸揉まれ事件をなぜ鮮明に、そして情熱的な出来事として憶えていたのか。

それは、その後結婚して子を儲け、今は孫娘もいるという世間的には幸せ家族の状況にありながら、自身の結婚生活については満足していなかったということの現れかもしれません。時代的に、自ら望んだ結婚ではなかったのかも。

ベルを映し出したラストシーンは、つまらない人生だとわかっていながらも、ベルがこの町で生きていくことを決心したように見えました。勝ち気な性格は母親ゆずりでしょうが、家族を捨てた母親のようにだけはなりたくないのでしょう、意地でもここを出ていかないという決意が見えました。

希望を感じる要素がほとんどないエンディングでした。よくぞここまで無慈悲に描けたなと。けれども、逆にそれが鮮烈でした。そして、まるで当て書きのように、等身大で演じたジェニスとミュージックの瑞々しい表情、佇まいには、思わず感情移入してしまいました。

青春ドラマであり、家族ドラマでもあり、女性問題や社会問題まで含み、なおかつエンタメ作品として見応えのある、素晴らしい作品でした。スパンナホン賞最優秀作品賞は伊達ではなかった。青春残酷物語の傑作。

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映画ポスターはお洒落なのもありますが、やはり映画のワンシーンを切り取った上のものが一番いいです。自分は下のポスターを最初に見たので、本作の内容とは違うイメージを持ってしまいました。

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ミュージック (ベル役) とジェニス (スー役) のプロフィール写真との違いに驚愕。ふたりとも映画では完全に役になりきっていました。

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ラストシーンのベル。当時のインタビューで本人はあまり役者業に興味はなかったようですが、絶対やった方がいい。間違いなくいい役者になります。

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