ワット・ラカン(Wat Rakangkositaram)はもともとワット・バンワヤイという名前でアユタヤ朝時代(1351-1767)に建立され、トンブリ朝(1767-1782)のタクシン王により改修されました。
ラタナコーシン朝(1782-1932)を興したラーマ1世の時代に境内から鐘(ラカン)が発掘され、その鐘はワット・プラケオに移されましたが、代わりに5つの鐘が奉納されたそうです。
お寺はこの時からワット・ラカン(鐘の寺)と呼ばれるようになり、ラーマ4世の時代に一度名前を変えられますが、人々はそれを受け入れず、そして今でもワット・ラカンと呼んでいるのだそうです。
非常に高名な僧侶であるソムデット師が一時期(1852-1872)住職を務め、その際も師の作るお守り(プラクルアン)は大きな評判を呼んだそうです。
時代は変わってもソムデット師(とそのお弟子さん)のお守り「プラ・ソムデット」は大変な人気で、骨董市場ではとんでもない値段で取引きされているそうです。贋作も多いそうですが。
そんな由縁があるため、ワット・ラカンといえばお守り(プラクルアン)と言う人は多く、実際、自分もここに来た目的はお守りを買うためでした (⇒コチラ)。
お寺そのものを見てみると、ワット・プラケオ側から奉納された5つの鐘や、108回鳴らせばご利益があると言われる鐘の一群、その他にも鐘があちこち置いてあって、その名にふさわしいお寺でした。
対岸にはワット・ポーが見えます。あちらは観光客が押し寄せていますが、こちらは地元民の熱気であふれていました。自分が今まで見たお寺の中で、どこよりも地元民がたくさんいました。