「暗くなるまでには (By the Time It Gets Dark)」は2016年のタイのドラマ映画です。アートムービー、というかインディーズムービーと言うのでしょうか。いろいろなストーリーラインが重なりそうで重ならない、単にシークエンスの羅列にも見えるこの作品は、ひとつのドラマのようでもあり、実はただ観る者にそうした深読みをさせたいだけの実験作にも見えます。
商業的成功は最初から放棄しているようにも思えますが、タイ版アカデミー賞ともいわれるタイで最も権威のある映画賞「第26回スパンナホン賞」で、最優秀作品賞を受賞。さらにアノーチャ・スウィチャーゴーンポン監督は最優秀監督賞を受賞しています。タイ人の心の琴線には十分刺さるものがあったということでしょうか。
日本の映画祭では、『映画監督、70年代の学生運動家、職を転々とするウェイトレス、男優と女優。見えない糸で繋がる人々の物語を通じて、タイの現代史と美しさを描く。国際的評価も高い新鋭監督による詩的な秀作』と紹介されています。
ある女性映画監督が、地方のペンションに泊まり込み、1970年代に学生運動家だった婦人に脚本のためのインタビュー取材をするのが一応メインのストーリーラインですが、この1本のラインでさえ、かなり危ういもの。
婦人は1976年10月6日の "血の水曜日事件" により弾圧され、(タイ北部の森に男子学生と一緒に) 逃亡した経験がありますが、インタビューでは監督もあまり核心をついた質問をしないし、婦人もステレオタイプな回答ばかり。
むしろ、停電した夜にキャンドルを灯し、監督が婦人の求めに応じ歌を歌っていたら突然また電気がパッとついた瞬間の、蛍光灯に浮かび上がった白々しい2人の顔の方が印象に残りました。
その後、監督は1人で山の中を散策しますが、藪の先に着ぐるみを着た10歳くらいの子供を見つけ、あわてて追いかけるものの、見失い、へたり込んだその手に触れたものは、キラキラ光るキノコでした。暗転。
夜の道路を走る車。夜の森。虫の声。ベッドで泣きながら目覚める監督。起き上がり居間に行くと、暗闇にキャンドルを灯し年配の女性2人がお茶を飲んでいました。お茶をもらう監督。たぶんここまで夢。
朝、買ってあった食パンにカビ。監督、カメラに向かって自分語り。子供の頃一度だけ念動力が使えたが、友達に見せようとしたらダメだった。それ以来、二度と力は戻らなかったし、他人に言うこともなかった。
シーンが変わり、仄暗い時間にベッドに横たわる男性が誰かに顔をなでられている。バッタの大群。古い無声映画 (キノコ)。椎茸、カビ、粘菌 (たぶん)。ちなみに粘菌は個人的にツボ。得体の知れない感じがいい。南方熊楠はタイでも知られているのだろうか。
舞台は変わって地方のタバコの一次加工場。貯蔵された葉の乾燥を検査する男性。ここまではドラマの撮影?。この男性が地方の空港で飛行機に乗ろうとしていた際、若い女性に声をかけられ一緒に写真を撮る。人気俳優の設定っぽい。
舞台は再び最初のペンションへ。監督と婦人が来た初日のことを、同じセリフ、同じ動きで、違う3人が演じている。しかも、Penpak Sirikul (大物女優)、Inthira Charoenpura (国民的女優)、Apinya Sakuljaroensuk (若手実力派女優) という豪華なキャスティング。
インタビューをもとに脚本を書き上げ実際に映画撮影が始まったということなのかもしれませんが、それにしてはこのシーンだけだし、何を言いたいんだろう。例えば:
①同じシーンでも無名女優だとつまらないけど有名女優なら観るでしょ?結局あたなは内容ではなく上辺だけ観ているのだよ。
②セミドキュメンタリーだとしたら無名女優の方がむしろ説得力あるでしょ?(実際後者の方が作り物に見えてしまった)。
うーん、どうなんでしょうね。
シーンが変わり、再びベッドに横たわる男性。女性が寄り添っている。男性は全裸。Apinya Sakuljaroensuk (女優のタック役) とArak Amornsupasiri (男優のピーター役)。昔つきあっていた設定?それとも映画撮影?。ピーター、パイロットに扮して撮影。その後メーキャップしながら歌唱。そしてMV撮影。ナンノコッチャ。。
ピーターがジムのプールで泳ぐ姿をバックに、ジムで拭き掃除に励む女性スタッフ。この人、さっきまでペンションで働いていました。公式の説明では職を転々とする女性だそうです。その後、船上レストランのウェイトレス、尼さん、クラブで踊り狂う若者に。
ピーターが海辺のレストランで彼女と友達と一緒にカニを食べている。店員から写真撮影をせがまれる。人気俳優の設定だな。ホテルの廊下ですれ違うピーターとタック。お互い彼女・彼氏連れ。なんとなく気まずい雰囲気で別れる。
タックが車の中で思いつめた表情。これは撮影済みフィルムでした。スタッフのもとに1本の電話。ピーターが交通事故で亡くなったとの連絡。気を取り直し編集を続けるスタッフ。車を運転するピーター (たぶん撮影済みフィルム)。タイ語版タイトルの "Dao Khanong" の交通標識。
再び、元学生運動家の婦人が若かりし頃のシーン。この翌日に弾圧事件が起きたとのこと。こう語るのはPenpakではなく最初に出てきた女優。当時の惨劇が語られますが、あくまで淡々としたもの。こんな暴力を容認する社会には同化できないと、逃亡を図ったらしい。
職を転々とする女性が尼さんになりますが、気がつく人なら「なぜ黄色い僧衣ではなく白いのを着ているの?」と思うでしょう。実はこれらの女性たちは正式な僧侶 (尼僧) ではありません。
タイで尼僧が禁止されているというわけではなく、タイ国内では女性が僧侶となるための受戒がはるか昔に禁じられたため、今はなろうと思ってもなれないということです。数少ない尼僧は外国で僧侶になった人たち。(関連記事はコチラ)
この女性がクラブで踊っているシーンの映像が段々乱れ、次第に映像が戻ると地方の山というか野原の風景に。ピンク色の空が紫、そして青に戻っていき、風に揺れるススキの映像のまま終劇。
うーん、、難解というか、まあとにかくいろんな要素が詰まった作品でした。たぶん正解はひとつじゃなくて、「いったいあれは何だったんだろう」と思いを巡らすのが正しい観方なのかなと。そういう意味では最後まで飽きずに観れました。
職を転々とする女性という設定も、実はみんな違う人間でそれを同じ女優が演じているのではないかとも思いました。顔が同じ、イコール没個性というか。男性ではなく女性だったという点も意味があるかのように思えるし。
映画の一番最初に出てきた郊外の家 (その後何度かシーン挿入) はきっと何か意味のあるものなんだろうな。ポスターにもあるくらいだし。例えば当時殺された活動家の実際の家だとか。解説ほしいなー。